映画『ディア・ファミリー』を観てきました。
心臓に先天的疾患をもち生まれた娘が 20才まで生きられないと知り
手を尽くしたが断られ それなら自分で人工心臓を作ろうと バルーン
カテーテルを完成させた 愛知県の町工場経営者の実話になります。
バルーンカテーテルの完成は大きく 脳の血管に使うものも開発された
今では 多くの命が救えるようになりました。
この映画を観てすぐ連想したのが『土佐希望の家』を作った競輪選手の
山崎勲氏です。今は大きくなりましたが 発足当時は小さい施設でした。
1963年生まれの氏の次男が 重度の脳性麻痺を患っており 治療のため
各地の医療機関を訪ねるも受け入れてもらえず それなら自分で作ろうと
昭和41年 小さい施設を建てました。
現役時代の山崎氏 7/11追加しました
土地から買わねばならん資金は 57才の引退まで 一線級の選手として
35年間674勝の輝かしい賞金を充て 競輪仲間からの暖かい支援もあって
やって来れたといいます。
発足当時 県内に重症心身障碍者の受け入れ先はほとんどなく 県から
資金を出してもらい 少しずつ規模を大きくしていって 今に至ります。
これは藤川球児くんが現役のころ 慰問に行ったときの写真でしょうか。
せっかく施設を作りましたが 山崎氏の次男さんは 入所して間もなく
亡くなったそうです。 そして山崎氏も一昨年 93才で亡くなりました。
山崎氏の功績は大きく称えられ 高知競輪には『山崎勲杯』があります。
ピアノ教室の手伝いで 過去に一度行きました。
山の上なので見晴らしがよく 風が渡っていました。
『九十歳。何がめでたい』観て来られましたか。こちらも1日の上映会数が
減りましたので近々行こうと思っています。草笛光子さんはきれいですね。
中高年の憧れの女性で ああいう風に老けたいとプール仲間も言います。
黒木華・樹木希林さんの『日日是好日』は私も劇場で観ました。確か記事にしたと
過去を探したら2018年に観ていました。茶道の先生役の希林さんは
今までにお茶の心得がないと後で知りました。とても信じられぬ貫禄ぶりでした。
森下典子さんの自伝小説を映画化したそうで 彼女が学生のときから
茶道の門をたたき それから何年かして結婚したがうまくいかず別れた
とのつぶやきも入っていましたね。
鶴見辰吾さんが父親役でしたね。娘の成長を静かに見守るという父親でした。
お茶室のシーンが多かったですが 劇中つねに茶室の外庭に水の音がして
その音にも癒されました。
素晴らしい方ですね。
先日、草笛光子主演、❬90歳なにがめでたい❭を見てきて笑いました。
この小説を10年ぐらい前に買い、読んだ時は、直木賞作家なのに、物足りないなと(偉そうにスミマセン)思ったことでしたが、草笛光子がいつまでも、きれいなので重い腰をあげ、映画館へ行きました。
前回、映画館へ行ったのは、樹木希林主演の「日々是好日」でしたので7年前ぐらいでしょうか?
主人公の父親が、理想のお父さんで、羨ましかったです。
友人いわく、「あんな、お父さんはおらんわ」
大きなスクリーンで見ると、迫力があり見応えがあります
うやむやに終わりそうで 残念でなりません。
彼らに筒井社長や山崎勲氏が 長年かけ成し遂げた功績を今一度知って欲しいです。
山崎氏は脳性麻痺の次男の受け入れ先を探すうちに 自分と同じ悩みを持つ家族が
全国にたくさんいることを知り 最初は患者数人から始めた重症心身障碍者施設
でしたが まだこの規模では足らんと 次男亡きあとも施設拡充に奔走しました。
その生き方がNHKドキュメンタリー『ある人生』で紹介され 全国の視聴者・
競輪ファン・選手仲間からの援助が相次いだとウィキにあります。
氏はこのとき日本自転車振興会(当時)に掛け合って競輪公益の補助金を
認めてもらうことになったことも大きいです。
次男氏が亡くなった後も稼いだ賞金をつぎ込み 受け入れ先が
まだまだ不足する患者の施設を大きくしていった功績は大きいです。
昭和41年 患者数名でスタートした『希望の家』は
昭和45年には 定員50名の規模となり
平成2年には『第二 希望の家』が作られ
平成18年には 2つの施設が合併し定員134名の『土佐希望の家』となりました。
自分の息子が亡きあとは 施設拡充の意欲がしぼむと思いますが
山崎氏は一生を 重症障碍者施設のために尽くしました 立派ですね。
山崎勲氏の現役時代の雄姿がありましたので 写真を1枚追加しました。
そうなんです 舞台が愛知県なので春日井市・津島市・豊橋市などで
ロケした風景が出てきます。名古屋駅も今のではなく 昔の駅風景でしょうね。
地元の人が観るとバックに流れる風景から より身近に感じる作品だと思います。
挫折ばかりの10年を めげずに貫いた筒井社長とそれを支えた家族
そしてはげまし 応援する医師たちの感動作でした。
筒井社長も山崎勲氏も 何度も挫折しつつ偉業を成し遂げました すごいですね。
6/14の試写会には 筒井社長・大村愛知県知事も登壇したと書いてありました。
原作者の 清武英利氏の写真を見たとき あっと声が出ました。
かつて読売巨人軍の球団社長をしていた清武氏だったからです。
一時マスコミでも騒がれた『清武の乱』が起きて 巨人軍とケンカ別れした
あの清武氏です 作家になっていたのですね。
球団とのいさかいは気にせずに 映画が先になりましたが
『アトムの心臓』を読もうと思っています。
舞台が愛知県で、昔の名古屋駅など見慣れた建物がたくさん出てくる由、とても身近に感じます。
希望の家もそうですが、直接障害のあるお子さんを持っている人々が必死で取り組まれた結果、今があるんですね。
そうやって少しずつ進歩してきたことに感謝しないといけないですね。
映画化された実話物語です。
あと10年の命と宣告された娘を 何とか生かしたいの思いから 医療は無縁の素人が
人工心臓の研究開発に挑んだ話で モデルとなった町工場経営者のご夫妻は
今もお元気です。
娘さんは20才の成人式を迎えることができましたが 23才で亡くなっています。
人工心臓なんて出来るわけがない と最初は笑われたものが バルーンカテーテル
という大きな結果を産みました。町工場社長が掛けた費用は8億とも言ってました。
強い信念と 家族の理解と 資金がないと出来ませんでした。
思いますが間もなく亡くなっています。息子が亡くなった後も競輪の賞金を
つぎ込み 県に働きかけ 施設を広げていった山崎氏を尊敬します。
球児くんの解説は人気があります。素人にもわかりやすく なるほどねぇ
という話をします。井川くんは今どうしているでしょうか。メジャー挑戦は
失敗でしたね。あれから多くの選手がメジャー挑戦しましたが 皆が皆成功とは
ならず早々と引き揚げて来て 再び日本球界で活躍する選手もいますから
分からんものですね。
ご友人が障碍者のスクールバスの運転手をしていますか 乗り降りに健常人の
何倍かの時間がかかるでしょうから 気を使うと思います。
親が面倒見れるうちはいいですが 頼れる人が皆いなくなったら彼らはこれから
どうなるでしょうか 年々老いていく親御さんの心を思えばつらいです。
ブロ友さんのところで知りました
題名は失念しましたけど
映画の題名とは違ったと思います
小さな施設からスタートして60年足らずで大きなセンターに
なったのですね
個人の活動でも 必要とされると自治体を動かせるってことでしょう
藤川クン 解説上手いですね
あんな才能あるとは思いませんでした
残念なのは 井川クンです
友人が 障害者の学校でスクールバスの助手してました
本当に 細かい気配りが必要で 神経をつかうって言ってました
障害のある子どもを連れた親御さん
この親御さんが 逝ってしまったら 子供さんはどうなるのか?
親の気持ちを思うと胸が つまります
この施設の近くのピアノ教室が 教室の生徒を連れて希望の家へ
ピアノ演奏の慰問に行く手伝いで 30年ほど前に私も行きました。
大広間に入所者の皆さんが集まり つたないピアノを聴いてくれました。
その時ここの職員が「子ども達が・・」と話の途中で何度も言いました。
入所当時は子どもであった患者も 当時はすでに中年以上になっていましたが
ここでは「子ども達」と職員に呼ばれ慈しまれていることを実感しました。
私も同じです 重い障害を持った人が身近にいませんでしたので
館内の移動一つにしても人の助けが要り 職員の皆さんのご苦労に感服しました。
初めて障害を持った人たちに触れました。