車の半年点検のため 朝一にトヨペットへ車を入れました。
いつもは展示車があるフロアに ミニカーが並んでいました。
カローラとクラウン どちらもトヨタの代表選手です。
クラウンとはご縁のなかったわが家ですが 40年ほど昔のCMで
石坂浩二さんが語った 『いつかはクラウン』 が懐かしいです。
高度成長期の中 クラウンに乗ることが ステータスの1つの証
となるCMを聞き 当時30代の団塊世代が いつかはクラウンを
買おう! と発奮した名コピーでした
愛車プリウスは3年半で 走行距離が13,000㌔しか伸びておらず
通勤していたころの 1年ちょいの走りです。
この車が多分 人生最後の愛車となります。今までは5回目の車検か
12-3万㌔走ったら つぎの車にしましたが もうつぎは来ません。
免許証更新のため白内障手術はしたものの ここ数年とても鈍くなり
もう人を載せての運転はできません。
97才ドライバーの事故から 早めに免許証を返納しよう と思ったり
いやまだ3-4年は乗れるだろう と思ったりのここ数日です。
石坂浩二さんも若かったし
私の愛車は軽です乗りやすく小回りも聞いて気に入っていますが遠出には向かないですけど
人を乗せると緊張しますね
97歳信じられませんが
こちらでは80代では人は皆さん乗って見えますね
田舎なので車がないと生活が困ってしまいます
せめて70代は乗りたいと思います
30数年前、念願の我が家を新築、まだ若かった爺や(孫はひとり)が突然「クラウン買うよ」におどろきました。
次女がまだ独身の頃ですから、30年余前。超超大型台風接近で福岡県は大荒れとなった。
新車クラウンを買ったばかりで、まだ簡単なL型の屋根の車庫だったので、クラウンをありったけの毛布でくるみロープで縛りつけて・・・
それは珍騒動でたいへん心配したものです。その後鉄筋つくりの頑丈な車庫を作り、台風の心配はなくなりました。あれ30年余経過、そろそろ私も免許返上を思うこの頃、トヨタビッツが最後の車になりましょう。
久しぶりにお邪魔して、懐かしいクラウン時代を思いだしました。
私も、それを覚えていて、定年の2~3年前にクラウンに乗り替えました。
でも、その後、だんだんと収入も少なくなり、維持費の高さが負担に感じるようになりました。特にガソリンがハイオクですから、ガソリン代が大きくのしかかってきました(><)
それで、その後は、クラウンからハイブリッド車のアクアに乗り替えました。
ガソリン代が激減したことを覚えています(^_^)
今では、、高齢となり、大きな車を運転する気にならなくなりました。
そうそう、最近、「80歳の壁」という本を読んでからは、免許証返納ということは考えなくなりました。
我が家
何時かクラウンのってました 笑
私もたまにハンドル握っていましたが・・
ちょっと前はインフィニティ
今は小回りが利く日産キックス
そして私専用車は
さらに小回りが利く軽 (爆)
乗り換えた車を思いかえせば、わが家の歴史が見えます
車はも少し乗らないと日常が回りません
(-"-;A ...アセアセ
昨夜からしとしと雨です
いつかはクラウン覚えてます
職場で3年経過して通勤にも休みにも使い放題の軽四でした
希望があり夢のような時代でした
今はターボ付きの軽四です乗り回しが良いのがイイです😅
そのため『パワステないんか~い‼️』と言いたくなるほどハンドルの重いニッサン車(直進安定性がイイんです)に乗ってショックは硬めに。舗装の継ぎ目でガタガタと振動するようなクルマに『これがイイんだ‼️』と乗ってます。
同乗するヒトからは『舌を噛みそう‼️』と不評ですが、私は気に入ってます。
私は、真っ赤なフルエアロを履いたフィットゴールドエンブレム。
遠い目。
我が家の2台も、来年、初車検。
勿論、人生最後の車って予定ですよ。
ただ、田舎なので車が無いと不便かな。
特にサメ家方面はね。
ナレーターもしており 石坂さんの甘い声と主題歌の喜多郎さんの奏でる
オカリナ『絲綢之路』がぴたりとはまっていましたね。
こちらも田舎ですからね 車のない生活はたちまち不便になります。
食料の買い出しなど 生協に頼ることになるでしょうか。
そうでしたか 台風の時は人間様よりもクラウンに傷がつかないように
皆さんで守りましたか。今では懐かしい思い出ですね。
免許証返納は〇才になったから ではなく体年齢で本人が決めるべきと思います。杏子さんは実年齢よりずっとお若いですから。
いい車はハイオクで 買った後も維持費がかかりますね。今は燃費のいい車ですか。
こうもガソリン代が上がったら燃費の悪い車には乗れません。
和田秀樹著『80歳の壁』ですね 夫も読んでいました。東大医学部卒の人に
言われたら そりゃ説得力があり信じますよね。