真言密教の瞑想法
宇宙の大生命と一体となる
Shingon Esoteric Buddhism meditation method
Become one with the great life of the universe
「密教の一字禅」などともいわれ、前に述べた摩訶止観の瞑想にマンダラ (図画) という目標をあたえたものと思えばよい。(だから、前述の小止観の作法につづい て、この阿字観をやればよいのである)
真言密教では「」という文字に神秘的な力があるとしている。どうしてかと いう論議がいろいろなされているが、ここでは略す。
弘法大師空海の師、恵果アジャリは、
わが心に月輪を観ず 月輪の上に阿字を観ず
阿字変じて如意宝珠となる
と述べている。
宝珠 法界に逼満して口に阿字を誦す
要するにこれを瞑想化したものである。
満月輪は清らかに澄みきって、清涼寂静の感をわれわれにいだかしめる。
この清涼寂静の満月輪に、神秘不可思議の力を有する字と、仏法のさとりを あらわす蓮花とをあわせ、これとわが心をひとつに合致せしめて、わが心を清涼
静ならしめ、字の不可思議なる力と仏法のさとりと一体になろうとするわけで ある。
そこで、瞑想の目標(本尊)として、満月輪に字と蓮花をえがいた図画を用 いる。
むかしからの作法書をもとに、しるしてみよう。
マンダラを用いる阿字観の行法
月輪の相は一尺一寸二分 (約三六九センチ)にえがいて、 月輪の中に蓮花をえが その上に字を書いて本尊とする。
座った座から字の中ほどまで、一尺六寸(約五二・ハセンチ)ばかりのところ に本尊をかける。本尊と行者との間隔は、八寸(約二六四センチ)から四尺(約一 三ニセンチ)までの間なら行者の自由にしてよい。
ほっかいじょういん
座にはふとんを敷いて、その上に半跏趺座で座る。手には法界定 印をむすぶ。 座ったら、からだを前後左右へ二、三遍ゆるがしてみて、心にとどこおることのな いようにして、耳と肩とひとしく、鼻とヘソとひとしくして、両方の瞳で鼻柱を守 るようにする。
柱を守るようにするとは、視線が鼻端の上部を通じて本尊(月輪)の中心にそ そがれるようにすることである。舌を上の顎につければ、息もおのずから静かにな
る。 腰はそらず、伏せず、まっすぐに座して、脈道(血液の循環)をよくするよう
次に、 数珠を二、三遍摺りながら、礼拝の真言、
「オン サラバ タタギャタ ハンナマンナ ノウ キャロ ミ」をとなえる。
次に、護身法(合すればよい)。
次は、合掌して五大願をとなえる。
しゅじょうむへんせいがん」
衆生無辺願度、福智無辺誓願集、法門無辺誓願覚如来無辺誓願事、菩提無
じょうせいざんしょうじたほっかいどう
上 誓願 証、自他法界同利益
次に、胎蔵界五字の真言、アビ・ラ・ウン・ケンを百遍となえる。
次に、 法界定印をむすんでヘソの前に置き、観念せよ。
まず、わが心中に白色円明の月輪あり。 月輪の中に蓮花あり。 蓮花の上に字
あり。本尊の心の字・蓮花・月輪とわが心の字蓮花月輪と、衆生の
字蓮花月輪と平等々々にして不二一体なりと観じて、目を開いて本尊を観、つ
いで目を閉じてふたたび心中に観ずべし。
このようにして、目を開き、目を閉じて観ずること数。
次に観ぜよ。 この字・蓮花・月輪しだいに広く、しだいに大にして、三千大 千世界ないし法界に周遍すると観じてのち、にわかに本尊と心とを忘れて、無分別 (無念無想)に住すべし。
やや久しゅうして、また観ぜよ。
大宇宙にした字・蓮花・月輪をしだいにまきちぢめて、元の量 (一尺一寸二分)の大きさにおさめ、それを自身の胸の中に安置し奉ると観じる。
このとき、すなわち、身と心とを忘れて、ただ無分別(無念無想)に住す。 その あと、疲れるのを期として、定に入った瞑想を止め、念珠を摺って、祈念すべ
次に護身法(合掌でよい)。
次に、両手をあわせて祈念せよ。
おむかえした仏を本宮の浄土に送り奉り、自心の仏を自心の本宮に送り奉ると観 大悲心 (慈悲の心に住して道場を出ずべし。以上。
観念瞑想が終わって座を立とうとするときは、座に座ったまま頭から足下に至る まで、上からしだいに身をなで、脈道をおぎなってから、座を立つようにせよ。 そ うしないと病を発することがある。
だれでもできる阿字観瞑想のやりかた
〈広観と飲観〉
阿字観実習中に、三通りの呼吸法があるとされる。
1、息の出入するごとに、を感じる方法
2、出る息ごとに、羽をとなえる方法
3、出る息にアをとなえ、入る息に、ウンをとなえる阿吽合観の方法である。
いずれでもよいが、2の方法がよいように思う。ただし、ア、 ととなえるといっ
でも、それは声に出してアをとなえるわけではない。心の中で静かにアの音をとな えるのである。
この瞑想のいちばんの眼目(急所)は、この“広観”と“観”である。 本尊を観じて行者と一体になった字・蓮花・月輪をだんだん拡大して、つい には三千大千世界、この大宇宙いっぱいにひろげる観想を広観といい、その大宇宙 いっぱいにひろがった本尊を、もとの一肘量の大きさにめる観想を観という。 煮”とは、ちぢめて小さくするという意味である。
真言密教のアジャリは、この広観の観想を、本尊のみが宇宙大にひろがってい 修行者はそれを見ているようなかたちとして解説される。たとえば、
行者の眼の前にある阿字観の本尊を、眼をつぶっても、瞼の裏、ないしは胸 中にはっきりと見え得るほどに、本尊と不二一体となって観想するのが阿字観法のありかたであるが、今度はそのように行者と不二一体となった本尊を、だ んだんと拡大していき、虚空一杯にひろげて言ったら、その極限はどうなるの であろうか。結局は、それは無限大のものとなってしまい、眼識、意識等の対 象としての条件をなくして了うのである。
字としてのアの形や、円形としての月輪が見える間は、まだそれは無限大と なっていないのである。無限大のものとなるがためには、行者の上方にも、下 方にも、前にも後にも、左右の両横にも、絆前や斜後にも、斜上や斜下にも、 すべての方向に本尊がひろがっていかねばならず、人間がその眼識や意識で物 事を認識(にんしきみとめる)するためには、そのような十方世界へのひ ろがりの真只中にあっては、けっしてそれを一定の形として受け取り得なくな るのである。
人間は自分の後方の文字は読めず、頭上の形は視線を向けねば見えず、まし 上下前後左右一挙に物を認識することは不可能である。 そこで阿字観の本尊 無限大にひろげていくことは、阿字観の本尊と行者が不二一体となったま
ま、ア、蓮、月の形を越えた精神統一の無的境地へと突入するための手段であ ろうと思う。
それはあたかも、人間の小さな計らいを捨てて、仏陀の無分別智に身をゆだ ねようとする行為に似ている。対象を虚空大にひろげてしまったら、その 対象は無的になる。無的になった対象を観ずるということは、無念無想、すな わち何も思わぬ状態になることと等しい。 観想中に何も思わぬ状態になったと き、人間に体感可能な体で感じられるのは)自己の心の働きそのものであ (大野峻覧 「阿字観の手びき』) る。
なるほど、そうであろうと思われる。しかし、わたくしにはまたべつな見解があ
それは、字・蓮花月輪といっしょに、修行者自身もひろがっていって、大 宇宙いっぱいに満してしまうという観想のしかたである。
行者と本尊は不二一体となっているのであるから、本尊が拡大していったら行者
無分別観
とある。
自身もいっしょに拡大していかねばならない。 行者だけとり残されてしまったら、 不二一体感が破れてしまって、そのあとの観想がチグハグになってしまう。
ここはどこまでも不二一体を破らずに行者自身もどんどん拡大していって、 大宇 いっぱいに周するのがよいように思われる。
阿字とはなにかというと、「阿字本不生」といって、ひと口でいうと、本不生と は「宇宙の大生命」「永遠の生命」といった意味である。 その宇宙の大生命のシ ンボルである字蓮花月輪の本尊が、いま行者の観想によって生命を吹き まれ、大宇宙に遍満したのである。
修行者もその生命と一体になって、いまや大宇宙に満する大生命になった と観想するのも生き生きとした瞑想になるのではなかろうか。
もちろん、大野師の伝統的な解釈もすばらしいし、読者は、そのいずれをもとっ て、自由に瞑想にふけられたらよろしいと思う。 いや、ここのところはあまりむず かしい理屈は考えず、読者は自由にのびのびと心を遊ばせて、宇宙の大生命と一体になる恍惚感を味わわれるがよろしいのだ。ここにあげた二つの解釈のほかにも、
読者は、自由自在、不放の瞑想を楽しまれるがよい。
大宇宙いっぱいにひろがった自分オヤ、爪さきのあたりを蚊のようなものが 飛んでいくぞ、なんだ、ジャンボジェットか、おやおや、ウチの社長が乗ってい るぞ、なあんだ、ケシ粒みたいなヤツだ、うわっはっはっは、 と、 ノイローゼもヒ ステリーも吹きとんでしまう。どえらい企画やアイデアもとび出すかもしれない。
そこで、かんじんなのはここで出てくる無分別観である。
「・・・・・・にわかに本尊と心とを忘れて、無分別に生ずべし」
ここで恍惚感にも似た無念無想の境地に入るのである。ぜったい無我の境地であ
ついでかんじんなのは、大宇宙に遍満した字・蓮花月輪の本尊と自分をも の大きさにもどして、それから本尊を自分の心の中におさめ、安置して、またこ
ここで、身と心をはなれてしばらく無分別観に入るのである。
これによって、阿字観の瞑想からはなれて日常生活にもどったのちも、一点のく もりもない満月輪のすがすがしく清らかな心と、阿字本不生の大生命の力と、また 仏法のさとりとつねに一体の自分なのである。が、まあ、むずかしい理屈はよいか ら、理屈ぬきにまず座って、やってごらんなさい。 モヤモヤなんぞはどこかにふき とんでしまう。これで、胃カイヨウや高血圧のなおった人が無数にいる。それに、 第一こせこせしなくなるだけでも気持ちがよいはずだ。
Shingon Esoteric Buddhism meditation method
Become one with the great life of the universe
It is also called ``one-character Zen of esoteric Buddhism,'' and it can be thought of as the goal of mandalas (drawings) given to the meditation of Makatokan mentioned earlier. (Therefore, following the etiquette of Kodomekan mentioned above, you should do this Ajikan.)
In Shingon Esoteric Buddhism, the character ``'' is said to have mystical power. There are many discussions about why this is the case, but I will omit it here.
Keika Ajari, the teacher of Kobo Daishi Kukai,
I don't see a moon ring in my heart, I don't see an Aji on the moon ring.
Changes to Aji and becomes Nyoi Hoju
It has said.
Treasure jewel: Recite the A character in your mouth while being satisfied with the Dharma world.
In short, this is a meditation.
The full moon ring is pure and clear, giving us a feeling of coolness and tranquility.
In this full moon ring of coolness and tranquility, I combine the characters with mystical and mysterious power and the lotus flower, which represents the wisdom of Buddhism, and unite this with my heart to refresh my heart.
He is a man who seeks to calm down and become one with the mysterious power of writing and the wisdom of Buddhism.
Therefore, as the goal (principal image) of meditation, a drawing of a full moon ring with calligraphy and a lotus flower is used.
Let's try marking it based on a book of etiquette from long ago.
Ajikan practice using mandala
The aspect of the moon ring is drawn on a length of 1 shaku, 1 sun and 2 minutes (approximately 369 centimeters), and a lotus flower is drawn inside the moon ring, and characters are written on top of it as the principal image.
The principal image is hung about 1 shaku and 6 sun (approximately 52 ha centimeters) from the seat where the person is sitting to the middle of the character. The distance between the principal image and the practitioner may be between eight inches (approximately 264 centimeters) and four shaku (approximately 13 centimeters), as determined by the practitioner.
Hokkai-join
Spread a futon on your seat and sit on it in a half-prone position. He has a legal seal attached to his hand. When you sit down, try to move your body forward, backward, left and right a few times, as if you were in the same position as he is in your heart. Make sure to protect the pillars.
Protecting the pillar means directing the line of sight through the upper part of the nose to the center of the principal image (moon ring). If you touch your tongue to the roof of your mouth, your breath will automatically become quieter.
Ru. Sit up straight without bending your back or bending down to improve your blood circulation.
Next, while rubbing the beads two or three times, say the mantra of worship,
They chant “On Sarava tatagyata Hanamanna no kyalo mi”.
Next, self-defense law (if it fits).
Next, join hands and say the five great vows.
``Shujomuhenseigan''
Boundless Vow of Sentient Beings, Blessed Wisdom Boundless Vow Collection, Dharma Gate Boundless Vow Awakening Tathagata Boundless Vow, Bodhi Nothing
How to prepare for the hospital
Above oath certificate, same interest in both the legal world and others
Next, recite the mantra of the Five Characters of the Womb World, Abi La Un Ken, 100 times.
Next, place the Dharma Seal in front of your navel and contemplate it.
First of all, there is a moon ring of white light in my heart. There is a lotus flower inside the moon ring. letters on lotus flower
can be. The character of the heart of the principal image, lotus, moon ring, and the character of my heart, the lotus flower, and the moon ring, and the symbol of sentient beings.
Open your eyes and look at the principal image, seeing it as equal and non-dutiary with the lotus moon ring.
Close your eyes and watch it again in your heart.
In this way, the number of things you can see with your eyes open and with your eyes closed.
Watch it next time. After seeing this character, the lotus flower, and the moon ring gradually becoming wider and larger, and going around the three thousand great worlds or Dharma worlds, I suddenly forgot the principal image and the mind, and thoughtlessly (with no regrets). I should live there.
Let's watch it again after a while.
Gradually shrink the letters, lotus flower, and moon ring that have been made into a macrocosm, reduce them to their original size (1 foot, 1 inch, and 2 minutes), and enshrine them in your own chest.
At this time, one forgets one's body and mind and lives in a state of mindlessness. After that, when I felt tired, I stopped my regular meditation, rubbed my prayer beads, and prayed.
Next is self-defense (putting your palms together is fine).
Next, join your hands in prayer.
Send the Buddha you have received to the Pure Land of the main shrine, and send the Buddha of your own mind to the main shrine of your own mind to dedicate it.
When you are about to get up from your seat after completing conceptual meditation, gradually stroke your body from the top down, from your head to your feet, while you are seated, until you are able to reach your veins, and then get up from your seat. If you don't take care of it, you may get sick.
How to do Ajikan meditation that anyone can do
〈Broad view and drinking view〉
It is said that there are three ways of breathing during Ajikan practice.
1. How to feel each breath as it goes in and out
2. How to flap your wings with each breath
3. This is the method of Agokan, in which you say "a" on your outgoing breath and "un" on your incoming breath.
Either method is fine, but I think method 2 is better. However, if you say a.
But that doesn't mean you can say a out loud. Silently make the sound of a in your heart.
The most important points (vital points) of this meditation are this ``broad view'' and ``conception.'' Looking at the principal image and gradually expanding the characters, lotus flowers, and moon rings that have become one with the practitioner, the contemplation that eventually spreads out to the 3,000, 1,000 worlds, this vast universe is called wide-viewing, and the idea that it expands to fill the entire universe. The contemplation of reducing the principal image to its original size is called kan. "Ni" means to shrink and make it smaller.
Ajari in Shingon Esoteric Buddhism explains this wide-ranging contemplation as a form in which only the principal image extends throughout the universe, and the practitioner sees it. for example,
The Ajikan method involves contemplating the principal image of Ajikan that is in front of the practitioner's eyes, becoming one with the principal image so that even if one closes the eyes, one can clearly see it behind the eyelids or in the chest. However, if we were to gradually expand the principal image that has become one with the ascetic and spread it out to fill the void, what would its ultimate state be? . In the end, it becomes something infinitely large, and it loses its condition as an object of discernment, consciousness, etc.
While he can see the shape of the letter A and the moon ring as a circle, he has not yet realized that it is infinite. In order to become infinite, we must move above and below the ascetic, in front of us, behind us, on both sides of us, in front of our bonds, behind us, above us and below us. The principal image must spread in all directions, and in order for humans to perceive things with their discernment and consciousness, they must be in the midst of such spread into the ten directions. If we do so, we will never be able to accept it as a fixed form.
A human being cannot read letters behind him, he cannot see shapes above him unless he turns his gaze, and it is impossible for him to recognize things all at once, up, down, front, back, left, and right. Therefore, the principle image of Ajikan will expand to infinity as the principal image of Ajikan and the practitioner become one.
Well, I think it is a means to enter a state of spiritual unity that transcends the shapes of the lotus and the moon.
It is as if he were trying to sleep, abandoning his petty human plans and surrendering to the unwise wisdom of the Buddha. If an object expands into the void, it becomes meaningless. To look at an object that has become empty is equivalent to being without regret, in other words, in a state where one does not think of anything. He said that during contemplation, he entered a state where he could not think of anything, and what he felt with his human body was the very workings of his own mind (Shunran Ohno, ``Ajikan's Handbook'').
I see, that seems to be the case. However, I have another opinion.
This is a method of contemplation in which the practitioner himself, along with the characters and lotus moon ring, expands and fills the universe.
Since the ascetic and the principal image are one and the same, as the principal image expands, the ascetic and the principal image become one.
sense of imprudence
a.
We must also expand ourselves. If only the ascetic is left behind, the sense of non-duality will be broken, and the subsequent contemplation will become chaotic.
It seems to me that it would be best for the ascetics to continue to expand here, without ever breaking the concept of Fujitchi, and to travel around as many times as possible.
What Aji means is ``Aji Honfusei.'' Simply put, Honfusei means ``the great life of the universe'' and ``eternal life.'' The principal image of the Lotus Moon Wheel, which is a symbol of the great life of the universe, has now been brought to life through the contemplation of practitioners, and has pervaded the great cosmos.
Ascetics become one with that life, and contemplating him, who has now become a great life that fills the universe, can be a lively meditation.
Of course, Ohno Shi's traditional interpretations are also wonderful, and I hope readers can meditate freely on either of them. No, at this point I don't think too much about his complicated logic, and I think readers are welcome to let their minds play freely and experience the ecstasy of becoming one with the great life of the universe. In addition to the two interpretations given here,
Readers may enjoy free and unrestrained meditation.
My father is spread out across the cosmos, and something like a mosquito flies past my fingernails. What is this? It's a jumbo jet. Oh, my president is on board, and he's on it. What, a poppy grain? He's like that, waaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa You might even come up with some crazy plans or ideas.
Therefore, what is disturbing is the sense of imprudence that emerges here.
``... suddenly forget the principal image and the heart, and live indiscriminately.''
At this point, you enter a state of regret and thought that is similar to ecstasy. I am in a state of complete selflessness.
Another interesting thing to do is to restore the principal image of the lotus moon wheel, which is a character that pervades the universe, and yourself to its size, and then place the principal image in your heart, enshrine it, and return to it again.
At this point, one's body and mind become separated and one enters into a sense of non-judgment for a while.
As a result, even after leaving the meditation of Ajikan and returning to daily life, one can still experience the refreshing and pure mind of the pure full moon, the power of Ajibon's great life, and the knowledge of Buddhism. You are always one and the same. But, hey, don't worry about difficult logic. First, sit down and try it without any logic. He wipes away his confusion and flies away. With this, countless people have recovered from stomach problems and high blood pressure. Besides, it would probably feel good just to not be so nervous in the first place.
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"Nirvana aims for wisdom and compassion."