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一印会について 一印会は大日如来一尊で表されます

2023-07-31 20:10:18 | 運命学

 

 

一印会について

一印会は大日如来一尊で表されます。

 

 

 

1.大日如来

[読み] だいにちにょらい
[梵名] マハー・ヴァイローチャナ・タターガタ
[梵名表記] mahāvairocanatathāgata
※以下タターガタは略す

●梵名マハー・ヴァイローチャナは、「すぐれて(法界に)あまねく(仏智の)光明を照らす者」の意、音訳して摩訶毘盧遮那(マカビルシャナ)、太陽(神)のイメージ。
●金剛界曼荼羅の主尊、両の手で智拳印(最上菩提印)を結ぶ。
●「五仏」(五智如来)の中心、「五仏」の本性である「五智」(法界体性智・大円鏡智・平等性智・妙観察智・成所作智)のうち「法界体性智」(真如・法如そのものの智)を本性とする。
●宇宙の真理(真如・法如)のはたらきがそのまま法身大日如来の意志であるという堅固な智慧(仏智・法界体性智)を、始めもなく終りもなく、常恒に、自らの法楽(自受法楽)のために、説き続ける「智法身」(自受用身)。
●金剛界大日如来は、「一切義成就菩薩」(=釈迦)が一切如来たちに「五相成身観」を教示され、その観法によって仏身円満となり、一切如来たちに加持されて一切如来たちの代表の「一切如来」(毘盧遮那如来:報身・受用身)となったもの。

 

身心を安定させ、脳をよくする

マニプーラーチャクラ瞑想法

 

マニプーラーチャクラ瞑想法

 

 

 

 

身心を安定させ、脳をよくする

マニプーラーチャクラ瞑想法

先ず、結珈肪座(または半珈鉄座、どうしてもできない人は椅子に掛けてもよい)

次 長出大息呼吸法(約三分~五分)

次 長出息呼吸法(約三分~五分)

次 観想

 

導師からいただいたケンダリニー・パールを、口の中にふくみなさい。

口にふくんだパールを、「敵交」という部位に置きなさい。

 

次 長出息呼吸法から反式呼吸法へ

次 厭交へ置いたパールを、舌の下へ移しなさい。

 

次 舌の下から、チャクラ生気ルートに入れなさい。

  チャクラ生気ルートは、直径一センチほどの気管(プラーナ管)である。やや細めの柔軟なストローと思えばよい。自然のままではふさがっているが、

 習練によって生気の通ずる気道がひらく。血のように鮮やかな赤色である。

 

次 長出息法の呼吸に乗せて、パールを、しだいに下方へ移動させなさい。

 「承漿」から「腹中」、「腹中」から「神閥」(ヘソのこと)、「神闘」から「気海」「関元」まで、徐々に移動させなさい。

 

長出息法を約一〇回~一五回位で、関元に到達させなさい。

 

次 関元で、約五~一〇回、長出息法。(回数自由)

  この時、パールは、約三倍の大きさに膨脹し、しだいに光を放ち、輝きはじめる。(カラーロ絵参照)

 

次 反式呼吸法

  パールはしだいに、輝きをおさめ、大きさも、原状に復する。

 

次 反式呼吸法に乗って、パールは、しだいに上昇しはじめる。

  

約一〇~一五回で、もとの敵交にもどる。

 

次 長出入息呼吸法

  一〇回、呼吸をおさめながら舌の先でパールを転がしながら、願文の中に納めてしまう。

座を立つ。

 

この瞑想法の驚異的効果

 

この瞑想法の効果は、まさに「魔法」的であるといってよい。

 では、その効果はどこからくるのであろうか。

 端的にいうと、つぎの通りである。

 それは、自律神経の中枢である太陽神経叢への横隔膜による刺激と、マニプーラーチャクラヘの刺激によるホルモン湧出からくるのである。

 

 その効果をあげてみよう。

 

I、体の新陳代謝を盛んにする。

  肺の機能が高まり、これまでの何倍も大量の酸素を血液の中に吹きこみ、体じゅうに送りこむ。

2、筋内の発達をうながす。

  新陳代謝が盛んになれば、体じゅうの組織が強化されるのは当然であり、筋肉が発達する。ことに、内臓の筋肉が強化される。

3、神経のはたらきが安定する。しそれは、自律神経を安定させるからである。

  自律神経(植物性神経)とは、すべての内臓、腺、血管等、人間の意志と無関係に反応する器官を支配する不随意神経で、これらの器官のいろいろな機能を自動的に調節している。

それで、自律神経とよばれるのである。

 

 自律神経は二つの特徴を持っている。それは、

 

一、意志をともなわず、自動的にはたらくこと。

二、この神経は、かならず交感神経と副交感神経の二つからできていて、そ

 

この二つである。

 一つの内臓器官の自律神経は、いつもこの二つの神経感神経と副交感神経がはたらいて調節しているのである。

 そのはたらきはまことに微妙なもので、おたがいに反対のはたらきをする。

 交感神経は神経を昂奮させ、血管を収縮させるのにたいし、副交感神経は心臓を抑制し、血管を拡張させる。

 つまり、交感神経は人体におけるアクセルであり、副交感神経はブレーキだと思えばよい。

 交感神経が緊張すれば、人間の体は昂奮状態となり、副交感神経が緊張すれば、その昂奮が抑えられるようになる。どちらにかたよっても、体は病的な状

態になるわけで、このあい反した二つのはたらきがバランスをたもつことにより、心臓は順調に動き、血管は適当な大きさを保持するわけである。

 こういうはたらきは、すべて、意志をともなわず、まったく無意識のうちにおこなわれているが、その調和が破れると、当然、ざまな病気が生ずる。

 その調和を破るものは、病気とか、内臓器官そのものの故障によるものはべつとして、ほとんど精神的なものからくることが多い。

強い煩悶、悩み、悲しみ、恐れ、怒り等、心とからだの動揺をきたす精神的刺激が起きると、内分泌器官の中枢である脳下垂体をへて、副腎の自律神経

の交感神経につたわり、副腎の皮の髄質や、神経の末端から、アドレナリンおよびノルアドレナリン(副腎髄質ホルモン)や、シンパシン(交感神経の末端

から遊離する物質)などの、強い昂奮剤が分泌される。

 これは、その強い煩悶や恐れなどに対応するための、からだの自衛作用なのであるが、その精神的刺激がつづくと、アドレナリン系の過剰分泌をきたすこ

とになる。

Manipula chakra meditation method

 

Stabilize the body and mind and improve the brain

Manipula chakra meditation method

First, the lotus position (or the half-iron position, if you can't do it, you can hang it on a chair)

Next Nagaide sigh breathing method (about 3 to 5 minutes)

Next long breath breathing method (about 3 to 5 minutes)

Next idea

 

Put the Kendariny Pearl from your guru in your mouth.

Place the pearl in your mouth in the area called "enemy".

 

Next: From long-breathing breathing to anti-breathing

Next, move the pearl that you put in the sword to the bottom of your tongue.

 

Next, enter the chakra animation route from under the tongue.

The chakra animation route is a trachea (prana tube) with a diameter of about 1 cm. Think of it as a slightly thin and flexible straw. It's occupied in its natural state,

The training opens an airway that allows for vitality. It is a bright red color like blood.

 

Next: Move the pearl downward gradually on the breath of the long breathing method.

Gradually move from "Shojo" to "Stomach", from "Stomach" to "Navel" (navel), and from "God Fight" to "Kiumi" and "Sekimoto".

 

Make the long breath method reach Sekimoto about 10 to 15 times.

 

Next, at Sekimoto, about 5 to 10 times, long breathing method. (Free number of times)

At this time, the pearl expands to about three times the size, gradually emits light, and begins to shine. (See Cararo picture)

 

Next anti-breathing method

The pearl gradually shines and the size is restored to its original state.

 

Next, riding on the anti-breathing method, Pearl gradually begins to rise.

 

It will return to the original hostile relationship in about 10 to 15 times.

 

Next long breathing breathing method

While holding breathing 10 times, rolling the pearl with the tip of the tongue, it was put in the application.

Stand up.

 

Amazing effect of this meditation method

 

The effect of this meditation method can be said to be truly "magical".

Then, where does the effect come from?

In short, it is as follows.

It comes from the stimulation of the solar plexus, which is the center of the autonomic nerves, by the diaphragm and the stimulation of the manipuler chakra, which causes hormones to spring out.

 

Let's raise the effect.

 

I, to boost the metabolism of the body.

The function of the lungs has improved, and many times more oxygen than before is blown into the blood and sent throughout the body.

2. Promote intramuscular development.

If metabolism becomes active, it is natural that tissues throughout the body will be strengthened and muscles will develop. In particular, the muscles of the internal organs are strengthened.

3. The function of nerves is stable. However, it stabilizes the autonomic nerves.

Autonomic nerves (vegetable nerves) are involuntary nerves that control all internal organs, glands, blood vessels, and other organs that react independently of human will, and automatically regulate various functions of these organs. There is.

That is why it is called the autonomic nerve.

 

The autonomic nerve has two characteristics. that is,

 

First, it works automatically without any will.

Second, this nerve is always made up of two nerves, the sympathetic nerve and the parasympathetic nerve.

 

These two.

The autonomic nerves of one internal organ are always regulated by these two nerve sensation nerves and parasympathetic nerves.

The function is really delicate, and they work in opposition to each other.

The sympathetic nerve excites the nerve and constricts the blood vessel, while the parasympathetic nerve suppresses the heart and dilates the blood vessel.

In other words, the sympathetic nerve is the accelerator in the human body, and the parasympathetic nerve is the brake.

If the sympathetic nerve is tense, the human body will be in a state of excitement, and if the parasympathetic nerve is tense, that excitement will be suppressed. Whichever way you choose, your body is morbid

By balancing these two contradictory functions, the heart moves smoothly and the blood vessels maintain an appropriate size.

All of these functions are performed unconsciously without any will, but if the harmony is broken, various illnesses will naturally occur.

The things that break that harmony often come from mental things, except for illnesses and failures of the internal organs themselves.

When mental stimuli such as strong anguish, worries, sadness, fear, anger, etc. that cause agitation of the mind and body occur, the autonomic nerves of the adrenal glands pass through the pituitary gland, which is the center of the endocrine system.

From the adrenal medulla of the adrenal gland and the nerve endings, adrenaline and noradrenaline (adrenal medulla hormone) and sympathetic nerves (sympathetic nerve endings)

Strong excitatory agents such as substances released from) are secreted.

This is a self-defense action of the body to respond to the strong anguish and fear, but if the mental stimulation continues, it causes excessive secretion of the adrenaline system.

It becomes.

 

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2023-07-31 11:41:08 | キッチン

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感想(0件)

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2023年7月31日 占い  九星  無料 今日の運命

2023-07-31 10:32:14 | 運命学

 

 

2023731

 

一白水星の日

この日には不遇、失意気味の来訪者が多いものです。自分自身も、憂い事で憂鬱になるものです。 部下や子供の問題も出る。この日は特に陰徳に心がけることが大切です

 

 

破壊の週  親の日
対人関係、特に恋愛において良好な日。
気持ちの面でもリラックスでき余裕がもてる日なのでデートに最適です。
新しい交友関係を広げるのにも適しているので、積極的に外出し興味のあることにどんどんチャレンジしましょう。
 
 

虚空蔵菩薩 無限の智慧と慈悲の心を人々に与える菩薩

 

 

虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)とは?

虚空蔵とは宇宙のような無限の智慧と慈悲の心が収まっている蔵(貯蔵庫)を意味し、人々の願えを叶えるために蔵から取り出して智慧や記憶力、知識を与えてくれるとされています。

 

真言宗の開祖・弘法大師は虚空蔵菩薩の真言を100万遍唱えるという虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)を行ったそうですよ。無限の記憶力がつき、仏の智慧を体得することができるといわれています。求聞持法の本尊像のほかに、増益(ぞうやく)や除災を願って行う修法の本尊である五大虚空蔵菩薩があります。これは虚空蔵菩薩の持つ智慧を5方に配し、金剛界五仏の変化した姿としたものです。

ご利益

成績向上、記憶力増進、頭脳明晰、商売繁盛、技芸向上のご利益があります。また、丑・寅年の守り本尊です。丑・寅年に生まれた人々の開運、厄除け、祈願成就を助けるといわれています。

 戦車
正位置・・・征服。勝利。凱旋。自立。出世。野望をなしとげる。困難の克服。宗教、迷信に打ち勝つ。先頭をきった最初の勝利。自力で勝ち得た成功。乗っ取り。買占め。経済的野心の成功。立身出世。力で勝ち取った恋愛。戦争。戦火。兵隊。自動車、その他乗り物。運転者。
逆位置・・・計画の挫折。恋愛などの敗北。障害。利己主義。ルーズ。他人の権利を無視する。
ウェィト解説
正位置・・・まさかの時の救助、援軍。摂理。戦争。勝利。無礼。復讐。トラブル。
逆位置・・・暴力。争い。論争。訴訟。敗北。
 
 
 
07月31日 (月曜)
月齢
13.29
Moon
潮汐
中潮
月名(旧暦日)
小望月
(待宵月)

 

 
 
 
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密教の技術に関係のある市川理論「等価変換展開理論」

2023-07-30 18:47:20 | 運命学

Ichikawa theory related to esoteric Buddhism technique "Equivalent conversion expansion theory"

 

たとえば、

そんなことがほんとうにできるのか? いったいどうやってそんなことができるのだ、と。

それもたしかにもっともなことで、私自身、身をもってこのの、自分でこの 技術を解明するまでは、 ぜったいに信ずることができなかった。 私は単身、五〇〇〇年の間秘密 のヴェールにつつまれてきたこの不思議な技術にいどみ、その秘密を解いた。それは、信ずるこ とのできないほど精妙な生化学に立脚したおどろくべき技術の応用であった。

さきにもちょっとふれたが、 市川亀久弥博士は、最近の著作のなかでお得意の 「等価変換展開理論」にもとづき、イモ虫からサナギへの変化を例にして未来社会への脱皮を説 いておられる。この理論はまことにみごとで、まさにほれぼれするほどあざやかであること に、イモ虫がサナギに変身する理論的うらづけは、近楽しきりに輩出する未来論のなかで、まさ 色のものであるというべきである。

ただ、まことに残念なことに、それは理論と説明と期待にとどまり、それをいかにヒトに応用 して実現させるかという方法を示していない。それは、もちろん、氏自身、同書のはしがきのな かで、これは単に人類のあるべき未来社会に関するソフトウェアの主張の範囲にとどまる ものである"とことわり、このソフトウェアに対するハードウェアの具体的な提唱

近い将来に公表する予定である。ということであるから、われわれはまさに信用してくれた

「イモ虫からサナギへの脱皮」技術を持っていて、数千年も前から、それをの応用実践していたのである。

教は、現代の創造理論の大家が提唱する未来に関する花形理論を、とうに実践していたので ある。五〇〇〇年も前に。

地を這いまわることしか知らぬ生物であるイモ虫が、サナギになり、 そして、空を舞う生物に 変身することは、二次元の世界に生きる生物が三次元生物に変化したことを意味するものだ。密 がおなじ技術をもってヒトを変身させることは、三次元生物であるヒトをそれより上の次元に 飛躍させることを意味する。 変身技術はそれなのである。その生物の次元を変えてしまう

かのひとつに過ぎない。

しかも、それは、今までいわれてきたように、ただ神秘的 神がかり的なアイマイな方法でな

生化学の技術をもっておこなうのだ。そうしてそれは密教の持ついくつかの技術のな

いったいどんな恵がそれをなしとげていたというのであろうか?

うのなら、その点をこそ神秘というべきだろう。しかし、それは、それこそまさに数千年まえ出 現した超ヒトが、孤独にたえつつ、その持つ人類最高の智恵」を駆使してつくり上げ た未来人のためのカリキュラムにほかならぬのだというよりほかないであろう。

さて、それでは、密教の技術に関係のある市川理論 「等価変換展開理論」とはどんな理論か? それがどのように密教の技術と関連があるのか?

それを説くまえに、もう少し知っておいていただかねばならぬことがある。

ここで、私は、密教とヨーガという二つのことばについて述べておかねばならぬと思うのだ。 著「変身の原理」で、私は、密教についてつぎのように述べた。 少し長いが引用してみる。 密教の原点"と題した一章である。 (5)

真言宗という宗派仏教と、密教すなわち秘仏教とは、ふかいつながりがある。だが、それは どこまでもふかいつながりという関係であって、普通考えられているように、教即真言宗、真 言宗即密教というものではないのである。

真言宗とは、インドにおいて発生し、大成した教を、ああいう独自の形に体系化し、組織化 したものであって、そのものではないのである。密教のひとつの体系ではあるけれども、 そのものではない。

それは、それまでにほぼ完成していたけれども、分派し、多様化していたインドを日本 教の開祖空海が、独自の見識とによって、ひとつの体系につくりあげたということである。 おなじように、にいても、 

そういうわけで、密教というものを正しく理解するためには、どうしても、一度の

に立ちもどって考えてみなければならないのである。

宗教は、最初、ひとつの手法(技術)であった。

けっして、最初から密教というひとつの宗教があったわけではない。

ゴータマ・ブッダがあらわれて、仏教というあたらしい教えを説きはじめるはるか以前、パラ モンの時代から、インドには、人に超能力をあたえるひとつの手法があった。そういう手法が完 成されて、一部の人たちの間につたえられていた。それは、精神と肉体のきびしい錬磨から得ら れる神秘的な力で、彼らは、 それを、ひとつの技術にまでつくりあげていた。

われわれは、その流れのひとつを、現在、ヨーガのなかに見ることができる。(ただしそれは、 いまの日本で行なわれているアクロバティックな体操のヨーガではない。ヒマラヤの奥地の聖者 たちの間に伝承されている正統ヨーガである)

ヨーガは、その手法のひとつの流れである。この超能力を開発する技術は、仏教があらわれる 以前においてはバラモンにとり入れられ、仏教があらわれると、仏教もまたこれをとり入れた。 ゴータマ・ブッダは、かれ自身、この手法をまなんで、これにより超能力を持ったが、弟子た ちにはこれを学ぶことを禁じた。なぜかというと、この技法によって多少の力がつくと、かれら はすぐにそれがブッダのいう「ホトケ」という境地に達したものと考えてしまい、修行のさまた

ただし一部の素質のきわめてすぐれた弟子たちには、ひそかにこれを許した。

ゴータマ・ブッダは、普通、神秘的な力を信じたり、修行者がそういう力を持つことを願った りするのを全く禁じたというように、仏教学者や仏教者は信じているようであるが、それは間違 いで、ブッダ自身、 神足 (Iddhi) の教理 すなわち、仏道を完全に成就するためには超自然的な 力が必要であるとし、超人間的な能力開発の訓練法を説いているのである。 これは、パーリ文献 によって容易に証明することができるのである。(略)

それによると、それは、四神足”または“四如意足”ともいわれる超能力開発法である。 ブッダは、菩提を成就するためには、単に、知性や理性をみがくだけでは不十分であると考 え、知性や理性の限界をうち破る力が必要であると考えた。

そのために、彼は、そういう力を開発するための行法をつくりあげた。それは、彼が学んだ超 能力開発法を加えて編成したものと見てよいであろう。

それは、三十七種の技法から成り立つもので、四神足というのは、その中心になる技術であ る。 神通、如意を得るための定を、四種類の手法に分けて説明している。

神足(願望、理想、創造のためのアプローチ)

神足(体と心のトレーニング法)

のトレーニング

意識のトレーニングル

このシステムは、一部の弟子たちの間につたえられ、のちに、大乗仏教が行きづまったとき、 この行きづまりを打破するために、大乗仏教のなかにとり入れられて体系化され、密教と呼ばれ るものになったのである。

こういうわけで、密教は二つの面を持っている。

一つは、超能力の開発技術

一つは、大乗仏教の教義

この二つである。

この二つのものがむすばれることにより、大乗仏教よりさらに高度の教義が完成されて、「金 剛大」と呼ばれる新しい仏教が誕生した。 これが密教である」

この引用の文章でわかるように、「変身の原理」において語られている」というコ トバは、「秘密仏教」という意味での「密」である。仏教のなかにとり入れられた、いわゆる あるいは真言宗教の密教である。

しかし、本書において私がいう「密教」は、それらの密教、「変身の原理」のなかで使われて いる密教とは全くちがうものであることを、読者はご承知りたいのである。

本書における「密教」とは、真言密教以前、いうならば仏教にとり入れられる以前の、いや、 バラモンにさえもとり入れられる以前の、引用文でいえば、密教は最初、ひとつの手法(技 術であった。ゴータマ・ブッダがあらわれて、仏教というあたらしい教えを説きはじめるはる 以前、バラモン時代から、インドには、人に超能力をあたえるひとつの手法があった。 そうい 手法が完成されて、一部の人たちの間につたえられていた。それは、精神と肉体のきびしい練 磨から得られる神秘的な力で、彼らは、それを、ひとつの技術にまでつくりあげていた。と あるその「技術」つまり、いうならば、古代ヨーガ"と"真言密教”と、この二つを結合した ものであると承知していただきたいのである。即ち本書でいう密教とは、ヨーガと真言密教と、 この二つをむすびつけて生まれた新しい技術であるということである。

なぜ、そういうことをしなければならなかったのか、というその理由を語ることはそのまま 密教の法を解説することにもなるので、読者はここのところをよく知っておいていただきたいの

引用文のなかにしるされているごとく、行きづまった大乗仏教は、ヨーガの技術にその打開の 道を求めた。 さきの頃で述べたごとく、精神の高度の飛躍は、その前提に、感覚器官の高度の増 幅がなければならぬ。 しかし、大乗仏教には教えだけあって、なんの技術もない。 大乗仏教とい 教えであり、教えをあきらかにするだけのもので、技術というべきものはなんにもない。 つい に行きづまることは当然であり、 や まもとめるのは

かくして、金剛大、真言密教が生まれた。ヨーガには、ききにあげた通り、

ヴィ教授の表現を借りていえば、五つの能力開発技術がある。 それは、第四次元の理解 複雑な全体をとっさに把握する能力、第六感の獲得、無限に発展した、とくに われわれの悟性には不可解な精神的特質というものであるが、これらの能力開発の技術は、そ れがそのまま大乗仏教にとり入れられたわけではない。おのずから、ひとつの偏向斜があった。 それは当然のことで、大乗仏教の指導者たちは、この技術を彼らの信奉する仏教教義とその日 的に沿って取り入れた。 一般的でないと思われる技術は捨てられ、あるいはごく一部の指導者に だけつたえられ、あるいは変形された。 こうして秘密仏教というあたらしい教義と体系が完成し た。しかし、多くのすぐれた開発技術は、この仏教教義を完成させるための補助的技術に変容さ せられてしまった。あるいはだけがとどめられた。 これが、秘密仏教の「行法」であった。 これを究極的に完成したのは、日本教、すなわち真言宗の開祖空海であった。 秘密仏教がイ ンドから中国につたえられ、そのころ中国にわたった空海がそれに接した時点において、秘密仏 教はまだ完全にはできあがっていなかった。その混沌たる素材を選択して、これをいま見る 真言宗というかたちにまとめ上げ、整然たる宗教にしたのは空海であった。それはまさに大天才 のみがなしとげることのできる業であったが、同時に、秘仏教はあまりにも整然と様式化さ れた日本的なものになってしまった。 それまでかなり残っていた教的な部分はほとんどかげに

 

for example,

Can it really be done? How can it be done?

It certainly makes sense, and I could never believe it until I figured out the technology myself. Alone, I challenged this mysterious technology that had been shrouded in a veil of secrecy for 5,000 years, and unlocked its secret. It was an astonishing application of technology based on incredible subtleties of biochemistry.

As I touched on earlier, Dr. Kikuya Ichikawa, based on his specialty in his recent writings, "Equivalent Transformation Expansion Theory," uses the example of the transformation from a caterpillar to a chrysalis to shed its skin into a future society. He is preaching. This theory is truly admirable, and it should be said that the theoretical motivation for the transformation of a caterpillar into a chrysalis is one of the brightest among the futuristic theories recently emerging. be.

Unfortunately, however, it is limited to theory, explanation, and expectations, and does not show how to apply it to humans and realize it. Of course, he himself is the preface of the book, and this is merely his opinion of software regarding the future society that humankind should have." specific advocacy

We plan to publish it in the near future. So we just trusted

It possesses the technique of molting from caterpillars to pupae, and has been applying it for thousands of years.

Kyo had already put into practice the star theory about the future advocated by modern creation theorists. Five thousand years ago.

A caterpillar, a creature that only knows how to crawl on the ground, becomes a chrysalis and transforms into a creature that flies in the sky, which means that a creature living in a two-dimensional world has changed into a three-dimensional creature. is. Transforming humans with the same secret technology means leaping humans, who are three-dimensional creatures, to a higher dimension. That's what transformation technology is all about. change the dimensions of the creature

It's just one of them.

And it is, as it has been said, only in a mystical and divine way.

It is done with biochemical techniques. And that is some of the techniques of esoteric Buddhism.

What kind of grace could have done it?

If so, that point should be called a mystery. However, that is exactly what a superhuman who appeared thousands of years ago, while enduring in solitude, made full use of "humankind's greatest wisdom" and created a curriculum for future people. It would be nothing but.

Now then, what is Ichikawa's theory related to esoteric Buddhism techniques, the Equivalent Transformation Expansion Theory, and how does it relate to esoteric Buddhism techniques?

Before I tell you that, there is something you should know a little more.

Here I think I should mention two words: Esoteric Buddhism and Yoga. In my book Principle of Metamorphosis, I wrote about esoteric Buddhism as follows. It's a little long, but I'll quote it. This is a chapter entitled "The Origin of Esoteric Buddhism." (5)

There is a close connection between the Shingon sect of Buddhism and Esoteric Buddhism, or Secret Buddhism. However, it is a relationship of infinitely deep connection with him, and not, as is commonly thought, the teaching of the Shingon sect or the Esoteric Buddhism of the Shingon sect.

Shingon Buddhism is the systematization and organization of the teachings that originated and matured in India into such a unique form, and is not itself. Although it is a system of esoteric Buddhism, it is not itself.

It means that Kukai, the founder of Japanese religion, created a single system of India, which had been almost complete by then, but which had split and diversified, with his unique insight. Similarly, even if

For this reason, in order to properly understand Esoteric Buddhism, one must

I have to go back and think about it.

Religion was originally a technique.

There was never a single religion called esoteric Buddhism from the beginning.

Long before Gautam Buddha appeared and began preaching the new teaching of Buddhism, there was a method of giving people supernatural powers in India since the time of Palamon. Such a method had been perfected and was passed down among some people. It is a mystical power obtained from rigorous training of the mind and body, and they have made it into a single technique.

We can see one of these trends in yoga today. (However, this is not the acrobatic gymnastics yoga that is practiced in Japan today, but the orthodox yoga that has been handed down among the saints in the hinterland of the Himalayas.)

Yoga is one such method. This technique of developing psychic powers was adopted by the Brahmins before the advent of Buddhism, and after the advent of Buddhism, Buddhism also adopted it. Gautam Buddha himself learned this method and gained supernatural powers by it, but forbade his disciples to learn it later. The reason for this is that once they gained some strength through this technique, they immediately thought that it had reached the state of what the Buddha called ``hotoke,''

However, he secretly permitted this to some disciples who were extremely talented.

Buddhist scholars and Buddhists seem to believe that Gautam Buddha generally forbade all belief in mystical powers, or the desire of practitioners to possess such powers. , that is wrong, because the Buddha himself preached the doctrine of Iddhi, that is, supernatural power is necessary for the complete realization of the Buddha Way, and preached a training method for superhuman ability development. be. This can easily be proved by the Pali literature. (Omitted)

According to it, it is a method of developing psychic powers, which is also called “Shishinsoku” or “Shinyoisoku.”The Buddha believed that it was not enough to simply develop intellect and reason in order to achieve bodhi. I thought it was necessary to have the power to break through the limits of intellect and reason.

To that end, he created a method for developing such power. It can be seen that it was organized by adding the psychic power development method he learned.

It consists of thirty-seven techniques, and Shishintoku is the central technique. There are four types of methods for obtaining jintsu and nyoi, and they are explained.

Kotari (desire, ideal, approach to creation)

Kotari (body and mind training method)

the training of

consciousness training

This system was passed down among some of the disciples, and later, when Mahayana Buddhism reached a dead end, it was incorporated into Mahayana Buddhism and systematized as esoteric Buddhism. It became his.

Thus, esoteric Buddhism has two sides.

One is psychic development technology

One is the doctrine of Mahayana Buddhism

These are the two.

By combining these two things, a higher doctrine than Mahayana Buddhism was completed, and a new Buddhism called 'Vajra Great' was born. This is esoteric Buddhism.”

As you can see in the text of this quote, his toba that is spoken of in the ``principle of metamorphosis'' is ``mitsu'' in the sense of ``secret Buddhism''. It is the esoteric Buddhism of the so-called Shingon religion that was incorporated into Buddhism.

But I want the reader to know that the "esoteric Buddhism" I refer to in this book is quite different from those esoteric Buddhisms, the esoteric Buddhism he uses in the Principle of Metamorphosis.

“Esoteric Buddhism” in this book means before Shingon Esoteric Buddhism, in other words, before it was incorporated into Buddhism, and even before it was incorporated into Brahmanism. Since the times of Brahmins, long before Gautam Buddha appeared and began preaching the new teachings of Buddhism, there was a technique for giving people supernatural powers. It was a mystical power gained from rigorous training of the mind and body, and they had developed it into a single skill. In other words, I would like you to understand that it is a combination of "ancient yoga" and "Shingon Esoteric Buddhism." It is a new technology that was born by connecting the two.

I would like the reader to be well aware of this point, as explaining the reason why such a thing had to be done would be like explaining the law of esoteric Buddhism.

As indicated in the quotation, Mahayana Buddhism, which had reached a dead end, sought a way out of the deadlock in the art of yoga. As I said earlier, a leap to a higher level of the mind must be preceded by a higher level of amplification of the sense organs. However, Mahayana Buddhism has only teachings and no techniques. Mahayana Buddhism is a teaching, and it is only a way to clarify the teaching, and there is nothing that can be called a technique. It is only natural to come to a dead end in the end, and he asks

Thus, Kongo University and Shingon Esoteric Buddhism were born. In yoga, as I mentioned,

To paraphrase Professor Vi, there are five skills development techniques. comprehension of the fourth dimension, the ability to perceive the complex whole at once, the acquisition of a sixth sense, the infinitely developed psychic qualities that are especially incomprehensible to his intellect. The technology developed was not directly incorporated into Mahayana Buddhism. Naturally, there was a declination. Naturally, Mahayana Buddhist leaders adopted this technique in line with their Buddhist doctrines. Techniques that seemed to be uncommon were discarded, or they were handed down to only a few leaders, or transformed. Thus, he completed the new doctrine and system of secret Buddhism. However, many of the best developed techniques have been transformed into auxiliary techniques to complete this Buddhist doctrine. Or only stayed. This was the "practice" of secret Buddhism. It was Kukai, the founder of Japanese religion, that is, the Shingon sect, who ultimately completed this. Secret Buddhism was transmitted from India to China, and when Kukai, who had traveled to China at that time, came into contact with it, Secret Buddhism was not yet complete. It was Kukai who selected this chaotic material and brought it all together in the form of the Shingon sect that we see today, making it an orderly religion. It was a feat that only a great genius could accomplish, but at the same time, secret Buddhism had become too methodically stylized and Japanese. Most of the teaching part that had remained until then was hidden

 

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密教の技術に関係のある市川理論「等価変換展開理論」

2023-07-30 18:47:20 | 運命学

Ichikawa theory related to esoteric Buddhism technique "Equivalent conversion expansion theory"

 

たとえば、

そんなことがほんとうにできるのか? いったいどうやってそんなことができるのだ、と。

それもたしかにもっともなことで、私自身、身をもってこのの、自分でこの 技術を解明するまでは、 ぜったいに信ずることができなかった。 私は単身、五〇〇〇年の間秘密 のヴェールにつつまれてきたこの不思議な技術にいどみ、その秘密を解いた。それは、信ずるこ とのできないほど精妙な生化学に立脚したおどろくべき技術の応用であった。

さきにもちょっとふれたが、 市川亀久弥博士は、最近の著作のなかでお得意の 「等価変換展開理論」にもとづき、イモ虫からサナギへの変化を例にして未来社会への脱皮を説 いておられる。この理論はまことにみごとで、まさにほれぼれするほどあざやかであること に、イモ虫がサナギに変身する理論的うらづけは、近楽しきりに輩出する未来論のなかで、まさ 色のものであるというべきである。

ただ、まことに残念なことに、それは理論と説明と期待にとどまり、それをいかにヒトに応用 して実現させるかという方法を示していない。それは、もちろん、氏自身、同書のはしがきのな かで、これは単に人類のあるべき未来社会に関するソフトウェアの主張の範囲にとどまる ものである"とことわり、このソフトウェアに対するハードウェアの具体的な提唱

近い将来に公表する予定である。ということであるから、われわれはまさに信用してくれた

「イモ虫からサナギへの脱皮」技術を持っていて、数千年も前から、それをの応用実践していたのである。

教は、現代の創造理論の大家が提唱する未来に関する花形理論を、とうに実践していたので ある。五〇〇〇年も前に。

地を這いまわることしか知らぬ生物であるイモ虫が、サナギになり、 そして、空を舞う生物に 変身することは、二次元の世界に生きる生物が三次元生物に変化したことを意味するものだ。密 がおなじ技術をもってヒトを変身させることは、三次元生物であるヒトをそれより上の次元に 飛躍させることを意味する。 変身技術はそれなのである。その生物の次元を変えてしまう

かのひとつに過ぎない。

しかも、それは、今までいわれてきたように、ただ神秘的 神がかり的なアイマイな方法でな

生化学の技術をもっておこなうのだ。そうしてそれは密教の持ついくつかの技術のな

いったいどんな恵がそれをなしとげていたというのであろうか?

うのなら、その点をこそ神秘というべきだろう。しかし、それは、それこそまさに数千年まえ出 現した超ヒトが、孤独にたえつつ、その持つ人類最高の智恵」を駆使してつくり上げ た未来人のためのカリキュラムにほかならぬのだというよりほかないであろう。

さて、それでは、密教の技術に関係のある市川理論 「等価変換展開理論」とはどんな理論か? それがどのように密教の技術と関連があるのか?

それを説くまえに、もう少し知っておいていただかねばならぬことがある。

ここで、私は、密教とヨーガという二つのことばについて述べておかねばならぬと思うのだ。 著「変身の原理」で、私は、密教についてつぎのように述べた。 少し長いが引用してみる。 密教の原点"と題した一章である。 (5)

真言宗という宗派仏教と、密教すなわち秘仏教とは、ふかいつながりがある。だが、それは どこまでもふかいつながりという関係であって、普通考えられているように、教即真言宗、真 言宗即密教というものではないのである。

真言宗とは、インドにおいて発生し、大成した教を、ああいう独自の形に体系化し、組織化 したものであって、そのものではないのである。密教のひとつの体系ではあるけれども、 そのものではない。

それは、それまでにほぼ完成していたけれども、分派し、多様化していたインドを日本 教の開祖空海が、独自の見識とによって、ひとつの体系につくりあげたということである。 おなじように、にいても、 

そういうわけで、密教というものを正しく理解するためには、どうしても、一度の

に立ちもどって考えてみなければならないのである。

宗教は、最初、ひとつの手法(技術)であった。

けっして、最初から密教というひとつの宗教があったわけではない。

ゴータマ・ブッダがあらわれて、仏教というあたらしい教えを説きはじめるはるか以前、パラ モンの時代から、インドには、人に超能力をあたえるひとつの手法があった。そういう手法が完 成されて、一部の人たちの間につたえられていた。それは、精神と肉体のきびしい錬磨から得ら れる神秘的な力で、彼らは、 それを、ひとつの技術にまでつくりあげていた。

われわれは、その流れのひとつを、現在、ヨーガのなかに見ることができる。(ただしそれは、 いまの日本で行なわれているアクロバティックな体操のヨーガではない。ヒマラヤの奥地の聖者 たちの間に伝承されている正統ヨーガである)

ヨーガは、その手法のひとつの流れである。この超能力を開発する技術は、仏教があらわれる 以前においてはバラモンにとり入れられ、仏教があらわれると、仏教もまたこれをとり入れた。 ゴータマ・ブッダは、かれ自身、この手法をまなんで、これにより超能力を持ったが、弟子た ちにはこれを学ぶことを禁じた。なぜかというと、この技法によって多少の力がつくと、かれら はすぐにそれがブッダのいう「ホトケ」という境地に達したものと考えてしまい、修行のさまた

ただし一部の素質のきわめてすぐれた弟子たちには、ひそかにこれを許した。

ゴータマ・ブッダは、普通、神秘的な力を信じたり、修行者がそういう力を持つことを願った りするのを全く禁じたというように、仏教学者や仏教者は信じているようであるが、それは間違 いで、ブッダ自身、 神足 (Iddhi) の教理 すなわち、仏道を完全に成就するためには超自然的な 力が必要であるとし、超人間的な能力開発の訓練法を説いているのである。 これは、パーリ文献 によって容易に証明することができるのである。(略)

それによると、それは、四神足”または“四如意足”ともいわれる超能力開発法である。 ブッダは、菩提を成就するためには、単に、知性や理性をみがくだけでは不十分であると考 え、知性や理性の限界をうち破る力が必要であると考えた。

そのために、彼は、そういう力を開発するための行法をつくりあげた。それは、彼が学んだ超 能力開発法を加えて編成したものと見てよいであろう。

それは、三十七種の技法から成り立つもので、四神足というのは、その中心になる技術であ る。 神通、如意を得るための定を、四種類の手法に分けて説明している。

神足(願望、理想、創造のためのアプローチ)

神足(体と心のトレーニング法)

のトレーニング

意識のトレーニングル

このシステムは、一部の弟子たちの間につたえられ、のちに、大乗仏教が行きづまったとき、 この行きづまりを打破するために、大乗仏教のなかにとり入れられて体系化され、密教と呼ばれ るものになったのである。

こういうわけで、密教は二つの面を持っている。

一つは、超能力の開発技術

一つは、大乗仏教の教義

この二つである。

この二つのものがむすばれることにより、大乗仏教よりさらに高度の教義が完成されて、「金 剛大」と呼ばれる新しい仏教が誕生した。 これが密教である」

この引用の文章でわかるように、「変身の原理」において語られている」というコ トバは、「秘密仏教」という意味での「密」である。仏教のなかにとり入れられた、いわゆる あるいは真言宗教の密教である。

しかし、本書において私がいう「密教」は、それらの密教、「変身の原理」のなかで使われて いる密教とは全くちがうものであることを、読者はご承知りたいのである。

本書における「密教」とは、真言密教以前、いうならば仏教にとり入れられる以前の、いや、 バラモンにさえもとり入れられる以前の、引用文でいえば、密教は最初、ひとつの手法(技 術であった。ゴータマ・ブッダがあらわれて、仏教というあたらしい教えを説きはじめるはる 以前、バラモン時代から、インドには、人に超能力をあたえるひとつの手法があった。 そうい 手法が完成されて、一部の人たちの間につたえられていた。それは、精神と肉体のきびしい練 磨から得られる神秘的な力で、彼らは、それを、ひとつの技術にまでつくりあげていた。と あるその「技術」つまり、いうならば、古代ヨーガ"と"真言密教”と、この二つを結合した ものであると承知していただきたいのである。即ち本書でいう密教とは、ヨーガと真言密教と、 この二つをむすびつけて生まれた新しい技術であるということである。

なぜ、そういうことをしなければならなかったのか、というその理由を語ることはそのまま 密教の法を解説することにもなるので、読者はここのところをよく知っておいていただきたいの

引用文のなかにしるされているごとく、行きづまった大乗仏教は、ヨーガの技術にその打開の 道を求めた。 さきの頃で述べたごとく、精神の高度の飛躍は、その前提に、感覚器官の高度の増 幅がなければならぬ。 しかし、大乗仏教には教えだけあって、なんの技術もない。 大乗仏教とい 教えであり、教えをあきらかにするだけのもので、技術というべきものはなんにもない。 つい に行きづまることは当然であり、 や まもとめるのは

かくして、金剛大、真言密教が生まれた。ヨーガには、ききにあげた通り、

ヴィ教授の表現を借りていえば、五つの能力開発技術がある。 それは、第四次元の理解 複雑な全体をとっさに把握する能力、第六感の獲得、無限に発展した、とくに われわれの悟性には不可解な精神的特質というものであるが、これらの能力開発の技術は、そ れがそのまま大乗仏教にとり入れられたわけではない。おのずから、ひとつの偏向斜があった。 それは当然のことで、大乗仏教の指導者たちは、この技術を彼らの信奉する仏教教義とその日 的に沿って取り入れた。 一般的でないと思われる技術は捨てられ、あるいはごく一部の指導者に だけつたえられ、あるいは変形された。 こうして秘密仏教というあたらしい教義と体系が完成し た。しかし、多くのすぐれた開発技術は、この仏教教義を完成させるための補助的技術に変容さ せられてしまった。あるいはだけがとどめられた。 これが、秘密仏教の「行法」であった。 これを究極的に完成したのは、日本教、すなわち真言宗の開祖空海であった。 秘密仏教がイ ンドから中国につたえられ、そのころ中国にわたった空海がそれに接した時点において、秘密仏 教はまだ完全にはできあがっていなかった。その混沌たる素材を選択して、これをいま見る 真言宗というかたちにまとめ上げ、整然たる宗教にしたのは空海であった。それはまさに大天才 のみがなしとげることのできる業であったが、同時に、秘仏教はあまりにも整然と様式化さ れた日本的なものになってしまった。 それまでかなり残っていた教的な部分はほとんどかげに

 

for example,

Can it really be done? How can it be done?

It certainly makes sense, and I could never believe it until I figured out the technology myself. Alone, I challenged this mysterious technology that had been shrouded in a veil of secrecy for 5,000 years, and unlocked its secret. It was an astonishing application of technology based on incredible subtleties of biochemistry.

As I touched on earlier, Dr. Kikuya Ichikawa, based on his specialty in his recent writings, "Equivalent Transformation Expansion Theory," uses the example of the transformation from a caterpillar to a chrysalis to shed its skin into a future society. He is preaching. This theory is truly admirable, and it should be said that the theoretical motivation for the transformation of a caterpillar into a chrysalis is one of the brightest among the futuristic theories recently emerging. be.

Unfortunately, however, it is limited to theory, explanation, and expectations, and does not show how to apply it to humans and realize it. Of course, he himself is the preface of the book, and this is merely his opinion of software regarding the future society that humankind should have." specific advocacy

We plan to publish it in the near future. So we just trusted

It possesses the technique of molting from caterpillars to pupae, and has been applying it for thousands of years.

Kyo had already put into practice the star theory about the future advocated by modern creation theorists. Five thousand years ago.

A caterpillar, a creature that only knows how to crawl on the ground, becomes a chrysalis and transforms into a creature that flies in the sky, which means that a creature living in a two-dimensional world has changed into a three-dimensional creature. is. Transforming humans with the same secret technology means leaping humans, who are three-dimensional creatures, to a higher dimension. That's what transformation technology is all about. change the dimensions of the creature

It's just one of them.

And it is, as it has been said, only in a mystical and divine way.

It is done with biochemical techniques. And that is some of the techniques of esoteric Buddhism.

What kind of grace could have done it?

If so, that point should be called a mystery. However, that is exactly what a superhuman who appeared thousands of years ago, while enduring in solitude, made full use of "humankind's greatest wisdom" and created a curriculum for future people. It would be nothing but.

Now then, what is Ichikawa's theory related to esoteric Buddhism techniques, the Equivalent Transformation Expansion Theory, and how does it relate to esoteric Buddhism techniques?

Before I tell you that, there is something you should know a little more.

Here I think I should mention two words: Esoteric Buddhism and Yoga. In my book Principle of Metamorphosis, I wrote about esoteric Buddhism as follows. It's a little long, but I'll quote it. This is a chapter entitled "The Origin of Esoteric Buddhism." (5)

There is a close connection between the Shingon sect of Buddhism and Esoteric Buddhism, or Secret Buddhism. However, it is a relationship of infinitely deep connection with him, and not, as is commonly thought, the teaching of the Shingon sect or the Esoteric Buddhism of the Shingon sect.

Shingon Buddhism is the systematization and organization of the teachings that originated and matured in India into such a unique form, and is not itself. Although it is a system of esoteric Buddhism, it is not itself.

It means that Kukai, the founder of Japanese religion, created a single system of India, which had been almost complete by then, but which had split and diversified, with his unique insight. Similarly, even if

For this reason, in order to properly understand Esoteric Buddhism, one must

I have to go back and think about it.

Religion was originally a technique.

There was never a single religion called esoteric Buddhism from the beginning.

Long before Gautam Buddha appeared and began preaching the new teaching of Buddhism, there was a method of giving people supernatural powers in India since the time of Palamon. Such a method had been perfected and was passed down among some people. It is a mystical power obtained from rigorous training of the mind and body, and they have made it into a single technique.

We can see one of these trends in yoga today. (However, this is not the acrobatic gymnastics yoga that is practiced in Japan today, but the orthodox yoga that has been handed down among the saints in the hinterland of the Himalayas.)

Yoga is one such method. This technique of developing psychic powers was adopted by the Brahmins before the advent of Buddhism, and after the advent of Buddhism, Buddhism also adopted it. Gautam Buddha himself learned this method and gained supernatural powers by it, but forbade his disciples to learn it later. The reason for this is that once they gained some strength through this technique, they immediately thought that it had reached the state of what the Buddha called ``hotoke,''

However, he secretly permitted this to some disciples who were extremely talented.

Buddhist scholars and Buddhists seem to believe that Gautam Buddha generally forbade all belief in mystical powers, or the desire of practitioners to possess such powers. , that is wrong, because the Buddha himself preached the doctrine of Iddhi, that is, supernatural power is necessary for the complete realization of the Buddha Way, and preached a training method for superhuman ability development. be. This can easily be proved by the Pali literature. (Omitted)

According to it, it is a method of developing psychic powers, which is also called “Shishinsoku” or “Shinyoisoku.”The Buddha believed that it was not enough to simply develop intellect and reason in order to achieve bodhi. I thought it was necessary to have the power to break through the limits of intellect and reason.

To that end, he created a method for developing such power. It can be seen that it was organized by adding the psychic power development method he learned.

It consists of thirty-seven techniques, and Shishintoku is the central technique. There are four types of methods for obtaining jintsu and nyoi, and they are explained.

Kotari (desire, ideal, approach to creation)

Kotari (body and mind training method)

the training of

consciousness training

This system was passed down among some of the disciples, and later, when Mahayana Buddhism reached a dead end, it was incorporated into Mahayana Buddhism and systematized as esoteric Buddhism. It became his.

Thus, esoteric Buddhism has two sides.

One is psychic development technology

One is the doctrine of Mahayana Buddhism

These are the two.

By combining these two things, a higher doctrine than Mahayana Buddhism was completed, and a new Buddhism called 'Vajra Great' was born. This is esoteric Buddhism.”

As you can see in the text of this quote, his toba that is spoken of in the ``principle of metamorphosis'' is ``mitsu'' in the sense of ``secret Buddhism''. It is the esoteric Buddhism of the so-called Shingon religion that was incorporated into Buddhism.

But I want the reader to know that the "esoteric Buddhism" I refer to in this book is quite different from those esoteric Buddhisms, the esoteric Buddhism he uses in the Principle of Metamorphosis.

“Esoteric Buddhism” in this book means before Shingon Esoteric Buddhism, in other words, before it was incorporated into Buddhism, and even before it was incorporated into Brahmanism. Since the times of Brahmins, long before Gautam Buddha appeared and began preaching the new teachings of Buddhism, there was a technique for giving people supernatural powers. It was a mystical power gained from rigorous training of the mind and body, and they had developed it into a single skill. In other words, I would like you to understand that it is a combination of "ancient yoga" and "Shingon Esoteric Buddhism." It is a new technology that was born by connecting the two.

I would like the reader to be well aware of this point, as explaining the reason why such a thing had to be done would be like explaining the law of esoteric Buddhism.

As indicated in the quotation, Mahayana Buddhism, which had reached a dead end, sought a way out of the deadlock in the art of yoga. As I said earlier, a leap to a higher level of the mind must be preceded by a higher level of amplification of the sense organs. However, Mahayana Buddhism has only teachings and no techniques. Mahayana Buddhism is a teaching, and it is only a way to clarify the teaching, and there is nothing that can be called a technique. It is only natural to come to a dead end in the end, and he asks

Thus, Kongo University and Shingon Esoteric Buddhism were born. In yoga, as I mentioned,

To paraphrase Professor Vi, there are five skills development techniques. comprehension of the fourth dimension, the ability to perceive the complex whole at once, the acquisition of a sixth sense, the infinitely developed psychic qualities that are especially incomprehensible to his intellect. The technology developed was not directly incorporated into Mahayana Buddhism. Naturally, there was a declination. Naturally, Mahayana Buddhist leaders adopted this technique in line with their Buddhist doctrines. Techniques that seemed to be uncommon were discarded, or they were handed down to only a few leaders, or transformed. Thus, he completed the new doctrine and system of secret Buddhism. However, many of the best developed techniques have been transformed into auxiliary techniques to complete this Buddhist doctrine. Or only stayed. This was the "practice" of secret Buddhism. It was Kukai, the founder of Japanese religion, that is, the Shingon sect, who ultimately completed this. Secret Buddhism was transmitted from India to China, and when Kukai, who had traveled to China at that time, came into contact with it, Secret Buddhism was not yet complete. It was Kukai who selected this chaotic material and brought it all together in the form of the Shingon sect that we see today, making it an orderly religion. It was a feat that only a great genius could accomplish, but at the same time, secret Buddhism had become too methodically stylized and Japanese. Most of the teaching part that had remained until then was hidden

 

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虚空蔵菩薩 無限の智慧と慈悲の心を人々に与える菩薩

2023-07-30 18:18:48 | 運命学

 

 

 

虚空蔵菩薩

無限の智慧と慈悲の心を人々に与える菩薩

虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)とは?

虚空蔵とは宇宙のような無限の智慧と慈悲の心が収まっている蔵(貯蔵庫)を意味し、人々の願えを叶えるために蔵から取り出して智慧や記憶力、知識を与えてくれるとされています。

 

真言宗の開祖・弘法大師は虚空蔵菩薩の真言を100万遍唱えるという虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)を行ったそうですよ。無限の記憶力がつき、仏の智慧を体得することができるといわれています。求聞持法の本尊像のほかに、増益(ぞうやく)や除災を願って行う修法の本尊である五大虚空蔵菩薩があります。これは虚空蔵菩薩の持つ智慧を5方に配し、金剛界五仏の変化した姿としたものです。

ご利益

成績向上、記憶力増進、頭脳明晰、商売繁盛、技芸向上のご利益があります。また、丑・寅年の守り本尊です。丑・寅年に生まれた人々の開運、厄除け、祈願成就を助けるといわれています。

 

虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)の像容

1つの顔に2本の腕を持つ、菩薩形の像です。右手に剣、左手に如意宝珠を持っているのが一般的です。五仏宝冠を戴いた坐像として表現されます。

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今日の運命 2023年7月30日

2023-07-30 18:09:58 | 運命学

 

2023730

 

二黒土星の日

仕事の事、旅行の事、病人の事、などが出やすい日。こみいった事が多い。いそがしい割に成果は少ない。 短慮は禁物。いやな仕事も進んで引き受ける位の気持ちが大切。

凌犯期間  危の日
気分が上向き精力的に活動できる日です。
ただし仕事運と対人運は不調ぎみで、周囲との衝突や孤立することがありそうです。
自信を持った積極的な行動をおすすめしますが、自分の考えに固執せず周りとの調和を心がけてください。
 
 

虚空蔵菩薩

 

 

 

虚空蔵菩薩

無限の智慧と慈悲の心を人々に与える菩薩

虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)とは?

虚空蔵とは宇宙のような無限の智慧と慈悲の心が収まっている蔵(貯蔵庫)を意味し、人々の願えを叶えるために蔵から取り出して智慧や記憶力、知識を与えてくれるとされています。

 

真言宗の開祖・弘法大師は虚空蔵菩薩の真言を100万遍唱えるという虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)を行ったそうですよ。無限の記憶力がつき、仏の智慧を体得することができるといわれています。求聞持法の本尊像のほかに、増益(ぞうやく)や除災を願って行う修法の本尊である五大虚空蔵菩薩があります。これは虚空蔵菩薩の持つ智慧を5方に配し、金剛界五仏の変化した姿としたものです。

ご利益

成績向上、記憶力増進、頭脳明晰、商売繁盛、技芸向上のご利益があります。また、丑・寅年の守り本尊です。丑・寅年に生まれた人々の開運、厄除け、祈願成就を助けるといわれています。


正位置・・・大火。噴火。地震。落雷。災難。事故。負傷。発病(火傷、高熱を伴う病)。熱。爆発物。暴力。破壊。消防自動車。闘争。衝突。悲劇。破産。信用の失墜。古い概念をくつがえす。精神の堕落。失望。経営者の交替。
逆位置・・・不当な圧迫。苦悩。投獄。罠にはまる。窮地。誤った告発。愛情面の誤算。熱しやすいがさめやすい態度。ボヤ。ちょっとしたスリルを味わう。
ウェイト解説
正位置・・・悲嘆。困窮。逆境。災難。不名誉。破壊。詐欺。
逆位置・・・意味は弱まるが、正位置と同じ意味。抑圧。投獄。暴政。
 
 
07月30日 (日曜)
月齢
12.61
Moon
潮汐
中潮

月名(旧暦日)
十三夜月

今月の「月」

 

 
 
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今日の運命

2023-07-30 07:57:16 | 運命学

2023718

 

 

二黒土星の日

仕事の事、旅行の事、病人の事、などが出やすい日。こみいった事が多い。いそがしい割に成果は少ない。 短慮は禁物。いやな仕事も進んで引き受ける位の気持ちが大切。

凌犯期間  危の日
気分が上向き精力的に活動できる日です。
ただし仕事運と対人運は不調ぎみで、周囲との衝突や孤立することがありそうです。
自信を持った積極的な行動をおすすめしますが、自分の考えに固執せず周りとの調和を心がけてください。
 
 

虚空蔵菩薩

 

 

 

虚空蔵菩薩

無限の智慧と慈悲の心を人々に与える菩薩

虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)とは?

虚空蔵とは宇宙のような無限の智慧と慈悲の心が収まっている蔵(貯蔵庫)を意味し、人々の願えを叶えるために蔵から取り出して智慧や記憶力、知識を与えてくれるとされています。

 

真言宗の開祖・弘法大師は虚空蔵菩薩の真言を100万遍唱えるという虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)を行ったそうですよ。無限の記憶力がつき、仏の智慧を体得することができるといわれています。求聞持法の本尊像のほかに、増益(ぞうやく)や除災を願って行う修法の本尊である五大虚空蔵菩薩があります。これは虚空蔵菩薩の持つ智慧を5方に配し、金剛界五仏の変化した姿としたものです。

ご利益

成績向上、記憶力増進、頭脳明晰、商売繁盛、技芸向上のご利益があります。また、丑・寅年の守り本尊です。丑・寅年に生まれた人々の開運、厄除け、祈願成就を助けるといわれています。


正位置・・・大火。噴火。地震。落雷。災難。事故。負傷。発病(火傷、高熱を伴う病)。熱。爆発物。暴力。破壊。消防自動車。闘争。衝突。悲劇。破産。信用の失墜。古い概念をくつがえす。精神の堕落。失望。経営者の交替。
逆位置・・・不当な圧迫。苦悩。投獄。罠にはまる。窮地。誤った告発。愛情面の誤算。熱しやすいがさめやすい態度。ボヤ。ちょっとしたスリルを味わう。
ウェイト解説
正位置・・・悲嘆。困窮。逆境。災難。不名誉。破壊。詐欺。
逆位置・・・意味は弱まるが、正位置と同じ意味。抑圧。投獄。暴政。
 
 
07月18日 (火曜)
月齢
0.23
Moon
潮汐
大潮

月名(旧暦日)
朔月

 

 
 
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千手観音

2023-07-29 09:07:27 | 運命学

 

千手観音(せんじゅかんのん、: सहस्रभुज、[sahasrabhuja]、サハスラブジャ)は、仏教における信仰対象である菩薩の一尊。

 

「サハスラブジャ」とは「千の手」あるいは「千の手を持つもの」の意味である。

 

 

 

千手観音

千の手と千の目で一切の衆生を救う観音菩薩

 

千手観音(せんじゅかんのん)とは?

別名 千手千眼観自在菩薩(せんじゅせんげんかんじざいぼさつ)とも言い、生きとし生けるものすべてを漏らさず救う、大いなる慈悲を表現する菩薩です。千の手と手のひらの千の眼によって悩み苦しむ衆生を見つけては手を差し伸べる広大無限な功徳と慈悲から「大悲観音」、または観音の王を意味する「蓮華王」とも称されます。阿修羅や金剛力士などが属する二十八部衆を配下とします。

 

観音の中でも功徳が大きく、観音の中の王という意味で「蓮華王」と呼ばれることもあります。阿修羅や金剛力士などの二十八部衆を配下にしています。また六観音の一つに数えられ餓鬼道に迷う人々を救うといわれています。

ご利益

災難除け、延命、病気治癒などあらゆる現世利益を網羅し、特に夫婦円満、恋愛成就に功徳があるとされています。子年の守り本尊でもあり、子年生まれの人の開運、厄除け、祈願成就を助けるとされます。

千手観音(せんじゅかんのん)の像容

十一面四十二臂(ひ)で表されることが多く、四十二本の手のうち四十本それぞれが二十五の世界を救うことを示します。手には宝剣、髑髏杖、水瓶など実に様ざまな持物(じもつ)を持ち、多種多様な徳を表しています。

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2023年7月29日 占い  九星  無料 今日の運命

2023-07-29 08:55:37 | 運命学

 

 

 

2023729

 

三碧木星の日

 望み事を持った人が来訪する。思い掛けない事が起こる。善因善果。神、親、社会、衆生、物のご恩をかみしめ精神本位で行動すべき日 今まで9日間の行動の善悪によって思いがけない吉凶が生じます。

 

 

 

破壊の週  壊の日
様々な災難に見舞われる日。
物事は上手くいかず、気分も落ち込み、喪失感や不安感に襲われます。
現状を変えようと躍起になっても空回りするだけです。
この日は全て受け身に徹して、周りに流されるくらいの気持ちで過ごしましょう。
 

千手観音

 

 

千手観音(せんじゅかんのん)とは?

別名 千手千眼観自在菩薩(せんじゅせんげんかんじざいぼさつ)とも言い、生きとし生けるものすべてを漏らさず救う、大いなる慈悲を表現する菩薩です。千の手と手のひらの千の眼によって悩み苦しむ衆生を見つけては手を差し伸べる広大無限な功徳と慈悲から「大悲観音」、または観音の王を意味する「蓮華王」とも称されます。阿修羅や金剛力士などが属する二十八部衆を配下とします。

 

観音の中でも功徳が大きく、観音の中の王という意味で「蓮華王」と呼ばれることもあります。阿修羅や金剛力士などの二十八部衆を配下にしています。また六観音の一つに数えられ餓鬼道に迷う人々を救うといわれています。

ご利益

災難除け、延命、病気治癒などあらゆる現世利益を網羅し、特に夫婦円満、恋愛成就に功徳があるとされています。子年の守り本尊でもあり、子年生まれの人の開運、厄除け、祈願成就を助けるとされます。

千手観音(せんじゅかんのん)の像容

十一面四十二臂(ひ)で表されることが多く、四十二本の手のうち四十本それぞれが二十五の世界を救うことを示します。手には宝剣、髑髏杖、水瓶など実に様ざまな持物(じもつ)を持ち、多種多様な徳を表しています。

 

正義
正位置・・・正義。裁き。裁判。調停。公正な人物。常識家。均衡をとって生きていく人。バランスのとれた愛情。家庭と仕事の均衡をうまくとる。財政上の均衡がとれる。
逆位置・・・相手を厳しく裁く。裁判上の厳しい裁き(敗北)。無法。暴力。財政上の失敗。公正さを欠く。家庭と仕事のバランスが崩れる。
ウェイト解説
正位置・・・平等。正しさ。高潔。行政。正当な判断。
逆位置・・・あらゆる意味における法。法律問題。頑迷固陋。偏見。過剰な厳しさ。
 
 
 
07月29日 (土曜)
月齢
11.22
Moon
潮汐
若潮
月名(旧暦日)
宵月
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メシアの法 システムとしての求聞持法 Messiah's Law Inquisition Law as a System

2023-07-28 19:43:20 | 運命学

システムとしての求聞持法

「変身の原理」で、私は、カナダの著名な神経外科学の大家、W・ペンフィールドの発見 密教の持つすぐれた知能開発法寺聴法」のメカニズムの一端を解説した。 私はそのとき、「ひとたび修身するや、目はカメラになり、耳はテープレコーダーに変化し て、ひとたび目にし、ひとたび耳にしたことは永久に忘れなくなる技術である」と説明した。 たしかにその通りであるが、そのためにこの法を、一種の記憶力増強法、いわゆる記憶術の一 のようにうけとったひともあるようである。ページ数の関係その他の事情から十分に説明でき ず、それも無理のないことであったが、この技法が単なる記憶術のようなものであるのなら、た いした価値のないつまらないものといわればならない。なぜならば、ただ単に記憶がよくものお ぼえがよいというだけでは、ひとはよい仕事をすることができない。 ただたんにもの知りだけで はすぐれた業績をのこすことはできない。問題は、多量に持っている知識(情報)を、いかに活 用してあたらしいものを生み出すかというところにある。

い子とのよい子のちがい

ギャラップは、そるべき技術である。 知能とはなにか。 ごく大ざっぱに分けるならば、二つの

であろう。記憶と創造である。 特聡明法は、この二つのはたらきをするメカニズムに、あた らしいメカニズムをつけくわえて、あたらしい力と効果を発揮する。

この技法が、ジョージ・ギャラップや、オルダス・ハックスリーのいうように教育にとり入れ られたならば、人類のうける利益は想像することもできないほどのものである。 ギャラップのい うように、ヒトは、まさに、未来に向かって数百年の飛躍をすることができるであろう。 そういうと、そんなすばらしい技術がどうして今まで世のなかにあらわれなかったのかと、あな たは疑問に思うかも知れない。

これほどの技術が、なぜ密教寺院の片すみに埋没してしまったのか、いくつかの理由があげら れるだろうが、その最大の理由はこうである。

すぐれた古い方法がまったく見落とされてきたということは奇妙なことだ。 それに、あと になって全く忘れ去られてしまっている非常に重要な技術を発達させた個人、あるいは文化がよ くあるのだ。しかし、それらはやはり大きな価値を持ちつづけているのだ』(

といっているが、この大きな価値を持ちつづけているすぐれた方法が忘れられてしまったわけ は、それにつづくギャラップのおなじ文章のなかに見出すことができる。

システムとしての間あって、思い出される記憶と、思い出せない記憶の二つがあることを、私は、「変身の原理」 で説明した。脳の記憶のメカニズムはたいへん複雑で、それはまだ脳生理学でも十分に解明され ていないのだが、一応、その仕組みを見てみよう。

経験というのはひとつの刺激である。その刺激が記憶になるまでには、だいたいつぎのような 段階を経る刺激を感じるのは、俗にいう「五感」である。 五感とは、視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚をい うが、こまかくかぞえればまだ多くの「感覚」があり、おなかが空いたとか、なんとなくけだ るく気分がよくない、とか、そういう身体の内部におこっていることを知ることもできる。つま り、われわれの身体の内部、外部におきていることがわれわれ自身にひとつの影響をおよぼす。 これが、「刺激」である。

こういう刺激があると、身体にある「感覚器」または「受容器」というものがこれに反応し電気的パルスを送り出す。 たとえば、 赤い花があれば、そこから反射された光が目のレンズ を通して受容器としての視神経を刺激し、視神経がパルスを送り出す。 これはパルスであって、 刺激の強さが大きければその数がふえるだけで、電圧が大きくなるわけではない。おなじよう に、皮膚になにかが触れれば、皮膚にある受容器が圧力を感じ、その圧力に応ずる数のパルスを 神経に送りこむ 次頁の上図は、このような受容器のいくつかの例である。

さて、このようにして受容器にあたえられた

 

I

れる。脳はその働きによって、それがなんであるかを知ることになる。これを「知覚」したとい う。つまり、赤い花の場合には、視神経をつたわって脳の後頭葉にある視覚野に達したパルス は、そこではじめて「赤い花」ということを知覚するわけである。 「聞く」という場合は、ひと つの空気振動があって、それが、鼓膜ふきんの受容器からのパルスとなって脳に達し、側頭葉の つけ根のあたりの聴覚と名づけられる部分によって、「音」としての知覚を持つということに なるのである。現在までにわかっていることは、受容器からのパルスは、それ以後の神経伝達機 構においては受容器の種類にはぜんぜん関係がなく、純粋に、パルスだけの問題になってしま う。つまり、パルスがいくつ出ているか、または出ていないか、というだけによるので、もし も、なんらかの方法で、聴覚神経と視神経とを結びかえてしまうと、われわれは光を聞き、音を 見ることができるということになるわけである。 さて、 そこで、この「知覚」されたものが、わ れわれにとって、ひとつの「情報」ということになる。

刺激(経験)→知覚→情報

と、つまり、ここまですすんできたわけである。

こういうことになる。

ところが、ここでひとつたいへん重要なことがおきる。

それは、その知覚が「意識」されない場合もある、ということである。 受容器がパルスを送り 出してそれが届いて知覚されてもそれが必ずしも、かならず意識されるとはかぎらないという とである。「見れども見えず、聞けど いったがあん、しない。 つまり、知覚しても意識していないということである。

では、そういう意識されない信号は、情報にはならないのか?

刺激 経験ということばは、意識がともなう必要があるように思われる。つまり、意識されな 刺激は経験にならないのではないかということである。 どうであろうか。しかし考えてみると われわれは日常の行動において、 それがありふれた動作の場合、意識をはたらかせることは非常 にすくない。手なれた動作や作業の場合、ほとんど無意識でおこなっている。たとえば「道を歩 「く」というようなごくありふれた動作をする場合に、われわれはほとんど意識せずに歩くという 動作をおこなっている。いちいち足のウラの感覚器官からの情報を意識していたら、たまったも のではない。しかし、足がなにかにつまずくというような、異常な状態が起きると、間髪をいれ ず意識がはたらきだす。 ということは、それまでわれわれは異常なしという情報をうけとりつづ けていたのであるが、意識はそれに注意をはらわずにおり、異常が起きた瞬間、ただちにそちら へ意識を向け直したということであろう。

そこで考えられることは、われわれがうけとる情報は、常に一時にひとつということでなく、 いつも多数の情報が同時にかさなって入ってくるので、われわれの意識はそのなかでももっとも 大きな、ということはもっとも注意をひく情報に向けられているということであろう。 電子計算 機の父といわれる故ノイマン博士の計算によれば、人間が一秒間に受けとる情報の量は一四〇〇ビットぐらいだといわれる。一ピッドというのは、イエスかノーかという情報単位であるが、 これは、われわれが知っているもっとも大きな電子計算機の記憶一〇〇万ビッドの十四万倍と いう大量のものである。これだけ大量の情報をいちいち意識することはとうてい不可能であり、 そこでわれわれの意識は、そのなかから注意を要する情報にだけ意識を向けているというわけで ある。だから、意識されなくても情報はつねに入っており、意識されない情報もあるということ になる。

そこでいままでのところをとりまとめると、こういうことになる。

 

 

 

1意識されない情報

2刺激経験知覚情報 2意識された情報

さて、つぎに、これらの情報が「記憶」になるわけだが、われわれは、たとえ知覚したり、感 じたりすることができても、これが記憶に残らなかったら、 「情報」として活用することはでき ない。つまり、ほんとうの情報にはなり得ないということである。 そこで問題になるのは、意識 された情報は論外として、意識されない情報はどうなのか、それも記憶になるものかということ である。しかし、これも考えてみると、スキーや水泳のように、いちいち意識しない動作でも、 練習による繰り返しを肉体がおぼえていて、これの積み重なりが熟練になるわけだから、つまり は、意識されない情報も、記憶のなかにくりこまれるということになる。そこでもっとも簡単な いい方をすれば、見たり、聞いたり、さらにそのほかのあらゆるかわ

によって感知され、これらを

新しい事態が発生すると、われわれの感覚器官は、その事によってひきされた

送り、脳はこれらの信号を感知することによって情報を得る。 これは、いうなれば「外部情報」 というべきだろう。

つぎに、脳は、以前から持っていた記憶を「内部情報」としてひきだし、外部情報と照らしあ わせることによって、はじめてこの事態を判断することになる。だから、もし、われわれが 生まれてからこのかた、ずっと感覚器官のはたらきが不完全であったら、われわれの脳のなかに ある記憶は非常に貧弱なものとなり、したがってわれわれの判断は正確を欠くことになる。だか ら、感覚器官の錬磨洗練ということは非常に大切なことであり、このことはあとになって関連す ることが出てくるから、よく記憶しておいてほしい。

さて、そこで、今までのところを総括すると、こういうことになる。

刺激(経験) 知覚情報

意識されない情報」 意識された情報

記憶

前世の記憶

では、記憶は脳のどこにたくわえられるのであろうか?

それは、大脳の側頭葉と、海馬を中心とした領域でなされるようである。

そこで、

実際に、海馬や側頭葉がこわされると、いろいろな型の記憶障害がおこることが、動物や人間 についてたしかめられている。また、側頭葉の電気刺激で過去の体験を再現することに成功した ペンフィールド博士の実験(旧)や、ネズミの海馬をこわすと判別能力がわるくなるという 条件行動の実験も、側頭葉や海馬が記憶やそれにもとづく判断のはたらきに直接関係しているこ とを示している。ただし、それは、側頭葉と海馬だけが記憶の貯蔵所という意味ではなく、記憶 はある程度、脳全体に分布しており、側頭葉と海馬は、その中心としてはたらく機能を持ってい る場所であるというように考えられている。

側頭葉は記憶の機能に密接な関連をもつ。記憶に、海馬を中心とした辺縁系が重要であること は前にものべたが、それを含む側頭葉切除では、古くたくわえられた記憶は失われないが、新し い情報を記憶に組みこみ、早期にそれを固定し、必要に応じてそれを引き出して用いるはたらき <記銘と回想)に重要な障害をきたすことが、脳外科的手術の経験の増すとともに確かめられた。 前頭葉の破壊によって古い記憶障害されにくいところをみると、記憶は広く全脳にたくわえら れるものであって、側頭葉はその出し入れと照合(解釈)に主役を演ずるものらしい』(脳のはた らき・島崎敏樹 宮坂松術著) そしてそれは海馬もおなじようなはたらきをするものと考えられる。 『記憶は多分、視床の連合や、大脳皮質では第二次運動野、第二次知覚野および連合野でたく わえられる。 触覚性の行動の 身体の部分に対応した 、

また、側頭葉表面の刺激で、短期記憶がさまたげられることや、見れているものが自覚的 初めて見るごとく感じ(未体験)、または反対に、これまでに見たことのないものが、以前に 見たごとく感じる(既視体験など、側頭葉と記憶との密接な関係はよく知られているところで あるが、刺激によって長期記憶を再生するのも側頭葉であるが、それは多分、側頭葉深部の 海馬が刺激されて、記憶貯蔵所を興奮させ、記憶されたときと同様な型の興奮を生じ、記憶が再 生されるのである。海馬を中心とする大脳辺縁系のニューロンは、知覚系、 運動系、覚醒系、動 制御系その他の機能系を連合して記憶と結合する道であり、記憶をたくわえ、または再 生する有力な道である』(脳のはたらき・吉井直三郎著)

記憶の所在は、粗大な分類にしたがえば、大脳皮質と間脳との間の広汎な領域にある。 その領 城の神経連鎖にニューロンの活動の型が記憶として残されるのであろうが、これを細胞レベルで 考えると、運動系、知覚系、覚醒系、睡眠系、動因系、制御系のいずれにあっても、その主回路 他にあると考えられる多数の副回路のなかに反射化された学習回路が残されるのであろう。 そ 故、大脳にひろく記憶が保持されているといえるであろう』(脳のはたらき 吉井直三郎著) 以上の専門学者の説明を参照した上で、私の求聞持法の体験をあわせ判断すると、記憶の場 半球内側面で間をかこむ部分、つまり「帯状回」のあたりであると私は思う。

 

 

 

 

私は、海馬それ自体の奥ふかくに、ごく古い記憶(深層記憶がたくわえられているものと信ず る。 それは、動物実験で、人間におこなわれた側頭葉表面の刺激(ペンフィールド博士の実験)と おなじ効果が得られることから、 それは、間違いないものと思われるのである。

すなわち、電極針を動物の頭のなかに入れて、海馬を刺激したとき、注意を集中する注意 集中反応 なにかを探索する探求反応が顕著にあらわれる。

これは何物かの記憶がよび起こされ、 "幻覚が起こったのだともいわれる」(脳のはたらき・島 敏樹宮松術著)のである。それはちょうど、 ペンフィールド博士の実験で側頭葉の表面に電 針をあてられた被験者が、なん年ものまえの出来事をそのまま想起してびっくりしている状態 そのものである。 そこで、この実験を動物ではなく、 なんらかの方法で生きている人間の海馬の 中心を刺激すれば、彼の前世、前々世の記憶がよみがえるのではないか?(教は特殊な方法で それをやるのである)

第一信号系と第二信号系

さてそこで、話は前にもどるのであるが、記憶のもとになる 「情報」に、二種類あることをさ きに述べた。

すなわち、意識された情報と、意識されない情報である。 これから、意識されない情報を第一情報"意識された情報を第二情報" とよぶことにする。 第一情報も第二情報も、ともに記憶 の で、この二つが記憶になるわけである。

ただし、第一情報と第二情報とでは、その記憶の場所がちがうのである。

第一情報は古い皮質の海馬の表面あたりに記憶される。これはどうしてかというと、海馬には 大脳辺縁系の中心で、本能行動、情動行動を支配する。 本龍行動というのはほとんど意識されな 行動である自律的なはたらきの領分であって、痛みや痒みなどの感覚にたいして、パッと無 意識のうちになされる動作のたぐいである。だから、情報も、無意識の情報はここに集まって、 それに対する反応も無意識のうちに対応されるように準備されるのだと考えればよい。

これに対して、第二情報は新しい皮質の側頭葉にたくわえられる。

脳の「解釈上の錯覚」について実験をくりかえしたウィリアム博士の実験により、側頭葉の全 領域が、ものの解釈をする部分であることがわかった。 この領域を刺激することにより現実のも の事の解釈のまちがいが生じ、この領域以外ではそういうことが見られぬことがあきらかになっ た。脳は、その一連の情報をまとめながら、過去の経験の記憶をひき出して適切な照合を行な 現在の経験を解釈して、状況に応じた適切な行動をおこさねばならない。この、記憶をひき 出し、現実を解釈する機能に側頭葉がもっとも重要な役わりをはたすわけで、ペンフィールド博 「解釈する質」とよんでいる。

一種の解釈であるのだ。 そこで第二情報は解釈する皮質である頭にされ、そこでに、多くくりかえされた記憶は旧古皮質の奥の海馬のほうに移っていってそこにたくわえられる ようである。ペンフィールド博士の実験でも、電気刺激をあたえた側頭葉表面の皮質を削除して も、そういう記憶はなくならなかったという報告があるから、上部(表面)の新皮質のほうに入 った記憶も次第に辺縁系のほうにしまいこまれてゆくのであろう。 それは、たとえば、タイプラ イターの練習などでもよくわかる。タイプの練習に際して、「上手になろうと思ったら、 キーボ ートは見ないほうがよい」といわれる。 最初、それにしたがって、「Aの字は? あれは下から 二段目の、一番左の端だったな。 小指で打つこと」などとアタマで考えながら打とうとす る。アタマというのは「新しい皮質」であるから意志的である。そして運動の皮質がはたらいて 小指を動かす。目は印字をよみ、その形を見て「たしかにAの字だ」 と判断する。 こういうこと

ん回もくりかえして練習していると、そのうちに、いちいちこんなことを考えなくても打 てるようになる。このことは、つまり、「新しい皮質」にたん回もん回もくり返して入れ たことは、だんだん「古い皮質」に入りこんでゆく。 そして 「本能的」にできるようになる、と いうことだ。自動車の運転などもそのよい例のひとつである。

この第一情報、第二情報を、脳の重要なはたらきである「条件反射」の理論に基づき、脳の第 一信号系、第二信号系として発表したのが、ロシアの有名な生理学者I・P・パブロフである。 つまり、第一信号系とは、第一情報のことで、意識されない情報を主にした、感覚器官からの そのままの情報である。だから、これは動物でも人間でもおなじである。

それがそのままのかたちで記憶されてゆく感覚そのままの旅の情報で、

れるものもあるが、多くは意識されないまま送りこまれる。 それに対する反応もまた無意識のま 反射的に送り出されることが多い。まぶしいという感覚にただちにクシャミが反応するという などその典型的なものである。 そしてそのとき、まぶしくてクシャミをしたという経験(情報) は、そのまま記憶になる。

これに対し、第二信号系は、人間にしかない。なぜかというと、この信号系はコトバによって 成り立つものだからである。 第二信号系は、感覚器官からの情報をいったん意識を通してコトバ でひとつのかたちにまとめた情報である。ナマの情報ではない。そういうかたちにして記憶領域 におくりこんだり、論理的判断、思考をする機能である。

人間の知的進歩は、コトバの発見によるこの第二信号系の発達によるもので、 これあるがため に、人間は、外部のあらゆる雑然たる情報を、自分の内部で、論理的、系列的、抽象的におきか えたり、積み重ねたり、他にそれをつたえたりすることができるようになったわけである。

しかし、もちろん、こういったからといって、この二つのものは、おのおのべつべつに動いて いるのではなく、この両者がそれぞれ独立しているというのは、相対的な意味においてであっ で、第二信号系はコトバ、第一信号系は感覚として、両者は結局第二信号系にみちびかれる完全 にひとつのものとして一緒に活動しているのである。そこで今までのところを総括すると、こう

いうことになる。

刺激(経験)―知覚情報 1意識されない情報第一信号系旧古皮質の大脳辺縁系 意識された情報第二信号系新皮質の側頭葉

海馬(記憶)

密教は第三の信号系を持つ

さて、今までは、もっぱら、「大」の面を考えてきたわけであるが、今度は入ったものをも とにしておこなわれる「出る」のほうを考えてみなければならない。

われわれがひとつの出来事に直面して、 それに対し、判断したり、計画を立てたり、行動をお こしたりするのがアウトプットであるが、それはどのようにしておこなわれるか?

今までにうけ入れてあるすべての情報、できるだけして、それをもとに、判 断 決定 行動の材料にするわけである。だから、このいちばん重要なことは、その材料が豊 富であることである。判断はそれが貧弱なほどあやまりをおかしやすいし、豊富なほど正しい判 断をする率が高い。ちょうど、むずかしい局面に直面した棋士が、過去に記憶(経験したすべ

定石や変化を思い浮かべて、それをもとに、もっとも有利で正確な手を打とうとするのと同 じことで、そういう場合、力の弱い者ほど経験(記憶)が少ないということである。この場合、 経験というのは、長年たくさん数を打っているというだけのことではなく、どれだけ定石やそ の変化が頭に入っていて、必要に応じてそれがきれるかということである。

いせつなことは、できるだけくのをき

信号系の記憶を可能なかぎりひき出す、 つまり思い出すという作業である。 ところがこの作 の難点は、第一信号系の再生である。 第二信号系のコトバによる記憶は比較的 (比較的であ 容易であるが、第一信号系の記憶は非常にひき出しにくい。というのは、第二信号系の記憶 は、一応、コトバによって整理されたり統合されたりしているから、それに対するテーマが決定 すれば、それに関連して系統的に、論理的に出してくる可能性がつよい。 中山正和教授によれ ば、それは「線の記憶」 カンの構造・中山正和)であって、連絡しているからである。 これに対 し、第一信号系の記憶は点の記憶で、脈絡なしに断続的に入ってきたものであるから、つながり がない。 しかし、情報源としては第一信号系の方が圧倒的に多いし、また、昼だけではなく、質 的にも非常に役に立つ場合が少なくないのである。

ことに、なにか新しい事物を創造するという場合にそのことがいえる。 創造には飛躍が必要で あるが、飛躍とは論理や論理的思考の積み重ねだけでは得られないもので、論理や説明をはなれ たところから生ずることが多い。ただし、論理をはなれたといっても全くはなれてしまうのでは なく、ひとつの主要目的はたえず追いつづけながら、一方でそれに関連するなにかのすべてを模 してゆくということであり、それがどこかで交接触した刹那、ひらめきが飛んで、それがつ まり、ひとつの創造か、創造の種子が芽生えたということなのだ。これは、記憶再生の場におき かえていうと、第二信号系が絶えず第一信号系の記憶をまさぐりつつ、からみ合いつつ創造を目ざして進んでゆくすがただということである。

よく、直感とかインスピレーションとかいうけれども、それはよくしらべてみると、第一信号 系の情報記憶とむすびついて生じたことが多いのである。 第一信号系は、脈絡がなく、意識され ていないから気がつかないだけのことなのだ。もっとも、このことは、あえて創造に関すること だけにかぎらず、すべての発想に際してあてはめられることといわねばならない。

ところで、この発想の作業は、考えてみると、すべての記憶を思い出そうという意志が、第二 信号系とむすんで、第一信号系の記憶、ならびに全脳にわたる記憶の領域を、その表面から深部 にいたるまで掘りおこそうというのである。それは新皮質である側頭葉の表面から次第に内部 におよんで間脳、帯状回の中間皮質から、 旧古皮質の中心、海馬にいたるまでの全領域にわたっ ての作業ではないか。まことに気の遠くなるようなこの作業が、 それではいったい通常どのよう にしてなされているのかというと、それはまったくその人の脳の自動的な機能にまかせておくよ りほかないのである。

ということは、それがうまくゆくかどうかの決定は、そのときそのときの運次第か、または、 そういう作業が先天的にすぐれているか、おとっているかという、つまり「素質」の問題になっ てしまい、最後はその人間の頭がよいか悪いかというところに帰着してしまうということではな いか。おそらくは最終的には運と素質だということになるのだろうが、しかし、まるでツルギの わたりのようなこ とができて、第一を自由自在にコントロール

第二信号系がコトバを使って第一信号系を自由に構築するごとく、ある力をつかって、一 号系、第二信号系の記憶を、海のふかい奥から発掘してきて、自由に構築することができた としたら、その力に属するあたらしい系は、いったいなんと呼ばれるべきであろうか? それは まさしく「第三の信号系」と呼ばれるべきものではなかろうか?

だが、ひとは、そんなことは不可能だというであろう。

が、宗教はそれをやるのである。それをやる”ある力を持っているのである。すなわち、密 教は「第三の信号系」を持つ。

頭のよいことが、 ぜったいに「素質」だけによるもので、ほかになんのなすべき方法がな いというのであったら、求聞持法の出る幕はない。しかし密教は求聞持法を持つ。頭のよいのは 「質」だけではなく、この技法によって訓練すれば、それは得られるということである。

その技法の原理を知るためには、もうひとつの記憶のメカニズムを知ることが必要である。 そ れを説こう。

 

I believe

物理学の天才博士よ、 おなじく丁博士、また、すばらしい感覚の十二行詩を書く詩人A君、 おなじくつぎのノーベル賞作品を書くであろうといわれているH氏よ、さてまた華麗なるコンチ フェルトを得意とする作曲家のG君、企業の天才Z氏、その他すべてのエリート諸君、私は諸君に 警告する。諸君は、知識欲旺盛な若ものたちに頭から食べられてしまわぬよう、至急ガードマン の手配をせよ!

諸君は、現実に近い未来において、モリモリと頭から喰われてしまう恐れが多分にあるので す!

実際に、この私だって、いつなんどき、あなた方のなかのある人をふと食べてしまおうかと思 い立たぬともかぎらないのだ!

おそろしい世のなかになったものである。だれかの脳髄を食べてしまうことによってその人の 頭のなかにある記憶をそっくりこちらにいただいてしまうことができる可能性が発見されつつあ る。人なみすぐれた脳を持つ者は、いつなんどき誘拐されて、その脳を抜きとられてしまうか知 れぬ恐怖に、うかうか町も歩けぬことになる。アイデアにゆきづまったり、試験に落ちてばかり いることから抜け出すために人の脳をねらう殺人者で地球はおおわれてしまうかも知れない。 まくやって世界的なを手に入れしかしまた。 そんな血なまぐさい事件は警察にしっかりたのんでおいて、たのしいレジャーに 応用することもできる。 百獣の王ライオンになってジャングルをさまよい歩いたり、巨大な畑へ どになって、熱帯の樹の上で居ねむりする感覚や記憶をたのしむこともできる。

さて、本題にもどろう。

いや、これは決して空想小説ではない。脳の記憶の構造をしらべているうちに、じっさい 科学者たちはそれが実現する可能性につきあたってびっくりしたのである。

われわれの日々の体験、いいかえれば情報"だが、これは脳の一部に痕跡として残り、痕跡 は反復によって強められる。これを「記銘」といい、記銘されたものは必要に応じて再現も、想 起することもできる。 この生体の仕組みを「記憶」といい、反復によって記銘を強めることを 「学習」するという。 以上が、記憶というものの一連の作業のすがたである。 では、記銘はどの ようにしてなされるか?

大脳皮質頁の図の太線で示された「新しい皮質」と、斜線で示された「古い皮質」の、厚 ミリメートルの表面には、約一四〇億の神経細胞(ニューロン)がぎっしりとならんでい る。 次頁の上図はひとつのニューロンであるが、これらは、 模式的に書くと下図のように、おた がいがからみ合っている。 その仕組みは、最初のニューロンの樹枝状突起(デンドライト)に、受

容器または他のニューロンにつながる神経線維からひとつの情報パルスが入ると(頁参照)、それによって細胞体の電位がわずかに変化する。 細胞にはたくさんのデンドライトがあり、ひと つのデンドライトにはたくさんの神経線維がつながっているので(このつながりのところがシナブスである) (頁参照)、この細胞体にあたえられるパルス電圧はプラスであることもマイナス であることもあるけれども、とにかく合計してある電圧にまで高まると、はじめてこの細胞体は 輪に一発のパルスを送り出し、これが、つぎのニューロンのデンドライトにつたえられる。こ のようにして情報はつぎつぎと のに亡くなった偉大な神経生理学者、シェリントンにとって、脳はとてつもない配電盤であった。 彼と彼の後継者たちは、脳を電気的な面からだけ理解しようと努力した。記憶の保持は、モール 信号のように情報をつたえるパルスの行列が、複雑な神経細胞の連鎖がつくる回路のなかを無 に廻っている状態だと考えられた。そうして、想起とはそれが必要に応じてとり出されること だと考えた。しかし、現在は、きまったパターンの回路を、パルスがいつでもすぐに廻りうるよ うになっている状態だと考えられている。

そのためには、回路を組立てている神経細胞連鎖のシナプスが、ほかのシナプスよりも、パル スをより伝達しやすいようになっていなければならない。 つまり、シナプス抵抗の減少である。 この仕組みについて、いくつかの考えが出されている。

まず第一は、あるシナプスをパルスがたびたび通ると、そこに構造的な変化がおこるだろうと いうのである。ちょうど、筋肉をきたえると、筋肉細胞が肥大するように、シナプスを形成して いる神経線維の末端の終末ボタンが大きくなったり、数がふえたりして、その結果、シナプス抵 抗が減少するというのである。この考えを支持する事実として、近年、ヘップ (D.O. Hebb) た ちが、刺激によってニューロン終末ボタンの数がふえたり、大きくなったりする現象を報告して いる。

第二は、シナプス伝達の実体であるアセチルコリンのような伝達物質が、よりたくさん分泌さ

れるようになるのだろうという考えである。 最近、シナプスに、電気刺激によってパルスをたく さん送りこむと、シナプス前部膜にある伝達物質をふくんだシナプス小胞が、膜の表面に移動し てくることが観察されている。 また、その逆に、ウサギの網膜で、双極細胞と錐状体、杆状体(光

容器との間のシナプスにあるシナプス小胞が、数日間完全な暗闇におくことによって減少 するという。脳のはなし・時実利彦著) つまり、 シナプスをたびたびパルスが通ると、より多くの 伝達物質が分泌されるようになるから、シナプス伝達の抵抗は減少することになるわけである。 こうして全く電気器機だと考えられていた脳は、次第に化学の面から見直されるようになって

ことに、分子生物学の進歩によって、遺伝情報が分子の長い鎖状高分子にきざみこまれている ことが明らかにされた結果、記憶もまた分子のなかにたくわえられているのではないかという考 え方が出てきて、それがひろくとり上げられるようになった。

RNA (リボ核酸、リポースを含む核酸で、タンパク質と結合して細胞質中のリポゾームの重 要成分をなし、タンパク質の合成に関係がある) がその問題の分子であるという考えを、スウェ ーデンのホルガー・ヒデン教授が発表した。

教授は、いろいろな行動を学習したネズミの脳をとって分析したところ、学習したネズミはし ないネズミにくらべて、神経細胞中のRNA量が増加し、核RNAのアデニンとウラシルとの比 増加していることを発見した。

る。さらに別の実験では、迷路を刺激された神経細胞はRNAおよびタンパクが増加し チトクローム酸化酵素の活性も増加するが、神経細胞に接して存在するニューログリア細胞では 反対の傾向がみとめられた。 それゆえ、もしこの変化が記憶痕跡をつくるのに関係するものであ れば、神経細胞とニューログリヤ細胞は一体となって、記憶をつくるのに参加していることにな

冷却、ショック、薬品、その他多くの手段をつかって、脳の電気的活動を一時的に停止させた のちも、記憶がさまたげられないで残っているということが実験でたしかめられた。このことは 記憶の究極の本質が、電気的なものではなくて、化学的なものであるという考えをつよく支持す 基礎になっている。けれども、電話のダイヤルをまわすときに電話番号をちょっとおぼえるの に使うような短い記憶は、本来、電気的なものであろうと考えられている。この種の記憶は、た いてい、すぐ消えてしまう。(ただし無くなってしまったのではない)もしそうでなかったら、 われわれは、どうでもいいようなこまごました記憶の大群のなかで、にっちもさっちもゆかなく なり、必要な情報など見つけ出すことができなくなってしまう。

動物について行なわれている多くの実験は、"記憶" が長期的な記憶にプリントされるに は数時間かかることを示している。 学習がおこなわれても、脳の神経細胞ですぐに長期的な記憶 がつくられるのではない。記憶ができるためには一定の時間が必要であって、もしこの間に脳の

神経細胞に混乱を生じるような活動をおこすと、記憶は固定されないで消えてしまう。 記憶の固 定時間が必要であるということは、記憶痕跡をつくるのに物理化学的なメカニズムがはたらい ているということである。学習直後は、学習に参加した神経回路のなかを、まだパルスが循環し ていると考えられ、それが短期記憶である。 固定に必要な時間が経過したのちに短期記憶が長期 記憶にかわるのであるが、もしこの間に脳に電気を通して学習回路の興奮がみたされると、 学習 効果が残らないで、長期記憶ができない。要するに、記憶の跡”は、最初は電気的な形で維持 されるが、最後には、永久の記憶として、化学物質のかたちで貯蔵されるということである。

たしかに、分子レベルで記憶が貯蔵されるという考えかたによって、はじめて、人間の知識や 事実を記憶する莫大な能力を説明することができる。 コンピューターがひとりの人間の記憶に対 抗するだけの記憶をもつためには、地球の全表面にひとしい面積の磁気テープを必要とすると推 定されている。

「分子神経学」という、まだあまりなじみのない名称が、MITのフランシス・シュミット によって、この新しく生まれた分野に名づけられた。

記憶に対する化学的なアプローチがつぎつぎとはじまった。

そのなかで、まず、テキサス大学のロバート・トムソンと、ジェムス・V・マッコーネルがあ たらしい道をひらいた。

脳とよべるたぐいのものを持つ最も単純な生物である。だが、分割して分かるような生 のなかでは、最も複雑な生物である。 一匹を二つに切ると、頭の方に新しい尾が生ずるばかり か、尾の方にも新しい頭が生じてくるという生物である。

トムソンとマッコーネルは、光または音と電気ショックを使って防御条件反射をつくった。 プ ラナリアは光をあてただけで縮むようになった。 光は、"あとからショックがくるぞという意 味であることを、プラナリアが学習したことはあきらかになった。次いで、学習した経験を れるようにしたあとで、前より少ない訓練でふたたび覚えるようになることを確認した。

そこで、この訓練したプラナリアを二つに切り、その両方を再生させた。その結果、頭の方の 半分から再生されたプラナリアが、以前より少ない訓練でふたたび習得したばかりか、尾の方の 半分から再生したものも同じように習得した! 脳を持っていないほうに、どうして記憶が残っ ていたのであろうか?

さきに述べた通り、DNAのなかに遺伝の情報がたくわえられるとおなじように、RNA分子 のなかに記憶がたくわえられるのではないかという考えかたが、すでに、ホルガー・ヒデンによ って発展させられていた。

そこで、 ロチェスター大学のコーニングとジョーンは、訓練されたプラナリアを二つに切り、 RNAを分解する酵素 リボヌクレアーゼの溶液中で再生させてみた。すると、頭のほうから再

生させたプラナリアには記憶が残っていたが、尾の方から再生したプラナリアには記憶がぜんぜ ん残っていなかった!

それでプラナリアの尾部に残っていた記憶物質は多分リポ酸(RNA) であって、これが尾部 から頭が再生するときに記憶物質が頭へ移らないで、分解酵素によって破壊され、記憶を失った のであろうと考えられるのである。 しかしまた反対意見がないでもない。このことがただちに、 RNAが記憶をたくわえている証明にはならないというのである。RNAは刺激としてはたらく に過ぎないといっている。

けれども、これらの実験によって、記憶に関連して、RNA問題が非常に興味ぶかくなってき たのはたしかである。

その後、これらのチームは様々な実験をしたが、もっともセンセーショナルな結果は、学習し プラナリアをすりつぶして、学習していないプラナリアにたべさせると、学習していない動物 に記憶をつたえることができたという報告である。 食べたほうは、食べられたほうの記憶を実際 獲得したのであろうか?

G・R・ティラーは、この例を報告したとき、こういうユーモアをとばしている。

「心理学の先生たちは、なかばまじめに、クラスの生徒たちが教師を食べて、必要な学を学ぶ 日を心にえがいた」

おなじように、KN A

て皿に近づき、餌をとるが、第二群のネズミは光に反応して近づくようにして 群のネズミの脳からRNAをとり出し、学習していないネズミにあたえた。第一群のネズミの脳 のRNAを腹腔内に注射されたネズミは音に対してつよい反応を示したが、光にはそうではな く、また、第二群のネズミの脳のRNAを注射されたネズミは光に対して特に反応したが、音に たいしては注意をはらわなかった。

また、ガンの薬(8アザグアニン)をあたえると、これがRNAにとりいれられて、RNA 生物活性を失い、その結果は、動物は新しい学習ができないという報告もある。 この場合、古 記憶は残っている。

ヒトにおいては、つぎのような報告がある。 なにかの原因で脳がきずつけられると、それが原 因となって、てんかんがおきることがある。 このはてんかん焦点とよばれるが、その部分を切 とっても、てんかんはなおらない。その理由は大脳半球の一側にある焦点から常にパルスを送 っていると、対側の半球の対称の点にもてんかん焦点ができるからであって、これを焦点と いう。この さて、この焦点はその周囲 点もいっしょにとり除くとてんかんはなおる。

の組織にくらべていちじるしくRNAが増加しているのである。この現象は、いいかえると、い つもパルスをうけて、てんかんの鏡像点がつくられるということは学習の単純化されたモデル とも考えられるのであり、そこにRNAが増加するということは、学習とRNAとの関係を示す

しょうこがヒトでも得られたということになる。また、記憶障害のある脳の病気の患者にRNA

イーストの形であたえて、記憶がよくなったという報告もある。

またジャコブソンは、学習させたハムスターのRNAをネズミに注射したら、ネズミの学習行 動は改善されたと新しい報告をしている。

すると、記憶は種を越えて移ることができるのだろうか? 記憶はあらゆる生物を通じて同一 の符号でつづられているのだろうか? タンパク質合成の際の遺伝暗号は、動物界を通じて本質 的に同一と見られるが、記憶もまた、おなじように普遍的なものなのであろうか? そうだとす ると、ライオンの記憶を持ちたいときにはライオンの脳を食べればよいが、同時に、 子豚の脳を 食べることはあまり賢明なことではないということになる。

もっとも、記憶に関係する分子が、消化作用をのがれてそのままで残るということはプラナリ アでは可能かも知れないが、もっと高等な生物ではできそうもない。

しかし、いずれにせよ、結論は、記憶をつかさどる物質が存在することを示している。ただ、 それがRNAであるかどうかはまだはっきりしていない。実際のところ、いまの段階では、 記憶 はある特異的なタンパク質にきざみこまれている、と考えるのが真実のようである。神経細胞 が、他の細胞よりもずっとはやくタンパク質をつくり出すことは以前からよく知られていること だ。ある学者は、記憶をのこす物質は、小さな可溶性タンパクまたはペプチッドであり、分子 五千程度であるから、NAではないだろう

おけるリが記憶物質であろうとしている。

記憶物質がなんであるか、まだ明らかではないけれども、それは次の性質を持った物質で

ればならないと、大阪大学の吉井直三郎教授は指摘する。

1、記憶体験によって分子の状態が変わることができるものである。

2、記憶が証明されるかぎり、その物質は証明される。

3 これが破壊されると記憶が失われる。

私は思うのだ。

以上の条件をみたさなければ記憶物質とはいえないのであるが、そのような物質はまだ知られ

科学が、脳のはたらきについて脳それ自体にのみ目を向けているあいだは、いくらしらべても おそらくそれを知ることはできないであろう、と。

脳は非常に複雑なはたらきをする化学装置である。 最近ようやく知れわたってきたことである が、脳の各部はそれをひたしている液体中の物質の影響に敏感に反応する。 脳をひたしている 体中のなかには、特殊な化学物質、 ガングリオンド、セレブロンド、スヒンゴミエリンその他ま だよく成分のわからない物質がいくつもふくまれており、それらのはたらきはまだほとんどわか っていないのだ。脳はこういう未知の成分をたくさんふくんだ液体につつまれているのである。 そうしてその液体の持つさまざまな成分に敏感に反応する。それだけではない。脳はその反応によって、脳自身さまざまな神経液を分泌する。 それらの成分の化合や反応については全く知られ,

 

私は思う。脳の実質やそのなかでおこなわれている変化だけをいくらしらべても、脳の本当の はたらきを知ることはできぬ。脳をつつんでいるこれらの液体の成分の作用、脳の特殊な部分か 分される分泌液に着眼せよ。そこに脳の秘密がある。 げんに、ある著名な研究グループは、 ある脳細胞が脳のべつの部分を刺激したり、 鎮静したりする制物質や、あるいは神経液を分泌 することについて報告している。 ここにひとつの神秘を解くカギがある。

脳の専門家でもない者がなぜそんなことをいえるのだ、とあなたはいうのか?

教がそれをやっているのである。

密教はそういう物質がどういう化学成分で成り立っているのかということをあきらかにする技 は持っていない。 しかし、その物質を脳のなかにつくり出して、それを利用する技術は持って いるのだ。その特殊な脳の開発技術こそ、求聞持法にはじまる密教の一連の秘密技術なのだ。 では、その密教の秘密技術とはどんな技術か?

I

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如意輪観音 人々を苦悩から救い、あらゆる願いを叶える観音菩薩

2023-07-28 19:36:40 | 運命学

 

 

如意輪観音

人々を苦悩から救い、あらゆる願いを叶える観音菩薩

如意輪観音(にょいりんかんのん)とは?

「如意」とは意のままに智慧や財宝、福徳もたらす如意宝珠という宝の珠のことで、「輪」は煩悩を打ち砕く法輪を指しています。その2つを手に持った観音菩薩ということで如意輪観音といいます。

 

六観音の1つに数えられ、天界道に迷う人々を救うとされますが、6本の手で六道すべてに救いの手を差し伸べるともいわれています。

ご利益

智慧、財福、福徳授与、安産、延命のご利益があるとされています。

如意輪観音(にょいりんかんのん)の像容

片膝を上げ、そこに肘をかけて指先を頬に当てている思惟の姿です。足裏は両方を合わせており、輪王座と呼ばれる姿勢が如意輪観音の特徴です。どうすれば人々を救えるのかと悩んでいる姿だとされています。ほとんどが6本の手の六臂像で造られており、手には如意宝珠と法輪(輪宝)を持っています。

有名寺院と像

・大阪府:観心寺

如意輪観音(にょいりんかんのん)の真言

オン・ハンドマ・シンダマニ・ジンバラ・ウン

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2023年7月28日 占い  九星  無料 今日の運命

2023-07-28 11:20:57 | 運命学

 

2023728

 

四緑木星の日

縁談、商談の来訪者あり。言動をつつしみ話を進めると良い。いつも良い日、皆良い人。こんな心境を養いたい

 

 

破壊の週  成の日
万事思い通りに進まない日。
あちこちの地雷を自ら踏んでしまうような日になります。
何をするにも十分な余裕をもって行うことで、傷は浅く、不運からの素早いリカバリーが可能です。
こういう日もあるさ、と割り切るくらいの心の余裕を持つことが大切です
 
 

阿弥陀如来(あみだにょらい)とは?

無限の寿命を持つことから無量寿如来ともいいます。限りない光(智慧)と限りない命を持って人々を救い続けるとされており、西方極楽浄土の教主です。四十八願(しじゅうはちがん)という誓いを立て、その中には「南無阿弥陀仏」と唱えたあらゆる人々を必ず極楽浄土へ導くとあり、広く民衆から信仰されました。ちなみに他力本願も四十八願の誓いから来ており、本来は阿弥陀様にすがって極楽に行こうという意味です。

 

阿弥陀三尊として聖観音と勢至菩薩と並ぶ姿が多いです。さらに二十五菩薩を従え、雲に乗って往生者を迎えにやってくるといわれています。そのほか来迎の様子をあらわす場合もあります。

ご利益

極楽往生、現世安穏のご利益があります。また、戌・亥年生まれ守り本尊です。

阿弥陀如来(あみだにょらい)の像容

釈迦如来と同じく装飾品は一切ないです。来迎印という印は、極楽浄土に迎えに来たことを意味していますよ。この印相は施無畏・与願印に似ていますが、第1指ともう1本の指をねじるのが特徴です。

 

特殊な例としては、宝冠阿弥陀像、裸形阿弥陀像、斜めうしろを振り返る姿をしている見返り阿弥陀などがあります。

死神
正位置・・・離婚。別離。すべてを捨てる。ものごとの(よくない意味での)終わり。一度、無に戻したほうが良い。盗難。火災による損失。破産。取引の停止。生産や営業の中止。退学。突然やってくる病気。恐怖心を持ちやすい病気。飢餓。暴力死。事故死。不作。
逆位置・・・意識の変革。再生。創造。運命。更新。スクラップ&ビルド。病気回復。蘇る愛。遺産相続。
ウェイト解説
正位置・・・終わり。死すべき運命。破壊。堕落。男性にとっては後ろ盾を失う。女性にとっては多くの反対。若い女性にとっては結婚の計画の失敗。
逆位置・・・惰性。睡眠。無気力。茫然自失。夢遊病。失われた希望。
(オカルト的解釈では、このカードは再生。創造。運命。更新。休息をあらわす。)
 
07月28日 (金曜)
月齢
10.33
Moon
潮汐
長潮

月名(旧暦日)
宵月

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メシアの法 3 システムとしての求聞持法 Messiah's Law 1 Inquisition Law as a System

2023-07-27 10:27:02 | 運命学

私は警告する。 私は警告する。

物理学の天才博士よ、 おなじく丁博士、また、すばらしい感覚の十二行詩を書く詩人A君、 おなじくつぎのノーベル賞作品を書くであろうといわれているH氏よ、さてまた華麗なるコンチ フェルトを得意とする作曲家のG君、企業の天才Z氏、その他すべてのエリート諸君、私は諸君に 警告する。諸君は、知識欲旺盛な若ものたちに頭から食べられてしまわぬよう、至急ガードマン の手配をせよ!

諸君は、現実に近い未来において、モリモリと頭から喰われてしまう恐れが多分にあるので す!

実際に、この私だって、いつなんどき、あなた方のなかのある人をふと食べてしまおうかと思 い立たぬともかぎらないのだ!

おそろしい世のなかになったものである。だれかの脳髄を食べてしまうことによってその人の 頭のなかにある記憶をそっくりこちらにいただいてしまうことができる可能性が発見されつつあ る。人なみすぐれた脳を持つ者は、いつなんどき誘拐されて、その脳を抜きとられてしまうか知 れぬ恐怖に、うかうか町も歩けぬことになる。アイデアにゆきづまったり、試験に落ちてばかり いることから抜け出すために人の脳をねらう殺人者で地球はおおわれてしまうかも知れない。 まくやって世界的なを手に入れしかしまた。 そんな血なまぐさい事件は警察にしっかりたのんでおいて、たのしいレジャーに 応用することもできる。 百獣の王ライオンになってジャングルをさまよい歩いたり、巨大な畑へ どになって、熱帯の樹の上で居ねむりする感覚や記憶をたのしむこともできる。

さて、本題にもどろう。

いや、これは決して空想小説ではない。脳の記憶の構造をしらべているうちに、じっさい 科学者たちはそれが実現する可能性につきあたってびっくりしたのである。

われわれの日々の体験、いいかえれば情報"だが、これは脳の一部に痕跡として残り、痕跡 は反復によって強められる。これを「記銘」といい、記銘されたものは必要に応じて再現も、想 起することもできる。 この生体の仕組みを「記憶」といい、反復によって記銘を強めることを 「学習」するという。 以上が、記憶というものの一連の作業のすがたである。 では、記銘はどの ようにしてなされるか?

大脳皮質頁の図の太線で示された「新しい皮質」と、斜線で示された「古い皮質」の、厚 ミリメートルの表面には、約一四〇億の神経細胞(ニューロン)がぎっしりとならんでい る。 次頁の上図はひとつのニューロンであるが、これらは、 模式的に書くと下図のように、おた がいがからみ合っている。 その仕組みは、最初のニューロンの樹枝状突起(デンドライト)に、受

容器または他のニューロンにつながる神経線維からひとつの情報パルスが入ると(頁参照)、それによって細胞体の電位がわずかに変化する。 細胞にはたくさんのデンドライトがあり、ひと つのデンドライトにはたくさんの神経線維がつながっているので(このつながりのところがシナブスである) (頁参照)、この細胞体にあたえられるパルス電圧はプラスであることもマイナス であることもあるけれども、とにかく合計してある電圧にまで高まると、はじめてこの細胞体は 輪に一発のパルスを送り出し、これが、つぎのニューロンのデンドライトにつたえられる。こ のようにして情報はつぎつぎと のに亡くなった偉大な神経生理学者、シェリントンにとって、脳はとてつもない配電盤であった。 彼と彼の後継者たちは、脳を電気的な面からだけ理解しようと努力した。記憶の保持は、モール 信号のように情報をつたえるパルスの行列が、複雑な神経細胞の連鎖がつくる回路のなかを無 に廻っている状態だと考えられた。そうして、想起とはそれが必要に応じてとり出されること だと考えた。しかし、現在は、きまったパターンの回路を、パルスがいつでもすぐに廻りうるよ うになっている状態だと考えられている。

そのためには、回路を組立てている神経細胞連鎖のシナプスが、ほかのシナプスよりも、パル スをより伝達しやすいようになっていなければならない。 つまり、シナプス抵抗の減少である。 この仕組みについて、いくつかの考えが出されている。

まず第一は、あるシナプスをパルスがたびたび通ると、そこに構造的な変化がおこるだろうと いうのである。ちょうど、筋肉をきたえると、筋肉細胞が肥大するように、シナプスを形成して いる神経線維の末端の終末ボタンが大きくなったり、数がふえたりして、その結果、シナプス抵 抗が減少するというのである。この考えを支持する事実として、近年、ヘップ (D.O. Hebb) た ちが、刺激によってニューロン終末ボタンの数がふえたり、大きくなったりする現象を報告して いる。

第二は、シナプス伝達の実体であるアセチルコリンのような伝達物質が、よりたくさん分泌さ

れるようになるのだろうという考えである。 最近、シナプスに、電気刺激によってパルスをたく さん送りこむと、シナプス前部膜にある伝達物質をふくんだシナプス小胞が、膜の表面に移動し てくることが観察されている。 また、その逆に、ウサギの網膜で、双極細胞と錐状体、杆状体(光

容器との間のシナプスにあるシナプス小胞が、数日間完全な暗闇におくことによって減少 するという。脳のはなし・時実利彦著) つまり、 シナプスをたびたびパルスが通ると、より多くの 伝達物質が分泌されるようになるから、シナプス伝達の抵抗は減少することになるわけである。 こうして全く電気器機だと考えられていた脳は、次第に化学の面から見直されるようになって

ことに、分子生物学の進歩によって、遺伝情報が分子の長い鎖状高分子にきざみこまれている ことが明らかにされた結果、記憶もまた分子のなかにたくわえられているのではないかという考 え方が出てきて、それがひろくとり上げられるようになった。

RNA (リボ核酸、リポースを含む核酸で、タンパク質と結合して細胞質中のリポゾームの重 要成分をなし、タンパク質の合成に関係がある) がその問題の分子であるという考えを、スウェ ーデンのホルガー・ヒデン教授が発表した。

教授は、いろいろな行動を学習したネズミの脳をとって分析したところ、学習したネズミはし ないネズミにくらべて、神経細胞中のRNA量が増加し、核RNAのアデニンとウラシルとの比 増加していることを発見した。

る。さらに別の実験では、迷路を刺激された神経細胞はRNAおよびタンパクが増加し チトクローム酸化酵素の活性も増加するが、神経細胞に接して存在するニューログリア細胞では 反対の傾向がみとめられた。 それゆえ、もしこの変化が記憶痕跡をつくるのに関係するものであ れば、神経細胞とニューログリヤ細胞は一体となって、記憶をつくるのに参加していることにな

冷却、ショック、薬品、その他多くの手段をつかって、脳の電気的活動を一時的に停止させた のちも、記憶がさまたげられないで残っているということが実験でたしかめられた。このことは 記憶の究極の本質が、電気的なものではなくて、化学的なものであるという考えをつよく支持す 基礎になっている。けれども、電話のダイヤルをまわすときに電話番号をちょっとおぼえるの に使うような短い記憶は、本来、電気的なものであろうと考えられている。この種の記憶は、た いてい、すぐ消えてしまう。(ただし無くなってしまったのではない)もしそうでなかったら、 われわれは、どうでもいいようなこまごました記憶の大群のなかで、にっちもさっちもゆかなく なり、必要な情報など見つけ出すことができなくなってしまう。

動物について行なわれている多くの実験は、"記憶" が長期的な記憶にプリントされるに は数時間かかることを示している。 学習がおこなわれても、脳の神経細胞ですぐに長期的な記憶 がつくられるのではない。記憶ができるためには一定の時間が必要であって、もしこの間に脳の

神経細胞に混乱を生じるような活動をおこすと、記憶は固定されないで消えてしまう。 記憶の固 定時間が必要であるということは、記憶痕跡をつくるのに物理化学的なメカニズムがはたらい ているということである。学習直後は、学習に参加した神経回路のなかを、まだパルスが循環し ていると考えられ、それが短期記憶である。 固定に必要な時間が経過したのちに短期記憶が長期 記憶にかわるのであるが、もしこの間に脳に電気を通して学習回路の興奮がみたされると、 学習 効果が残らないで、長期記憶ができない。要するに、記憶の跡”は、最初は電気的な形で維持 されるが、最後には、永久の記憶として、化学物質のかたちで貯蔵されるということである。

たしかに、分子レベルで記憶が貯蔵されるという考えかたによって、はじめて、人間の知識や 事実を記憶する莫大な能力を説明することができる。 コンピューターがひとりの人間の記憶に対 抗するだけの記憶をもつためには、地球の全表面にひとしい面積の磁気テープを必要とすると推 定されている。

「分子神経学」という、まだあまりなじみのない名称が、MITのフランシス・シュミット によって、この新しく生まれた分野に名づけられた。

記憶に対する化学的なアプローチがつぎつぎとはじまった。

そのなかで、まず、テキサス大学のロバート・トムソンと、ジェムス・V・マッコーネルがあ たらしい道をひらいた。

脳とよべるたぐいのものを持つ最も単純な生物である。だが、分割して分かるような生 のなかでは、最も複雑な生物である。 一匹を二つに切ると、頭の方に新しい尾が生ずるばかり か、尾の方にも新しい頭が生じてくるという生物である。

トムソンとマッコーネルは、光または音と電気ショックを使って防御条件反射をつくった。 プ ラナリアは光をあてただけで縮むようになった。 光は、"あとからショックがくるぞという意 味であることを、プラナリアが学習したことはあきらかになった。次いで、学習した経験を れるようにしたあとで、前より少ない訓練でふたたび覚えるようになることを確認した。

そこで、この訓練したプラナリアを二つに切り、その両方を再生させた。その結果、頭の方の 半分から再生されたプラナリアが、以前より少ない訓練でふたたび習得したばかりか、尾の方の 半分から再生したものも同じように習得した! 脳を持っていないほうに、どうして記憶が残っ ていたのであろうか?

さきに述べた通り、DNAのなかに遺伝の情報がたくわえられるとおなじように、RNA分子 のなかに記憶がたくわえられるのではないかという考えかたが、すでに、ホルガー・ヒデンによ って発展させられていた。

そこで、 ロチェスター大学のコーニングとジョーンは、訓練されたプラナリアを二つに切り、 RNAを分解する酵素 リボヌクレアーゼの溶液中で再生させてみた。すると、頭のほうから再

生させたプラナリアには記憶が残っていたが、尾の方から再生したプラナリアには記憶がぜんぜ ん残っていなかった!

それでプラナリアの尾部に残っていた記憶物質は多分リポ酸(RNA) であって、これが尾部 から頭が再生するときに記憶物質が頭へ移らないで、分解酵素によって破壊され、記憶を失った のであろうと考えられるのである。 しかしまた反対意見がないでもない。このことがただちに、 RNAが記憶をたくわえている証明にはならないというのである。RNAは刺激としてはたらく に過ぎないといっている。

けれども、これらの実験によって、記憶に関連して、RNA問題が非常に興味ぶかくなってき たのはたしかである。

その後、これらのチームは様々な実験をしたが、もっともセンセーショナルな結果は、学習し プラナリアをすりつぶして、学習していないプラナリアにたべさせると、学習していない動物 に記憶をつたえることができたという報告である。 食べたほうは、食べられたほうの記憶を実際 獲得したのであろうか?

G・R・ティラーは、この例を報告したとき、こういうユーモアをとばしている。

「心理学の先生たちは、なかばまじめに、クラスの生徒たちが教師を食べて、必要な学を学ぶ 日を心にえがいた」

おなじように、KN A

て皿に近づき、餌をとるが、第二群のネズミは光に反応して近づくようにして 群のネズミの脳からRNAをとり出し、学習していないネズミにあたえた。第一群のネズミの脳 のRNAを腹腔内に注射されたネズミは音に対してつよい反応を示したが、光にはそうではな く、また、第二群のネズミの脳のRNAを注射されたネズミは光に対して特に反応したが、音に たいしては注意をはらわなかった。

また、ガンの薬(8アザグアニン)をあたえると、これがRNAにとりいれられて、RNA 生物活性を失い、その結果は、動物は新しい学習ができないという報告もある。 この場合、古 記憶は残っている。

ヒトにおいては、つぎのような報告がある。 なにかの原因で脳がきずつけられると、それが原 因となって、てんかんがおきることがある。 このはてんかん焦点とよばれるが、その部分を切 とっても、てんかんはなおらない。その理由は大脳半球の一側にある焦点から常にパルスを送 っていると、対側の半球の対称の点にもてんかん焦点ができるからであって、これを焦点と いう。この さて、この焦点はその周囲 点もいっしょにとり除くとてんかんはなおる。

の組織にくらべていちじるしくRNAが増加しているのである。この現象は、いいかえると、い つもパルスをうけて、てんかんの鏡像点がつくられるということは学習の単純化されたモデル とも考えられるのであり、そこにRNAが増加するということは、学習とRNAとの関係を示す

しょうこがヒトでも得られたということになる。また、記憶障害のある脳の病気の患者にRNA

イーストの形であたえて、記憶がよくなったという報告もある。

またジャコブソンは、学習させたハムスターのRNAをネズミに注射したら、ネズミの学習行 動は改善されたと新しい報告をしている。

すると、記憶は種を越えて移ることができるのだろうか? 記憶はあらゆる生物を通じて同一 の符号でつづられているのだろうか? タンパク質合成の際の遺伝暗号は、動物界を通じて本質 的に同一と見られるが、記憶もまた、おなじように普遍的なものなのであろうか? そうだとす ると、ライオンの記憶を持ちたいときにはライオンの脳を食べればよいが、同時に、 子豚の脳を 食べることはあまり賢明なことではないということになる。

もっとも、記憶に関係する分子が、消化作用をのがれてそのままで残るということはプラナリ アでは可能かも知れないが、もっと高等な生物ではできそうもない。

しかし、いずれにせよ、結論は、記憶をつかさどる物質が存在することを示している。ただ、 それがRNAであるかどうかはまだはっきりしていない。実際のところ、いまの段階では、 記憶 はある特異的なタンパク質にきざみこまれている、と考えるのが真実のようである。神経細胞 が、他の細胞よりもずっとはやくタンパク質をつくり出すことは以前からよく知られていること だ。ある学者は、記憶をのこす物質は、小さな可溶性タンパクまたはペプチッドであり、分子 五千程度であるから、NAではないだろう

おけるリが記憶物質であろうとしている。

記憶物質がなんであるか、まだ明らかではないけれども、それは次の性質を持った物質で

ればならないと、大阪大学の吉井直三郎教授は指摘する。

1、記憶体験によって分子の状態が変わることができるものである。

2、記憶が証明されるかぎり、その物質は証明される。

3 これが破壊されると記憶が失われる。

私は思うのだ。

以上の条件をみたさなければ記憶物質とはいえないのであるが、そのような物質はまだ知られ

科学が、脳のはたらきについて脳それ自体にのみ目を向けているあいだは、いくらしらべても おそらくそれを知ることはできないであろう、と。

脳は非常に複雑なはたらきをする化学装置である。 最近ようやく知れわたってきたことである が、脳の各部はそれをひたしている液体中の物質の影響に敏感に反応する。 脳をひたしている 体中のなかには、特殊な化学物質、 ガングリオンド、セレブロンド、スヒンゴミエリンその他ま だよく成分のわからない物質がいくつもふくまれており、それらのはたらきはまだほとんどわか っていないのだ。脳はこういう未知の成分をたくさんふくんだ液体につつまれているのである。 そうしてその液体の持つさまざまな成分に敏感に反応する。それだけではない。脳はその反応によって、脳自身さまざまな神経液を分泌する。 それらの成分の化合や反応については全く知られ,

 

私は思う。脳の実質やそのなかでおこなわれている変化だけをいくらしらべても、脳の本当の はたらきを知ることはできぬ。脳をつつんでいるこれらの液体の成分の作用、脳の特殊な部分か 分される分泌液に着眼せよ。そこに脳の秘密がある。 げんに、ある著名な研究グループは、 ある脳細胞が脳のべつの部分を刺激したり、 鎮静したりする制物質や、あるいは神経液を分泌 することについて報告している。 ここにひとつの神秘を解くカギがある。

脳の専門家でもない者がなぜそんなことをいえるのだ、とあなたはいうのか?

教がそれをやっているのである。

密教はそういう物質がどういう化学成分で成り立っているのかということをあきらかにする技 は持っていない。 しかし、その物質を脳のなかにつくり出して、それを利用する技術は持って いるのだ。その特殊な脳の開発技術こそ、求聞持法にはじまる密教の一連の秘密技術なのだ。 では、その密教の秘密技術とはどんな技術か?

I warn you. I warn you.

Dr. Ding, a genius in physics, Mr. A, a poet who writes twelve-line poems with a wonderful feeling, and Mr. H, who is said to be the next Nobel Prize winner. Composer G, corporate genius Z, and all other elites, I warn you. Everyone, please arrange a guard as soon as possible so that the young people with a strong desire for knowledge will not eat you from the top!

In the near future, everyone is likely to be eaten from the head down, so he is!

In fact, even I, at some point in my life, have the thought of eating one of you!

We are in a terrifying world. It is being discovered that by eating someone's brain, it is possible to give them all the memories in their head. People with brains as good as humans will be kidnapped at any moment, and they will be unable to walk through the city, fearing that their brains will be taken out. The earth could be overwhelmed with killers who target people's brains to get out of being stuck in ideas or failing exams. Got a world wide by doing so, but also. Such a bloody incident can also be applied to a fun leisure activity after making a firm request to the police. You can become a lion king of beasts and wander through the jungle, or you can become a roar to a huge field and enjoy the sensations and memories of sleeping on a tropical tree.

Now, let's get to the point.

No, this is by no means a fantasy novel. In studying the structure of memory in the brain, scientists were indeed astonished at the possibility of it becoming a reality.

Our daily experiences, in other words "information", remain as traces in a part of the brain, and the traces are strengthened by repetition. can also be recalled. This biological mechanism is called "memory", and it is said that "learning" strengthens memorization through repetition. The above is the state of a series of operations called memory. So how is the inscription made?

About 14 billion nerve cells (neurons) are densely packed on the millimeter-thick surface of the "new cortex" indicated by the thick line and the "old cortex" indicated by the diagonal line in the figure on the cerebral cortex page. I'm reading. The upper diagram on the next page shows a single neuron, but these are intertwined with each other as shown in the diagram below. The mechanism is that the dendrites of the first neurons receive

A single pulse of information from a nerve fiber leading to a vessel or other neuron (see page) causes a small change in the electrical potential of the cell body. A cell has many dendrites, and one dendrite is connected to many nerve fibers (this connection is the synapse) (see page), so the pulse voltage applied to this cell body must be positive. can be negative, but when the total voltage reaches a certain level, the cell body first sends out a single pulse to the annulus, which is transmitted to the dendrites of the next neuron. In this way, one after the other, the brain was a tremendous switchboard for Sherrington, the great neurophysiologist who died before him. He and his successors sought to understand the brain only in its electrical aspects. Memory retention was thought to be a state in which a matrix of pulses conveying information, like Mohr signals, circulates in vain in a circuit formed by a complex chain of nerve cells. Thus, I thought that recollection was to be taken out as needed. However, it is now believed that he is in a state where the pulse can circulate in a fixed pattern circuit at any time.

To do this, the synapses of the neuronal chains that make up the circuit must be more amenable to transmitting pulses than other synapses. That is, a decrease in synaptic resistance. There are several ideas about this mechanism.

First, he says, if a pulse passes through a synapse frequently, structural changes will occur there. Just as muscle cells expand when a muscle is trained, the terminal buttons at the ends of the nerve fibers in which they form synapses become larger and more numerous, resulting in a decrease in synaptic resistance. That's what it means. In support of this idea, D.O. Hebb recently reported a phenomenon in which the number and size of neuron terminal buttons increase and grow in response to stimulation.

Second, more transmitter substances such as acetylcholine, which is the entity of synaptic transmission, are secreted.

The idea is that it will become possible to do so. Recently, it has been observed that when many pulses are sent to synapses by electrical stimulation, synaptic vesicles containing transmitters in the presynaptic membrane migrate to the surface of the membrane. Conversely, in rabbit retinas, bipolar cells, cones, and rods (light

Synaptic vesicles at the synapse between the container and the container are said to be reduced by putting them in complete darkness for several days. Brain Story, Toshihiko Tokizane) In other words, when the pulse passes through the synapse, more transmitter substances are secreted, so the resistance of synaptic transmission decreases. In this way, the brain, which was thought to be a completely electrical device, gradually came to be reconsidered from a chemical point of view.

In particular, as advances in molecular biology have revealed that genetic information is inscribed in long chain macromolecules, memory is also not stored in molecules. I came up with the idea of ​​that, and it came to be widely taken up.

Holger of Sweden introduced the idea that RNA (a ribonucleic acid, a nucleic acid containing a lipose that binds to proteins and forms an important component of liposomes in the cytoplasm and is involved in the synthesis of proteins) was the molecule in question. ・Professor Hiden made a presentation.

The professor took and analyzed the brains of mice that had learned various behaviors, and found that the amount of RNA in the nerve cells increased in mice that had learned, compared to mice that did not, and that the relationship between nuclear RNA adenine and uracil increased. We found that the ratio increased.

be. In yet another experiment, labyrinth-stimulated neurons had increased RNA and protein, and he also had increased cytochrome oxidase activity, whereas neuroglial cells that were adjacent to neurons showed the opposite trend. . Therefore, if this change is related to the formation of memory traces, then neurons and neuroglial cells are participating in the formation of memories in unison.

Experiments have shown that his memories remain uninterrupted even after the electrical activity of his brain has been temporarily shut down by means of colds, shocks, drugs, and many other means. This provides a strong support for the idea that the ultimate nature of memory is chemical rather than electrical. But short memories, such as those used to memorize phone numbers while dialing, are thought to be electrical in nature. Memories of this kind usually fade quickly. (But it's not gone.) Otherwise, we'd be lost in a horde of irrelevant bits and pieces of memory, unable to find the information we needed. put away.

Many experiments conducted on animals show that it takes several hours for "memories" to be printed into long-term memory. Learning does not immediately produce long-term memory in the neurons of the brain. It takes a certain amount of time to be able to memorize, and if during this time the brain

When you cause an activity that causes confusion in nerve cells, the memory disappears without being fixed. The fact that memory consolidation time is necessary means that a physico-chemical mechanism is working to create memory traces. Immediately after learning, it is thought that pulses are still circulating in the neural circuits that participated in learning, which is short-term memory. Short-term memory turns into long-term memory after the time required for fixation has passed. In short, the "memory trace" is initially maintained in electrical form, but is finally stored in chemical form as permanent memory.

Indeed, the idea that memory is stored at the molecular level only explains the vast capacity of humans to store knowledge and facts. It is estimated that a computer would require an area of magnetic tape equal to the entire surface of the earth in order to have enough memory to rival that of a single human being.

The still-unfamiliar name ``molecular neurology'' was given to this emerging field by MIT's Francis Schmidt.

Chemical approaches to memory began one after another.

Among them, Robert Thomson of the University of Texas and James V. McConnell paved the way for him.

They are the simplest creatures with something of the sort called a brain. However, in life that can be divided and understood, it is the most complicated organism. If you cut one animal in two, not only will a new tail grow on the head, but he will also grow a new head on the tail.

Thomson and McConnell used light or sound and electric shocks to create defensive conditioned reflexes. Her lanaria began to shrink when exposed to light. Hikaru said, "It became clear that the planaria had learned what it means to be shocked later. Then, after allowing him to experience the learned experience, he learned it again with less training than before." I confirmed that it will be like this.

Therefore, we cut this trained planarian in two and regenerated both of them. As a result, not only did planarians regenerated from the head half learn again with less training than before, but so did those regenerated from the tail half! How could it have been remembered?

As mentioned earlier, Holger Hiden had already developed the idea that memory might be stored in RNA molecules, just as genetic information is stored in DNA. I was forced to

So Corning and Joan at the University of Rochester cut a trained planarian in half and regenerated it in a solution of ribonuclease, an enzyme that breaks down RNA. Then, from the head again

The regenerated planaria had memories, but the planaria regenerated from the tail had no memory at all!

Therefore, the memory substance that remained in the planaria's tail was probably lipoic acid (RNA). It is conceivable. But it's also not without objections. This does not immediately prove that RNA stores memory. He says that RNA only acts as a stimulus.

However, these experiments have certainly made the RNA question very interesting in relation to memory.

Afterwards, these teams conducted various experiments, but the most sensational result was that when she grinded up her planaria, which were learned, and fed them to non-learned planarians, they were able to pass on memories to non-learned animals. It is reported that Did the eater actually acquire the memory of the eaten?

When G.R. Tiller reported this example,

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阿弥陀如来 命あるものすべてを救うべく誓いを立て、極楽浄土に導く

2023-07-27 07:20:20 | 運命学

 

阿弥陀如来

命あるものすべてを救うべく誓いを立て、極楽浄土に導く

 

 

 

 

阿弥陀如来(あみだにょらい)とは?

無限の寿命を持つことから無量寿如来ともいいます。限りない光(智慧)と限りない命を持って人々を救い続けるとされており、西方極楽浄土の教主です。四十八願(しじゅうはちがん)という誓いを立て、その中には「南無阿弥陀仏」と唱えたあらゆる人々を必ず極楽浄土へ導くとあり、広く民衆から信仰されました。ちなみに他力本願も四十八願の誓いから来ており、本来は阿弥陀様にすがって極楽に行こうという意味です。

 

阿弥陀三尊として聖観音と勢至菩薩と並ぶ姿が多いです。さらに二十五菩薩を従え、雲に乗って往生者を迎えにやってくるといわれています。そのほか来迎の様子をあらわす場合もあります。

ご利益

極楽往生、現世安穏のご利益があります。また、戌・亥年生まれ守り本尊です。

阿弥陀如来(あみだにょらい)の像容

釈迦如来と同じく装飾品は一切ないです。来迎印という印は、極楽浄土に迎えに来たことを意味していますよ。この印相は施無畏・与願印に似ていますが、第1指ともう1本の指をねじるのが特徴です。

 

特殊な例としては、宝冠阿弥陀像、裸形阿弥陀像、斜めうしろを振り返る姿をしている見返り阿弥陀などがあります。

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