風に吹かれて嵐を呼ぶ本屋 その2
避難所に メディスンマンの光は揺れて
あまりにも悲惨なステージの状況を見ていると、我々もここにこうして馬鹿みたいに物見胡散で会場を見学しているのも危険に思われた。
暴風にあおられて、テントがクルクルと玩具のように回転しながら我々の車に向かって飛んでくる。
誰かがさっきまで差していた傘であろうか、吹き上げられた風に捕まって、カラスのように天高く舞い上がり、アッというまに見えなくなってしまった。
有無を言わさず、危険であった。
そんな能天気に台風を見学している我々にむかって、スタッフであろう髯面の男が後ろから声をかけてきた。
「こんな所に居たら危険ですよ!非難してください!」
「ああ・・はいっ、わかりました、今すぐ非難します。」
危険を促す男に向かって、大きな声で俺は答えたが、その言葉さえ遥か彼方に吹き飛ばされたようだった。
髯の男は、乗ってきた派手な黄色の軽のバンに乗り込むと、自分についてくるように叫んだ。
その黄色のバンの後ろについて、我々の軽バンは避難を始めた。
轟々と容赦なく吹きすさぶ暴風雨は、巨大な怪獣を髣髴させ、人間の無力さを思い知らしているようだった。
我々ピースアイランドの車は、多くの絵本を積んでいるせいだろうか、強風に煽られても少し揺れる程度で、転倒する危険性は少ないように思われた。
しかし、我々の前を先導するスタッフの黄色のバンは、そうでもないようだ。
時折吹く、想像以上の強風にあおられ、グラッと車体が揺られて、今にも転倒しそうだ。
数度の強風が連続して吹き荒れた瞬間、、グラリと揺れたかと思うと、右側のタイヤが地面から離れ、黄色の車体がストップモーションでも見るかのように、あっけなく転倒した。
「ああああ・・・・・!」
そう叫ぶ暇もなく、我々は車を止め、髯男の救出に向かった。
黄色の車体の側面はグニャリとへこみ、フロントガラスには蜘蛛の巣のような模様のヒビが入っている。
激しい雨と風が、容赦なく我々を攻撃し、ずぶ濡れだった。
「おーい!大丈夫か?」
俺は、恐る恐る車の中を見た。
呆然となった髯男が、ハンドルを握ったまま、横倒しになっている。
「おーい!」そう叫びながら、ヒビだらけになったフロントガラスを手で叩いてみた。
男は、ハッと気を取り戻したように、こちらを見た。
言葉も無くこちらを見、顔面蒼白になりながらシートベルトをはずしている。
俺は横倒しになったドアを、強風に煽られながらも何とか開き、彼の腕を掴んで引っ張り上げた。
大雨が小さな石飛礫のように顔に当たり、目を開いているのがやっとだった。
「大丈夫か?」俺と中上さんは、髯男に向かって大声で叫んだ。
「だ、大丈夫だ・・なんとか・・・」そう言う男の額には、小さな擦り傷が出来ていた。
3人ともアドレナリンが大量に放出され、異常に興奮し、冷たさや痛みさえ感じていない。
男を転倒した車から救いだすと、急いで我々はピースアイランドの軽バンの中へと避難した。
そして車の中へ入り、ずぶ濡れになった顔を拭きながら気を落ち着かせた。
「・・・ありがとう・・・」髯男は、蒼白な顔に少しだけ血の気を呼び戻しながら言った。
「ああ・・危なかったな・・・」中上さんが答えたが、俺は無言のまま少し笑った。
頬に赤みが差してきた頃、男は車の中を見回しながら言った。
「ものすごい量の絵本ですね!」
「岐阜の高山で、絵本屋をやっているんです」中上さんが答えている。
「ああ?ひょっとしてピースアイランド?ガンノスケさんのお友達ですね?」
髯の男は、主催者のガンノスケの知人であるようだった。
「それにしても、すごい絵本の山ですね・・・」また本の山をまじまじと見ながら驚嘆してように髯男は言った。
「この絵本の重さで車が倒れなかったのかもな・・」俺は笑って言って見せた。
「そうかもしれない」といった表情で、2人は笑っていた。
少し落ち着き、風も弱くなってきたので、我々は急いで避難場所へ車を走らせた。
男に案内してもらった避難場所は、大山の麓にある鄙びた小学校の体育館だった。
小さな体育館とはいえ、今の我々にとっては宮殿のような避難場所である。
先に避難している人々が大勢たむろしていて、さしずめ難民キャンプのような様相を醸し出している。
ある意味、我々も嵐からの隠れ場所を求める難民なのかもしれない。
金に余裕のある奴は、近所のペンションや旅館に避難したらしいが、我々のような貧乏人は体育館が分相応というものであろうか。
有難いことに、体育館の入り口では、おにぎりとパンを配っていた。
避難場所としては、至れり尽くせりと言うべきだろう。
体育館上空の空は暗雲垂れ込め、今だに台風の猛威にさらされたままだった。
ゴーゴーと呻る風は、体育館の中にも響いて不安な気分にさせる。
ずぶ濡れになった台風難民達が、館内に散らばったように座り、体や顔を拭いている。
日本人ばかりではなく、アメリカ人や国籍不明の人々、所々に混じっているようだ。
中には羽飾りを着けたネイティブ・アメリカンの衣装をまとった人達もいた。
外はしだいに黄昏て、体育館の中は暗くなり、隣の人の顔も判別できない。
「電気がきていないので、ローソクを使ってください!」
スタッフであろう人が大声で叫び名が、ローソクを配っている。
配られたローソクが、あちこちで点灯し、大聖堂のように荘厳な雰囲気を醸し出している。
その光景は、嵐からの隠れ場所に似つかわしい。
俺と中上さんも配られたローソクに灯を灯し、一段落した気分になった。
真っ暗な体育館に点々と灯されたローソクの灯を見ていると、何か祈りの儀式でも行っているかのような雰囲気に見えた。
ゴーッと体育館の壁に吹き付ける風も、少しづつ弱くなってきたいるようだ。
疲れているのだろう、避難した台風難民の話し声もまばらで少ない。
ゆらゆら揺れるローソクの炎を見つめていると、昔の出来事や未来の希望が見え隠れする。
ローソクの炎に照らされ、薄ぼんやりと見える中上さんや体育館の天井を見つめていると、今ここに居合わせた人達が、前世からの友人でもあるかにように錯覚してしまう。
台風の中の体育館は、ローソクが無ければ宇宙空間に漂っているといってもよいほどの暗闇だ。
ローソクの灯火は、我々の太古の遺伝子の記憶さえ呼び覚まさせるかもしれないと思う。
唐突に、ネイティブ・アメリカンの太鼓の音が体育館に鳴り轟き、無口になった人達をハッとさせた。
ドコドコドコ・・・・ドンドンドンドン・・・・・・
心の奥底に響くような音色だった。
そして、祈りの歌が響き渡った。
スタッフが皆に呼びかけている。
「メディスンマンのロバートさんが、我々の旅と我々の未来を祈ってくれるそうです。」
「皆さん!ローソクを消してください!」
そう言われるがまま、我々はゆらゆらと揺れるローソクに息を吹きかけ、フッと炎を消した。
周りは漆黒の闇が訪れ、自分の手の爪さえ見ることが出来ない。
大小のドラムの音が鳴り、メディスンマンの祈りが始まった。
真っ暗の闇のなか、音だけが動物のように動き回っているようだった。
時折、蛍のような緑色の光が体育館の上空を飛びまわっていた。
しかし蛍の光ではない、まるで線香花火がパチパチとはじけるような緑の光だった。
あれはいったいなんだったんだろう・・・・
ネイティブ・アメリカンの祈りの儀式には、不思議な現象がつき物だと言う。
あれも、その現象の1つだったのか?
今は、深く考えるのは止めよう、この祈りの瞬間に浸っていよう・・・そう俺は思った。
数十分のメディスンマンの祈りが続いた。
意味も無く安らいだ気分だった。
知らない間に風がやんでいた。
知らない間に、台風は過ぎ去ったようだった。
この僅かな間の平和を、神に感謝したい気持ちになっていた。
我々は、そんな気持ちのまま外に出た。
オゾンで満たされた空気は、命と心を蘇えらせてくれる。
台風一過の夜空は、銀河の星々が燦然と輝き、我々が宇宙の一員であることを教えてくれているようだった。
風に吹かれて嵐を呼ぶ本屋 その1
風ニモ負ケズ 青春が?行く!
1990年岐阜の町は、台風19号に襲撃されようとしていた。
岐阜県のみならず、日本全土が19号台風に飲み込まれる前日であった。
しかも1990年といえば、昭和ではなく平成である。
昭和青春画報には似つかわしくない事はなはだしい!
岐阜県に「平成(へなり)」という地名があったが、市町村合併の嵐の吹きすさぶ真っ只中、まだ存在しているのであろうか?
「渡る世間は鬼ばかり」は「へなりかずき」であったか?「えなりかずき」であったか?・・・・・
・・・・んな事はどうでもよいのだ!
話というものは、それるというのが人生の常というものである。
1990年夏、鳥取の大山(だいせん)の麓で大規模なコンサートが開催されようとしていた。
コンサートの名は「いのちのまつり」と呼ばれていた。
ヒッピーもどきの連中が大量に押し寄せ、三日三晩踊り明かすという荒唐無稽で非常識なお祭りコンサートだった。。
俺は、飛騨高山で絵本専門店を経営している中上さんと、そのコンサートへ急遽行くことになってしまった。
深夜に高速道路をぶっ飛ばして、次の日には大山に到着しようという算段だった。
その日の深夜に中上さんは、俺の家にやってきた。
軽自動車のバンの横には、「子供の本屋・ピースアイランド」とロゴが書いてある。
両脇には、ウサギとペンギンの絵が呑気そうに踊っている。
荷台には、信じられない程の大量の絵本の山が積んであった。
後になって、この大量の絵本が我々の命を救うことになろうとは、まだ知る由もない。
それから俺は、その軽バンのハンドルを握り、名神高速道路をぶっ飛ばしたのだった。
まだ台風19号は上陸はしていないが、風は徐々に強くなっているようだった。
少しばかり強い風の中、我々のボロい軽バンは大量の絵本を積載したまま、一路鳥取の大山へと向かった。
高速道路には行きかう車も少なく、雨粒が道路に跳ね返り、霧のように道を曇らせている。
風雨の強さが、しだいに台風の接近を感じさせるようだ。
フロントガラスに当たる雨粒が、しだいに大粒になってくるのがわかる。
ヒューヒューと、密室の自動車の中でも、外の風の音が聞こえてくる。
米原にさしかかったころ、中上さんが独り言のように言った。
「太平洋側は、風は大丈夫やろうか・・?」
俺も、独り言のようにつぶやいた。
「暴風雨かもな・・・・」
そう言った瞬間に、俺は北陸自動車道の方角へハンドルを切った。
我らのボロ軽バンは方向を変え、名神高速道路から北陸自動車道へと走っていくのだった。
案の定、日本海側の雨風は、まだ強くなかった。
ヒューヒューと風の音はしていたが、まだまだ台風の影響は少なかった。
誰も居ない道路を深夜に走らすのは、寂しさと爽快さがミックスされ、奇妙で不思議な気分にさせられる。
ましてや、見知らぬ土地を深夜に走るのは、不気味ささえ加味されエキサイティングであった。
遠くに見える家の明かりは、深夜放送を聴きながら受験勉強をする高校生でも居る、家の明かりだろうか。
あるいは、さっき息を引き取った身内を見取りながら、泣き崩れる人々がいる家の明かりであろうか。
深夜の暗闇の中に描かれた妄想や空想が、切なさや寂しさを引き連れてくるようだった。
時折、ヘッドライトに映し出される木々が、風に揺られて妖怪のように見える瞬間がある。
いや、あれは風に揺れる木々ではなく、本当の妖怪だったかもしれない・・・
見知らぬ土地の暗闇には、見知らぬ精霊が宿っているかもしれない。
休むこともなく見知らぬ日本海の道を走る我々は、何かの道を究める求道者のようだった。
カセットテープから流れる音楽も、なんだか祈りの言葉のように聞こえた。
何のためにここまでやって来たのだろう・・・そこまでして、それを成す意味があるのだろうか?
意味は無い!
価値もない!
無駄でさえある!
そうだ、それが青春というもんだ・・・しかし、我々の年齢は、すでに青春という時期を過ぎて久しい。
だが、しかし、それでもやっぱり青春と呼んでしまおう!
誰にはばかることもなく・・・!
我々は、ボブ・ディランの「風に吹かれて」を大声で歌っていた。
The answer, my friend, is blowin' in the wind,
The answer is blowin' in the wind.
こんな歳になってしまっても、まだ風の中の答えを見つけ出せないでいるのか。
「完結されない寓話、完成できないファンタジー、それが青春というものなのか?」と、朝日に向かって叫びたい、呆れて物も言えないくらい良い気分だった。
東の空が、薄っすらと明るくなってきた。
朝焼けの神々しい光が空全体を覆い、町や木々や道をヴァーミリオン照らし出していく。
すべての過去が新しい価値観に更新され、開放された心が希望に満ち溢れる瞬間である。
・・・となれば最高なんだが、しかし、それはなんというか台風が接近中の天候である。
雨交じりの曇った空が、じみじみと白みかけ、じみじみと明けてゆくばかりの地味な朝だった。
心洗われる朝焼けでも拝めたなら疲労も吹っ飛ぶものを、こんな朝では疲労感が重くのしかかるだけだった。
信号無視はする、法定速度は守らない、超ハードなドライブだったため肉体疲労がピークに達していた。
嵐からの隠れ場所でもないものかと考え、地図を広げた。
当然、それは温泉を探している他に考えられない。
山陰海岸から山間部に向かい、我々は湯村温泉へ行くことに決定した。
湯村温泉といえば、あの、死ぬ死ぬと言いながらチットモ死なかった吉永小百合・主演の「夢千代日記」の舞台となった温泉である。
風情のある簡素な温泉街であり、どこか懐かしささえ感じる町並みだった。
銭湯のような薬師湯の前では朝市が開かれ、我々は胡瓜と茄子とトマトを買った。
薬師湯の温泉の湯は熱く、疲れが温泉の湯とともに流れていくよな心地よさだった。
こんな時こんな温泉に入ったならば、日本人なら必ず「ぷふぁぁ~!」と叫んでしまうものだ。
「ぷふぁぁぁ~~・・」我々も当然のことながら、心地よいため息をついていた。
若いという字は苦しい字に、似てはいない!むしろ楽しいと言う字に似てほしいものである。
温泉で体力を回復した我々は、一路鳥取の大山へと車を走らせたのだ。
鳥取の砂丘を右に見ながら、ルート9号線をひたすら走っていく我々の目に映し出されたのは、果てしなく広がるラッキョウ畑だった。
細い葱のような葉が一直線に何列も続くラッキョウ畑に、我々は人類の明るい未来を感じたものだ・・・って、こんな時そんな事考えるわけもない。
なんだかんだと言っている間に、まるで富士山のように均整のとれた大山の稜線が目に入った。
台風も徐々に接近し、風が勢いよく通り抜ける道路には行き交う車もまばらであったが、大山の雄大なフォルムを目にした時、ちょっとばかり安堵の気持ちが湧き上がってきた。
しかし、雨も次第に大粒になり、激しく容赦なく横殴りに降ってくる。
ヒューヒューと呻っていた風も、ゴーゴーという塊のような風圧を感じさせる風に変化していた。
時折、突風のような風の塊に、ボロ軽バンがユラッと揺れる。
「おお!すげーな!」
揺れる車を感じながら、中上さんが言った。
「こんなんで、本当にコンサートやっとるんかい?」
俺は、半信半疑で言ったのだった。
突風の影響で、瀕死の馬のように走る我らの軽バンは、大山の山道を、あまり軽快とも言えないスピードで走っていく。
両脇の森の木が、苦しく呻っているようだった。
大量の雨粒の攻撃で、フロントガラスも滝のようになってしまって、前もよく見えない。
岐阜ナンバーの、のろのろ走る我々のスピードに苛立ったのか、赤い洒落たスポーツタイプの車が、勢いよく我らの軽バンを追い抜いていった。
そして、すぐさま視界の悪い強風の中に消え去っていった。
台風のような風圧の強い風は雨を伴なって、自らの風の形態を人間の目にも見えるようにしてくれる。
雨粒が風にへばり付き、風の行方が目に見えるのだ。
渦巻く風雨は、まるで怒れる龍のように森と森の間を飛び去ってゆく。
我々人間は成すすべも無く、そんな自然の猛威をただただ眺める他に手はない。
そんわけで我々岐阜県民2人は、しばらくの間、ボロ軽バンを停止させ、少しでも風がゆるくなるのを待った。
大山の山麓は迷路のようで、地図を見てもサッパリ判らなかった。
大きな道路を主に、細い道が毛細血管のように、あちらこちらに張り巡らされているようだ。
松林が多く、松茸でも取れそうな風景が山頂付近まで続く。
仮眠を取りながら、1時間以上待ったが、そんなに風雨はゆるくはならなかった。
「仕方がないな、行くか?」の中上さんの一言で、意を決して山頂近くのコンサート会場へおもむく事に相成った。
ぐるぐる山道を走っていくのは妙に心細い、ましてや台風のさなか、いったい何を好き好んでこんな事やってるのか、そう自問自答したくもなる状況である。
林と林の間の細い道を走り抜ける瞬間、赤いスポーツカーが道からはみ出し、横転しているのがチラリと見えてしまった。
「あっ!あれさっき追い抜いていった車じゃねーの!?」
中上さんが、後ろを振り返りながら、俺に言った。
「おお!そんな感じやったぞ!」
たぶん、強い突風にあおられ転倒してのだろう。
「助けるべきかな・・?」
「いや、やめとこう!」
「血まみれの死体だったら嫌だしなっ!」
「首とか千切れてたりとかなっ!」
「内臓破裂で、車の中がグチャグチャとかな・・・」
などと妄想を脹らませながら走っていたので、転倒した車など陰も形も見えない遠くへ走ってきている。
「まぁ、見に行くのは無理だな・・」と、結局ほったらかしにすることに決定した。
この強風のさなかである、二次災害ということにもなりかねない状況でもあった。
我々の車は、細い曲がりくねった山道を登りながら、雨にも負けず突風に吹き飛ばされることもなく、コンサート会場の駐車場に到着した。
こんな暴風のなか、ヒッピー風な人やそうでもない人々が大勢たむろしている。
もう夕方近くになってしまっていた。
妙に皆ざわついていて、コンサートをやってるような気配もないようだ。
車に書いてある「ピースアイランド」の名前を見て、中上さんの知り合いらしき人物が声をかけてきた。
今回のコンサートの主催者のガンノスケである。
「今着いたんですか?」
「昨日の夜出発して、さっき着いた!」中上さんは答えた。
皆がざわついているのが気になって、男れは聞いてみた。
「コンサートは中断してます・・」
この暴雨風雨にの悪天候である、当然であるといえば当然であった。
それにしても、この大勢の人々はどうしてしまったというのであろう。
「今、避難場所を確保しようと、どこか探してるので、もうちょっと待って・・。」
ガンノスケは、あわてた様子でそう言って、どこかへ消えていった。
この群集と言べきか避難民というべきか、どうも台風の影響でどこかへ非難している途中のようであった。
しかし、避難場所も確保できない状況のようで、皆どこにも行けず右往左往しているのだった。
「やっぱなぁ・・・」俺はつぶやいてしまっていた。
「この暴雨風雨の中、コンサートは無理やって・・・・!!」
そう言いながらコンサート会場を、風雨吹き荒ぶ中、2人は会場を見に行ったのだった。
ゴォー!!っと地響きをたてながら、広いコンサート会場を飲みこみ暴風雨がのた打ち回っていた。
2人は「アッ!」と驚いたのだった。
舞台にセッティングされたテントは吹き飛ばされ、支柱となる鉄柱は雨細工のようにグニャグニャに折れ曲がって、見るも無残なステージの有様だった。
台風19号は、そんな事など容赦なく、雨と風を引きつれ大山の上空を荒れ狂っていたのだった。
別の人に聞いてみたら”ヤブタ・パラダイス”は実在したそうです。
ヤッタ~!・・て、他人にとっちゃドーデモいいことなんですけどね(笑)
伊勢湾岸の田んぼの中にある三重県の長島スパーランドみたいな一代レジャーランドにする計画だったらしいけど消滅したみたい・・・・
長島スパーランドも、その昔”長島温泉パラダイス”みたいな名前じゃなかったかなぁ???
どーでもいい話ですがね。
”パラダイス”とか”ユートピア”の名前は、やっぱり平地で田んぼの真ん中にある建物でないといけません。
深山幽谷に、そんな名前の物があったら、どこぞの怪しい団体みたいで不気味この上ない!
星空マン
星空マンは、真っ暗な夜空に宝石の星を瞬間接着剤でくっつけていく。
いつもなら漆黒の闇夜の空に蛍光ペンキで星を一つ一つ描くだけの仕事なんだが、今夜は特別な夜なのだ。
冬の特別な夜といえばたいていは決まっている、クリスマスイブの夜だ。
その日だけ星空マンは、夜空の星となる輝く宝石の一つ一つを、手を抜くことなく丁寧に貼っていくのだ。
とても根気の要る作業であるし時間も限られているので、星空マンにとってはきつい仕事ではあった。
しかし今日は特別な夜なのだ、愚痴ってばかりもいられない。
赤い星はルビー、紫色の星はサファイア、などと決まっているわけではないが、星空マンはそれらの宝石を選んで夜空に貼り付ける。
星の材料は、宝石と呼ばれるような特別な石ばかりではない。
花崗岩の一部分を加工したり、砂の中に金色に光る雲母を使ってみたり、また、アンモナイトの化石や恐竜の牙の化石を使ってみることもある。
毎年毎年違った宝石で、クリスマスイブの夜空の星星を飾り立てるのである。
それはすべて星空マンの気分によって決められている。
「今日はちょっと予算オーバーだったので、銀河系の星はガラスの破片にしておくか・・・」
星空マンは、高価な宝石を買いすぎたのを少し後悔していた。
「サウザンクロスの星を、大きなダイヤモンドにしたのが予算オーバーだったな・・・来年はジルコニアくらいにしておこう」
星空マンは独り言をつぶやきながら、残り少なくなった仕事を手早く進めていた。
「もうちょっとでイブの夜空も出来上がりだ」
「仕上げは、プレアデス星団付近の星を貼り付ければ終わりだな・・・」
星空マンの得意な歌は「オーバー・ザ・レインボー」・・・・・映画オズの魔法使いで主人公のドロシーが歌った歌だ。
仕事の仕上がり近くになると、星空マンは必ずこの歌を歌いだす。
鼻歌で歌ったり、歌詞をつけてうたったり、とても気分の良いときには絶唱したりして悦に入る。
星空マンは、今日は鼻歌を歌いながら星1つ1つに接着剤を塗っては貼っていく。
プレアデスの一つの星に接着剤を塗ろうとした瞬間、星にするはずだったラピスラズリがポロリと星空マンの手からすべり落ちた。
「おっと!しまった、うっかりだね!」
地上に落ちていくラピスラズリを眺めながら、星空マンは作業用のブランコをユックリと地上に降ろし始めた。
カーンカーカンカンカン・・・と甲高い音を立てながら、何か硬いものが屋根に落ちてくるのを、少年は聞いていた。
そして、それはポトンと少年の庭の花壇に落下した。
少年は庭に出て、その石を拾ってみた。
「隕石かな・・・・」少年は、そのこぶし大の大きさの丸い青い石を眺めた。
そのラピスラズリは、深い海のような青さで所々に金色の文様が銀河のように浮き出ていた。
「綺麗な隕石だな・・・」
少年は、また訝しげにラピスラズリを眺めてみた。
「それは、僕のラピスだよ!」
突然に少年の上空で声が響いた
「うわぁぁ!化け物!エイリアン!妖怪!ターミネーター!」
少年は、ありったけの大声を出して叫んだ!
「僕のような紳士を、化け物呼ばわりとは失敬だね!」
星空マンは、少年のあまりの声の大きさに少しビックリしたが、やさしく冗談っぽく言った。
少年は自分の上空を眺めながら驚いたままポカンとしたまま立ち尽くしていた。
そして少年は、気をとりなをして強く言った。
「こんな夜中に空から降りてくる人間なんか、化け物以外の何者でもないぞ!」
「うぅ・・・ん、たしかにそのとーりだね・・・」
星空マンは、自分自身で納得したかのように小声で言った。
そう言いながら星空マンはブランコを下におろして、自分も地面に降りた。
少しおびえる少年の前の出て、星空マンは自己紹介をする。
しかも紳士的な振る舞いだ。
黒いダービーハットを脱ぎながら、星空マンは言う。
「僕は星空マンというものだ、この地球の星空を描くのが仕事だ」
黒いタキシードの襟を撫でながら、星空マンは少年に気取った言い方で言った。
「やはり宇宙人なんだね、UFOはどこにあるんだ!」
少年は勝気な勢いで星空マンに挑むように叫ぶ!
「いやいや、宇宙人ではないよ、ただの人間さ!」
星空マンは、少年の言葉をやさしく否定した。
「夜の空から降りてくる奴が宇宙人じゃないって・・・ありえない!」
少年は真っ向から信じようとはしていない様子だった。
星空マンは返す言葉もなく、しばらく黙ってしまったが、気を取り直して言った。
「君たち人間は知らないだろうが、空模様というのは僕たちが塗っているんだよ」
「あっ・・・僕たちっていうのは、夕焼けマンとか朝焼けマンとか春一番マンとか、そんな芸術家のことだよ」
「なんていうか、その・・・親方の委託を受けて空を塗っているんだ」
「そうそう、僕たちが空を塗らないと空は真っ白なままなんだ・・」
なんだか、しどろもどろで話す星空マンは滑稽な感じだった。
その滑稽さに少年は、少し安心したようだった、そして言った。
「人間なのか・・・?」
星空マンは言う。
「元人間といったほうがいいかもしれん・・」
「じゃ、今は宇宙人?」少年は聞き返す。
「いや・・・今もやっぱり人間みたいなもんか・・僕にもよくわからんな!」
笑いながら星空マンは言ったので、少年もつられて少し笑った。
「君の持っているラピスラズリは僕のもんなんだ、プレアデスの星にする予定の石なんだ」
少年の持っている青い石を指差しながら星空マンは言った。
「これが・・・星?」
少年は手に持ったラピスラズリを見てつぶやいた。
「それを返してくれないか、早いとこ仕事を終わりたいんでね」
星空マンは、そう言いながら少年の前に手のひらをだした。
少年は青い石を渡そうとしたが、すぐにひっこめてしまった。
「うぅ・・・・ん・・なんだか疑っているんだね、無理もないか・・・」
少し考えて、星空マンは少年に言った。
「君も星を貼るのを手伝ってくれないか・・・・うん!そうだ、それがいい!」
星空マンはそう叫ぶと、少年が「いやだっ!」と叫ぶ暇もないくらいにすばやく少年を両手で抱きかかえ、ブランコに飛び乗った。
星空マンのブランコは、物凄い勢いでクリスマスイブの上空にせりあがっていく。
夜の冷たい空気を切っていくように、ブランコは少年の町の上空を登っていく。
町がまるで銀河の星ように輝いている。
町と夜空がさかさまになってしまったかのような光景に少年はビックリしたが、あまりのスピードに声も出ないくらいだ。
ナイトクルーズの飛行船ツェッペリン号の横を高速で横切り、綿飴のような雲の中をあっという間に通り過ぎ、風神雷神が仰天している顔を眺め、少年と星空マンの乗ったブランコは夜の空へドンドン上っていく。
そして、しだいにブランコの速度がユックリになったかと思うと、輝く星星が手で触れるくらい目の前に現れた。
「はい、終点です」
星空マンはそう言った。
少年は声がでないくらいだったが、首をこっくりと振って見せた。
終点には大きな作業台があり、その台の上には色とりどりの宝石や石がバケツの中に収められていた。
「もう時間が無いんだ、そのへんの宝石の入ったバケツをありったけ夜空に向かってばら撒いてくれないか!」
少年はうなずいて、そばにあったバケツを夜空に向かって大きく振った。
キラキラと星の輝きを発しながら、砂の数ほどの宝石が夜の空へばら撒かれていった。
それは夏の夜の花火のようでもあり、誕生日のクラッカーが飛び散る様にも似ていた。
大きなバケツの光り輝く星のクラッカー!
真っ暗だった夜空の部分には、にわかに星が輝き始めクリスマスの夜を素敵な夜にしてくれる。
「おっと、最後にはプレアデスの星をくっつけなくっちゃね!」
そういいながら、星空マンはいくつかのラビスラズリを夜空に貼り付けた。
「最後は、君の持っているラピスラズリだけだ・・・」
「・・・と思ったけど、そのラピスラズリは君に進呈しようじゃないか!」
「手伝ってくれたお礼だよ・・」
星空マンは、少年に向かってガッツポーズをした。
「ありがとう!」
少年もガッツポーズをしながら、星空マンにお礼を言った。
2人は「イエィッ!」と叫びながら、パチンと手のひらを合わせた。
「さぁ、君の家に帰るぞ!」
そう言うが早いか、また星空マンは少年を抱きかかえてブランコに乗った。
星空マンのブランコは、また元の少年の町へ急降下しながらアッというまに戻っていく。
しだいに速度がゆっくりになり、ブランコは少年の家に到着した。
もうそろそろ少年のお父さんが残業から帰ってくる時間だ。
そして、あと少しでクリスマスになる時間でもある。
星空マンは少年に言った。
「またな!」
少年は言った。
「またな!」
2人は同時にクスリッと笑った。
星空マンは、アッというまに煌く星空のかなたに消えていた。
少年の手には、少しひんやりとしたウルトラマリン色のラピスラズリの球体が残っていた。
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青空マンとクラウドガール
青空マンとクラウドガールからの招待状が、私の郵便受けに入っていたのは1週間前のことだった。
招待状とは、結婚式の招待状だ。
青空マンとクラウドガールの結婚は、空模様職人組合の、いわゆる職場結婚というやつである。
私と青空マンとは、彼は人間だったころからの長い付き合いなのだ。
人間だった頃とは言ったものの、今でも人間であることには間違いないと思うのだが、私には確証は無い。
随分と年月は経っているのに大して見た目が変わらないとか、どこからやって来るのかどこで生活しているのか皆目見当がつかない、など不可思議なことが多くありすぎる。
とはいうものの、彼と私は無二の親友という関係であることは、今も変わりはない。
特に共に絵画を学んでいる学生の頃、絵の具をムラ無く塗るコツを教えたのは私なのだから、今でも彼はそのことを恩義に思っていてくれるようだ。
律儀で裏表の無い彼の性格には、私も友情を感じないわけにはいかない。
私はとうに画家になる夢は捨ててしまったが、彼の場合は夢を実現したといってもいいだろう。
彼は夢の実現に努力を惜しまなかったということであろうか。
そんな彼の晴れがましい結婚式である。
出席しない理由は無い。
招待状と共に、彼のメッセージがしたためられていた。
文面はこうだ。
「やぁ、元気かい!?君のことだから、毎日忙しく元気にしていると思う。
今度、同じ空模様職人組合の同僚のクラウドガールと結婚することにした。
本当は(雲女)というんだが、皆はクラウドガールと呼んでいる。
良く泣く泣き虫の女性なんだが、そこがまた可愛いんだよ。
雲の描き方は超一流だ。
青空マンの僕と違って、毎日違った複雑な文様を描かなければならない根気のいる仕事だよ。
すばらしい女性だ、君も彼女に会ったくれたなら彼女の素晴らしさを理解できると思うよ。
是非、結婚式には出席してくれるように切に願うよ。
結婚式場は、君とよくキャンプに行って芸術論など交わした、あのブナの森の中だ。
結婚式の会場としては、最高の場所だと思わないかい?
何ももってこなくていい、君さえ来てくれればそれで充分だ。
必ず来てくれよ。
では、よろしく。」
彼らしい文章であると、私は嬉しく思った。
結婚式の当日は、自分の式でもないのに妙に落ち着かない。
私が晴れがましい場所が苦手という理由もあるのだが、無二の親友の結婚式であるという理由もある。
私は、ちょっとウェストのきつくなってしまった古いタキシードを着て、早朝の町の中を車を走らせ、結婚式会場である懐かしい思い出の森へと急いだ。
画学生のころ、何も予定の無い週末には、必ずといっていいほど彼と一緒にキャンプをしていたものだ。
特にあのブナの森の中には、よく足を運んだものだ。
鬱蒼としたブナの原生林が空気を浄化して、我々の精神さえ浄化してくれているかのようだった。
日がな一日議論しあった芸術論でさえ無意味に思えるほどの深い森の静寂・・・・
それを感じるだけでも、あの時間はとても価値があったといえる。
そんな崇高とも神聖とも呼べるような場所を、結婚式場に選ぶとは、本当に彼らしい。
「彼らしい・・・彼らしいな・・・」
私は若い頃の色々なことを思い出しながら、何度も呪文のように独り言を言っていた。
町の車の渋滞もさほどでもなく、予定どうりの時間に、あの思い出のブナの原生林に到着した。
そのブナの原生林は、昔とまったく変わりなく、鬱蒼として静かで神聖な雰囲気を醸し出していた。
遠くから、大勢の人の話し声が聞こえてくる。
私は、その声の聞こえる方へ足早に歩いていった。
案の定、大勢の人々が雑談などしながら結婚式の始まるのを待ち構えている。
ダービーハットを被ったタキシードの紳士や、昔のフォークシンガーのような青年や、普通の少年や老人まで多くの人々が、青空マンとクラウドガールの結婚を祝福してくれているのだ。
私は、その大勢の人々の中から、見覚えのある彼の顔を捜した。
「お~い!」
私の後ろで、懐かしい声が響いた。
「やっと着いたんだね、まっていたよ!」
今は青空マンと呼ばれている、私の友人だった。
「今着いたところだよ、久しぶりだね!」
「懐かしいな!元気だったかい?」
「元気だったよ!君の方は元気かい?」
などと挨拶代わりのとりとめもない会話を交わしながら、私は彼との久しぶりの再会を楽しんでいる。
「彼女を紹介するよ!」そういいながら、彼は遠くにいる彼女を呼び寄せた。
「はじめまして、雲女です、スパイダーガールじゃないわよ!」
いきなりの冗談に、微笑まないわけにはいかない。
私は、スパイダーマンのスパーダーネットを発射する手のひらの格好を真似て見せながら言った。
「クラウドガールでしょう、彼から聞いていますよ」
そして、彼女と握手をした。
彼女の表情に曇った様子もなく、泣き虫の女性とは思えない屈託のなさである。
若干、瞳がウルウルしている表情が、彼女を綺麗に見せていた。
「もう式の時間だ、あとでユックリ積もる話でもしよう!」
そういいながら、新郎新婦はメインステージに歩いていった。
空気は清浄で、物音といえば鳥の鳴き声と小川のせせらぎの音だけだ。
時折吹き抜ける風は、緑の匂いやフェトンチッドを含んで心地よい。
ブナの原生林の少し湿気を含んだ大気は、私たちの心を幸せな気分にさせてくれているのだ。
そして言うまでもなく結婚式は、盛大に神聖に行なわれ、人々を感動させた。
式が終わり、披露宴が終わり、とても短く感じる至福の時間が過ぎていった。
私と彼との昔話は終わることがない・・・・
しかし、別れの時間はやってくる。
「もうそろそろ帰らなくては・・・」私は、残念そうに言った。
「そうか・・・・時のたつのは早いな・・・」青空マンが言う。
私は少し微笑みながら、友人を強く抱きしめた。
「またいつ会えるかわからんが、手紙ぐらいくれよ!」
「そうだな」
青空マンはそう言いながら、私をもう一度抱きしめた。
あの青空マンとクラウドガールの結婚式が昨日のことのように思いおこさせる、数年たったある日。
1通の手紙が届いた。
青空マンからの手紙である。
私は、あせる気持ちで封を切った。
彼からの手紙の内容は、こうである。
「元気かい?結婚式に遠路はるばる来ていただき感謝感激だよ。
短い時間だったが、君と話しが出来てよかったよ。
突然だが、僕たちに子供が出来たんだ。
1歳になるんだが、虹ボーイというんだ。
もう空に虹を描くことができるんだ。
空の虹は、僕の息子が描いている。
来週の日曜日、あの森に家族でキャンプに行くんだよ、君も来ないかい?
待ってるよ!
青空マン&クラウド・ママ」
私も、妻と子供をつれて、あのブナの原生林に出かけることにしよう。
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朝焼けマン
老人は朝焼けに染まった土手の上を、今日もジョギングしている。
年をとるにつれ、どうにもこうにも朝が早くなって困る・・・と老人は早朝の空気を感じながら考えていた。
「こう暗いうちから眼が覚めてしまうと、ジョギングでもしないと一日が持たんというもんだ」
そうつぶやきながら、老人はハアハアと息をきらしながら走っていった。
ふと老人は、いつのも土手の上に見なれない青年が座っているのに気がついた。
長髪で無精ひげを生やし、見るからに芸術家タイプの青年であった。
老人も若いころは長髪であったことが思い起こした。
ふさふさとした髪の毛が風に吹かれる感覚は心地よいもんだったなぁ・・・、老人は突然若いころのことを思い出していた。
今はもうほとんど無くなってしまった短い髪の毛を手でなでながら、老人は青年の近くでジョギングの足を止めた。
「おはようございます」
老人は青年に向かって丁寧に挨拶をしてみた。
「おはようございます」
青年も老人の方っを振り返って丁寧に挨拶をした。
「今日の朝焼けは特別に綺麗ですねぇ・・・」
老人は青年の横に座りながら言った。
「そうです!今日の朝焼けは特別に出来がいい!」
青年は、さも自分の作品でもあるかのように自慢げに言った。
そう言いながら、青年は水筒のコップからコーヒーを美味しそうにすすった。
「おじいさんもどうですか?」
そう言いながら、青年はコーヒーを老人に勧めている。
「美味そうなコーヒーですな、じゃ、いただきましょう」
老人はお礼をいいつつコーヒーの入ったカップを受け取り、一口飲んだ。
ジョギングで乾いた咽に、コーヒーの芳香がじんわりと染みとおっていく。
「美味い!美味いコーヒーですね!」
老人は、思わぬ御馳走をもらったかのように少し興奮ぎみに言った。
青年は笑みを浮かべてコーヒーをもう一口すする。
「朝焼けというものは良いもんですね。新しい命が誕生していくようなすがすがしい気分になります」
老人は、コーヒーの湯気にむせながら言う。
「そうです、朝焼けはいい!とくに出来のいい日は気分も最高です!」
青年は言う。
「出来のいい朝焼け・・ですか?やはり朝焼けにも出来不出来があるもんですかね・・・?」
老人は、青年の妙な言い回しが気になって仕方がない。
「そうですよ、出来不出来があるんです、今日は出来が良いので、こうして自分の作品を眺めているところなんですよ」
青年は遠く眼をやり、朝焼けの綺麗さを自慢しているようだった。
「朝焼けが君の作品なのかね・・・・?」
老人は、ちょっと怪訝な気持ちで答えた。
「なんてね・・・冗談ですよ」笑いながら青年は言う。
「むふっ・・・そうだろうね」苦笑して老人は答えた。
「僕の人生最高の喜びは、こうして出来具合のいい朝焼けを眺めながらコーヒーを飲んでいる瞬間ですよ」
青年はカップの中に残ったぬるくなってしまったコーヒーを飲み干しながら言った。
「ワシはいつのここをジョギングしているんだが、君は見かけない顔だね」
老人は言う。
「僕はいつもここらあたりで仕事をしていますけどね・・・」
青年が言う。
「そうかい・・・じゃあ時々は見かけているのかもしれんなぁ」
老人が独り言のように言う。
「どんな仕事をしているんだい」老人が続けて言った。
「朝焼けの色を塗っているんですよ」
にこやかに微笑みながら言う青年の顔には嘘をついているような衒った表情はない。
「いや・・・冗談ですって、冗談・・・・・・」
青年は、老人の訝しい表情を見て取ってあわてて言った。
老人はコーヒーをグビッと飲み干すと、カップを青年に返した。
青年はカップを受け取りながら、老人に言った。
「僕は、おじいさんがまだ小学生のころ会ったことがありますよ、ずいぶんと昔のことですけどね」
老人には何のことだかサッパリわからなかった。
「ほら、おじいさんは子供のころ新聞配達をしていたでしょう?」
老人は、確かにそうだ!というようにうなずいた。
「おじさんは、暗い時間から朝焼けになるまで新聞を配っていたでしょう・・・」
「いつだったかちょうどこの辺りで転んだでしょう、膝をすりむくむらい派手に転んでた」
「あの時子供だったおじいさんを抱き上げて起こしたのは、僕ですよ」
「ちょうど朝焼けを塗り終えたころだったなぁ・・・」
「随分と時間は経っていますが、おじいさんと会うのは2回目ですよ」
妙に懐かしいような表情で青年が言った。
突然に老人の記憶の奥底から忘れてしまった情景が出現した。
「おお・・・たしかに、そんなことがあった記憶がある・・・」
「あのころは貧しくてなぁ・・・・」
老人は懐かしい気分に浸ろうと思ったが、なんだか変だと感じ始めた。
「しかし、どうして君がそんな事を知っているんだ・・・」
「でも、君の顔には見覚えがある・・・そうだ、あの時ワシを抱きかかえてくれた青年にソックリだ・・・」
「それに、君は年をとっていない・・・まだ若いままじゃないか?」
老人の頭の中は混乱していた。
その混乱した頭の中で、古い古い記憶の糸を手繰り寄せようとしている。
「おお・・そうだ、そうだった、あの時・・・あの時、ビンに入った不思議な絵の具を貰ったんだ・・」
「いろんな色に変わる、キラキラ輝く絵の具だった・・・」
老人の心の中に、遠い遠い記憶が昨日のことのように鮮明によみがえっていった。
「あのビンは大切に机に中にしまってあったのに・・・いつか、なくしてしまった」
老人の心は、いつしか少年の心に戻っていく。
「あの時君は確か、朝焼けマンとか名乗ったんじゃないか?」
老人は、昔の出来事を再生するように朝焼けマンに言った。
「そうです、朝焼けマンです、冴えない名前ですけどね」
ニンマリして青年が言う。
「何か夢を見ているようだ・・・・60年間の長い夢を見ているのか・・・ワシは?」
「夢ですか・・・」
「夢も現実も、大して違いはないですよ」
「人間は現実と呼んでいる夢の中に生きているようなものです・・・」
青年は言う。
「君は哲学者だね」
老人が答える。
「ところで君・・・またあのビンに入った不思議な絵の具をいただけんもんかね」
老人は、少し遠慮がちに言う。
「いいですよ、絵の具の残りが今日も少しありますから」
青年は持っていたバッグの中から小瓶を探している。
「おおっ!そうか、ありがとう」
老人は、感謝の念をこめて強く言った。
「もうなくさないでください」
そう言いながら、青年はビンに入った絵の具を老人に渡す。
「我が家の家宝にしますぞ!」
老人は、そのビンを受け取り笑いながら言う。
朝焼けマンも微笑んだ。
「それでは僕はもう帰ります。」
朝焼けマンは老人に言ったが、老人は名残惜しい気持ちでいっぱいだった。
「もう、帰ってしまうんかね・・・」老人が寂しく言う。
「また、どこかで会えるかもしれませんね」青年が答える。
「そうだね、またどこかでばったり会えるかもしれんな・・」老人が言う。
「人生は長いようで短いようで、短いようで長いですからね」
朝焼けマンが言った。
「短いのか長いのか、いったいどっちなんだね?!」
老人は苦笑しながら言った
「それくらい、曖昧で答えがないということですよ」
「たしかに、そのとおりだ!」
2人はまた大きな声で笑っていた。
「また、会いましょう・・・・いつか」
朝焼けマンが握手をしながら言う。
「ワシの、人生もまだまだこれからですからな・・・また会いましょう」
老人は強く青年の手を握り締めた。
「では、また・・」
「では、また・・・」
土手の上空に広がる青空が宇宙の果てまで続いていることを、今は老人は実感していた。
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夕焼けマン
学校の帰りにいつも通る小高い丘で、僕は突然バッタリと夕焼けマンに出会ってしまった。
夕焼けマンも僕を見て、ギョッとした表情をしていた。
「・・・や・・やぁ・・」
夕焼けマンはドギマギしながら、手を小さく振り僕に挨拶している。
「・・こんにちわ・・」
僕も戸惑いながら、つられて挨拶をしてしまった。
夕焼けマンは、ペンキをタップリ含んだ刷毛で空に色を塗っていた。
ペタペタと、それは凄い勢いで、青い色の空を夕焼けの赤い色に塗り替えている。
僕に突然に発見されてしまったので、今は刷毛を空から外し右手に握ったままブラブラさせている。
「何をやってるのですか、夕焼けマンさん!」
僕は尋ねてみた。
夕焼けマンは、本当にギョッとした顔で僕の顔を見ながら言った・・・・
「な、なぜ、俺の名前を知ってるんだ・・・・??」
男の目がキョロキョロと定まらない感じだった、きっと知られてはいけない事だったのかもしれない。
「あ・・・」と少し間をおいて僕は答えたのだった。
「だって、その服の胸の部分に書いてあるよ・・・」
僕は、男の服を指差しながら言った。
そうなんだ、男の作業着のような服の胸あたりに(夕焼けマン)と書いてあったのだ。
しかも、それは印刷や刺繍のようなカッコイイ文字じゃなくって、自分でペンキで書いた下手糞な手書き文字だ。
「あああ・・・そうかっ!自分で胸に書いてたんだっけ!?」
いやぁ~まいったまいった・・という感じの仕草で、男は自分の頭を掻く真似をしていた。
「・・しかし、人間の少年に会うのは久しぶりだなぁ。」
そうして夕焼けマンは、夕焼け色のペンキのついた刷毛を軽く1回転させた。
怪しい・・怪しすぎる!
胸に書いた文字も怪しいが、こんな時間に空に色を塗ってるなんて。
非常に、大変に、猛烈に、ムチャクチャ怪しい!!
僕は、声をかけたのを少し後悔し、何も言わないようにして少し後ずさりし始めた。
「ああ・・今、君はヤバイ!逃げようと思ってるね・・」
男は、そんに怖がらなくてもいいという風な感じで、ちょっとおどけて言ってみせた。
僕はほんの少しだけだったが、安心した、が、逃げる準備はシッカリしていた。
こうやって、おどけたふりをして、いきなり襲いかかるって事もないとはいえないからね。
「ああああ・・・その目つきは、まだ不気味な」やつと思ってる感じの目だなぁ・・・」
僕の心の中を見透かしたように、夕焼けマンは右目をウィンクさせながら言った。
しかし、夕焼けマンのウィンクは右目を閉じると同時に、左目も少し閉じてしまうのだった。
「あなたは、人の心が読めるのですか?」僕は言ってみた。
「・・いやぁ・・ただ当てずっぽうに言ってみただけさっ!」夕焼けマンは、また両目ウィンクをして僕に言ったのだった。
夕焼けマンはつなぎのズボンに赤いシャツ、髪の毛は長くてバンダナを鉢巻にして頭に巻いている。
そう、それはまるで、昔流行ったフォークシンガーみたいな格好だ。
なんだか知らないが、夕焼けマンは怪しいやつだが悪い奴では無さそうだ。
「どうだい、俺が怪しくない奴だという証拠に、バケツの中のペンキを見てみるかい!」
夕焼けマンが僕に言いながら、大きなバケツの中を見せてくれた。
夕焼けマンが空に塗るペンキは、不思議なペンキだった。
赤い色だと思うと黄色に変わったり、黄色だと思って見てると紫色に変わったりする、つまり一定の色ではなく「夕焼けの色」なのだ。
刷毛についたペンキも空に塗るたびに7色に変化する。
いや、7色どころじゃない、10色にも20色にもみるみる変化していく。
夕焼けマンは、僕に言った。
「こんなペンキ、どこへの店にいったって買えるもんじゃないぜっ!」
かなり自慢げに夕焼けマンは、エッヘンとでも言った感じで胸を張ってみせた。
「ちょっと触ってみてもいいんだぜっ!」
そう言うと、夕焼けマンは僕のほうにバケツを近づけてきた。
僕は、おそるおそるそのバケツに手を突っ込み、ペンキに触ってみた。
少しヒンヤリとして気持ちがいい手触りだ。
夕焼け色のペンキの付いた僕の手は、赤や黄色や朱色や紫色に変化している。
あんまり綺麗な色だから、しばらく何も言わないでジッと見つめていた。
そうすると、夕焼けマンがまた自慢げに言ったのだ。
「どうだい、素敵なペンキだろう。色だけじゃなくって、いい匂いもするんだぜぇ!」
僕にそう言いながら、自分の刷毛についてるペンキの匂いをクンクンと嗅いでいる。
僕も、自分の手に付いたペンキに、鼻を近づけてみた。
いい香りだった・・・春のような匂いだ。
花の香りだとか草の匂いだとか、そんな匂いがフワッと優しくしている。
もう一度、ペンキに鼻を近づけて、匂いを嗅いでみた。
すると、さっきと違って、海の香りや森のさわやかな匂いも、うっすらと匂っていた。
「・・・夕焼けってのは、人の心を優しくしてくれたり、元気ずけたりしてくれるもんさ!」
夕焼けマンは、そう言うと遠くを眺め、フッとため息をついたように見えた。
「哀しい時に夕焼けを見る、楽しいときに夕焼けを見る、恋をしたときも失恋したときも、夕焼けを見る。そんなことばかりしてたら、いつのまにか夕焼けマンになっちまったのさ・・」
聞いてもいないのに夕焼けマンは、僕にそんな経緯を説明してくれた。
「ところで、手に付いたペンキは、どうやって落とすのかなぁ?」
あんまり綺麗だったので気がつかなかったけど、気になるので僕は、夕焼けマンに聞いてみた。
「絶対に落ちない!」夕焼けマンは、きっぱりと言った。
「えぇぇ~!そんなぁ~!」僕は、ちょっと怒ったように叫んでいた。
「いやぁ・・大丈夫、大丈夫。夕焼けの時間が終われば、自然に消えるから。」
ちょっと笑ったように、夕焼けマンは言ったのだった。
「俺の担当は夕焼けだが、夕焼けが終わるころには、星空マンが、星空のペンキを空に塗るよ。」
え~?なんだ、その星空マンってのは?夕焼けマンが、また妙なことを言うもんだから、僕は悩んでしまった。
「そうなんだ、空ってのは、みんな俺の友達がペンキを塗って出来上がってるんだぜ?知ってた?」
夕焼けマンが、またそんな爆弾発言をするので、たまらず僕は叫んでいた。
「そんなこと知るわけ無いよ~!」
そう言いながら、妙に可笑しくなってしまい、笑ってしまっていた。
怪人夕焼けマンも、大きな声で笑っていた。
「青空を塗るのは青空マン、曇りの空は曇りマン、朝焼けを塗るのは朝焼けマンっていうわけさっ!」
外国の映画の人みたいに人差し指を立てておどけてい言うので、また僕たちは笑ってしまった。
「そうそう、朝焼けマンと俺は、けっこうウマが合うんだぜっ!」
両目を閉じてしまう、下手糞なウィンクで、夕焼けマンは僕に向かって言った。
だんだん楽しい気分になってきて、時間も経つのも忘れそうだった。
そんなマッタリした気分でいた時、突然に空の上の方から、大きな大きな声が響いた!
「こらっ~!サボるな夕焼けマン!もう時間が無いぞっ!」
あまりに大きな声だったので、僕は耳をふさいでしまった。
「ああ!すみません親方!」
夕焼けマンは、ビクッとしながら答えている。
「早く夕焼けを塗り終わらないと、星空マンがしびれをきらして待ってるぞ!」
空からの親方の声は、怖そうな声だった。
「ここにいる子供と話こんでしまたっもんで・・・」
決まり悪そうに、夕焼けマンは言い訳している。
「なに!また人間の子供に見つかってしまったのか!不注意にも程があるぞっ!」
たしなめるような口調で、親方の声は響き渡る。
「すいません・・」夕焼けマンは、頭をかいている。
「そこの子供!」低音の響く声で、親方が僕に言った。
「な、なんですか・・・」僕は、怖くなって答えた。
「今日のことは、誰にも話してはいかんぞっ!さもないと・・・」
空の親方が、恐いような声で含んだ話し方で言った。
「さもないと・・・・なにか恐いことがあるんですか・・・」僕は、かなりビビッてしまっていた。
ちょっとだけ間をおいて、親方は言った。
「特に何もない!特に何もない!安心しろ!がっはっはっ・・・!」笑い声が、空中に響き渡った。
夕焼けマンも僕もホッとして、つられて笑ってしまっていた。
わっはっはっ・・と、3人の笑い声が、まだらに塗られてしまった夕焼け空にこだまする。
笑い声がとまったころ僕は言った。
「もうそろそろ帰るよ」
「おお、もうこんな時間になっちまった。親方すみません、今日はこの辺で止めます」夕焼けマンは空の方角に向かって大きな声で叫んだ。
「まぁ、仕方が無い。明日はちゃんと仕事をするんだぞ!」親方は、しょうがないなといった声で夕焼けマンに言った。
そんな二人の会話を聞きながら、僕は夕焼けマンに手を振りながら小高い丘を急いで下りて行った。
夕焼けマンが塗り忘れた、まだらの夕焼けを見上ながら僕は家に帰った。
玄関を開け「ただいま~!」と言うと、お母さんの声が「もうすぐご飯だからね~!」と台所から元気よくした。
僕は、そのまま2階の自分の部屋に行き、窓を開いて、もう無くなりかけの夕焼けを眺めた。
夕焼けマンが手を抜いてしまったので、所々夕焼けだったり青空だったり星空だったり変な空だったが、きれいな夕焼けだった。
そして、僕の手についた夕焼け色のペンキが、赤くなって紫色になって青くなって最後には消えてしまった。
窓の外は、もうすっかり星空マンのペンキ塗りの作業が終わったようだった。
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蚊帳の影
私が子供の頃、夏になると蚊帳をつって寝たものだ。
蚊帳というのは、麻を網状に編んで部屋につるす、蚊に刺されないための寝具である。
蚊帳をつるすと、見慣れた部屋がどこか別の部屋のような楽しい気分になったものである。
蚊帳には、白い蚊帳と緑色の蚊帳とがあって、白い蚊帳をつるすと高級な旅館に来たような気分になった。
緑色の蚊帳は、どこか森の奥に居るような、深い水の中にいるいような神秘的な心持になったりもした。
夏になると私は、時々蚊帳をつって祖母と一緒に寝ることがあった。
祖母は、幼いころこの家に養女に貰われてきた娘である。
養女に来たころは夏の盛りで、寂しくて蚊帳の中で毎日のように泣いていたらしい。
そんな祖母が養女に来て間もなく、生みの母である曾祖母が亡くなったということである。
その時からである、この蚊帳の北側に人の影のようなものが現れたのは。
私がその影を見たのは、深夜もふけてきたころである。
その影はボヤッとした人型で、ユラユラと揺れているように現れた。
蚊帳の右側から左側へ行き来し、しばらくすると真ん中に座るかのように停止する。
深夜に目が覚めた私は、最初は夢の続きかとも思っていた。
うつらうつらしながら影を見ていたら、祖母が布団から起き上がり、その影に話し出した。
「お母さん、今日も遠路遥々きてくれたんですねぇ」
祖母が影に向かって懐かしそうに話している。
影がうなずいたように見えた。
私には何も聞こえなかったが、祖母が微笑んでいるのは何か声が聞こえるからではないだろうかと、そのとき私は思った。
「寝ているのは、私の孫ですよ、可愛いでしょう」
祖母が私のほうを見たので、びっくりして私は寝たふりをした。
そして祖母がまた影に向かって話し始めた。
昨日の出来事や、私の学校のことや、息子である父のことなど、取り止めも無く話が続いていた。
小1時間も経ったころだろうか、祖母が名残惜しそうに言っている。
「お母さん、また来てくださいね、明日も待ってますよ」
その瞬間に、蚊帳の陰がスゥーッと消えたのを、私は見ていた。
それから祖母は、嬉しそうに布団に入って眠った。
それから、私も眠ったが、不思議な気分は夢の中まで続いて朝を迎えた。
あれは、幼い私の夢だったのか、あるいは祖母の妄想だったのか、数年前に他界した祖母に聞くことはもう出来ない。
今年の夏には、息子と一緒に蚊帳でもつって、祖母の部屋で一晩寝てみるつもりだ。
もし蚊帳に影が映ったなら、話しかけてみようと思っている。
記憶屋ジャック
「ほう、連続女性殺人犯がつかまったのか・・」
記憶屋のジャックは、薄暗い店の奥で新聞を見ながらコーヒーを飲んでいる。
ジャックの商売は、記憶屋という商売だ。
記憶屋は、他人の記憶を売買する商売である。
違法な仕事なのだが、需要が多くあるため、こんな場末のビルで店を出している。
記憶は、ジャックのような記憶屋の特殊な技術によって液体のような物質に還元される。
極細い針を脳に刺し、そこから脳の記憶中枢を刺激し、記憶を吸い取るのだ。
液体に還元された人間の記憶は、色々な色の液体になって瓶の中につめられて売られている。
それら楽しい記憶や悲しい記憶は、色とりどりの瓶につめられ、店の棚いっぱいに並べられていた。
楽しい記憶や快楽を伴う記憶は、高額で売買される。
誰も楽しい記憶など手放したくはないだろうと思うだろうが、そのような記憶を金に変えたい連中も大勢いることもたしかだ。
また、辛い記憶や悲しい記憶を吸い取ってもらいたい人々も大勢いいる。
そんな人たちは、大金をはたいて記憶屋で辛い記憶を消してもらう。
違法だといったのは、他人の記憶は危険でもあるからだ。
他人の記憶を飲むことによって、努力無しに高度な知識を得たり、快楽やスリルを味わったりすることが可能ではある。
しかし、他人の記憶には中毒性があり、他人の記憶を飲みすぎた場合など、自分の記憶か他人の記憶かが分からなくなり、人格が崩壊することある。
そんな危険な薬であるにもかかわらず記憶屋が繁盛しているのは、自分の経験だけでは満足できない人間の業のようなものだろうか。
ある意味、不幸な人間がこの世界には多すぎるともいえるだろう。
「俺がこんな仕事してるのも、不幸な奴がいっぱいいるからさ・・・」
ジャックは、殺人犯逮捕のニュースなど直ぐに忘れ、記憶の調合に勤しんでいる。
記憶液の調合は芸術的センスが要求される。
微妙な色のニュアンスが、記憶の刺激を彩るのだ。
楽しい記憶には、微量な悲しみの記憶を数滴混ぜ込む。
そうすることによって、楽しい記憶がより楽しくなり、記憶のリアリティが倍増するのである。
香水の中に、微量の便の匂いを混合させるのと同じ法則だ。
悲しい記憶ばかり飲む人々もいる。
悲しみ中毒という奴だ。
心に深い傷を負った人々は、幸福になることを極度に恐れ、悲しみの記憶を飲み続ける。
金持ちは、金に飽かして快楽の記憶や楽しい記憶を飲み続ける。
そんな連中は、本当の幸福などとうの昔に忘れしまった奴らだ。
ジャックは、調合した記憶液を瓶につめ、店の棚に並べた。
その時、店のドアを乱暴に開け、よれた皺だらけコートを着た男が突然入ってきた。
「ジャックというのは、あんたか?」
男はぶっきらぼうにジャックに言った。
「ああぁ、そうだけど、あんた誰だい!」
ジャックも負けずにぶっきらぼうに答えた。
「おれか、おれは刑事だ!」
そう言いながら、その男は警察手帳をジャックの目の前に見せた。
「刑事さんか・・・・」ジャックは、無表情に答える。
「ちょっと聞きたい事があるんだが」半分になったタバコに火をつけながら刑事が言う。
「どんなことだい」ジャックは無愛想に言う。
「あんた記憶屋だろう・・・記憶の売買は違法だと知ってるな」刑事が嫌みったらしく言った。
「世の中不幸な奴が多すぎる、記憶屋は必要悪ってやつさ!」強気でジャックが言う。
続けてジャックが言った。
「政治家も、警察の上の連中も、その奥さんたちも、ここのお得意さんだぜっ・・・」
刑事が、タバコの煙にむせながら言った。
「・・・まぁ、今日は記憶薬の取締りってわけじゃぁないんだが・・・」
薄暗い店内に、タバコの薄紫の煙が、切れかけの蛍光灯の下をユラユラと漂っていた。
刑事とジャックの沈黙が気まずさを通り越して、緊張感になっていく。
「最近、この男が店に来なかったかい・・」
刑事がジャックに写真を見せた。
「だれだい、こいつ」
ジャックが写真を見ながら無愛想に言う。
「こいつは、連続女性殺人の犯人とされてる奴さ」
と言う刑事は、ほとんどフィルターだけになったタバコにも気づかない。
「記憶に無いねぇ・・」ジャックが言う。
「記憶屋に記憶がないってか」刑事が苦笑いをして言った。
「奴は、自分が犯人だと言って自首してきたんだが、俺は奴じゃないと睨んでいる」刑事が言う。
「自首してきた奴だろう・・そいつが犯人じゃないのかい?」ジャックが答える。
「自白した殺人の状況も一致しているし、死体も場所もそいつの言った場所に埋めてあった・・」刑事が言う。
「じゃ、間違いないね、そいつだよ、殺人犯は!」ジャックが強く言った。
「こいつは、長年やってきた刑事のカンってやつだが」
そう言いながら、刑事は新しいタバコを口にくわえ、火をつけた。
「カンなんて、あたったためしがないな・・」
ジャックが煙い顔をしながら言う。
「喉が渇いたな・・刑事さんもコーヒー飲まないか?」
ジャックが、店の奥にあったコーヒーメーカーのポットを持ってきて、カップに注いでいる。
「いただこう・・」
刑事が、タバコの火を消しながら、ジャックからコーヒーの入ったカップを貰った。
店の中は、タバコとコーヒーの匂いが咽るように充満している。
グビッとコーヒーを一口飲んだ刑事が言った。
「美味いコーヒーだな・・・」
「特別な高いコーヒーだからさ!」ジャックが言う。
「よほど儲かっているとみえる」
グビグビとカップからコーヒーを飲みながら刑事が嫌味っぽく言った。
「あんたも刑事なんか辞めちゃいなよ!」
ジャックが言った。
刑事の手がプルプルと震えている。
「なんか悪寒がするな、風邪でもひいたか・・」
刑事が言うが早いか、床にドカッ」と倒れこんだ。
「高級なコーヒーなんだよ、それは!」
床に倒れた刑事を見ながらジャックつぶやく。
「そのコーヒーには連続殺人犯の記憶液がタップリ入ってるからな。
人殺しの記憶の入ったコーヒーは美味いだろう・・・」
「あんたはやってもいない殺人の罪悪感で、一生苦しむかもな・・・」
ジャックは、不気味に微笑んだ。
連続殺人の真犯人はジャック!
自分で自分の殺人の記憶を消し、犯人が自分であることも気づかない。
そして吸い取った記憶液を他人に飲ませ、そいつを犯人に仕立て上げる巧妙な罠。
今日もジャックは、穏やかな気分で記憶液を調合している。
夢博士
優秀な脳外科医である夢野博士の愛すべき妻の咲子が、脳梗塞で昏睡状態になってから数年になる。
愛妻が昏睡状態に陥ってからは、夢野博士の研究対象は「夢」そのものになっていった。
博士は、夢の中に入り込む方法を探っているのである。
夢野博士の友人でもある、医師の宮澤の経営する総合病院の一室に、夢野の妻は入院している。
ほぼ毎日のように看病に現れる夢野のことを、友人の宮澤は心配していた。
医師の宮澤は、夢野博士に言った。
「そんなに根をつめると身体に悪いぞ・・」
夢野が答える。
「いや、大丈夫だ、俺のことより妻のことをたのむ」
「言われるまでもなく、最善をつくしているさ」宮澤が言う。
「やはり、咲子はこのままなんだろうか・・」夢野がつぶやく。
「医師としてはっきり言うが、目覚める可能性は低いだろう」つらい口調で宮澤が言う。
無言のままうなずく夢野の表情は暗い。
夢野博士は研究のことを誰にも話してはいなかった。
夢の中に入り込む研究などしていると公表しようのもなら、変人扱いされて学会から抹殺されかねないと思ったからだ。
もう何年にもなるのに、夢の研究はさほどす進んではいなかった。
夢という主観的なものを扱う限り、客観的な数値に置き換えることは困難を極める。
妻の看病をする夢の博士の身体は疲れ切っている。
眠る妻と夢野博士だけになった病室には、静けさだけが漂っていた。
椅子に座っていた夢野博士は、うとうとと眠り込んでいた。
何時間も眠り続けている博士の身体に異変が起こったのは、もう深夜になりかけた頃だった。
椅子に座った博士の身体の一部分が、細い細いまるで釣り糸のような透明な糸状になっていく。
最初は手の部分から、そして腕や胸や頭、そしてついには身体全体が何億何兆もの細い糸になって病室の上を、雲のように漂っていた。
細い細い糸になった博士の身体は、まるで染み込んでゆくように愛する妻の頭に1本1本入っていった。
そして、耳から口から毛穴から、糸状の夢野博士は妻の身体に同化してゆく。
暗い何も無い空間の中を、妻の咲子は彷徨っていた。
それは、まさに何も無い空間の闇であった。
すると時間すらない無の空間に、突然光の条のような何兆もの糸が咲子の身体を包んだかと思うと、咲子は先ほどの暗闇から一瞬に懐かしい我が家に戻っていた。
懐かしい部屋の中にいたのは、あの夢野博士だった。
「あら、あなた、ここは私の家ですわね・・・」
咲子は不思議な感覚に捕らわれながら言った。
「そうだ、あの懐かしい我が家だよ」
夢野博士は続けて言う。
「しかし、本当の我が家ではないんだよ、ここは咲子の夢の中なんだよ」
咲子は状況が飲み込めないまま微笑んでいる。
「お前はもう、目覚めることはないんだよ、ずっと・・・だから私が会いにきたんだ」
「私・・・死んだの?」
「いや、生きている、生きてはいるが永遠の夢の中に封印されてしまったんだよ」
「永遠の夢・・・現実とどう違うの?」
博士は説明するのを止めて、強く強く妻を抱きしめた。
宮澤は警察に捜索願の電話をし終え、夢野咲子の病室へ向かった。
「夢野が愛妻を残して失踪するなんて考えられないんだがなぁ・・」
宮澤医師は、咲子の看病をしている若い看護師に言った。
「事故にでも巻き込まれたのかも・・・」看護師は、言い終えないうち口ごもった。
昏睡状態の咲子の表情は無表情で、ときおり苦痛のようなゆがんだ顔にもなっていたが、今日の表情はまるで幸せそうに眠っているかのようだ。
「先生、なんだか咲子さんの表情が微笑んでいるように見えませんか?」
看護師は、咲子の腕の脈を測りながら言った。
「うん・・なんだか幸福そうな顔だね、今までこんな表情になったことは一度も無いんだが・・」
宮澤は、咲子の顔を見ながら言った。
「夢野博士と一緒に暮らしている夢でも見ているのかしら」
看護師も咲子の顔を見て言った。
「そうかもしれないな・・・きっと、そうだと思うよ」
病室の窓の外に見える山々を見ながら、宮澤はそう願った。