傘を持つ女

明日天気になあれ

いろんなものを受け入れて生きていかなきゃなんない

2005年04月23日 | 傘のまわりで
新しい職場で分からないことを先輩の保育士に尋ねながら仕事をしている。
今まで保育園勤務の保育士だったが、ここでは子どもよりも親と接することが多く戸惑うこともたくさんある。自分の知識や今までの経験から「こうしたらいいのでは?」とは思うが、それを今すぐ言葉にする事が適切か?否か?時と場合と相手によっては非常に迷う。「どう考えてもそれはよくないよ」という場合も、言い方とタイミングを選ぶ場面が多く悩ましい。

その時、私が先輩の保育士にどんな内容の質問を投げかけたのか忘れてしまったが(多分質問と言うより他愛ない愚痴めいたものだったんじゃないかな)彼女がしばらく考えて言った。
いろんなものを受け入れて生きていかなきゃなんない
その時、自分では大したことではないような質問だと思っていたけれど、「大したことでなくても黙って受け入れる優しさや強さや大きさが大事なんだよ」と言われたような気がした。

いろんなものを受け入れて生きていかなきゃなんない」ってわかっているけど、なかなかできない。
大したことでないことが特に。そんな大したことでないことが積もり積もって大したことになっていく。口に出して言ってみると「そうだな、そうだった。受け入れていかなきゃなんないな。」と思えてくるから不思議だ。

たとえばこんな「大したことじゃないこと」。
息子HとSが「どうしても嫌なんだよね・・・学童保育の○○先生」と。HとSが先生のことを否定的に言うのは珍しい。話を聞けば、先生が子どもたちに読み聞かせしたい(ちょっとマジメで教育的な良書。教科書に出てくるような)本を長々と読み聞かせする、そこまではいいのだが、あとで内容について質問したり感想文を書かせる、という事を始めたらしい。
HもSも読書好きだが、ウチでは読ませたい本を(本棚に忍ばせることはしても)勧めないし、読みっぱなしで感想や質問はしない。私自身そんな事をされるのが不愉快だからだ。
「○○先生に会った時、読み聞かせはもうしないでください、ってママから言ってくれない?」
「自分で先生に要望してみたら?」
とてもそんな雰囲気じゃないらしい。どうも子どもの言い分に耳を貸す先生ではないことは何となくわかる。
「困ったね、どうしたらいいんだろうね・・・」
「今日は外で遊んでいい?と聞いたら読み聞かせが終わってからです、ってさ」
「読み聞かせが始まったらスーっと姿を消して目に付かないところに逃げるとかは?それで自分で選んだ本をコッソリ読む・・・(笑)」
「うん。感想とか内容とか聞かれるのが嫌なんだよねー。授業じゃないのにさ」

Hにしてみれば、本を読むのはいいけれどそれ以上心の中に踏み込んでこないで、もっと自由にさせて、っていうところなんだろうなぁ?
先生とは今までも色んな話を(時には腹を割って)話し合った間柄で、話してみてもいいな、という気持ちもあるが、それ以上心の中に踏み込んでこないで、という子どもの感覚は彼には分かり難いだろうな・・・ということも予想できる。熱意有る人なだけに。
口に出して言ってみる。
いろんなものを受け入れて生きていかなきゃなんない

私自身はそれでもいいが、でもHやSには受け入れられないことだろうな~。守ってやりたいがここまで守ってやることが彼らのためになるのかなあ?と悩む。母親としての胸のうちはちょっと苦しい。