寄居新名勝命名せらる
県下大里郡寄居町は、秩父鉄道と東武鉄道東上線の接続地で、加ふるに最近八高線の通過に依つて、武蔵野の交通要路たる位置を占むるに到ったので、同町有志は町将来の発展を考慮し、荒川沿岸の雑木林を伐り払ひ、正喜橋を中心に約三十丁の遊覧道路を開鑿(かいさく)し、之れに桜並木を仕立て自然の風光に一段の雅致(がち)を発揮せしめ、前囘(かい)秩父の翠岱(すいたい)を背景として、天然の要害たりし鉢形城趾の岩壁を望み、荒川の碧潭(へきたん)に面し眺望頗(すこぶ)る絶佳(ぜっけい)、加ふるに象ヶ鼻(ぞうがはな)の奇岩、宗像(むなかた)三神を祀る神社、霊蹟藤田(ふじた)の聖天等古来有名なものがある。洵(まこと)に清遊好適の一大勝区を成す。此新勝地の命名に就(つい)て本県史蹟名勝天然記念物調査会委員鹽谷俊太郎氏肝煎(きもいり)となり、同会長たる松平本県学務部長に懇請の結果、松平会長は同所を玉淀(たまよど)と命名されたに就て、町民は四月廿九日天長の佳節を卜(ぼく)し、命名披露祝賀会を催し一同感喜して左のビラを配布して、今後一層設備の完成に努むる筈であると云ふ。
寄居名所が
天長節のよき日に
命名されました
玉淀(たまよど)と
天長節のめでたい日に
命名されました。寄居名所が玉淀と。
玉淀の四季(短歌)
春 花吹雪散る花ひらのおもしろく
うかひ流るる玉淀の春
夏 山水の流れも清き荒川に
あゆの香高し夏の玉淀
秋 なくむしの声は流れて涼風に
月照り渡るたまよとの秋
冬 見渡せば鉢形あたり常盤木の
いろまさり行く冬の玉淀
『埼玉史談』2巻5号 1931年(昭和6)5月
碧潭(へきたん):青い水をたたえた淵。
常磐木(ときわぎ):松、杉などのように、年中その葉が緑色をしている樹木。常緑樹。冬木。
玉淀観光協会の観光パンフレット(戦後)