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埼玉県比企郡嵐山町地域史誌アーカイブ

七郷村郷土研究16 水界観念 1913年

2009-11-30 14:07:00 | 七郷村郷土研究

  第二章  郷土の水界
 第一節  水界觀念
 地球の表面にある水は其の移動に依り二種に區別する事が出来る。動水と不動水と。川水は動水で、湖沼及海の水は不動水である。そして大洋の水は不動水の大なるものである。茲で水界と云ふのは陸地に對する海洋のことである。わが郷土では洋海を觀察する事は出来ぬ。故にこの水界の觀念は吾が郷土の児童には實に漠たるもの、殆ど其の觀念のないといってもよいほどに乏しいのである。そこでこの觀念を如何にして養ふか先づ郷土に於ける適當な湖沼(三反田沼は學校よりも近く、そして水界觀念養ふに最も要件を具備して居る。即ち海岸を縮少せるもの)によって類推させねばならぬ。
 海水の深く陸地に湾入して居るを港、入江、湾、入海等に分ち洋海が狭く連続して居ると海峡と稱せられていること。修学旅行などに際しては先づ第一に實際の海洋につき觀察せしめて其の觀念を正確にせねばならぬ。
 海面の廣大なる事は是れを直觀せざる者に對しては如何に巧みに説明しても到底了解させる事は出来ぬ。これ丈はどうしても修学旅行の時までのばさねばならぬ。
 波浪の壮大なる響も先づ小沼に寄する小波を以て類推させると云ふことは少し酷に過ぐるであらう。わが郷土に於ける波浪の最大限はどの位か先づ大水に於ける川に於て直觀せしめねばならぬ、また其の破壊力の如何程なるかを知り置きて、海岸に於て直觀し得る事の来りたる時比較せしめねばならぬ。旅行をなせし際、海岸に於て觀察する其の要項を次に記さす。

   七郷尋常高等小学校(板倉禎吉編)『郷土研究』(嵐山町立七郷小学校藏)34頁~36頁


七郷村郷土研究15 陸界観察上の注意 1913年

2009-11-29 14:04:00 | 七郷村郷土研究

 第五節 陸界觀察上の注意
 元来一つの觀念が出来るには単に其の物のみを觀察させるのみで出来るものではない。山の觀念を與へるために山さへ見さすればそれでよいと云ふ様に稍もすると間違って考へられて居ることが有るかと思ふ。山の観念は決して山許りでは出来るものでなく、他の山でない現象と比較對照し、その中から山特有の性質を抜き出して而して後に山の觀念を得るのである。これは単に地表地形のみに関した事ではありません。一切の直觀教授の総てがさうであります。
 次に児童に直觀せしむるに、初めて觀するものとして取扱ふてはならぬ。児童は長い間(七、八年間も)充分直觀して充分知り切っては居るものの、其の見方に於て兎角偏して居り不充分である。従って朦朧(もうろう)たる觀念に過ぎないから新着眼点から系統を立ててやらねばならぬ。
 地表を觀察させるに先づ幾つかの區別をつくり標準を定めてやらねばならぬ。先づ第一に水邊か海岸に注意させて地表面を比較させ、次に陸と島との區別、半島や地峡、海峡や海岸の種々の形、岬や湾などの區別をさせる。そして地面の形に及んで觀察させる。これには三反田沼(吉田)以て類推さするが最も適當なのである。次に表面の凹凸を見させ、平地と山地とを区別させ。次に海原よりの高さにより平地を高原と低原とに、山地を山岳と渓谷等とに區別させる事が出来る。
 次に人生に特に影響を與へる事を觀察させる。
 地形に関する直觀指導及び直觀整理に附帯して是非共缺くべからざる事は地図の見方、描き方であります。地図には多くの特殊の託號が充たされてあって、それが各々深重なる意味を以て特殊の事柄を表して居る。だから之れを児童に氣長に呑み込ませねばならぬ。
 地図の描寫は非常な時間を要するものであるけれども児童にはそれ相應のものを書かせて次第に粗から密にして大成を期さねばならぬ。

   七郷尋常高等小学校(板倉禎吉編)『郷土研究』(嵐山町立七郷小学校藏)31頁~34頁


七郷村郷土研究14 郷土の沼 1913年

2009-11-28 14:02:00 | 七郷地区

郷土の沼
 吾が郷土には灌概の便を圖るために人工的に作られた少さな沼が多数にある丈で湖はない。従ってこの少さな沼によって大きい湖を類推させねばならぬ。而し少なる溝より流れ込む水にてもよく沈澱作用をなして居ることがわかる。

 七郷村の沼は次のやうである。
 字別  数   町 反 畝 歩別
 古里  一一  二、八 七 二二
 吉田  二〇  七、〇 二 一九
 越畑  二一  五、六 六 一三
 勝田  一〇  二、一 五 〇一
 杉山   八   、九 七 〇八
 廣野  一二  二、〇 一 二七
 太郎丸  八  一、六 八 二二
  計  九〇 二二、三 九 二三

 大きいもので直觀せしむるに都合のよいものを次に記さう。
 新沼 大字吉田 反別 一町三反四畝五歩 周圍八町余
 川後岩沼 大字越畑 反別 一町七畝二十二歩 周圍五町五十六間
 三反田沼 大字吉田 反別 一町五畝八歩
 五反田沼 大字吉田 反別 九反七畝二十一歩 周圍九町四十間
 十三間沼 大字越畑 反別 九反二畝十三歩
 長沼 大字勝田 反別 八反四畝十七歩 周圍五町十三間
 柏木沼 大字古里 反別 八反三畝二十四歩攸

   七郷尋常高等小学校(板倉禎吉編)『郷土研究』(嵐山町立七郷小学校藏)30頁~31頁


七郷村郷土研究13 湖沼の観察事項 1913年

2009-11-27 13:58:00 | 七郷村郷土研究

 第四節 湖沼の觀察
觀察要項
1 停滞した水面のことで小さなものは池と云ひ、大きなものは沼と云ひ湖といふこと。
2 川の流れ込むのと、川を流出せしむるのと、溜り切りて有るとの別をも注意さすること。
3 水を濾過して澄ませる作用をなす湖と、水を溜めて居る作用をなす湖と、中に入って居る物を沈殿させる作用をなすものと、水の分量を調節する作用などと種々あること。
4 湖沼に川の流れ込む時は土砂を沈殿さして浅くする。之れがために将来湖沼がどうなるか。地理上の盆地と名付ける山間の平地などの成因を類推さすることができる。
5 湖と交通及び水力 多きい湖は交通に便利を與ふることが多大である。また湖が調水器の働をなすことから琵琶湖の疏水工事、猪苗代湖の疎水工事等、其の他大規模の水力発電所などもあるが、わが郷土にはそれがない。
6 湖の成因 火山の噴火口に雨水の溜ったものがあり、又火山が噴出して溶岩火山灰などが流れを止めてしまったものもある。海の出口か何かであったもの、陥落して出来たもの、山崩のために出来たもの、河道の屈曲が其の度を過した結果、新河道が出来たため、舊河道が三ヶ月形に残ったもの、風のために出来た砂丘が海岸の川の口を堰きとめて出来たもの等種々あるが、わが郷土の多くは人工的。谷合をとめて其水を水田に引くためにつくられたのが主だ。荒川に至ると三ヶ月湖を見る事も出来る。
7 湖の養魚 湖ではなく沼をのみ有する吾郷土は、其の沼から大なる漁業上の収入を與ふるやうはものはないが、鯉、其の他鰻などの養魚は多少行なはれて居る。
8 湖沼の風景 風景はよいが避暑遊覧の客の来るものは少ない、殆どない。従って舟遊びをなして楽しむといふやうなものも吾が郷土にはないのである。

   七郷尋常高等小学校(板倉禎吉編)『郷土研究』(嵐山町立七郷小学校藏)27頁~29頁


七郷村郷土研究12 郷土の川 1913年

2009-11-26 13:54:00 | 七郷地区

郷土の川
 加須川 七郷村の十三間沼(じゅうさんげんぬま)から流れ出で、一里數町東流して市の川に入りて其の名を失ふ。流れ急ならず、河幅廣き所にて五間に過ぎぬ小川なれど、水量多く灌漑の利便を與ふことが大である。

 滑川 七郷村の柏木沼(かしわぎぬま)に發し、三段田沼(さんたんだぬま)及新沼(しんぬま)から流出する水を合せ、宮前村に入り、西吉見村にて市の川に合する間、幾多の支流を入る。其の長さ五里半に及ぶ。両岸及河底は殆ど砂礫を含まざれば水常に黄濁である。而して両岸に篠その他の丈低き樹木あるを以て、二宮山等の郷土にての高山に登りて之れを見るときは其の流れ地圖を見るやうである。

 市の川 大里郡男衾村(おぶすまむら)に其の源を發し荒川に流れ込む迄其の長さ十里に近く、大ならねど氾濫すること多きを以て世人に知られて居る。

 槻川(つきがわ) 秩父郡槻川村に流れを起し山谷を流る。上流地方に於て其の地層及び侵蝕作用を觀察せしむるによい。風景また美である。(両岸の岩石主として石灰岩であるから水誠に清い)長さ凡そ三里の兜川(かぶとがわ)を入れて菅谷村鎌形に至って都幾川に合せられる。それまで長さ凡そ十里である。

 荒川 秩父郡大瀧村(おおたきむら)の山奥に源を発して五十五里、隅田川(すみだがわ)と稱して東京湾に入る。熊ヶ谷町は蓋し其の川の中流である。河原最も廣い。分流に見沼用水がある。川口に三角州が石川島を作ってゐる。洪水を以て埼玉縣を有名にしたのはこの川のある為である。幾人の縣人を苦しめたか知らぬ。鮎を産し、名所また多い。

 山多しといっても高くないから、高所の水を利用して工業・交通の上に便を與へては居らぬが、本畠村(ほんぱたむら)へ遠足すれば水車を觀ることが出来る。また飛瀑の壮觀も先づない。東京に入りてはいざ知らず、汽船の便もないが、帆船やいかだのりは少くない。

   七郷尋常高等小学校(板倉禎吉編)『郷土研究』(嵐山町立七郷小学校藏)25頁~27頁


七郷村郷土研究11 川の観察事項 1913年

2009-11-25 13:50:00 | 七郷村郷土研究

 第三節 川の觀察
觀察要項
1 川と他の水との區別 即ち川は一定の速度を以て不断に水が流れて居るものであること。
2 川の要素 (長さ、深さ、幅及び水の速度)
3 上流、中流、下流と云ふ様な部分の區別。上流にては其の速度急に、中流にては稍(やや)緩に、下流にては緩に、川口にては全く零となる。
4 水の力の非常に大であって人は之れを利用してゐる。即ち傾斜の甚だしい處では水車を設けたり、また、水力電氣を起したりする。
5 各部の地形を觀察すること。上流に至ると必ず一つや二つの峡谷があって水が鋸(のこぎり)の如き作用をなし、其處には多く地層が現われて居る。中流では侵食作用と沈殿作用とが相半ばし、大水でも出る時には川床が高くなる。下流では極く緻密な坭土や、細砂を沈澱する。
6 本支流及分流の別、三角州、島、流域など。
7 川の方向 (海岸線に平行して流れるもの、海岸線に直角に流れるもの)
8 水源 
  イ 單純なる雨水を源とせるもの
  ロ 湖沼を源とせるもの
  ハ 泉を源とせるもの
  單純なる雨水を源とせるものは大雨に際して洪水を起し易い。故に近頃電氣水力の事業では上流に先づ溜池を作って、水量を常に平均させる方法を取ってゐる。
9 水源と森 森林は水源を涵養する上に洪水を防ぐ上に必要である。氣候の緩和、暴風の為に風致の上にも影響がある。そこで濫伐を防ぎ、植林の方法を講ぜねばならぬ。
10 川と風景 本邦でも著名な風景は大概河岸にあるのだ。郷土にどんな風景のよい所があるか、何んな詩文に残されたものがあるかを考へ、我等はこの風致を保存することに努めねばならぬ。
11 人生との関係 川のながいもの、深いもの、幅の廣いものはそれの多いほど交通に不便を與へ水害をも起すのである。然れどもこの障害を防ぐために橋がある、船がある、堤防がつくられるのである。また川は其の流域地に水を與へるから生産業に及ぼすことはこれも多大なるものである。また、魚、貝、水草等の水産物をも提供する。

   七郷尋常高等小学校(板倉禎吉編)『郷土研究』(嵐山町立七郷小学校藏)22頁~25頁


七郷村郷土研究10 郷土の平野・土質 1913年

2009-11-24 13:06:00 | 七郷地区

郷土の平野
 吾が郷土は日本第一の関東平野の一部分を占めて居るのかも知れないが、何分山のみ多くてこれが平野といふて觀察せしむるに適するものもないが、児童が觀察し得る手近のものを決さす。

 加須川平野 本村より流れ出て本村で其の名を終る川であるが、本村南部山脈と中部山脈との間を流れて居る加須川の流域の平野で、學校の敷地からは其の大部分を望み得るのである。

 滑川の平野 本村北部と中部山脈との間より起る平野で、福田村、宮前村に亘(わた)る頃は其幅最も廣く七、八町に及ぶのである。

 市の川の平野 本村南部山脈の南に添へる平野なれど、あまりに廣からず狭からずの平野である。

 荒川の平野 熊谷町は実にこの平野中にあるもので、吾が校から北へ二里進んで御正村大坂に至る時は、其の目前に大平野を見る事が出来る。これが荒川の平野なのだ。即ち関東平野の一部分なのだ。わが郷土の山、殊に笠山に登りて望むときは関東平野は一目に入るのである。

 わが郷土の土質は一言ならば洪積土にて成れるものだ。重に台地をなしてゐる。更に之をわが村の各字別の土質を記さば

 越畑 其の色赤黄なる埴土を混じ悪し。
 杉山 其の色青色で間に埴土を交えてゐる。俗にヘナ土と云ひ居って、稲梁には適さない。
 廣野 其の色赤黒。壚土、粘土が相混じてゐる。
 吉田 赤色或は黄埴土を交へ稲梁、麦桑に適して居る。
 古里 其の色赤黒にして埴土少ない。
 太郎丸 其の色赤黒で、壚土、粘土が交ってゐる。過半埴土を混じて居る。
 勝田 赤黒色なる土に小岩を混じて居るが、稲梁麦桑にはかなってゐる。
 この土質は明治十七年頃の調べだけれど*、ここに載す。

   七郷尋常高等小学校(板倉禎吉編)『郷土研究』(嵐山町立七郷小学校藏)19頁~22頁
*『七郷村誌原稿』の各村を参照。


七郷村郷土研究9 平野の観察要項 1913年

2009-11-23 13:02:00 | 七郷村郷土研究

 第二節 平野の観察
觀察要項
1 平野の山地と違ふ處 即ち表面の凹凸が少なくて平坦であること。(平野は高さによって低原と高原に分れて居る)
2 平野と人生との関係 交通が便利で農業其の他の經營に都合よく、人間の生活には最も重要の物である。故に村落も都會も多く平地にある。
3 平野の利用 平面から傾斜十五度以内が農業に適した所で耕作に利用されてゐる。二十八度は大砲の車の漸く上り得る處である。十五度以上は牧畜の出来得る處である。
4 最も生産力に富んだ所は平野なること。土質の觀察も加ふ。

   七郷尋常高等小学校(板倉禎吉編)『郷土研究』(嵐山町立七郷小学校藏)19頁


七郷村郷土研究8 郷土の山岳及び山脈 1913年

2009-11-22 12:59:00 | 七郷地区

郷土の山嶽及び山脈(學校又は學校の裏山にて望み得る山は郷土の山嶽及び山脈ならずとも之れを記入す)

七郷南部山脈
 浅間山(センゲンヤマ)(一一五米)
 城山(ジョウヤマ)(一二二米)
 尼ヶ峠(アマガトウゲ)(一〇七・四米) △
 城山(シロヤマ)(一〇五米)
 南部山脈は平均凡そ九十五米の高さにて、七郷東方に於て終る。

七郷中部山脈
 高津堂山(タカツダウサン)(一三九・六米) △
 草加山(サウカヤマ)(一〇一米)
 ポンポン山(一〇二米)(吉田)
 高山(タカヤマ)(一〇八米)
 火事山(カヂヤマ)(一〇二米)
 金更山(カナサラヤマ)(一一三米)
 御堂山(ミダウヤマ)(一〇四米)
 二宮山(ニノミヤヤマ)(一三一・八米)(伊古)
 中部山脈は平均凡て九十四米の高さにて、七郷中部を貫通し、数條の支脈(七郷小學校の如きは其の支脈中にある)を南北に出し、丁度の背骨のやうだ。比企郡吉見領まで達して居る。

七郷北部山脈
 神山(カミヤマ)(九五米)
 北部山脈は高きもの少し。平均九十米に上らず。されど比企郡の東部まで走ってゐる。

右に記したのは重(おも)に七郷村管内の山なれど、總て百米以上にて、名あるもの十有三ある。觀察に一日程を費やすものも少なくない。

 大立山(オホダテヤマ)(一三米)宮前村 學校(七郷學校を指す以下同じ)の東方。
 高根山(一〇五・一米)小原村 學校の東北に見ゆ。
 雷電山(九四米)大岡村 學校よりの方角、前と略(おおよそ)同じである。
 千手堂山(一八三米)菅谷村 學校より南方にあたる。
 岩殿山(一三五・六米)岩殿村 學校の南東。 △
 四津山(二〇五枚)八和田村 學校の西南にあたる。
 笠山(   )比企郡の西境。學校の西南。

次に記すのは一日程ではないが學校の裏山(一〇〇米)の高地に望み得るもので、殊(こと)に地理教授上には必要だから茲(ここ)に明記するのである。

 三國山(一九六七米) 長野・群馬・埼玉との境
 雁坂嶺(二〇三一米) 埼玉・山梨との境 三國の南
 大洞山(二〇四八米) 仝         〃
 雲取山(二〇〇一米) 山梨・東京との境  〃

 武甲山(一三三六米)
 城峯山(一〇三八米) 共に埼玉縣内の高峰

 浅間山(二四五八米) 度々鳴動して吾が郷土へ地震を起すので有名な活火山である。常に煙をはいてそれが雲の如く見えて居る。
 赤城山(一九四九米) 冬期北方より吹きすさぶ身を切る如く風を赤城おろしといってゐる。
 榛名富士(四五七米) 郷土の人が行く榛名神社も、伊加保温泉もこの山の麓にある。
 三国峠(一二八八米) 群馬、新潟の境。
 白根山(二一四二米)
 庚申山(二二八六米)
 日光山(二四八四米) 形富士山に似て美である。德川東照宮廟はその麓にある。有名な瀧もこの山の中腹にある。
 筑波山(八七五米) 当方に見ゆる山。
 富士山(三七八八米) 日本一の名山。これは熊ヶ谷堤又は松山城趾等にて望み得るもの。

 學校の敷地の高さ(八四米)
 學校の前の耕地(八〇米)
 學校の裏山(一〇〇米)
 児童に常はこの高さに居る事を忘れてはならぬ。但し△印あるものは三角標あるもの。

   七郷尋常高等小学校(板倉禎吉編)『郷土研究』(嵐山町立七郷小学校藏)14頁~18頁


七郷村郷土研究7 山地の観察要項 1913年

2009-11-21 12:53:00 | 七郷地区

   第二編 郷土研究
  第一章 郷土の陸界
 第一節 山地の觀察
觀察要項
1 山の特色 即ち陸地の著しく隆起したるもので孤立したものがあり連続して山脈と名付られて居るもののあること。
2 山には其の部分に應じて特種の名稱のあること。即ち麓と頂上、半腹、山脈にては最低の部分が利用されて道路となり、通常峠と呼ばれて居ること。
3 山の高さ これは其の山の麓が何米の高さになって居るかを知らせて置く必要である。麓が海面ならば好都合である。現在の我が郷土にはそれがない。また高い山で軍事上必要な處には三角標などがある。
4 人間との関係 村境、郡境、縣境、大きくは国境となって居って、地方民族等の割據に都合のよいこと。山地には戦場や、関所などの古蹟に富んでゐる。また賣り出す品物は安く、買って来る品物は高騰である。即ち売買に不便なること。郷土の山よりの生産物が其の郷土の人に如何に利益を與へて居るか。生産物及び植林つけたり樹木の年齢等。
5 美的関係 遠近により、朝夕、四季或は晴雨、晴曇等により其の色彩を異にすること。剣ヶ峰、鎗ヶ嶽、駒ヶ嶽等の美的名稱の起り。美的要素の重要なのは山にあること。
6 山の成因(火成岩、水成岩の別) 火山(活山火、休火山、死火山)

   七郷尋常高等小学校(板倉禎吉編)『郷土研究』(嵐山町立七郷小学校藏)13頁~14頁


七郷村郷土研究6 郷土の範囲 1913年

2009-11-20 07:09:42 | 七郷地区

  四、郷土の範圍
 郷土の範圍は觀る人の立脚地によって異なってゐる。現世を假りの寓居と云ひ来世をこそ永遠安楽の郷土と觀ずる宗教家の郷土觀もこれ亦来世は一種の郷土かも知れん。外國に於ける邦人はまた帝國を郷土と思ふてゐる。亦関西に居る関東人が互いに寄り集って語る事のあるのはこれ関東と郷土としてゐるからであるし、東京に於ける同國人のみにて開かるる懇親會はこれ亦出生せる國・府縣を郷土として居るからである。また県立中等程度の學校生徒が同郡出身者を以て情誼を融和する為の邂逅も亦其の郡を郷土として居る考からである。然るに其の集まる所の多数は常に郷土に於て一面識もなきものであるが、只に自己の記憶に存する故郷の訛語があるからだ。亦郡中に高等小學校があって其の児童は各村より通學するとすれば各村より集る子供は自己の村を郷土として居る。また吾が學友團の設けがある各字の児童を一支部として自治的に活動さして居る學校に於ての彼等は其の出生せる字を郷土として居るらしい。また日夕父母の滕下を離れざる幼児の郷土は其の居室、其の房厨其の庭園であらう。
 単に郷土といふと斯の如くに範囲が一定して居ないけれども而し基礎的感念を養ふ上には如何にしても郷土を限定せねばならぬ。そこで郷土とは何処をいふか、町村を以て或は郡市或は府縣或は地方(関東とか関西とか)を以て郷土とする説即ち行政區域を以て郷土とすると云ふ説には余は賛同せぬ。若し行政區域に拘泥して郷土を定めたならば其の範囲内の事柄丈は詳しく注意するが其の範囲外の事には假令適當材料があっても郷土外として打ち捨ててしまはねばならぬ。其の上に行政上の郷土と経済上の郷土とは全然一致するものでもないと思ふ。結局行政上の區域を以て郷土とするときは甚だ偏した事柄を以て郷土科の全般のやうに狭く解釋して以て郷土直感の任務を盡したるものの如く誤解する事になる。
 基礎感念養成は多数児童の経験直感をその標準とするが根本である事は茲に云ふ迠もない事である。随って第一に學校を中心とする事になる。米国の或る學者は「學校を中心として半径は五里の円周内を郷土とす」と述べてある。亦佐々木吉三郎先生も「學校を中心とせる半径二里の範囲内」を郷土として以前の等距離説に賛同して居つたやうだ。而し余は之は面白くないと信ずる。何となれば各教科目が要求する基礎的材料の存否に依って其の範囲を限定せねばなりますまい。そこで各教科目の多方面よりの要求材料を網羅する地方であったならば必ずしも数里に限るにも及ばず、更に狭めても宜しからうし、若し其の材料が偏して居る地方では必ずしも数里と限らず他の事情の許す限り出来得るだけ廣く修學旅行でもして不足を補ふ譯にしなければならぬ。近来汽車汽船等の交通機関が軽便に利用せらるる世の中になったに就いては一日の行程は頗る廣くなった譯である。そこで直感範囲は必ずしも距離に正比例するものではない。他の金銭上、管理上の事情さへ差支なくば一日の直觀範圍は数十里に擴張する事が出来る。畢意徒歩時代の考を以て一日程を数里と限るのは理由の存しない事になる。そこで余は東京高等師範学校付属小学校にて研究せる結果確定したる案即ち「學校を中心とし一日に往復し得る地域を郷土とす勿論汽車汽船電車等の交通機関を利用するも支障なし」を以て適當なる郷土の範圍と思ふ。

   七郷尋常高等小学校(板倉禎吉編)『郷土研究』(嵐山町立七郷小学校藏)7頁~11頁


七郷村郷土研究5 基礎観念の養成 1913年

2009-11-19 07:06:00 | 七郷地区

  三、基礎感念の養成
 從来其の方法の上から次の三つに分られて居る。

 1尋常科五學年の始めに於て地理科に入る前二三週間を割きて地圖の見方其の他について授けんとするもの
 2一般の地理・歴史に入る前(主として尋常科四學年を終る迠に)一定の時間を割きて授け行くもの
 3尋常科四學年を終る迠に一定の時間を設けず主として讀本の郷土科的材料に連関をとりて附設し行かんとするもの

 この三者何れも長短はあるだらうが余は第三設に類せるものに依ってゐる。即ち尋常科四學年迠の教科重に讀本に於て養ひ(「吾が校に於ける基礎感念養成細案」に詳しくのぶ)更に尋常科四學年の終りに於て(凡そ三時間)之れを整理し、尚第五學年に昇級後各學年(重に地理科)に入る前に於て系統的に整理復習(二時間)するのである。またこの方面より見たる校外教授を研究して教授者の實地踏査及び系統的具體要項等によって校外教授前の豫備、教授後の整理をなすことが必要である。要するに基礎的感念は重に直接感察によりて養成さるるは申す迠もないが模型又は地圖(平面的抽象的)によりても養はるるものであります。

   七郷尋常高等小学校(板倉禎吉編)『郷土研究』(嵐山町立七郷小学校藏)5頁~7頁


七郷村郷土研究4 教材を地方化すべきこと 1913年

2009-11-18 06:59:00 | 七郷地区

  二、教材を地方化すべきこと
 文部省編纂の現今の教科書は云ふ迠もなく一地方を主として作られたものでなく全國に適すべく方針を取られたのである。其の教科書の教材が郷土に於ける現象に左程に綠の遠いものかと云ふに、見る人の目からするならば決してさうとのみとは限りません。中には山間地方の児童に海洋の現象の様なものもないでもないが之れも郷土の範圍を擴張してそして児童に直觀せしめたならば可能の事で其他に人文現象の如き最も困難とする所のものも一として皆之れを郷土によく連絡しえるもので郷土の現象に連絡すべからざるものは殆どないと云ふて支障ないのです。
 府縣の地誌が編纂せられて各小學校に教授せしめしは、法令の上に郷土の名が載せられし時代の事で、其の後郷土なる語が法令から取り去られた。余は之を惜むものだ。勿論郷土の意義も其の教科として必要なる理由もしかと理解せざりし為め、郷土誌の教授が無意義に終わりしならんも、一度法令から削除せらるると、恰も火の消えた如くに其の研究は止められた。而し時勢の進運は之が研究を促し来って今や其の聲漸く高くなった。
 抽象的なる地圖によって未經験な土地の事項を想像に訴へて教授せんとする所謂架空樓閣の地理教授に於て無意義無勢力に其の結果が終らうとする歴史科教授に於て児童の生活に没交渉なる終身科教授に於て、直觀の基礎なき名数の計算をなさんとする算術科に於ても其の想像の基礎となるべき觀念の教授は最も重大なる第一歩の仕事である。郷土直觀による基礎智識のなくては、単二地理歴史修身算術の各科のみならず、卑近なる活用方面を逸したる國語科の教授に於ても亦標本模型にとらはれたる理科の教授に於ても農村開發に直接関係ある農業科教授に於ても之れを完全に施すことは出来ないのである。そこで郷土材料を重視せよと云ふ思潮も當然起るべきのであります。茲に於て郷土に関係ある材料に留意すべきは勿論其の教材を出来得る限り地方的に化さなければならぬ。この研究の起ったのも全くそこに因るのである。

   七郷尋常高等小学校(板倉禎吉編)『郷土研究』(嵐山町立七郷小学校藏)2頁~5頁


七郷村郷土研究3 郷土研究の必要 1913年

2009-11-17 06:52:00 | 七郷地区

     郷土研究    板倉禎吉編
   第一編 緒論
  一、郷土研究の必要
 學校教育の迂遠となること從って小學校の卒業生が實社會へ出て役立たぬこと等を世間の者から聴くことは今始めてではないが自分等教育者の仕事は基礎的初等教育であるから實際生活と離るることは當然であると云はぬ許りに門外漢の駄評として聞き流すことは決して許さぬのである。
 教師は児童の脳中に何程記憶されているものがあるか。忘れてもよい即ち永久の不替紙幣を與へて置いても構はないと云ふ残忍なる考があるならばいざ知らず、苟くも自分の教へた事を多少なりとも彼等の日常生活に活用させるやうにしたいと云ふ同情心と熱心とがあったならば、是非共現今の状態に満足せずして之が工夫をせねばなるまい。
然り而して之れが方法としては郷土の直觀にあると思ふ。余は明治四十三年(1910)より之れに意を今迠しらべた。今それを茲に記し以て大方諸賢の高評を仰がふとするのである。要は郷土の直觀に結びつけぬ知識は大概無効徒労に歸すると断言してよいと思ふのである。

   七郷尋常高等小学校(板倉禎吉編)『郷土研究』(嵐山町立七郷小学校藏)


七郷村郷土研究2 郷土研究目次 1913年

2009-11-16 06:49:00 | 七郷地区

     郷土研究目次

第一編 緒論
   郷土研究の必要           一
   教材を地方化すべきこと       二
   基礎觀念の養成   五
   郷土の範圍             五

第二編 郷土研究
 第一章 郷土の陸界
  第一節 山地の觀察         一三
  第二節 平野の觀察         一九
  第三節 川の觀察          二二
  第四節 湖沼の觀察         二七
  第五節 陸界觀察上の注意      三一

 第二章 郷土の水界
  第一節 水界の觀念         三四
  第二節 海洋の觀察點        三六
  第三節 港湾            三七
  第四節 海洋の觀察         四二

 第三章 郷土の天文及び気界
  第一節 天文現象          四二
  第二節 太陽の觀察         四三
  第三節 月及び星の觀察       四五
  第四節 気界と人生         四五
  第五節 天氣・氣候及び其の觀察
  第六節 雨の觀察          四八
  第七節 郷土の氣候         四九

 第四章 郷土の博物界
  第一節 動物の觀察         五六
  第二節 植物の觀察         六〇
  第三節 無生物の觀察        六九

 第五章 七郷村の觀察
  第一節 七郷村の位置        七一
  第二節 七郷村の土地        七三
  第三節 住民及び分業        八一
  第四節 農業の觀察         八九
  第五節 七郷村の生産及び需用    九四
  第六節 村の政治         一〇〇
  第七節 七郷村に於ける人類團體  一〇二
  第八節 七郷村の家庭の觀察    一〇七
  第九節 七郷村の宗教       一一三
  第十節 七郷村の沿革       一三一
  第十一節 七郷村の交通      一五〇
  第十二節 七郷村の風俗習慣    一五三

 第六章 七郷村と隣村との比較觀察
  第一節 他町村との比較觀察
  第二節 節村の形と位置
  第三節 町の觀察         一六六
  第四節 村と町          一七三

 第七章 七郷村に於ける教化
  第一節 學校教育         一七五
  第二節 學校の觀察と其の應用   一七七
  第三節 社會教育         一八三
  第四節 神社等          一八八
  第五節 娯楽機関         一九〇
  第六節 宗教           一九二
  第七節 風俗           一九三

第三篇 各科教材に對する實際的研究
 第一章 修身科の研究        一九八
      尋常小學修身書巻一    ニ〇〇
      尋常小學修身書巻二    二〇一
      尋常小學修身書巻三    二〇三
      尋常小學修身書巻四    二〇六
      尋常小學修身書巻五    二〇八
      尋常小學修身書巻五    二〇八
      高等小學終身書巻一    二一三

 第二章 國語科の研究
  第一節 讀本之部
       尋常小學讀本巻一    二二二
       尋常小學讀本巻二    二三〇
       尋常小學讀本巻三    二三四
       尋常小學讀本巻四    二三九
       尋常小學讀本巻五    二四四
       尋常小學讀本巻六    二四八
       尋常小學讀本巻七    二五二
       尋常小學讀本巻八    二五七
       尋常小學讀本巻九    二六三
       尋常小學讀本巻十    二六八
       尋常小學讀本巻十一   二七二
       尋常小學讀本巻十二   二七九
       高等小學讀本巻一    二八三
       高等小學讀本巻二    二九〇
       高等小學讀本巻三    二九七
       高等小學讀本巻四    三〇四
  第二節 綴の部
       尋常小學第三學年    三〇八
       尋常小學第四學年    三一一
       尋常小学第五學年    三一四
       尋常小学第六學年    三一九

 第四章 算術科研究
       尋常小學算術第一學年  三二六
       尋常小學算術第二學年  三二七
       尋常小學算術第三學年  三二八
       尋常小學算術第四學年  三三〇
       尋常小學算術第五學年  三三二
       尋常小學算術第六學年  三三四
       高等小學算術第一学年  三三五
       高等小學算術第二學年  三三八

 第五章 地理科の研究
  第一節 尋常小學地理之部
       A、尋常小學地巻一    三四一
       B、尋常小學地巻二    四〇五
  第二節 高等小學地理之部
       A、高等小學地理巻一   四八五
       B、高等小學地理巻二   五六三

 第六章 歴史科の研究
  第一節 尋常小學日本歴史之部
       A、尋常小學日本歴史巻一 七五一
       B、尋常小學日本歴史巻二 七五一
  第二節 高等小學歴史之部
       A、尋常小學日本歴史巻一 七八四
       B、尋常小學日本歴史巻二 七九〇

 第七章 理科の研究          八〇一
       尋常小學理科第五學年   八〇八
       尋常小學理科第六學年   八一九
       高等小學理科第一學年   八二八
       高等小學理科第二學年   八三六

第四編 結論              八四五

     目次(をわり)

   七郷尋常高等小学校(板倉禎吉編)『郷土研究』(嵐山町立七郷小学校藏)