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埼玉県比企郡嵐山町地域史誌アーカイブ

わたくしたちの村すがや 32 ちゅうざいしょ 1965年

2010-05-31 06:21:04 | 『わたくしたちの村 すがや』(1965年)

4.ちゅうざいしょ
 村には、三つのちゅうざいしょがあり、そこには、おまわりさんがいます。おまわりさんは、わるいことがおこらないように、また、こうつうじこがおこらないように、村中を見まわっています。小川町のけいさつしょへ行って、夜もねむらないでしごとをしています。また、わたしたちには、安全に、つうがくできるように、正しいこうつうのきまりをおしえてくれるこうつうきょうしつをひらいてくれます。

   菅谷村立七郷小学校『わたくしたちの村 すがや』(1965年) 45頁


わたくしたちの村すがや 31 村のすいどう 1965年

2010-05-30 18:12:04 | 『わたくしたちの村 すがや』(1965年)

3.村の水道
 村の人びとが、よい水をあんしんして使えるように、きょ年、菅谷水道がつくられました。このしごとは、役場の水道がかりのかたがたです。
 水道の水は、よくしょうどくしてあるので、でんせん病のしんぱいはありません。
 また、水道の水は、わたしたちののみ水だけでなく、火事の時には、消火栓から水をとって、火をけすのにも、使われます。
 このように、べんりな水道も、まだ村の一部だけですが、近いうちに村全体にひろめるそうです。

  水道のようす
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   菅谷村立七郷小学校『わたくしたちの村 すがや』(1965年) 44頁~45頁


わたくしたちの村すがや 30 えいせい 1965年

2010-05-29 16:08:00 | 『わたくしたちの村 すがや』(1965年)

2.えいせい
 役場のえいせいがかりや、のえいせいの役員は、村の人びとのけんこうをまもるしごとをしています。
 これは、ごとにいる、区長やえいせいの役員が役場のえいせいがかりの人たちとそうだんをして、しょうどくや、村の人びとのえいせいけんさをしたり、よぼうちゅうしゃや、けんべんなどのしごとをしています。
 また、役場には、ほけんふさんがいて、とくに、赤ちゃんや、こどもたちのえいせいけんさをしています。このしごとには、わたしたちのおかあさんがたが愛育会という会をつくって、ほけんふさんにきょうりょくをしています。

 根岸いいん
 水野いいん
 石川しんりょうじょ
 田幡はいしゃ
 根岸はいしゃ
 大谷接骨いいん
 島本薬局

  2.えいせい
 役場のえいせいがかりや、のえいせいの役員は、村の人びとのけんこうをまもるしごとをしています。
 これは、ごとにいる、区長やえいせいの役員が役場のえいせいがかりの人たちとそうだんをして、しょうどくや、村の人びとのえいせいけんさをしたり、よぼうちゅうしゃや、けんべんなどのしごとをしています。
 また、役場には、ほけんふさんがいて、とくに、赤ちゃんや、こどもたちのえいせいけんさをしています。このしごとには、わたしたちのおかあさんがたが愛育会という会をつくって、ほけんふさんにきょうりょくをしています。

 根岸いいん
 水野いいん
 石川しんりょうじょ
 田幡はいしゃ
 根岸はいしゃ
 大谷接骨いいん
 島本薬局

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   菅谷村立七郷小学校『わたくしたちの村 すがや』(1965年) 43頁~44頁


わたくしたちの村すがや 29 しょうぼうだん 1965年

2010-05-28 15:56:00 | 勝田

  七 すみよい村
 (1)安全のくらし
 村には、人びとがあんしんしてくらせるように、いろいろなしくみがあります。
1.しょうぼうだん
 村では、火事をふせぐために、しょうぼうだんをつくっています。しょうぼうだんいんは、火事がおこると、すぐ火事場へ出かけます。また、空気がかわいて、火事のおきやすいころになると、わたしたちの家をまわり、「火の用心」と書いてある紙を、家中の者の見やすいところにはり、時々見まわりに来ます。そして、十二月になると、てんけんがあります。てんけんは、火事がおこった時にそなえて、ポンプのぐあいや、しょうぼうだんいんのはたらきのようすをしらべます。このように、大切なしょうぼうだんも、このごろでは、よそへはたらきに出かける者が多くなったので、火事がおきた時に、人びとが集まりにくいこともあります。

  消防ポンプ
   自動車ポンプ   4台
   可搬動力ポンプ  15台
   合計       19台
43171

43271

  消防団
団長
 副団長
  第一分団長
   第一部(菅谷)  15人
   第二部(川島)  13人
   第三部(志賀)  15人
  第二分団長
   第一部(平沢)  13人
   第二部(遠山)  13人
   第三部(千手堂) 13人
  第三分団長
   第一部(鎌形)  15人
   第二部(大根将) 13人
  第四分団長
   第一部(古里)  13人
   第二部(吉田)  13人
  第五分団長
   第一部(越畑)  15人
   第二部(勝田)  13人
  大六分団長
   第一部(広野)  13人
   第二部(杉山)  13人
   第三部(太郎丸) 13人

   菅谷村立七郷小学校『わたくしたちの村 すがや』(1965年) 42頁~43頁


わたくしたちの村すがや 28 わたしたちの代表(ぎ会) 1965年

2010-05-27 15:52:00 | 『わたくしたちの村 すがや』(1965年)

 (4)わたしたちの代表(ぎ会)
 村の中心になって、役場がしごとをしますが、村ぎ会は、村民からえらばれた村会ぎいん(村ぎ)があつまって、村のせいじのもとになるきまりや、しごとや、予算などをそうだんしてきめるたいせつな会ぎをします。
 菅谷村には、ぎいんさんが二十二人いますが、はなしあいのときには、ぎちょうさんが中心になってそうだんします。村ぎ会は、きまってひらく会が、年四かいありますが、そのほか、りん時にひらく会があります。

   菅谷村立七郷小学校『わたくしたちの村 すがや』(1965年) 41頁~42頁


わたくしたちの村すがや 26 ぜい金 1965年

2010-05-25 15:47:00 | 『わたくしたちの村 すがや』(1965年)

 (2)ぜい金
 村では、役場の人たちが中心になって、わたしたちのくらしにかんけいのふかいしごとをたくさんしています。これらのしごとのためにひつようなお金は、わたしたちの家でおさめているぜい金と、そのほか、県や国からくるお金や、きふ金、そのほかのお金などです。こうしたお金が、できるだけ大きなはたらきをするように、むだがないようにくふうしてつかわれます。

  1村民税    村民がはたらいたお金の中からおさめる。
  2固定資産税  土地や家をもっている人がおさめる。
  3たばこ消費税 たばこをすう人は、たばこの中にぜい金がふくまれている。
  4電気ガス税  電気代といっしょにおさめている。
  5軽自動車税  軽自動車をもっている人がおさめる。

   菅谷村立七郷小学校『わたくしたちの村 すがや』(1965年) 40頁


わたくしたちの村すがや 25 役場のしくみやしごと 1965年

2010-05-24 15:44:00 | 『わたくしたちの村 すがや』(1965年)

 (1)役場のしくみやしごと
 村のしくみの中心になるものは役場で、村の中心にあります。
 村長さんは、村のけいかくをたて、予算案を作ってぎ会にだし、ぎいんさんたちにそうだんしてもらいます。
 ぎ会できめられたことは、村長さんを中心にしておこなわれますが、ここには村長さんのしごとをたすけるために、助役さんや、収入役さんをはじめ、たくさんの人たちが、しごとをわけてはたらいています。
 つぎのひょうでわかるように、役場では、わたしたちのくらしとかんけいのふかいしごとをたくさんしています。

  ・役場のしごと ( )は人数
村長
 助役
  そうむ課(10) 役場の中のこと。いろいろなお知らせ。しなもののかい入れ。とうけい。村のしごとのけいかく。生まれた人。しんだ人。いんかんとどけなど。
  ぜいむ課(10) のうぜいをさかんにするためのしごと。納期のゆうよ。しょうめい。とうけい。お知らせ。ぜい金のわりあて。ぜい金をあつめる。
   こう生課(9) こまっている人のそうだんあいて。年金のてつだい。よぼうちゅうしゃ。しょうどく。けんこうほけんぜいをあつめたり、はらったり、けんこうしんだんなど。
  産業建設課(11) 工事の入札。けいやく。用水。排水などをよくして、作もつがよくとれるようにする。道ろやはしをつくったり、なおしたりして産業をさかんにするしごと。菅谷村の水どうのしごと。

 収入役
  すいとうがかり(2) お金の出し入れのしごと。

・せんきょかんりいいん会(2) せんきょのしごと。
・きょういくいいん会(20)

   菅谷村立七郷小学校『わたくしたちの村 すがや』(1965年) 38頁~39頁


わたくしたちの村すがや 24 くらしと役場 1965年

2010-05-23 15:41:00 | 『わたくしたちの村 すがや』(1965年)

  六 くらしと役場
 役場では、村の人々のために、いろいろなしごとをしています。わたしたちのために、学校をたてるとか、道や、はしを作ったり、なおしたりすることや、学校きゅうしょく、しょうぼう、えい生、水道など、たくさんあります。

   菅谷村立七郷小学校『わたくしたちの村 すがや』(1965年) 37頁~38頁


わたくしたちの村すがや 23 ゆうびんとでんわ 1965年

2010-05-22 15:38:00 | 『わたくしたちの村 すがや』(1965年)

 (4)ゆうびんとでんわ
1.菅谷村から、かく地に手がみやはがきは何日ぐらいでとどくかしらべてみましょう。
 とおくはなれているところとむすんでいるのが、ゆうびんやでんわです。
 菅谷村には、やく百七十本のふつうでんわと十四本のこうしゅうでんわがあり、わたしたちのくらしをべんりにしているだけではなく、しごとのことやしな物のうりかいのことでも、大せつなやく目をしています。
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   菅谷村立七郷小学校『わたくしたちの村 すがや』(1965年) 36頁~37頁


わたくしたちの村すがや 22 品物のいきき 1965年

2010-05-21 07:24:53 | 『わたくしたちの村 すがや』(1965年)

 (3)品物のいきき
1.わたしたちの村からは、どんな物が、どこへ送りだされているかしらべてみましょう。
2.わたしたちの村には、どんな物が、どこから送られてくるかしらべてみましょう。
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 菅谷村からは、米は、おもに小川の酒造会社に送られ、麦は、川ごえ市(埼玉県)、兵庫県、神奈川県に送られます。また、まゆは、熊谷市、東松山市のせい糸工場に売り出しています。明星ラーメンは、神奈川県、東京都に送りだされています。うり、たまご、しいたけなども、はんばい先でよろこばれるように、大きさやひんしつをそろえてきょうどうで東京へしゅっかします。
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 また、菅谷村には、かく地から、自どうこううんき、のうやく、ひりょうなど、いろいろなしな物が送られてきます。
 しな物は、トラックで多くはこばれますが、鉄道でとおくの地方から送られ、えきからトラックで工場や店にはこばれます。ふねで東京につき、東京からトラックではこばれるものもあります。
 このように、菅谷村の人たちは、近くの(村)ばかりでなく、とおい地方ともつながりをもちながらくらしています。

   菅谷村立七郷小学校『わたくしたちの村 すがや』(1965年) 35頁~36頁


わたくしたちの村すがや 21 人びとのいきき 1965年

2010-05-20 07:19:00 | 『わたくしたちの村 すがや』(1965年)

 (2)人びとのいきき
 毎朝、武蔵嵐山駅はたいへんこんざつします。
 つとめに出かける人、学校にかよう学生でいっぱいです。えき長さんにきいてみますと、毎日電車にのりおりする人は八百人もいるそうです。
 さいきん駅の近くにラーメン工場や嵐山ゴルフ場ができてからは、東松山市や小川町のちかくの人たちや、東京の人たちも電車にのってきます。
 つとめに通う人たちや学校に通う学生は、おもに東松山、川越、東京方面にいきます。
 そのため電車は朝の六時前から八時ごろまではまんいんだそうです。これはこうとう学校へいく人が多くなったことと、農家の人びとが便利なきかいや道具をつかって仕事をするようになり人手があまるので、町へはたらきに出かけるようになったからだそうです。(六百人位)駅にとおい人たちは朝早くバイクや自転車、バスで駅まで行って電車にのります。
 そのため駅の近くには、のりものをあずかる家もたくさんあります。
 また電車にのって、東京のデパートなどに買物にいく人もずいぶんたくさんいます。
 休みの日には、どうぶつえんやゆうえんちなどにあそびにいく人もいます。
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・わたしたちも人びとのいききするわけをかんがえてみましょう。
・菅谷村の人たちは東京方めんのほか、どんなところへはたらきにいっているか、しらべてみましょう。

   菅谷村立七郷小学校『わたくしたちの村 すがや』(1965年) 33頁~34頁


わたくしたちの村すがや 20 道ろやてつ道、バス 1965年

2010-05-19 07:14:00 | 『わたくしたちの村 すがや』(1965年)

  五 ほかの地いきとのむすびつき
 (1)道ろやてつ道、バス
1.道ろ 菅谷村とまわりの町や村をむすぶおもな道ろは、東松山市と小川町をむすぶ国道があります。
 熊谷市と小川町をむすぶ県道と、川本村と滑川村月輪をむすぶ県道、東松山市と槻川村をむすぶ県道の四つがあります。
2.鉄道 菅谷村菅谷には武蔵嵐山駅があって、東武東上線がとおっています。池袋までは、やく一時間二十分でつきます。朝や夕方のほかのうんてんは、だいたい一時間ごとに発車しています。
3.バス 熊谷市をでて小川町をへて皆谷へいく路線があります。また東松山市を出て嵐山駅や嵐山へいくろ線と東松山から出て西平をむすぶろ線と、熊谷市を出て、古里、武蔵嵐山駅をむすぶ四つのろ線があってとくに古里と嵐山駅をむすぶろ線は七郷地区の人たちの大切な足となっています。
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   菅谷村立七郷小学校『わたくしたちの村 すがや』(1965年) 31頁~32頁


わたくしたちの村すがや 19 みせではたらく人びと 1965年

2010-05-18 00:15:00 | 『わたくしたちの村 すがや』(1965年)

 (6)みせではたらく人びと
 菅谷村のおみせは、えきのちかくにおおく、えきにとおいところはたいへんすくないのです。
 えきのちかくのおみせは、ぶんぼうぐや、にくや、かしや、花や、ようひんてんというように、みちのりょうがわにならび、そこではたらく人もたくさんいます。ごごから夕がたにかけてかいものの人でにぎやかです。

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 しかし、七郷地区やえきにとおく農家のおおいところでは、みせはところどころにしかありません。そして一つのみせで、ぶんぼうぐ、おかし、にちようひんなどなんでもうっています。よろずやといいます。
 わたしたちのすんでいる七郷地区ではどんなところにみせがあるか、地図をつくってしらべてみましょう。
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   菅谷村立七郷小学校『わたくしたちの村 すがや』(1965年) 30頁~31頁


わたくしたちの村すがや 18 つとめにかよう人 1965年

2010-05-17 23:58:00 | 『わたくしたちの村 すがや』(1965年)

 (5)つとめにかよう人びと
 わたしたちのすんでいる農村で、どのような人がつとめにかよっているかしらべてみましょう。
 「村の人びとのしごと」のところでべんきょうしたように、菅谷村の半分いじょうが農家です。とくに七郷地区は十分の九が農家で、農業をやっていない家は大へんすくないのです。
 しかし、村にある工場や役場、遠くは東京までつとめにいく人がたくさんいます。
 次のグラフを見ましょう。

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 このグラフでわかるように
・農家といっても農業をやっているのは、おかあさんをちゅうしんに、おじいさん、おばあさんで、おとうさんのおおくはつとめにでています。
・冬のひまな時は、おかあさんまでつとめにでています。
・にいさん、ねえさんのだいぶぶんはつとめにでています。

 また、次のグラフにあるように、つとめるところもいろいろあります。

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 おとうさんやおかあさん、それからおとしよりからむかしの人のしごとについて、いろいろはなしをきいてみましょう。

   菅谷村立七郷小学校『わたくしたちの村 すがや』(1965年) 28頁~29頁