朱禪-brog

自己観照や心象風景、読書の感想
を書いてます。たまに映画も。

【終】故郷について

2020-01-18 09:11:09 | 旅行
チェジュの宿は韓式の旅館であった。
日本なら民宿といったものだ。

床はオンドル(床暖)仕様でポカポカと暖かい。季節にもよるだろうが、外気が少々冷えていても比較的薄手の寝具で寝れる。

翌日は韓国最高峰の山。
漢拏山(ハルラサン、ハンラサン)へ馬に乗りに行った。

山の麓に乗馬コースがあると言う。
韓国馬は蒙古馬で、西洋馬より体高も低く、足も短い。
ポニーに属するようだ。

体高は120~140程度か。
乗ってみたが、視線が高くかつ揺れて
馬上でバランスがとれない( ^_^ ;)

映画やドラマで、馬で駆けているがとても駆けるなんてなものは無理で、バランスをとるのがやっと。
ほうほうの体で初体験を終える。

その後、祖母と叔父とで先祖のお墓に向かう。
そのお墓は土葬であり、1mほどの凸を持った楕円のお墓であった。

供物のリンゴ、ミカン、柿、バナナを供えて韓式の拝礼を行う。
先祖と言われてもピンとこないが、叔父→私→祖母の順で拝礼をする。

むしろを引いて、お下がりの焼酎を飲みながらしばらくそこに留まる。

焼酎は漢拏焼酎である。
チェジュの地焼酎で、度数が21度とソウル、釜山の度数より高い。

その間、叔父は写真を撮り、祖母はコサリ(ワラビ)とヨモギを採りに場を離れた。コサリ(ワラビ)はテールスープに入れて、ヨモギはヨモギ餅を作るようだ。

テールスープの元になる牛のしっぽは
昨晩から親戚の台所で煮込んでいた。
牛のしっぽは、オスではなくメスを調達している。
メスの方が肉質が柔らかく美味しいとのことだが、しっぽでオスメスの目利きをする祖母に驚いたものである。

ご先祖のお墓参りを終えて昼食に向かう
海岸線沿いにある、食堂に入る。
言葉に不自由しないのでどこにでも行けるのが祖母との旅である。

出てきたのは、海鮮鍋(ヘムルタン)であった。

大きな真鍮鍋に、アワビ、ハマグリ、サザエ、車海老、わたり蟹、鯛、河豚の白子、タコ、イカ、白菜、がどっさり盛られてグツグツ煮て食す。
唐辛子は抑え気味だ。
全て採れたてなので、これまた味は抜群であった。

祖母も叔父それに私も、よく食べる。
韓式の錫製の箸に手こずりながら(滑る)、三人が無言でひたすら食べる。

ちなみに韓国では食事の時は箸と匙である。日本と違い匙で米をいただく。

今ではアルミ製もあるが、基本、錫で作ったメシ茶碗であるので、特に炊きたてご飯の場合は熱伝導がよい為に熱くて持てない。故に匙で食べると教わった。
スープも匙でいただく。
スプーンでもなく、レンゲでもなく、匙である。
持ち手が長いので鍋に持っていっても手が熱くならない。

途中、親戚のジヨンさんが来て先ほど採ったコサリ(ワラビ)を取りにきた。
アク抜きをして、テールスープに入れる為だ。

食事を終えて、腹ごなしに海岸線沿いを散歩する。

遊歩道近くには、新婚旅行でチェジュを訪れた人達が各々写真撮影に励んでいた。女性は皆、チマチョゴリを着ている。
皆さんベッタリでいかにも新婚さんいらっしゃい~と当時の桂三枝に言われるようだ。

ここは西帰浦(ソギッポ)と言う所で、済州島四.三事件の慰霊碑が建立されている。
1948年発端~1957年の完全鎮圧までに島民80,000人が当時の韓国政府軍及び関係者に虐殺されたという歴史がこの島にはある。

私の祖父はこの虐殺から逃れる為に日本に渡ってきたようだ。
大阪には在日コリアンが多く定住しているが、済州島出身が多いのはこの為である。

歴史の闇を知った一人の在日コリアンの私だった。祖父も祖母も父親もこのことは伝えてくれなかった。
この地に来て初めて、涙ながらの祖母から聞いた。

気を取り直し、さらに海岸を一人で歩く。祖母と叔父は別の親戚に会うために私と別れた。

夕飯までに、ジヨンさんの家に戻ればいいので時間には余裕がある。

季節は4月の中旬で厚手の上着は要らないがスィングトップは必要かという気候であったが、実はバッグに海パンとバスタオルを入れていた。

砂浜を求めて地図も無しに歩く。
30分程歩くと砂浜が見えている。
松林の影で着替えを済まし、海パン姿の男がやおら現れたので、地元の方が怪訝な顔つきで私を見たのを思い出す。

寒い😷、水も冷たい。。
が、次チェジュに来れる可能性はわからないので頑張って泳ぐ。

帰りのタクシー代を入れたバッグが盗られないようそこへは注視していた。

20分程度海にいたが、寒さで体温が下がってきたのであがる。

そそくさと着替えをして、もと来た道を戻り、自販機でホットコーヒーを二杯飲んだ。

ホットコーヒーは砂糖何杯入っとるんや?とツッコミながら飲んだのを思い出す。

タクシーに乗りジヨンさんの家の住所を書いた紙をみせる。
到着すると、祖母が濡れた頭を見て何をしてたんやと聞くので、海で泳いできたと答えるとジヨンさんも周りにいた親戚にも大笑いされた。

私も笑いながらにも、これで当初の旅の目的は果たせたと満足だった。
一、ご先祖の墓参り
二、チェジュで泳ぐ
ともに果たせた笑

夕餉は祖母特製のテールスープである。
骨から身をとりスープの中に骨はない。
コサリ(ワラビ)と牛身が同色になっているので、かつ歯ごたえが似ているのでどちらが肉でどちらが山菜なのかわからん。

これは貧しかった頃、コサリ(ワラビ)を牛のしっぽに見立てて作ってみたところ思いのほか、評判が良かったらしくそれ以来、チェジュに来たら必ず作る鉄板メニューだったそうだ。

夕餉を終えて、縁側に腰掛けチェジュドを回想してみた。

風と岩の島。たくさんの燕。
新鮮な食材。澄んだ大気と美味しい水。

来て良かった。

あれ以来30年が経過したが
チェジュには行ってない。

お墓参りと海水浴が出来てよかった。







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