goo blog サービス終了のお知らせ 

朱禪-brog

自己観照や心象風景、読書の感想
を書いてます。たまに映画も。

なぜ日本語で書くのかについて

2021-09-25 04:33:52 | 日記
なぜ日本語で書くのか
思い当たったので少し自分なりに
考えてみました
以下独白になります

生まれも育ちも教育も日本という環境だ
税金も支払う義務もある
また、コロナで全国民に特別給付金が
給付されたがその給付も受けた

仕事上ではあるが給付申請書もお届けさせて頂いた
最近は取り立てて告白?することもないが、どうだろう?
20~30代頃は、親しくなった人に
自分が在日韓国人であることを
話すことがあった

その際に決まって言われたのが
「あ~やっぱりそうだったんだ」
「なんか日本人ぽくないと思っていた」
だった

自らの存在価値と言えば大げさだが
アイデンティティを問うた際には
国籍という生まれた時から持ったものがある

普段は自分の国籍が大韓民国済州道特別自治州朝天面新興里にあることを
振り返ることもない

ましてやいまは海外出張に行く機会もなく、パスポートはとっくに切れたままだ

しかし、その時の私はやはり知人に
告白という心境で話したようだ

悪いことでもなく、自慢することでもなくだが、本来の私を知って欲しいという人には自らの出自を明かした

もっと若い10代の頃は、お付き合いしていた女性に何ヶ月も悶々と悩み、
結果的に告白したこともあった

「えっ?知ってたで」と言われたことも
あったが(笑)

今も、この独白を綴る際にも
私の思考は日本語であり、思考そのものを日本語で書いている

生活においても然り
ハングルでは疲れたとかしんどいを
「ピゴナダ」「ヒンドゥロ」と訳すが
「ヒンドゥロ」(しんどい)が先にきて
「しんどい」にはならないし、なり得ない

言わば、脳のヒダの奥の奥まで
日本語が染み込んでいると言ってよい

私の叔父は生きていれば82、3歳ですが
大学を出て、東京のある小さな出版社を
受けた時に
「朝鮮人は学業及び入社試験が優でも
とらない」と言われたそうだ

スポーツ万能で高校時代はバドミントンの個人戦で大阪府内で優勝し、
国籍ゆえにインターハイに出れなかった
叔父は
その出版社の社長宛に直々に手紙を
送ったそうだ
単に手紙を送ったとしか聞かなかったが、このことが社長の目にとまり
入社が叶ったという

今から60年前はこれらが高い壁となっていた時代も事実としてあった

その叔父がよく言っていたのが
「アイデンティティを問う」と
「根無し草」だった

アイデンティティに立ち返った際に
おのずと事実として屹立するのは
国籍
根無し草に立ち返った際には
日本が祖国なのか韓国が祖国なのか
わからなくなることだと解釈している

現実的に今の私が国籍上の祖国へ
行き、そこでの生活を立ち上げることは
非現実的だ

国籍上の故郷、済州島に行った時に
入管で質問されたが、言葉がわからず
呆れた仕草で「もういいから、行け」の
ゼスチャーを受けた時に
俺は何人なんや?とも思った

そんな時に叔父の言ってた
「根無し草」がピンときたのが思い出される
根をはっているようでそうでない
しかし、自らのアイデンティティは
失ってはならない

仕事中に中学生や小学生の下校時間に
出くわすことがよくある

中国系の生徒はその同じ国籍を持つ
友達と流暢な北京語で会話する
フィリピン系、ヴェトナム系、ロシア系
の生徒達も然り。
そして、親御さんとも流暢な母国語と
日本語を交えて会話する

正直、「凄いなー」と思う

私は日本という国が嫌いではない
自分の肌感覚でだ
そして、パスポート上の祖国も
嫌いではない
しかし、そこに「生きる」という
肌感覚はない

独白なので、うまく伝えれない
しかし、この伝えれないと思うことでも
書くのが
今の私の
「なぜ日本語で書くのか」というのかも
知れない








最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。