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リベラリズム=近代主義 お説教の復習 

2010-02-07 | 左派(リベラル)
自由主義神学(じゆうしゅぎしんがく、Liberal、リベラリズム)は、キリスト教の、主にプロテスタントの神学的立場の一つ。その発生以来、プロテスタント教会の主流派、エキュメニカル派の多くが採用する立場。「自由主義」の語は社会学・政治学用語からの仮借であり、神学分野では「歴史的・組織的な教理体系から自由に、個人の理知的判断に従って再解釈する」の意である。

一部の甚だしく急進的な派では、イエスの母マリアの処女懐胎やキリスト教信仰の中心ともいえるイエスの復活をも事実とはせず、神の存在をも肯定しない。
この段階に達すると、聖書と基本信条に示される三位一体の神を信じる、歴史的なキリスト教の正統信仰の枠から、完全に逸脱する。異端神学というより、その宗教性そのものが根本から問われる。改革派の保守的神学者メイチェンは、自由主義神学(リベラリズム)はキリスト教では無いと断言した。

現代の西方教会においては、カトリック教会、および日本基督教団[1]、ルーテル教会各教派などのプロテスタント各主流派(メインライン・プロテスタント)がこうした立場を受け入れている。これらの教会は、その立場に立たない教会からは、リベラル派、エキュメニカル派と呼ばれることもある
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%94%B1%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E7%A5%9E%E5%AD%A6

<近代合理主義とキリスト教>
近代合理主義は合理的なキリスト教を目指す理神論を生み出しました。17~18世紀にかけて理神論はイギリスで盛んになり、フランスやドイツへその影響を広げました。これはキリスト教の基礎をその合理性に求め、キリスト教から反理性的、神秘的要素を排除し、科学的合理性との調和を目指す思想でした。また近代神学の父と言われるシュライエルマッハーに始まる自由主義神学が形成されました。
近代合理主義はまた国家理性による自律した新しい国家をも誕生させました。

-理神論-
啓蒙主義は一切を理性の光に照らして見ようとする立場で、近代合理主義の一つの流れです。そこでは人間の理性による神の理解が神の啓示(*1)に優先し、啓示に基礎を置かない宗教「神の干渉なき自然宗教」が主張されます。理神論はニュートンなどの科学的法則の発見を背景に、合理的な宗教を目指す啓蒙主義的キリスト教として登場しました。
理神論は17世紀初めの思想家エドワード・ハーバードを先駆者としてイギリスで盛んになり、フランスやドイツに広まりました。
哲学者ジョン・ロックは「キリスト教の合理性」でキリスト教の基礎はその合理性にあるとしました。
こうした考えはジョン・トーランドの「神秘的ならざるキリスト教」、理神論の聖書とされるマシュー・ティンダルの「創造の昔からのキリスト教」によっても展開されました。
理神論では神を世界の創造者として認めるものの、ひとたび創造された世界はそれ自身の法則によって自律しており、歴史において神の摂理や奇跡が介入する余地はないとされます。こうしてキリスト教から反理性的神秘的要素が排除され、近代の科学的合理性との調和が目指されたのです。

-自由主義神学-
自由主義神学は「文化神学」とも言われ、シュライエルマハーの神学が基礎となっています。
自由主義神学では伝統に縛られず、近代科学の成果もとり入れ、批判精神と実証的な歴史研究に基づく聖書や教会史の歴史的、批評的研究が進められ、そこから、のちの「史的イエス」研究も進展しました。
自由主義神学の第一段階を代表すろのが、テュービンゲン学派の創立者F.C.パウルです。彼はヘーゲル哲学を新約聖書に適用し、原始キリスト教史を、ペトロに代表されるユダヤ主義的傾向とパウロに代表されるギリシア的傾向が対立し、その対立がヨハネ文書において総合されていくという弁証法的過程と解釈しました。

第二段階のA.リッチュルはカント哲学の影響の下にキリスト教を倫理的実践によって自己の真理性を証明する宗教としました。リッチュル学派の近代主義的プロテスタント思想はA.ハルナックの「キリスト教の本質」によって広く知られるようになりました。
第三段階の宗教史学派はリッチュル学派の内部に批判的勢力として形成され、キリストを啓示宗教(自然宗教の対語、その教えは人間がつくったものではなく、すべて神の啓示に基づくものとする)として見る前提を捨てて、周辺の宗教的環境との関係からその成立と特殊性を把握しました。宗教史学派の理論を体系化したE.トレルチは「キリスト教の絶対性と宗教の歴史」を著しました

 ヨーロッパ各地でプロテスタント教会と対抗したカトリック教会は度重なる宗教改革や革命によって後退を余儀なくされました。
また啓蒙主義とフランス革命に見られるような合理主義と国家主義の台頭を受けて、近代ヨーロッパ文明の発展に影響力を殆ど持ちませんでした。
さらにトリエント公会議以降は伝統主義路線を選択し、第二ヴァチカン会議に至るまで、ほぼ一貫して反近代主義の立場にたちました。

http://www.ne.jp/asahi/koiwa/hakkei/kirisitokyou22.html

<近代主義(モダニズム)>
キリスト教における近代主義とは、一般的に近代科学の成果を認め、聖書の歴史的・批評的研究を取り入れて伝統的な教理を再解釈しようとする立場で、近代聖書学として発展しました。
カトリック近代主義の父と呼ばれるA.ロワジーは聖書を歴史的、批評的に研究した「聖書の教説」によって大学教授の職を追われました。さらに1908年「共観福音書」によって教会の伝統に公然と反する見解を述べて破門され、その全著作は「禁書目録」に載せられました。
英国教会の近代主義は広教会主義(英国教会の内部における自由主義的な神学傾向の名称)を基盤として始まりました。1898年、H.シュドール、W.R.イングらが「近代主義教会員連盟」を結成し、教理と典礼の伝統主義からの脱却を目指しました。
アメリカでは、近代主義は根本主義と激しく対立し、つねに論争を繰り返しました。根本主義はバプテスト派や長老派を基盤として南部の諸州で支持されたのに対して、近代主義は北東部のニューイングランド地方の英国教会を背景に力を持ちました。
近代主義に対して反近代を掲げたのは、カトリック教会の伝統主義とプロテスタント教会内部の根本主義でした。しかし近代主義を超え、脱近代化の方向を指し示したのは、バルトに始まる新正統主義です。そして後近代(ポスト・モダン)における神学として神の死の神学、解放の神学、フェミニスト神学などが登場しました。

 -近代聖書学-
近代聖書学はJ.S.ゼムラー(1725~91)によって拓かれました。 彼は聖書を研究するにあたり、教義の伝統的な解釈に縛られない厳密な歴史学的方法を適用しました。
その後、19世紀の自由主義を経て、旧約聖書では「モーセ五書研究」、新約聖書では「史的イエス」の研究を中心に、実証的な文献学的方法が適用されるようになり、20世紀に入り、それは歴史的、批評的聖書学として確立されました。
「史的イエス(歴史的に実在したイエスの真の姿)」の研究は理神論に立つライマールスから始まりました。そして19世紀の思想家シュトラウスの『イエス伝』やルナンの『イエスの生涯』など多くの著作が、その成果として生まれました。
これらは「神であり人である救い主イエス・キリスト」という教義から自由になり、「人間イエス」の伝記を描こうとしたものです。
近代聖書学は聖書の成立までに、口伝→成文化→聖書の本文となる伝承の発展段階を仮定し、それを遡ることによって、聖書の背後の歴史的な事実をとらえようとしました。

<根本主義(ファンダメンタリズム)>
19世紀後半から20世紀初頭にかけて、ヨーロッパの自由主義神学の影響がプロテスタント教会に波及しました。進歩的な考えを持った一群の神学者たちは、社会の進歩を楽観的に信じる「社会的福音」(*1)を説き、ダーウィンの進化論などの科学的主張と宗教の調和を図りました。
しかし近代聖書学の歴史的、批評的研究が伝統的な聖書信仰への脅威となると、保守的な指導者は進歩派を激しく攻撃しました。保守派と進歩派のこの対立は,しばしば異端尋問のような様相を呈しました。保守派は、彼らがキリスト教の信仰の「根本的教理」とみなすもの(聖書の絶対性やキリストの超人間性など譲りえないとしたもの、後記)に固守したことから「根本主義者」と呼ばれるようになりました。
根本主義者は反近代主義の立場にたち、その逐語霊感説(*2)によって聖書が歴史的にも科学的にも誤りなき神の言葉であると主張しました。
またキリスト教の信仰の「根本的原理」として、神による世界創造、キリストの神聖と処女懐胎、キリストの死による全人類の救済、キリストの復活と再臨、聖霊の働き、不信者の永遠の刑罰などを主張しました。
根本主義者は1960年代以降は「福音派」と呼ばれ、強硬な政治的主張を掲げて行動する場合は「宗教右翼」とも呼ばれるようになりました

<解放の神学>
「解放の神学」とは抑圧され、苦難の中にいる人々を「解放」するために社会構造と価値観の変革を試みる神学で、「福音」の本質を聖書の「予言者」やイエスの言動に照らし合わせて抑圧された人々の「コンテクスト(歴史的、社会的、文化的現実)」からとらえ直し、そうした現実からの「解放」として理解するものです。
「中南米の解放の神学」とは先進国に経済的従属を強いられ、一部の特権を持つ人々だけが富を占有する中南米諸国の成長を「コンテクスト」として展開されました。1950年代から貧困に苦しむ民衆とともに、カトリックの司祭らは「キリスト教基礎共同体(BCC)」を形成しました。1968年のラテンアメリカ司教会議は「貧者の最優先」の方針を打ち出し、BCCを教会として承認しました。
この会議でペルーのBCCの活動を報告したグディエレスは、それをもとに1971年、「解放の神学」を刊行しました。
「黒人解放の神学」は北アメリカの1950~60年代の公民権運動(*3)の高まり、ブラック・パワー運動(*4)を受けて、「神は黒人」という衝撃的な提唱とともに、J.H.コーンが糸口を開きました。コーンは被抑圧者の象徴する「黒人性」に言及し、人種差別的な価値観や社会構造の変革を主張しました。
「女性解放の神学」は1970年代に北アメリカに起こりました。 聖書を含め、キリスト教の伝統や神学に見られる霊と肉、男と女、歴史と自然などの二元論的思考を性差別の根源として批判し、性差別の現実とそれを支える価値観からの解放を主張しました。

<エキュメニカル運動>
エキュメニカル運動とは全キリスト教会一致促進運動のことですが、現代のエキュメニカル運動の出発点は、1910年にエジンバラで開かれた世界宣教会議です。1921年のニューヨーク会議で名称を「国際宣教協議会」と新たにし、超党派的な宣教師派遣団体を世界的な組織としてまとめました。
これをきっかけに、社会活動の分野で教会一致運動を推進していた「生活と実践運動(*5)」は、1925年ストックホルムで第一回世界会議を開き、奉仕活動においては、教理的な違いを超えて諸教会が一致できることを確認しました。また職制や聖礼典の相互理解を通して教会の一致を目指す「信仰と職制運動(*6)」も1927年ローザンヌで第一回世界会議を開き、その活動を開始しました。
この二つの運動が1948年に合併し、世界教会協議会(WCC)を設立し、さらにその第三回WCC総会で、国際宣教協議会がこれに合流しました。現在WCCにはプロテスタント教会、英国教会をはじめ、東方正教会、コプト教会などの東方諸教会を含む120カ国324教派が加盟しています。
ローマ・カトリック教会は、当初、エキュメニカル運動に対して否定的でしたが、教皇ヨハネス23世によって開催された第二ヴァチカン公会議において、方針を大きく変更し、エキュメニカル運動を積極的に促進することを決定しました。その結果WCCとローマ・カトリック教会との間に共同委員会が設置され、エキュメニカル運動は大きく前進しました。

<第二ヴァチカン公会議>
第二ヴァチカン公会議はヴァチカン市国でのサン・ピエトロ大聖堂で開かれた第二十一回目の公会議です。1962年、教皇ヨハネス23世が召集し(第一会期)、その死後はパウルス6世が継続しました。
ヨハネス23世は信仰の遺産を忠実に守るだけでなく、福音に従って、現代における様々な問題を理解し、現代的な表現で福音を宣べ伝えるため、カトリック教会を「今日化」するという基本理念を主張し、これに基づいて、会議では活発な議論が行われました。
この公会議では「典礼憲章」「教会憲章」「啓示憲章」「現代世界憲章」の4憲章のほか、「広報機関」「東方カトリック教会(*7)」「エキュメニカル運動」「司教の司牧」「修道生活の刷新」「司祭養成」「信徒使徒職」「宗教活動」「司祭の任務と生活」に関する9教令、キリスト教教育、他宗教、信教の自由への教会の態度を示す3宣言が発表されました。
この公会議において、カトリック教会はエキュメニカル運動を積極的に進める方針を採択、典礼でラテン語でなく母国語を使用することについての規制緩和をはじめ、ユダヤ人に対する偏見を改めること、他宗教との対話の促進を決定しました。
こうした動きは、19世紀以来のプロテスタント教会の動きに歩調を合せるものであり、全キリスト教会再一致への歩みと他宗教との対話の成果は、キリスト教の将来を方向づけるものとして注目されています。

<宗教間対話>
キリスト教が、他の宗教と真の意味で対話的な関係に入ったのは、全キリスト教会再一致を目指すエキュメニカル運動の延長として、それが考慮されるようになった20世紀以降です。
宗教間対話では、ヨーロッパ諸国の植民地政策を可能にした近代的価値観が批判され、そこには、それとともに全世界に広まったキリスト教のありかたについての問い直しも含まれました。
第二ヴァチカン公会議以後のカトリック教会は、他宗教に対する排他主義的な考え方を放棄して、宗教間対話を進めており、プロテスタント教会も、極端な根本主義を除けば、対話路線をとりました。

宗教間対話では宗教哲学が一定の役割を果たしました。
トレルチは比較宗教学の見地から、キリスト教の絶対性を否定し、キリスト教とそれ以外の宗教を、それぞれの伝統と文化的な背景をもつ対等なとして見る視点を提供しました。
またプロセス神学(*9)の立場をとるカブはキリスト教の本質を「自己を創造的に生成する」プロセスに求め、他宗教との間に、単なる対話や相互理解を超えた積極的な相互深化の可能性を追求しています。
日本では南山大学の宗教文化研究所が中心となって、仏教とキリスト教との宗教間対話を行っています。
さらにキリスト教会の宗教間対話が実質的に他宗教を取り込もうとする包括主義(*10)に過ぎないとして批判して、一層ラディカルな宗教多元主義(*11)に基づく宗教間対話を訴えるヒックのような神学者もいます。

http://www.ne.jp/asahi/koiwa/hakkei/kirisitokyou23.html