第二ヴァチカン公会議の頃には、新進気鋭の教義神学者として活躍。その後も一貫して神学者として教壇に立ち、1981年、教理省長官に任命されてからは、カトリック教会の教義の元締めとしての職務を果たしてきていた。直接、信者たちと向き合う司牧の責任を担当したのは、1977年にミュンヘン・フライジング教区の大司教として赴任したわずか4年間だけである。複雑な現代社会の中でもがき苦しむ人々と直接向き合った経験は、残念ながら乏しい。
もがき苦しみ、悲惨な状況にある人々に対する理解の不足は、さまざまな機会に表れた。たとえば、アフリカ訪問の際の機中で、コンドームの使用はエイズ根絶の解決にならないと発言。この発言からは、エイズが蔓延し、母子感染によって多くの子どもたちの命が奪われていく悲惨な状況にある人々に対する共感が伝わってこず、善意の人々の顰蹙をかった。
また自然法と神の掟に背くという観点から避妊や同性愛者や性転換者を断罪してしまう姿勢からは、複雑な現実にもがき悩む人々や性同一性障害に悩む人々に対するあたたかな理解は伝わってこない。
さらに14世紀の東ローマ皇帝エマヌエル2世の言葉を引用して、イスラム教の教えの一つである「ジハード」を批判したドイツの大学での発言や、ブラジルを訪問した際の、16世紀以降のスペインによる宣教には原住民の人々は感謝すべきであるという発言などから見えてくるものは、西欧を中心にしたものの見方であり、西欧とは異なる文化圏の底辺で耐え忍びながらしか生きていけない弱い立場にある人々への視点が欠けている。
現代社会は、複雑で、実に多くの人々が、迷い、もがき、傷つき、のたうちまわるような形で生きている。そんな人々の営みを教義の枠で括り導くことは、もはや困難である。世界の至る所から、人々の悲しい叫びが、天に向っているはずである。伝統的な教義はそんな人々を慰め照らし導く力を失い、ヨーロッパの教会離れは着実に進行している。「教義の人」としての教皇の辞任の背後には、現代世界における教会の「教義」の限界があったように思われる。
http://www.kirishin.com/2013/03/02/17155/
恐らく、教皇は、教皇になるまでに、複雑で過酷な現実の中で、教会の伝統的な教え、枠組の中に沿っては生きていくことが出来ない多くの人々と交わりながら生きてきたに違いない。またそうした人々に対して教会が、教義の物差しにしたがって冷たく裁いてきてしまっている教会の姿勢に心を痛めてきていたに違い兄。流現実も生きている多くの人々に接して来ていたに違いない。伝統的な教義よりも、そしてまた組織としての教会よりも、かけがえのない一人ひとりの人間への愛のまなざし。その点で、現教皇にはぶれがない。 (もりかずひろ・司教、真生会館理事長)