カトリック情報

katorikku jyohou

わかりやすくていい文章 結局のところ信仰をなくしてるからのなせる業

2020-08-09 | 左派(リベラル)

いつの頃からか、日本のカトリック教会では、キリスト教の日本への土着化を模索する「インカルチュレーション」という一種のイデオロギーが、一部の高位聖職者やインテリの神父たちの間でひそかに蔓延し始めていました。固有の伝統文化(カルチャー)の中に “IN”(入れる、根付かせる)ことを意図する理論です。

ビジネスマンから司祭に転向して以来の時間の半分以上をローマに過ごしたものの目から見ると、このイデオロギーはバチカンの、つまり教皇を頂点とする正当な伝統教会の教えに照らして、きわめて疑わしい、危険な要素を孕んだものと言わざるをえません。

そのことは、わたしのブログの<カテゴリー>「インカルチュレーション」の中の、「聖書から見たサイレンス」シリーズに詳しく書きました。

要は、このイデオロギーの立場に立てば、西洋のキリスト教をそのまま日本に持ち込んでも、決して根付かない。無理に植えても日本の土壌では根腐れを起こして死んでしまう(鎖国、キリシタン禁制、迫害、殉教、など)。その最終的な結末が衰退と消滅の危機に瀕している今の日本のカトリック教会の姿だという考えかたです。

明治以来の、そして戦後の外国人宣教師たちの宣教を総括すると、彼らの宣教理念と努力は誤っていたために失敗に終わった。だから、全ては最初からやり直さなければならない。その一環として、彼らが残した教会建築も「負の遺産」として取り壊され、消し去られなければならない。つまりは、清水教会の存続は許されたはならない、という確信です。

そこには、西欧から渡来したキリスト教は、それを換骨脱胎して、日本の伝統文化とその宗教心をキリスト教の中に調和的に取り入れ、日本の伝統仏教や神道や新宗教の底辺に共通して流れる「魂」を受容した新しい宗教に生まれ変わらせなければならない、という考えが根底に潜んでいるのです。

それが大きく飛躍して、拝金主義と世俗主義のグローバリズムの大津波に呑み込まれ、そのなかで自分自身の信仰を見失い、教会を守り切れなかった日本の教会の指導者の一部が、自らの敗北の責任を転嫁するためにこのイデオロギーにしがみついたようにも見受けられます。

外国人宣教師が遺した清水教会を取り壊し、その痕跡を消し去らないでは安らかに眠れない人たちの心の中に、その想念が深く巣食っています。


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