この季節、毎年、
僕の心に宿る芸術は、この二つ‼︎
ある晴れた、初秋の午後、やがて、静かに広がる、街の灯には、ある日の僕の何かが、映像化されます。
それを、鑑賞している僕がいて、そんな自分に気づくと、辺りはすっかり夜に変わっていたりします。
この感情こそが、原点だと思うのです。
それを、カタルシスと、簡単に片付けてしまわずに、時には、そのありかを探りたくなります。
…
something like a pain !
そんな英語があるのか、知りませんが(^^;;
全ての芸術に共通する、説得力は、これだと思います。
どう訳すのかは、as you like…(^^;;
…
チャップリンの街の灯は、1931・City Lightsだけではありません。
チャップリン映画の全てに、街の灯が、灯っています。
素晴らしいタイトルです。
誰が、日本語タイトルつけたのでしょう。
街の灯とは、単なる直訳だったのでしょうか。
街の灯…この日本語は、それだけで、全てを語ってしまいます。
憂歌団の音楽全てに、この街の灯があるように、街の灯を、灯せる芸術家が、僕は、本物だと思います。
憂歌団の偉大なところは、解散後も、メンバー各々から、街の灯が消えることなく、ずっと、灯り続けています。
だから、ナツメロになりようがありません。
そして、木村充揮さんの歌声は、今なお、僕には、天使の歌声として、僕の心に、いつもいつでも、街の灯を灯してくれます。
僕にとっては、憂歌団、そして、木村 充揮さんは、今も変わらず、チャップリンと同じ位置にあります。
少なくとも、この30年以上は、憂歌団とチャップリンは、欠かしたことがありません。
心の予防ですね。
漢方みたいなものです。
ノーベル賞は、本来、こう言う人にも、与えられるべきものです。
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