キンシャサの奇跡(キンシャサのきせき)は、1974年10月30日、コンゴ民主共和国(当時 ザイール共和国)の首都キンシャサの当時のナショナルスタジアムである「5月20日スタジアム」[1]で行われたWBA・WBC世界統一ヘビー級王座のジョージ・フォアマンにモハメド・アリが挑んだボクシングのタイトルマッチのことを指す。下馬評を覆し、モハメド・アリが勝利したことからこの名で呼ばれるようになった。
…
僕のチャンプは、今でも、その名は、カシアスクレイ!
彼は、ボクシングだけではなかった、生き様においてもまた、チャンプでした。
今でも、僕の中で、彼こそ本物だと、自信を持っていえることを、モハメドアリのファンであり続けたことを、誇りに思います。
この時代、アメリカは、初めて敗戦を経験し、ドンヨリしてました。
その頃日本は、どん底の敗戦国から、遂に、戦勝国に肩を並べたところでした。
その途上過程に、僕は育ちました。
70年代は、やはり、若さなのか、時代なのか、僕を、熱くさせてくれるヒーローが、たくさんいました。
だからかな、薄っぺらな、バッタ者や、にわか者に、どうしても、退屈してしまうのは…^_^;
ありがとう、カシアス クレイ様
ヒーローへ捧げる!
…
モハメド・アリ(Muhammad Ali、1942年1月17日 - 2016 6月4日)は、アメリカ合衆国の元プロボクサー。元世界ヘビー級チャンピオン。アフリカ系アメリカ人だが、イングランドとアイルランドの血も引く[1]。ケンタッキー州ルイビル出身。
イスラム教改宗前の本名はカシアス・マーセラス・クレイ・ジュニア(Cassius Marcellus Clay, Jr.)。1964年にネーション・オブ・イスラムへの加入を機に、リングネームをカシアス・クレイからモハメド・アリに改めた。
1960年ローマオリンピックボクシングライトヘビー級で金メダルを獲得。その後プロに転向し、1964年にはソニー・リストンを倒して世界ヘビー級王座を獲得した。マルコム・Xと出会いその思想に共鳴。イスラム教にも改宗。ベトナム戦争徴兵も拒否する。その発言と行動は当時の米国政府や保守派との深刻な対立をもたらし、世界タイトル剥奪や試合禁止等様々な圧力が加えられた。しかし最終的には、通算3度のチャンピオン奪取成功と19度の防衛に輝いた。
ジョージ・フォアマンとザイールで対戦。8Rでの一発大逆転を演じたタイトルマッチや、ジョー・フレージャーとの死闘など、ボクシング史上に残る数々な名勝負を行っている。ベトナム戦争徴兵拒否により米国政府と長期にわたって争ったが、最終的には無罪を勝ち取った(#リング外での闘い)ことでも知られる。
引退後は、現役時代に受けた頭部へのダメージが原因とされるパーキンソン病を患い闘病していた。