玄米ごはん族のあしたのたのしみへ

玄米と野菜、果物で今日から明日へ。農業と穀物菜食の日々

香取神宮 鹿島神宮 高天原が 今も

2022-03-04 02:35:25 | 古代
入口の
吾田長屋笠狹之碕
あだのながやのかささのさき
吾田の地名は地図にあるが 
笠狭岬が はっきりしない

人名から探すと
其地有一人;;;;事勝国勝長狹;;
その地にいるのは 事勝国勝長狹
コトカツクニカツナガサ

長狭は ウィキペディアによれば
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長狭町(ながさまち)とは、千葉県安房郡にかつて存在した町である。現在の鴨川市の西部に位置している。 
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安房について ウィキペディアでは
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沿革[編集]
律令制以前のこの地域には、阿波国造と長狭国造の2つの国造が置かれていた。律令制において令制国である上総国の一部となり、養老2年5月2日(718年6月4日)、上総国のうち阿波国造と長狭国造の領域だった平群郡、安房郡、朝夷郡、長狭郡の4郡を分けて安房国とした[1]。
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平定の方法は 話し合い
まとまらない場合
現在 茨城県鹿嶋市の鹿島神宮 
千葉県香取市の香取神宮 に鎮座する 
御祭神が平定
二神の力で 問答無用で まとめた

事勝国勝長狹がいて 
この国を お好きなように 
と言える立場
長狭から派遣された部隊の長
長狭へ 派遣したのではなく

九州を最初 治めたのが 長狭から来た部隊
香取鹿島連合が 後から来て
あらためて 話し合い 平定

統治者が入れ替わったことは
たいへん重要なことで
どうしても 
記録しておく必要があった
ルート と 人名 の二本立てで

香取神宮と鹿島神宮は
隣近所の関係
さらに 鹿島神宮の近くに
高天原 と言う地名
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