なんとなくそんな気持ちの日々に

本ブログは、もう更新の予定はありません。しかし閉鎖はせずに、記事を残しておきます。

ハンフリー氏死去

2006-03-20 21:55:10 | 国際関係
Downing Street cat Humphrey dies

 BBCのニュース。かつてサッチャー、メージャー、そしてブレアと3代の英国首相を支えたハンフリー氏が死去した。といっても、人ではない。猫である。サッチャー政権時代に、ダウニング街に迷い込み、そのまま居ついてしまい、ついには「ネズミ取り長官」を拝命した猫である。記事によると、ハンフリー氏がダウニング街にやってきたのが1989年。今から17年も前のことである。その後、メージャー政権時代に一度失踪。また、保守党から労働党に政権が変わりブレア首相になった1997年、突如として官邸から姿を消す。このときは、ブレア首相夫人が動物嫌いだったため、ハンフリー氏が逃げ出したという噂がたった(夫人は動物嫌いを否定)。そして、ハンフリー氏は肝臓に病を抱え、静養していると官邸サイドは発表。その後、ハンフリー氏は公務を「引退」し、官邸職員に引き取られ、余生を過ごしていた。
 ハンフリー氏は、猫ゆえ、しゃべることも、書くこともできず、英国の機密(官邸で行われる会議に顔を出していたという)を墓場まで持っていてしまった。もしも、ハンフリー氏がしゃべれたら、あるいは手記の残すことができたら、とてつもなく面白い話がでてきたとおもうのですが…


公安調査庁の「内外情勢の回顧と展望」

2006-03-13 09:10:52 | 国際関係
平成18年「内外情勢の回顧と展望」

 少し仕事開始前に時間があるので、更新します。最近、なんだかウツ気味で、日常生活がとてもつらくてたまりません。でも、なんとか生きています。
 さて、いずれ目を通すつもりだったのですが、未だに目を通していない公安調査庁の「内外情勢の回顧と展望」の平成18年版です。昨年一年の公安情勢についてまとめた報告書です。国内の右翼・左翼運動から国際テロリズムまで、広くカバーしています。しかし、この報告書を使って論文を書いた研究者はあまりいない気がします。たしかにアメリカ国務省の報告書と比べると見劣りはしますけれども、読み方によっては、意外と使えるものだと思っているのですが…

BBCの日本赤軍の報道

2006-02-25 19:24:56 | 国際関係
Japanese Red Army leader jailed

 最近、僕は、つぎのポストさがしと会計年度末が重なって、忙しい状態がつづいています。さきほども、会議のテープ起こしについて、つたない英語で、インドの会社とメールでやりとりをしておりました。今年度予算が使える期限があとわずかですので、それを先方に伝えないといけないのです。会計年度末に仕事が立て込むのは、本当はよくないことだと思いますが、締め切りが近づくとやらなければならない仕事を思い出すのは、人間の悲しい性なのかもしれません。
 さて、BBCの木曜日付けのニュース。重信房子の地裁判決についてのものです。この件については、木曜日に言及しましたので特にコメントすることはないのですが、備忘録がわりに記事にリンクしました。それだけでは何なので、日本赤軍がらみのちょっとしたお話を。
 1972年5月のテルアビブ空港での事件で、日本赤軍(当時は日本赤軍ではなく、アラブ赤軍という名称でしたが)は、一躍世界的に有名になりました。事件当時、日本国内では、犯行グループを分析する論考がいくつかありました。重信房子の父親、重信末夫氏の論文が総合雑誌に掲載されたこともあります。そうした中で、自らのアラブ・ゲリラキャンプでの訓練体験を元に、重信らのグループはアラブゲリラの名を汚す行為だという内容の論文が、某有名総合雑誌に掲載されました。当時アラブ問題研究会主宰を名のっていたその著者は、今ではピラミッド関係でよくテレビに登場する某有名大学の先生です。もっとも、テレビで、この先生が自らのゲリラキャンプ体験についてしゃべっているのを聞いたことありません。「古代への情熱」のイメージが崩れちゃうからでしょうか?

重信房子について

2006-02-23 18:16:44 | 国際関係
日本赤軍の重信房子に懲役20年…ハーグ事件

 zakzakのニュースから。東京地裁は、本日、日本赤軍の重信房子に対して懲役20年を言い渡した。問われた罪は、1974年の在オランダ・フランス大使館占拠事件の指揮による殺人未遂や逮捕監禁などである。裁判で争点となっていたのは、重信がPFLPに武器調達などを依頼したか、そして実行犯である和光晴生に襲撃を指揮したかであった。重信側は、和光がPFLPの作戦に個人的に参加し、また、事件当時日本赤軍は結成されていないため襲撃を指揮する立場になかった主張していた。
 事件当時日本赤軍は結成されていないという主張はちょっと無理がある。これでは、検事側に論破されて当然である。確かに、「日本赤軍」を正式に名のるようになったのは1974年11月であり、1974年9月のフランス大使館占拠事件の後である。しかし、1972年のテルアビブ空港(現ベングリオン空港)での事件後、「アラブ赤軍」を重信のグループは名のっている。つまり、日本赤軍というグループ名ではなくても、作戦を実行できる組織はあったのである。
 重信は、逮捕後、こんな歌を詠んでいる。―携帯のかすかな音する運動房圏外に居るわれを自覚す―(『ジャスミンを銃口に 重信房子歌集』より)おそらく圏外とは、携帯電話の圏外と社会的な圏外の意味が込められているのであろう。それは、今回の裁判での彼女の主張と、検察側に代表される法的正義との間のズレをそのまま表しているのではなかろうか。

石油中毒への警告、米大統領一般教書演説

2006-02-01 09:01:51 | 国際関係
Bush to warn of 'oil addiction'

 BBCのニュースから。米国大統領ジョージ・W・ブッシュは、一般教書演説において、米国は不安定な国家から石油を輸入することによる中毒になってきていると述べた。また、ブッシュ大統領は、危険と衰退をもたらすものとして孤立主義と保護主義に対して警戒感を示した。今回の演説は、共和党にとって重要な選挙のある年のスタートを切るものとなった。
 "unstable nations"にイラクは含まれているのでしょうか? 報道だけではわかりませんが。BBCの記事を読む限り、大領領は、科学技術によって「石油中毒」から抜け出すことが一番だと表明しているようです。米国では、「脱石油」が次の選挙のキーワードになるのでしょうか?