なんとなくそんな気持ちの日々に

本ブログは、もう更新の予定はありません。しかし閉鎖はせずに、記事を残しておきます。

事業仕分けがはじまりました・・・

2010-04-23 14:42:42 | 身辺雑記
 事業仕分けの第二弾前半の部がはじまりました。Yahooのニュースによると、「前半は独法を対象に土・日曜を除く28日までの4日間実施し、47法人計151事業を精査」するのだそうです(ソース

 この結果がどうなるのかはわかりませんが、「無駄を省く」という名目の下に、本当に必要なモノやヒトが削られることがないように祈るばかりです。

 私自身、俎上に載せられている某独立行政法人のことをそれなりに知っているのですが、お役所的で一緒に仕事がしにくく、また正規スタッフが現場を知らないことに愕然としたことがあります。その意味では、機構の改革と無駄の排除は必要です。しかし、公務員を減らせばすべて解決するような風潮は疑問です。

 そもそも、国会議員の定数もいまのままでいいのかという問題もありますし、国会にいくらお金がかかり、無駄な部分はどこか、政治家こそが身を正すべきでしょう。

 また、しばしば公務員や企業および政治家を叩いているマスメディアの側も、多額の公費が使われていわれている「記者クラブ」を自ら事業仕分けするぐらいの意気込みがほしいものです。

 さらに付け加えると、「民間の活力」とか「民間の知恵」を公的セクターにも入れるべきだですとか、「民間は厳しい競争でやってきている」というディスコースも、事業仕分けに関連してよく登場しますが、これはよくよく考えなければなりません。このディスコースには、しばしば、ネオリベラル的な経済活動がしやすいように、その意に従うよう公的セクターは再編成されるべきだとする論者が混じり込んでいるように思えるからです。

 経済活動の視点から見れば非効率的なことが、別の視点から考えると社会的に有益なこともあるかもしれません。企業経営者やエコノミストは、事業仕分けに関してこれからいろいろな意見を発信すると思いますが、経済の視点からだけで国家システムのすべてを語ろうとするのではなく、視野を広げた発言をしていただきたいものです。

記事を大幅に整理しました。

2010-04-17 18:17:04 | 身辺雑記
 これまでダラダラとこのブログに記事を書き連ねてきたのですが、思うところがあって、かなりの記事を削除しました。

 このブログはあまり私的なことは書かずに、どちらかというと社会評論(というのもおこがましく、ニュースメディアの感想に毛の生えた程度ですが)的なものにしていけたらと思ったからです。

 いや、そもそもこのブログは、社会評論的なものにしていくつもりだったのですが、時間がたつにつれ私的なことをダラダラと流し続けることになったという経緯があり、スタート時の意図にもどろうと思ったといったほうが正確かもしれません。

事業仕分けがまたやってくる

2010-04-10 17:07:50 | 国内関係
 また事業仕分けがやってきます。こんどは、「現在57ある研究開発系の独法を整理・統合する方向」だそうです。

 前回の事業仕分けのとき、「ポスドクの生活保護のようなシステムはやめるべきだ」という発言があり、その結果かどうかしりませんが、グローバルCOEなど、研究員を雇うことのできる文部科学省の事業の予算は削減されました。

 事業仕分けによって、僕と同年代の任期付き研究員は雇い止めの危機にさらされていて(もうクビをきられちゃった人もいるようです)、こんどの事業仕分けによって、その数はもっと増えることでしょう。

 大学院博士課程までいってしまうと、民間企業への就職は少し難しいのが現状です。また、就職できたとしても、博士号がお給料に反映されることは稀です(その意味で、日本は学歴社会ではありません。むしろ学閥社会です。)。

 本来、こんなことをしないとポスドク問題は解決しないはずです。

 ・履歴書に年齢を書いてはいけないことにする(アメリカではそうなっています)
 ・国家公務員に博士号取得者の枠をつくる(官僚の多くが博士号を持っていないのは、おかしい)
 ・公的機関である程度のポストにつく時は博士号がないといけないことにする(国連など国際機関では、博士号をもっていないと昇進できません)
 ・大学院教育でキャリアパス教育をいっそう充実させる(現在、教員側の頭が固いせいか、思うような結果がでていないような気がします)
 ・日本育英会奨学金は博士号を取得したら返済義務を免除する(研究へのモチベーションを高め、研究職にしがみつかないために必要です)

 と、こんなことを書くと、「そんなに優秀だったら海外に出て行けwww」と研究コミュニティ外の人から言われます。実際、アメリカやイギリスなどに行っている人も少なくありません。そして、人材流失は、北朝鮮ですとかイランですとかそういった国に、たとえば核物理学を専攻した若手研究者が職をもとめて行くことも、可能性はとても低いですが、ありえることです。

 最近、途上国における自然環境の破壊が先進国への移住につながっているという説が出されているのですが、日本の研究環境の悪化は途上国への研究者の移動移住につながるかもしれないなぁ、なんてことを妄想しています。

水俣でワシもそれなりに考えた

2007-11-25 22:56:24 | 身辺雑記
 水俣の出張から帰ってきました。せっかくの連休が水俣出張でつぶれてしまいましたが、人間の安全保障を研究する上で重要な示唆を与えてくれるところでした。
 現在、水俣は、自然が美しく、山の恵みも海の恵み豊富で、サカナ、肉、野菜、なんでもおいしいところです。「水俣病」という未曾有の人災によって一度ずたずたにされた人と人とのつながり(水俣病は患者だけでなくコミュニティにもダメージを与えたのです)を再生しつつある、そういうところでした。
 その再生の手法のひとつが、「地元学」です。これは、自分たちが地元にもともとあるものを「発見」して、見つけたものを組みあわせ新しいものを作り出し、自分たちに誇りをもつことを目的とするユニークな取り組みです。基本的なやり方を学んできましたが、これは人間の安全保障で重要とされているエンパワーメントという概念そのものでした。また、ちょこっとですが胎児性患者さんたちの授産施設も訪問することができ、患者さんたちが社会の中で生きていく望みを持っているという話を理事長さんから伺うことができました。
 このように水俣はすばらしいところなのですが、前回のブログでも書いたようにIWD東亜という企業による大規模な産業廃棄物最終処分場建設の計画が持ち上がっています。建設予定地にはいけませんでしたが、この会社が産廃物処分場が周辺環境に影響を与えないことを説明するのに、データを持ち出して、(水俣病を引き起こした)チッソより安全だと主張するということを聞いてきました。水俣市が産廃施設に反対する背景に水俣病があることは言うまでもありませんが、IWD側も水俣病を説明に出してきています。ここに、「水俣病」をめぐる表象の争いとでもいうべきものが起こっています。
 そして、高濃度ダイオキシン汚染土が見つかった百間排水路を見てきましたが、皮肉なことに、その近くには水俣病の小さな慰霊碑がありました。汚染土が海に影響を与えている様子は今のところありませんが、早期に処分しなければ、慰霊碑の意味がなくなってしまう気がしてなりません。
 人間の安全とは何かということを、いろいろな視点から考えることができる水俣という土地のことを、少しだけですが知ることができ、自分にとって有意義な出張となりました。

明日から水俣へ

2007-11-22 22:03:08 | 国内関係
チッソ、新救済案を拒否 「補償問題、訴訟で決着」毎日新聞 - goo ニュース

 仕事で水俣に行くことになってしまった。せっかくなので、今日は水俣についていろいろ勉強していた。こういうとちょっと問題があるかもしれないが、「面白い」都市である。
 水俣は、どうしても「水俣病」のイメージが付きまとう。今でも、その被害に苦しむ人が多々おり、また農産物も「水俣産」ということがわかると倦厭される傾向がある。その負のイメージを乗り越えるべく、水俣市では環境政策にずいぶん力を入れているようである。また、「サラダたまねぎ」という新たな名産物も評判をよんでいるようである。
 水俣市では、現在、IWD東亜という企業による大規模な産業廃棄物最終処分場建設の計画が持ち上がっている。昨年の市長選挙では、これが争点となり、明確に反対を打ち出した宮本勝彬氏が当選をしている。市のホームページを見ると、産業廃棄物最終処分場問題のコーナーが設けられており、市民団体とともに反対運動を行なっているようである。行政が市民団体とともに反対運動を行なっている例は興味深い。どうやら、市には法的にこの計画を止めさせるだけの権限がないらしく、地道な反対運動を行なうより方途がないようである。
 そして、水俣病を引き起こしたチッソとの関係は、水俣市がかかえる最大の苦悩である。チッソは資本金78億の大企業であり、現在でも水俣市に「水俣本部・水俣製造所」を置いている。水俣市民の中には、チッソで働いている人びともおり、市の経済・産業面で重要な位置にあることも事実である。チッソは、水俣病の原因となったメチル水銀はもう出していない。しかし、現在でも、水俣市・百間排水路の堆積土砂の高濃度ダイオキシン問題を引き起こしいる。環境と経済が複雑にからんだ問題の難しさを示す都市である。
 せっかくの連休が水俣での仕事でつぶれてしまうのはシャクなので、現場がどうなっているのか、この目で確かめて研究に生かしたい。

理想の大学人

2007-11-13 21:17:48 | 身辺雑記
 日曜日に出張したため、今日は代休をとった。そこで、久しぶりに引きこもり生活を送ってみた。好きな時間に昼寝をしたため、すこぶる体調がよいのだが、反面あまり楽しい生活ではない。仕事がなければ、図書館にでもいって勉強しているところなのだが・・・
 それにしても、なぜ人間は仕事をせねばならないのだと思うことがある。無論、勤労の義務の存在や、もっと端的に生活のためには働かねばならないという事実も知っている。仕事を通じて、生きる価値を見出すこともあるということも知っている。しかし、どうも人間は働きすぎのような気がする。
 最近の日本の労働環境はよいとは言えない。ワーキングプアの存在は氷山の一角である。研究業界に限ると、なかなか職は見つからないし(=屍が累々としている)、運よく職が見つかると研究職であるにもかかわらず膨大な雑務のため研究ができない(=生ける屍)状況である。研究には、適度な知的刺激と適度な休息が必要なのだが、最近の社会的環境はそれに反するものである。日本の優秀な研究者ほど、グローバルCOEやらなにやらで、自分の研究をさせてもらえない(もっとも優秀でない私には関係ない)。こうした状況は、少子化の影響と、社会の大学に対する過剰な期待に由来しているのであろう。
 しかし、世の中には、しかるべき地位に就き、必要最小限の授業の負担だけで、自由な時間を最大限確保している大学研究者がいる。私の前任校に所属する哲学を専門とするO准教授である。O准教授は、必要最小限の学部生を対象とする教養科目を担当し、ゼミは持っていない。学内委員会にも、どうやって抜け出したのか、まったく所属していない。以前は学部紀要の編集委員だったが(唯一の学内業務!)、現在は何もしていない模様である。学内の誰ともつるまず(学内に友人がいないという噂もある)、朝8時には研究室に姿をあらわし夜11時に去る生活は、哲学者らしく孤独に事実に向かうとは何かを身をもって示しているかのようである。私は、「日本のカント」と名づけようとしたぐらいだ。そして、有り余る時間を、研究室内での炊事と研究室外でのタバコと自販機コーヒー、そして研究に費やし、昨年ついに単著を出したのである。
 私は、O准教授こそ、理想の大学人の生活だと思っている。私は、O准教授になりたい。まぁ、大学の経営が厳しくなるとリストラ候補でしょうが…

でてきましたビンラディン

2007-10-23 21:37:30 | 国際関係
ビンラディン容疑者とされる人物、イラク武装勢力に団結呼びかけ(ロイター) - goo ニュース

 カタールの衛生放送局アル・ジャジーラが、ウサマ・ビンラディンとされる声明を放映し、このなかで同人物は、イラク武装勢力にアル・カイダ支持者との団結を呼びかける一方、狂信から過ちが犯されたと認めたという。
 アル・カイダの支持者および潜在的支持者は、アルジャジーラでビンラディンをはじめとするアル・カイダ幹部のメッセージを知ると、次にインターネット掲示板を確認するという。そこには、アル・カイダがメッセージのダウンロード先URLを書き込んでおり、支持者たちはそのURLにアクセスする。アル・ジャジーラではメッセージの一部しか報道されないが、インターネットではメッセージを全て視聴できる。したがって、今回の報道を受けて、インターネット掲示板にアクセスする支持者は多くいるであろう。
 アル・カイダは、このようにメッセージをダウンロードして視聴するような熱心な支持者が自ら行動を起こすことを期待している。日本の対テロ政策もこうした実情に即して、情報収集を強化する必要がある。

PKKはこれからも・・

2007-10-22 09:30:41 | 国際関係
トルコ兵とPKK、イラク国境で交戦 死者40人超(朝日新聞) - goo ニュース

 トルコ軍とPKK(クルド労働者党)との衝突が激化しており、トルコはイラク北部のクルド人居住地域への攻撃を計画している。イラク北部にいるPKKの兵力は約3,000~3,500人と言われている。
 PKKとは、もともとマルクス・レーニン主義に基づいたクルド人国家設立を掲げて1970年代に創設された団体である。1980年代から90年代にかけて多くのクルド人およびトルコ人に対する攻撃を行ったものの、1999年創設者のアブドーラー・オシャランが拘束され、しばらくはトルコと停戦状態になっていた。また、名称も2002年にKADEK、そして2003年にはKONGRA-GELへと変更している。そして、2004年に突如停戦を破棄し、テロ活動を再開した。2005年には名称を再びPKKに戻している。
 PKKは、「クルド人」という民族的アイデンティティを標榜している団体であるが、クルド人全体からの支持を得ているとは言い難い(これはクルド人内部の分裂状態にも起因するが)。1980年代には、トルコ南東部のクルド人に対してテロ攻撃を行って、恐怖の力で支持を獲得しようとした団体でもある。他方、トルコ軍の鎮圧行動もかなり苛烈なため、トルコ政府への支持をしないクルド人もいる。また、欧州諸国では、トルコ軍の鎮圧行動を人権の観点から問題視する声もある。
 PKKのテロは、「クルド人」というアイデンティティの覚醒をもたらしたが、それ以上に「トルコ人」という意識を高揚させてしまったと評価されている。今回のトルコ政府の対応もこのような文脈の延長線上にあるといえる。
 平和的解決が望ましいが、それには「クルド人」の問題の解決が必要になる。しかし、トルコ以外にも、シリア、イラク、イラン、アゼルバイジャンなどの周辺諸国およびアメリカやEUの思惑、そしてクルド人内の権力争いが絡んでおり、非常に難しい問題である。

なんか博士増加計画と似ているなぁ

2007-10-20 13:02:36 | 国内関係
弁護士会から反対続々 司法試験合格、年3千人計画(朝日新聞) - goo ニュース

 司法試験の合格者を年間3000人に増やす政府の基本計画について、中部弁護士会連合会は19日の定期大会で「弁護士制度の変質を招く」として反対する決議を可決した。先週の中国地方弁護士会連合会(733人)に続き2例目。競争激化や人材の質の低下を懸念する弁護士の声が相次いで表面化した。
 中部弁護士連合会の定期大会では、「すでに新人弁護士の就職難の状況が出ている。過当競争で倫理が低下し、公共的な活動をなおざりにするなどの弊害が出れば、我々のみならず国民にとっても不幸だ」と反対決議提案理由が説明されている。
 国の政策が招いたともいえる「就職難」という言葉に、ついつい余剰博士問題と本質が似ているなぁと感じる。資格を持った人間を税金をつぎ込んで増やしても、活躍の場を与えないのならば、それはお金をドブに捨てるようなものである。その資格が高度な知識を要するものになればなるほど、資格取得のために費やす月日はかかり(そして税金もかかり)、苦労して習得して気が付くと、過当競争で本来の活躍の場はなく、進路として資格を要しない場で働こうにも「頭でっかち」と民間企業では倦厭される。しかし、国は資格を持った人間を増やすこと「しか」頭にない。
 このまま弁護士の就職難が続いたら、弁護士資格を持ったコンビニアルバイト店員が登場するのだろうか?博士号取得者ではすでに多くのドクター・アルバイター存在しているが・・・

国際会議「あらし」がいた

2007-09-09 22:05:20 | 国内関係
 一昨日(7日)、昨日(8日)と東京で開催された国際シンポジウムに出張してきました。所属先が、このシンポジウムで1セッション受け持っていたためです。僕の役目は、ゲストに謝金を渡し、そして観客としてシンポに出席することでした。
 このシンポジウムで僕が初めてでくわしたのが、「国際会議あらし」です。7日の午後、お昼御飯を会場周辺で取り戻ってくると、警備員二人がかりで取り押さえられている女性がいました。取り押さえられているその女性は、「私、参加証、もってる」とひたすら叫んでました。なんだろうと思いつつも、尋常ではない雰囲気を感じ、僕はそのまま会場に入りました。
 その後、その女性は警備員の目をくぐりぬけて会場に進入していたらしく、スタッフ5人がかりで取り押さえられ、会場の外にあるロビーに連行されてしまいました。僕が、所属先と連絡をとるため会場の外のロビーに行くと、その女性がソファーに座らされ、その周囲をスタッフが固めていました。僕は隣で電話をしていたのですが、その女性は、僕にも「先生、私、参加証、もってる」と話しかけてきました。最終セッションが終わるころには、警備員によって会場の正面玄関にその女性つれだされていたのですが、それでも大声で「私、参加証、もってる」「どろぼう」と叫んでいました。我々参加者は、警備員とその女性が揉めている正面玄関ではなく、スタッフ用の出口から帰るよう誘導されました。誘導してくれた警備員さんに「あの人は何なんですか?」と尋ねたところ、「あぁ、有名な国際会議あらしなんですよ。よく来るんです。」という答え。なにをどうあらすのかまではわからなかったが、その女性が出す常ならざる雰囲気から押して察するべきなのだろう。
 翌日。「あらし」はまた来ていました。しかし、スタッフによって正面玄関は閉められていたため、「あらし」は会場に入ることはできませんでした。だが、そんなことで「あらし」は退散しない!一日中ずっと正面玄関の閉ざされた自動ドアの前に立ち続け、「私、参加証、もってる」を繰り返し叫んでいました。さらに、日本語のみならず、英語らしき言語(誰がどう聞いても英語になっていないのだが)でも叫んでいました。おかげで、その日はずっと、我々参加者はスタッフ用出入口から出入りするはめに。
 台風の次に国際会議「あらし」に遭遇した東京出張でした。