哲学的な何か、あと心の病とか

『人生とは何か、考えるほどにわからない。というのは実は正確ではない。わからないということが、わかるのである。』池田晶子

「善の研究」西田幾多郎著について

2014年10月11日 | 哲学・心の病
「善の研究」で、西田幾多郎氏は何を言いたかったのか?
その結論とは何か?

難解と言われている、私に言わせれば読者のことを考えた推敲がなされていない「善の研究」を読む気はしないので、そのことをネットで調べてみた。

間違いのない説明かどうか私には判断できないので、誤りがあれば指摘して頂きたいが、その結論は、

『人生の目的とは、真理を探究し、その過程で神(または仏)の心を知り、神(または仏)と同じような心を持って神(または仏)と同じような行動をすること。
それは、言いかえれば「完全なる善」で、それを実行することによって永遠の幸福を得ることができる。』

ということだそうだ。

つまり、人は何のために生きるのかというと、善いことをするために生き、そのことによって幸せになるために生きるということらしいのだが、では「善いことをするのは何のためか」「幸せになるのは何のためか」。

「善の研究」はその疑問には答えていないようで、結局はありきたりな結論となっており、私の疑問に答えきれていないようだ。

私にとっては、読むに値しない本のようである。

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