El Cielo Azul de YOKOHAMA

青い空 白い雲 どこまでどこまで続く
僕の夢は高く 雲を越えてゆくよ

世界で一番 BONNIE YOKOHAMA

フリエの隼磨

2006-08-07 | 7.日本代表
田中隼磨が代表初選出。
これ、無茶苦茶嬉しいですね。
みなさん、憶えてますか?
ビラ配ったり、署名活動したあの時のことを。
あの時、隼磨、坂田は1年?、2年生でしたかね?
フリエユースの一員として、あの時の渦に巻き込まれた犠牲者でした。
我らの中澤友秀は3年生。

あの時の高校生がついに代表初選出。

普段、トリコロールを身に着けた隼磨、坂田を応援することは
どうしても出来ません。
それは宿命のようなもの。
でも私は、あの時の君達、フリエユースの悔しい顔を忘れることは出来ません。
君達はどこへ行ってもフリエから育った選手です。

君達がついに代表のユニフォームを着る。
日本代表
そこには、私達を縛り付けている制約や足かせはありません。
誰にも何にも遠慮することなく
こだわる必要も無く
フリエの隼磨を坂田を応援することが出来る。

隼磨、もういいじゃん。
うちには素弘も帰って来た。
うちのゴール裏は、『サッカー』と『愛』で
選手を厳しく、そして愛しく迎える集団だ。
結果に結びつかなくても、それだけじゃない、
闘う姿勢の選手をリスペクトできる集団だ。
俺達がJ2にいるままでは、多分、声を上げる資格はないのだろう。
だけど、今年、この過酷なリーグを勝ち抜くことが出来たら
俺達にも声をあげる資格があるよね。

戻ってきて欲しい 隼磨。

JFLからJ2へ昇格した時、中澤友秀がデンソーからうちに戻ってきてくれた。
嬉しかったね。
新潟戦の怪我が無ければと今でも思うよ。

あの時のビラ配りや署名活動に参加してくれた高校生達が
俺達の丘・三ツ沢のピッチに戻ってきたことは
トップだけじゃない、育成組織も含めて大切なものを失ったサポーターにとって
何よりも大きな出来事だった。

そして、あの時の高校生がついに代表のピッチを踏む。


大嫌いだけどさ
これだけは感謝するよ。
鞠さん、左伴さん。
隼磨、坂田を潰さないでくれてありがとう。
そして、中澤友秀を潰してしまったうちのフロントも
あの頃よりは成長したと思う。

明後日、国立・霞ヶ丘のスタンドに集う横浜FCサポーターの皆さん。
平日なんで、あまり準備は出来ないかもしれません。
だけどとにかく、段幕、ゲーフラ、何でもいいから持ち寄りましょう。

『フリエの隼磨』
『フリエの坂田』

残念ながら横浜FCの同志・シルビオ・スパンは不選出。
折角多くのフリエサポーターが集結するにも係わらず目的を見失い掛けています。
でも、オシムが選んだ戦士の中に、初めてフリエの子供達が二人も入った。
彼らを応援しないなんて
『不死鳥』と『青いリボン』を誇りとするサポーターの名折れじゃないかな。
やりましょうよ。
これから私達は、菅野、内田、秋葉・・・と
次々と味のある選手を日本代表へ送り込むチームになるんです。

そのプレマッチとして
隼磨、坂田を後押ししましょう。
ゴール裏アウェーのT&T寄りに集まりましょう。
横浜FCフリエサポーターの気持ち
8/9(水)国立・霞ヶ丘で、やりましょう。
コメント (4)
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