Fare la siesta

ファーレ・ラ・シエスタ~イタリア語で〝昼寝する〟
午後のひととき☆ゆったりと過ごしたいですね

voce

2007-10-07 | ファミリー
ヴォーチェ
「声」

ちょっと嬉しいことがあった

高田馬場にある床屋に行ったわんさんから電話
「ねぇ、Yさんって知ってる?」

私の実家のすぐそばの床屋さんなので
両親から頼まれていた、すずきやさんのひじきと泡盛を
そこで手渡すお願いをしていた

休日ということもあり、朝からお店は混雑
順番待ちしていたところに、父ユッキーが現れ
無事に荷物を渡すことができた

お店の外で立ち話し終わり、戻ったわんさんに
散髪中の見知らぬ男性が声をかけてきた

「今の人って、・・・さん?」
そうですよ、と言うと
「いやぁ~、声聞いただけですぐ、わかりました」

ユッキーは一瞬しか店内に入っていないし
恐らくその人は、声しか聞いていない
それでも、父だと分かるなんて・・・

「お知り合いなんですか?」
カミさんのお父さんなんです、と応えると
「じゃあ僕、奥さんの同級生です」と角刈りのその男性

Y君は小中学校の時の同級生
ユッキーは、私が中学生の頃
やんちゃな男子グループの面倒をみていて
グループに属するY君ともよく会っていた

今は、草加に越してしまったけど
通いなれたこの床屋さんに月に一度訪れているそうだ

「昔は色々話を聞いてもらったり、お世話になったんです」
多感な思春期の記憶の中に刻まれていた父の声は
20年以上経った今でも、変わることなく残っていた

「わんさんが床屋で知ってる人に会ったって。誰だと思う?」
ちょっともったいぶって電話する
「・・・う~ん、看板屋さん?」とユッキー
フフフ・・・。見事に大ハズレだ

「うわぁ~、会ってみたかったなぁ・・・」
事の顛末を話すと、父は驚きと喜びで胸いっぱい
電話でも、そのほころんだ顔が手に取るように分かった
・・・きっとそのうち会えるよ

天使のいたずらに感謝する、日曜の昼さがり

もし、彼と会ったら私
何を話すんだろうなぁ・・・
ふと、小学生の頃ふたりで行った市ヶ谷の釣り堀・・・
そんな記憶が蘇ってきた

byがん


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Su ! Coraggio !

2007-05-25 | ファミリー
スゥ!コラッジョ!
「ほら!元気出して!」

今日はあいにくの雨
まもなく6月・・・海の家も設営され
あと一ヶ月ちょっとで海開きだ
今年の梅雨は短く、暑い夏との予想だが
はたしてどうなることか・・・



我が家のベランダの紫陽花は色づき始めた
日一日とすくすく育っている


ほったらかしのプランターには、紫蘇の葉が
苗からこぼれた種が勝手にここまで大きくなった


おまけに、シクラメンの鉢にまで侵出・・・まったくタフな奴だ


それに対して、人間様は・・・というと
何だか元気がない

今週のわんさんは、仕事が忙しいらしく
終電に間に合わず、タクシーで帰ってきたり
朝も早かったりで、ほとんど家にいない

おそらく、ボ~っとしているのだろう・・・
お気に入りのジャケットを、六本木のどこかで
失くした、としょげて帰ってきた



そんなこんなで、昨夜は
「元気が出るメニューを」というリクエストで
わんさんが好きそうなものを並べてみたが
それでも、効果はなく・・・

出掛けに、財布と定期券を忘れて出て行きそうになるし
携帯電話にいたっては、完全に忘れて東京へ行ってしまった

大丈夫か?
わんさん・・・
元気出して~!

byがん


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fico

2007-05-20 | ファミリー
フィーコ
「無花果」

東京から私の両親、ユッキー(父)とトミー(母)が遊びにきた
晴天に恵まれ、小旅行には最高の休日

せっかくだから、葉山のほうで美味しいものでも・・・と
当初予定していたが、結局は「わんがん亭」での昼食



いつも食べているものでいいわよ・・・と、その言葉通り
食卓に並んでいるのは、そのほとんどが野菜
朝、ラヂオ体操に行く途中で拾ったワカメ
あとはデパートで買ってきた粕漬けの魚ぐらいだ



「無花果と枇杷を買ったから持って行くね」と前日の電話
「いつもの生ハムはあるよね?」
・・・意識もうろうとしながらも、本能か?昨夜、ちゃんと
フリーデンの生ハムは買っていた
無花果は、デザートで食べると思いきや、生ハムをのせて
食べるそうだ・・・白ワインにはぴったり♪

ユッキーは、いろいろなものに対してコメントする
「この箸は軽い」「ワイングラスはこっちがいい」
「無花果、なんでこんなに小さく切っちゃうんだ」
無花果の大きさが伝わらない~と言う
・・・まだ残ってるから、単独で写真撮っておくよ

こだわりのコメンテーター・ユッキーは味にも敏感
「この粕漬けは、1番が鰆、2番が鯖、赤魚は3番だな・・・」
鰆?私が席に着いた時には、姿なく・・・
おいしいものは、すぐに食べてしまうのだ



桜の季節に買って、ずっと飲みそこなっていた、さくら色の酒
4人揃っての食事はお正月の箱根以来
話もはずみ、お酒もすすむ・・・

食後のユッキーはたいていお昼寝モード
窓辺でまどろんでいる・・・
そんなユッキーに留守番をお願いし
トミーを裏山に案内することに・・・



郷土資料館へのアプローチは、緑のトンネルみたい
緩やかな坂道だから、食後の散歩にも最適だ



けやきや紅葉の新緑が気持ちいい・・・
入口で、お仕事中のよっしゃさんとバッタリお会いする


2月から咲き続けていた黄梅もそろそろ終わり・・・


初夏の訪れを感じさせる、あやめ


資料館の主?おとなしい猫


デイジーが満開です


昨日、ビーチFMでtetsuさんの紹介記事が放送されてましたね


おっ!カメラマンならぬカメラわんが海を激写中・・・



帰り道、田越神明社に立ち寄る
緑がうっそうと茂り2月に訪れた時とはだいぶ印象が違う



木の根元に新芽を見つけ「新芽って赤いのよ」と、トミー



燈籠もいろんなかたちがあるのよね・・・なんて
目の行くところが、ちがうなぁ~

散歩から戻って、初物の枇杷と昨日買ったメロンパン
甘夏のピールをおやつに食べる



あぁ~、すでにひとつナイ!



あっという間に時間は過ぎ、日が暮れていく・・・



海岸経由で駅に向かう
風はないが、大きい波がときより打ち寄せる

「えっ?これがワカメ?」「すごい海草!」とはしゃぐトミー
ダメ、そんな干からびてるの!
あぁ~、濡れちゃうよ・・・
どっちが親で、どっちが子どもだか・・・

「ここは、海も山もあっていいわねぇ~」
いいでしょう~!
ユッキー&トミー、満喫してくれたかな?
また何時でも遊びにきてください・・・

ところで無花果だが
どうにも上手く写真が撮れない
玉ねぎみたいに写っちゃうし・・・
ユッキー、今回はこれでご勘弁を・・・



byがん


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eta

2007-03-26 | ファミリー
エター
「年齢」

近ごろ、女性タレントの年齢詐称疑惑が
話題になっている

芸能人の年齢なんて、あってないようなものだ
ファンにとっては重大な問題かもしれないが
私にとっては、それがどうした・・・という程度のこと

だけど、自分の周りにそんな人がいるとなると
話は別だ



誰とは言わないが、つきあいはじめた頃
確か、11歳年上と言っていた人がいた

ひとまわり上の、同じ戌年のくせに・・・

何故、ひとつサバを読んだのか
いつ、それがばれたのか

その時、ショックを受けた記憶はあるが
あとのことは、記憶の泉に沈んでしまった
20年も経ってしまうと・・・ね

まぁ、そんなものだ
過去のことよりも、今が大事なのだ

byがん


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scatola

2007-02-25 | ファミリー
スカートラ
「箱」

出がけに、荷物が届いた
開けると、中身はオレンジ色の箱

どこかの携帯電話会社?
何だろうとよくよく見てみると
少し前に、メルマガのアンケートに応募した
お誕生日プレゼント企画?の賞品

アサヒビール実施の企画で、確か
ビール、ワイン、ウイスキーのコースがあり
私は、ウイスキーを選んだが
応募した事さえ忘れていた・・・

ニッカウヰスキーの竹鶴12年とペアのグラスのセット


思いがけないプレゼントに、顔がほころぶ
普段ウイスキーを飲むわけではないが
選んだのには、理由がある

昨年の5月、わんさんと北海道に旅行した
函館から函館本線(山線)で余市に行き
ニッカウヰスキー北海道工場を訪ねる
…この旅の目的のひとつだった


一両編成、単線の旅
3時間の道のりは、眺望も素晴らしく飽きることがない

わんさんのお母さんは、ニッカウヰスキー東京工場の
第一期生で、現在六本木ヒルズが建ち並ぶ
あのあたりにあった工場で働いていた

東京のど真ん中に、ウイスキー工場とは…
今では到底想像つかない光景

その当時の集合写真が、余市に展示されているらしい
という話を聞き、その写真を探しに訪れたという訳だ

よくよく考えれば…という話だが…
余市の工場内にある資料館には
この工場の歴史や、それにまつわる話、写真、資料が
展示されているものの、東京工場に関するものはない

…恐らく、東京工場の資料は
青山にある東京本社の広報部に行けば分かるのだろう

残念ながら、目的を果たす事はできなかったものの
あちらこちらから、薫り漂う敷地内を歩くだけでも
気持ちがいい



旅の思い出に、ここでしか買うことのできない
ウイスキーの「原酒」を購入した
一本の樽から出したままの原酒
それも未貯蔵のものだ
アルコール分は50~60%あり
味は、度数の高い焼酎に近い

ブレンデッドウイスキーをオーケストラとするなら
この樽だし原酒はソロに喩えることができます
それぞれの原酒の持つ、芳醇で個性的な味わいを
楽しむことができます
一本の樽がなくなれば、別の樽になります
~同封の説明書より

なんだか開けるのがもったいなくて
まだ封を切っていない
このお酒とも〝一期一会〟なのだ


箱の蓋の裏には、こんな言葉が添えられていた

Since 1934
ポットスチルに燃やし続けた炎
それは政孝とリタの
ふたりの情熱です

ウイスキーは、わんさんと私
ふたりにとっても、情熱の味なのだ

現在、ここにいます!「今日は大村湾」↓
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byがん



fermata

2007-02-01 | ファミリー
フェルマータ
「停留所」

穴八幡神宮で「一陽来復」の御守をもらうため
いつもより早く家を出て仕事の前に、新宿の馬場下町へ



金銀融通の御守と言われ、古来の吉例により
冬至から節分までの間、頒布されている
歴史は古く江戸時代、元禄年間からの長い傳統をもつ

その年の恵方に向け、反対側の柱や壁の
なるべく高いところに祭るのだが、そのタイミングが
決まっていて、これがなかなか難儀・・・



冬至、大晦日、節分、この3日のいずれか1日
しかも、夜中の十二時と時間まで決まっている
今年は亥子(北北西)なので、巳午(南南東)の場所に貼る

行こう、行こうと思いながら・・・気がつけば、2月
慌ててのお参り、もうこの時期になると人もまばら
境内には露店が連なるが、この通り・・・



「一陽来復」は全国的にも有名らしいが
私にはもうひとつ金銀融通のほかに特別な思いがある

私はこの神社のむかいに、2~3歳ごろまで住んでいた
記憶はほとんどないが、引越し先もとなりの丁目
祖父母の家も早稲田だったので、ここは庭
鳥居の横には当時公園があって、よく遊んだものだ



通りを渡ると、角に龍泉院


そのとなりは、法輪寺

マンションが建つ処に、私が住んでいた平屋の借家があった
大家さんのおうちの離れを、両親が借りていたのだ
傾斜地に建っていたので、法輪寺と同じく
石段を登ったところに敷地があった


となりの黄色い建物は、学帽専門店
まだ営業しているのかな・・・

幼い頃の私は、仕事にでかける母を追いかけ
毎日のように石段の上で泣いていたという
後ろ髪をひかれる思いで去る母は、さぞ辛かっただろう

母より出勤時間の遅い父が朝、私を保育園に送る役だった
早大正門を抜け、歩いて5分ちょっとの道のり
だけど、父はバスに乗る


家の前にある「馬場下町」のバス停
終点の早大正門まで、わずか100メートル
ここから乗車する人はまずいない・・・

私を抱っこし、前乗りのバスの一番前に立つ父
その短いバス移動を、私はとても喜んだという
高い目線からの車窓の風景が、私の気を紛らわしてくれたのだ

当時、戸塚町と言われていた住所も
今では西早稲田1丁目に変わってしまった

この御守をもらうようになったのは、実は2002年
この街へ越すことになった年の節分からだ
まさか早稲田の街を発つことになるなんて、微塵にも
思っていなかったころ、何故か思い立ってお祭りした

故郷を離れても、時どき遊びにきなさい、という
祖父母からのメッセージか・・・

時は経ち、街の風景は変わっても
記憶の中の景色は色褪せない

穴八幡神宮
新宿区西早稲田2-1-11(牛込 高田)
TEL:03-3203-7212
*東京メトロ「早稲田」駅よりすぐ

byがん


追記(2007.02.11)
母からの情報です(FAXにて指摘を受けました)
〝石段の上で泣いていた〟これは
〝石段の上にあった黒い門扉のところにかじりついて
泣いていた〟ということらしいです・・・
(危険なのと、防犯のため、門扉があったそうです)
まぁ、いずれにしても毎日泣いていたことには
変わりないようです・・・

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opinione

2007-01-17 | ファミリー
オピニオーネ
「意見、考え」

わんさんが、笑いながら届いたFAXを持ってくる
差出人は母だ

私は、インターネットと無縁の実家に
家族のことを書いたページを郵送している

それを読んだ感想が書かれたFAX
誤字の指摘、表現の仕方
「あの時は、こうじゃなかったかしら・・・」と
意見は細部にわたる
なんとも母らしいが、嬉しい手紙



母のところには、私のページをよく見ている親戚からも
感想が寄せられるようだ
(皆さま、いつもご拝読ありがとうございます)
知り合いのみならず、親族一同が見ているかと思うと
あまり変なことも書けないな、とちょっと意識してしまうが
まぁ、私はわたし
これからも、等身大のままでいこうと思う

・・・「わんさんの名前の由来は?」と皆から聞かれます

そう言えば、これまでふれたことのない話題だ

たいして深い意味はないが
戌年生まれで犬好き(わんこ、のわん)
「ONE」の意・・・ひとつ、初め
二人あわせて「わん・がん」≒湾岸(costa)
昨年函館で食べたあんかけチャーハンが美味しかった
汪(ワン)さんという中華料理店
そんなところから、わたしが命名した
あとは、呼びやすさと見た目があっている?ことかな

インターネットは、瞬時にどこへでも情報配信できる
携帯電話があれば、どこでも相手と話すこともできる
だけど、今年はなるべく葉書を書こうと決めている

こちらに引越してきた際、母が贈ってくれたサボテン
お正月を過ぎて、花が咲いた
今年は、たくさん蕾がついている

今度は、サボテンの花をポストカードにして送ろう

旅の思い出、頂き物のお礼、近況報告・・・
送った相手に届くまでの時間は
宝くじの抽選日を待つ気分に少し似ている

月曜に出した〝青い〟ポストカードは、もうそろそろ着くころ
今度はどんなFAXが届くか、ちょっと楽しみだ

byがん


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azzurro

2007-01-14 | ファミリー
アッズッロ
「青い」

実家から小包が届く
父が旅行先で話題にしたジョニーウォーカー・ブルーラベルを
入手してくれたのだ

重厚な化粧箱に入った青い瓶
ボトルナンバーはL005209 JW
神々しい輝きを放っている(何故か紗がかかってる)

ジョニーウォーカーの中でこの〝ブルーラベル〟が
最高級のスコッチだという
話半分に聞いていた私に対し、わんさんはしっかり
記憶していたようで、先週出張先の熊本で同じ話をし
「それは初めて聞いた」と大騒ぎの末
どこからか調達してもらったブルーラベルを
すでに口にしたという

いいなぁ・・・なんて思っていた矢先に届いたこのボトル
空の青、というよりは海の青に近い


ロック用の氷を作り、ずっと買ったままになっていた
バカラのグラスを箱から出してみる


熟成されたまろやかな味わい
一杯だけのつもりが、ついつい・・・

そう言えば、小包が届いた同じ頃
父の元には私が送った〝swing〟ボトルが届いたようだ
今頃、ゆらゆら揺らしながら飲んでるかな・・・

箱についていた冊子
ブルーラベルについての紹介だ
長い文章です、ご興味のある方はどうぞ↓

byがん


追記(2007.02.11)
azzurroの発音は、二つ目のZにアクセントがくるので
アッズーロとも表記します(父より)

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「ジョニーウォーカー ブルーラベル」は、19世紀に生まれた初期のジョニーウォーカーの味わいをそのまま再現するためにブレンドされました。選び抜かれたモルトによって生まれた類い希な風味と、ピートの香りがたっぷりときいた豊かでどっしりとした味わい。それはスコッチ通の方々にも十分に満足いただける正統派のスコッチと言えるでしょう。
「ブルーラベル」ブレンドには、その昔ジョニー・ウォーカーが、ある顧客の好みに合わせて特別なブレンドを創り出すために、自分の店で何種類かの原酒をセレクトした、そんな伝説が息づいています。

「ブルーラベル」には、ジョニーウォーカーの貯蔵庫の中から、特に厳選した原酒だけが使われています。それらの原酒は、全て各々の熟成の頂点に達するまで、永い間オーク樽で眠り続けるのです。本当に最高級の材料しか使わない、これはモルトに限ったことではありません。水に関しても言えることで、スコットランドの純粋な湧き水と最高級モルトのマッチングがあってこそ、ハイランド地方独特のコクが生まれ、そして芳醇で、他にはない、独特な風味を生み出せるのです。

また樽に関しても吟味に吟味が重ねられています。冷んやりとした薄暗いジョニーウォーカーの貯蔵庫には、現在もたくさんのオーク樽が並び、ウイスキーはゆっくりと熟成されています。そして、それぞれの原酒は、その樽のもつ色や香りを徐々に身につけていくのです。ですから「ブルーラベル」をつくるにあたっては、まず樽に使う木の選択から始められました。

「ジョニーウォーカー ブルーラベル」が、ブレンド技術の傑作と多くの方々から賞賛されているわけは、これらの様々な要素が絡み合っているからです。これだけ深みがあり、絶妙なバランスを保っているウイスキーは、そうめったにありません。

1820年、キルマーノックで食料雑貨店を自営していたジョン・ウォーカーが、ウイスキーの販売を始めると、彼のブレンドはたちまち多くの人々に知れ渡りました。それ以来、ジョニー・ウォーカーは、独特の味わいをもったウィスキーとして、世界のベストセラーとなり、他の誰もが越えられないスコッチとなっています。1888年、ジョン・ウォーカーの息子であるアレキサンダーが「我々のブレンドは、なにものにも勝る」と誇らしげに語ったことは、何の不思議もありません。

いま「ブルーラベル」は、初期のジョニーウォーカー同様に透き通った青緑のボトルに詰められ、おなじみのラベルが貼られています。さらに昔懐かしいコルクストッパーでシールされた「ブルーラベル」は、まさにジョニーウォーカーの伝統を今に伝える貴重なスコッチと言えましょう。(生産量がごくかぎられているため、ボトルにはナンバーが刻まれています)

「ジョニーウォーカー ブルーラベル」
それはスコッチを知り尽くした人の
ブレンデッド・スコッチ・ウィスキー。



giocare

2007-01-04 | ファミリー
ジョカーレ
「遊ぶ」

お正月をホテルで・・・

そんな贅沢な過ごし方を
むかし一度だけ経験した

高校3年の冬休みのこと
家から程近い、ホテルに
年末からお正月三ヶ日(確か?)滞在した

実は、必要に迫られての宿泊

小学生の頃から痛みを感じていた、左ひざ
痛みの原因が〝円盤状半月板損傷〟と分かり
12月に赤坂の病院で手術した
半月版に入った亀裂を修復し、円盤状で不必要な
部分を削り取り、膝の中で固定する、というもの

3週間の入院
終業式にも出れず、クリスマスも病院ですごす
カラダ自体は健康体だったし
友達が代わる代わる見舞いに来てくれたから
それなりに初めての入院生活を満喫していた

しかし元気な患者ゆえ、正月は追い出される・・・

そこで困ったのが「トイレ」と「ベット」
当時の家のトイレは和式で、寝るのも布団

松葉杖の生活
なおかつ膝の中で固定している半月版に
衝撃を与えてはいけない、と
医者からはきつく言われ
足を決して、地面に着いてはならない生活
不自由というより、罰ゲームのような有様だ

そんな私を案じ
父が新宿界隈のホテルに電話を掛けてくれた
それでやっと予約できたのが京王プラザホテル
入院費用に加え、正月のホテルの滞在費
相当な出費だったことだろう・・・

まだ東京都庁も建設前の西新宿
駅側の部屋から広いツインルームに換えてもらう
眼下に広がる街並み、すばらしい眺望
だけど、退屈な時間・・・

外出も一苦労
松葉杖では思うように進まない
平坦にみえるアスファルトも病院の平らな床とは
雲泥の差だ

それでも、食事のための外出は唯一の楽しみ
新宿プリンスホテルのイタリアンレストラン
さぼてんのとんかつ
初めて入った御蕎麦屋のご主人からは
「昔、怪我した事がありまして」懐かしいから
ちょっと松葉杖を貸して~、なんてことも

母は私に付き添って泊まり
父は家から通い、食事する日々
もうひとり・・・
わんさんも町田から通ってくれた

食事のあとは、部屋で4人トランプする
確か、大貧民とかいうゲーム
わざとなのか、わんさんは弱い
夜遅くまでゲームに興じる・・・

あれから20年余り
もう、ゲームのやりかたも忘れてしまった
だけど、ホテルで過ごしたあのお正月のことは
ずっと忘れないでいたい

byがん


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succedere

2006-12-28 | ファミリー
スッチェーデレ
「起こる、継承する」

久しぶりに埼玉にある親戚のお寺に出かける
母方の兄弟姉妹の集まりだ

今日は祖母の命日



大正生まれの祖母は、何かにつけおはぎを作っていた
おにぎり大のごはんに餡子を被せるので
とても大きい〝おばあちゃんのおはぎ〟
みんな大好きだった・・・
そんな祖母のことを思いながら、叔母がおはぎを作ってくれた
受け継がれるなつかしい味

本堂でお焼香の後、お墓参りを済ませ、献杯する
手作りのおいしい料理に、お酒もすすむ

ミシンの事が掲載された新聞
小さい頃の写真が登場し、ちょっと照れくさい・・・

何の話からか、母がうさうさ脳の話を切り出す
「何?なに?」と、一同で手を組み、腕を組む
妙に笑える光景

「仏教では、右の手が仏様をあらわすから
手を組んでお祈りする時は右の親指が
上にくるように組んだほうがいい」
さすが、ご住職さま(叔母の旦那様)

祖母の訃報が届いた時、母は仕事場にいた
当時の仕事場は、偶然にも私の住まいのとなりで
とりあえず腹ごしらえしよう、という母からの電話に
台所にあったけんちん汁とご飯を運んで、二人でお昼を食べた
底冷えのする年の瀬・・・あれからもう七年、早いものだ

今日は風もなく、穏やか・・・



田んぼの畦道だった風景もすっかり変わってしまった

いとこの娘っ子は7歳と4歳になっている
「ビーズ」や「シール」を作ろう~と
手頃な遊び相手の登場とばかり、ほろ酔い気分の私を急かす

そして、オセロ対戦の申し出

子供だからといって容赦しないのが、わが一族の流儀
祖父、伯父、年上のいとことの勝負に
小さかった頃の私は、何度悔しい思いをしたか・・・

よしっ!とばかりに、小2を相手に真剣勝負
当然ながら?圧勝する
「もう一回やろうよ~」とせがまれるが、残念ながら時間切れだ
玄関でファーのついたコートを羽織る私に
「そういうの好きなの、いいなぁ~」と彼女

「じゃあ、今度オセロに勝ったらあげるよ」
・・・きっと今頃、オセロの特訓をしていることだろう

こうやって〝血〟は受け継がれるのかもしれない

byがん


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