Fare la siesta

ファーレ・ラ・シエスタ~イタリア語で〝昼寝する〟
午後のひととき☆ゆったりと過ごしたいですね

seme

2007-02-20 | たいせつなもの
セーメ
「種」

種蒔きもせず刈り入れもせず



母から届いた星野富弘さんのポストカード

いつの頃からか、誕生日は自分の為のものではなく
私をとりまく全ての人に感謝する日と思うようになった
その中でも、私を産んだ母は特別
今日は、母への感謝の日なのだ
そんな母からのメッセージは、いつにもまして
丁寧な字で綴られている

「三十七年前の二月は寒く、三月には大雪も降りました」

今朝は、思いのほか寒い・・・

       ***

・・・私にとっての〝新年〟最初の飲み物は
マッチポイントの「シーブリーズクーラー」


わんさんと待合せし、静かに誕生日を祝う
前夜からこうやって祝い始めると、大晦日~お正月のように
二日に渡って誕生日を満喫できるから、二倍嬉しいのだ

zusitto隊の皆さんが、掲示板にメッセージをくれる
一年前には考えられなかったこと
何よりも嬉しい・・・皆さん、ありがとう!

いい一年のスタートを迎えることができた・・・

       ***

さて 話は、ポストカードに戻るが
この、「種蒔きもせず刈り入れもせず」とは

空の鳥を見なさい
種蒔きもせず、刈り入れもせず
倉に納めることもしません
けれどもあなたがたの天の父が
これを養っていてくださるのです
あなたがたは、鳥よりも
もっとすぐれたものではありませんか

という、聖書(マタイ6・26)の言葉らしい
もらった私も、贈った母も聖書とは疎遠だ
なぜ、このポストカードを贈ってくれたのか?

戌年の私に、犬の絵だから・・・?


photo by http://www.photolibrary.jp/

この絵を描いた星野富弘さんは若い頃
頚椎を損傷し、手足の自由を奪われた
私が生まれた年のことだ

絶望の淵にいた若者は、やがて
筆を口にくわえて、文字や絵を書くことを習得し
こんなにも繊細な作品を創りだす、芸術家となった

私が生きてきたのとほぼ同じ時間を
星野さんは歩まれてきたのかと思うと、胸がつまる

実を言うと、私は星野さんのことを今回初めて知った
少し前までは、「知らない」ということが恥ずかしくて
そんな自分がとても嫌いだった
他人と自分を比べ、周りの目を気にしていたからだろう

でも、今は「知ることの楽しさ」が気もちを豊かにしてくれる
そんな風に思えるようになった
これも、年の功か・・・

星野さんの描く絵、生きざまに共感しているのだろうか?

母が、何を教えたかったのかは分からないが
少なくとも私は
この聖書の言葉の本意、そして星野富弘という芸術家
ふたつの新しいことを知ることができた

いくつになっても、学ぶことは大切だ

そして、いくつになっても
親にとって、子どもは子供なのだ

母よ、ありがとう
そして
みなさん、ありがとう

byがん


今日も逗子海岸へはこちらから↓
http://blog.livedoor.jp/costa_di_zushi/



distanza

2006-12-15 | たいせつなもの
ディスタンツァ
「距離」

「ima,vancouver dayo!」
ローマ字の見慣れぬメイルが届いた

カナダからの手紙
今年、トロントに移り住んだwachiからだ

wachiは高校の同級生
何年かに一度
そのくらいのペースでしか会わないが
お互い「親友」と思っている
この夏、日本を離れる直前に
日本橋で一緒に呑んだ

たくさん呑んで、笑って、泣いた
「ずっと親友でいようね」と
人目もはばからず、道端で抱きあった
wachiと一緒にいるとあっという間に
10代の頃に戻ってしまう・・・

すぐにメイルするね、といったものの
相変らず筆不精の私
あれよあれよという間に
すっかり季節も冬へと変わってしまった
もう、カナダは寒い?
ひさびさメイルを送ってみる

すると
仕事の為に滞在しているバンクーバーのホテルから
ローマ字のメイルが返ってきた
数日でトロントに戻ります・・・


(2年前に訪れた夏のトロント。なぜか右に傾いている)

「風邪をひいて大変!」
トロントに戻ったwachiから
日本語のメイルが届く
まだ日本と同じぐらいの気候だそうだが
頑張り屋のwachiは風邪をひいてしまったようだ

トロントに住めるなんて、うらやましい~などと
数日滞在しただけの私は無責任に憧れるが
実際、外地で暮らすとなると
その苦労は計り知れないだろう
体調が悪いとなると、ことさら大変だ

頑張れ!wachi
見えない糸で繋がっているよ

どんなに離れていても
こころの距離はとても近い

byがん


今日も逗子海岸へはこちらから↓
http://blog.livedoor.jp/costa_di_zushi/






giornale

2006-12-08 | たいせつなもの
ジョルナーレ
「新聞」

ポストに大きめの封筒が入っている

日本ミシンタイムス社からの郵便
11月17日の「tesoro」を書くにあたりお世話になった新聞社からだ



ページを書いた後
インターネットと無縁の両親の為にプリントして渡したが
その際、新聞社のご担当の方にも、と
お礼を兼ねて送った
それから何日か経ったある日
新聞に掲載したいとお電話をいただく
「是非、お願いします」と即答する

そして届いた新聞
日本ミシンタイムスはいわゆる〝業界紙〟
各社の決算や合併の記事、大手メーカーの広告に並んで
私の記事が!
それも、フルネームで大きく書かれてる



「わたしの宝物」
 いろいろな問い合わせや研究資料として、ということで
各地の大学の先生などが「日本ミシンタイムス」を
繙きに訪ねて来られることがしばしばある。
 過日、「フジジャノメ(藤蛇の目)というミシンについて
ご存知でしょうか」という電話があった。
記憶にあるところの話を申し上げたところ、
後日ミシンに想いを込めた次のような写真付きの
エッセー風のお便りをいただいた。
(電話を切った後、昭和28年7月25日号の日本ミシン輸出組合の
暑中広告でその社名を確認)
・・・とはじまり
私が書いた全文がそのまま記事となっている



ちょっと気恥ずかしいけど、嬉しい~
記事を見て「お父さんの文章に似てきたな」とわんさん
(そう?私はいいけど、父は何て言うだろう)

「ミシン」を調べると昭和20年代は
需要の増大、海外への輸出、と全盛期だったことが伺える

私の名前には「糸」がふたつついている
由来は別にあるが、よく「糸屋の孫娘だから」と答えていた
そんな孫娘のおばあちゃん孝行

暮れに迎える祖母の七周忌に
何よりの供養となった
きっと、天に住む祖父母も喜んでいることだろう

byがん








tesoro

2006-11-17 | たいせつなもの
テゾーロ
「宝物」

「あなたの宝物は何ですか?」

誰かに尋ねられたら、私は迷わず
「ミシン」と答えるだろう
大切なもの、形のない宝ものは
他にもいっぱいあるが、私の持ち物の中で
このミシンは特別な存在だ

今は亡き私の祖父母は、洋服の仕立て、修理と
付属屋(ボタン、ファスナー、裏地などを扱う店)を
営んでいて、母たち5人の子供を大学まで通わせた
また、共働きの母を支え
保育園のお迎え、夕食、お風呂と
幼い頃の私の面倒を毎日のようにみてくれた
台所に立ち、たくさんの天ぷらを揚げる祖母・・・
私はおばあちゃんっ子で
そんな祖母の背中を見て育った

畳敷きの居間にはミシンがあり
作業している祖父の姿があった
学校の袋や母と作った洋服も
みんなこのミシンで作った

時は経ち、私は大人になり
やがて、店は廃業となった
ミシンはその役目を終え
気がつくと物置と化していた
そして
ミシンは主を失った・・・

不要になった物と一緒に処分するという
「このミシンだけは、誰がなんと言っても私がもらう!」
祖父母の面影や、子供の頃の思い出がしみついている
だいじなだいじな宝物
おじ、おば達もこのミシンを私が引き受ける事を
とても喜んでくれた

今は、我が家で一番眺めのいい場所から
私を見守っていてくれる・・・

このページの写真を撮っていて、ふと気になった
ボディーや足踏み部分


台の脚にも〝FUJIJANOME〟の文字


昔はこういう社名だった?
蛇の目ミシン工業本社に問い合わせると
どうやら全く別の会社らしい
ますます気になり、巡り巡って
大阪にある日本ミシンタイムス社へ
突然の電話にもかかわらず、こころよくお話してくださった

フジジャノメはその方の記憶だと
昭和22、3年~昭和30年頃あったミシンメーカーで
(恐らく)蛇の目にあやかってつけた名前では?
もう当時の事を知る人も少ないし、大切にして下さい、と
(今日までずっと、蛇の目ミシンだと思ってたんだけどね)
ありがとうございました♪

戦地から戻った祖父が買ったミシン
これからもずっと、大切にしたいと思う

byがん