私のブログ仲間のBitter & Sweetさんが昨年12/28にお亡くなりになっていたことを今日今知りました。
彼女とは10数年の(ブログ上の)お付き合いをしていただいておりました。
私より1つ年下で同時期ではないと思いますが(いや重なっていたかもしれません。私がいたのは25~28歳で、彼女が24~27歳の時ですから)、同じ所(霞ヶ関の某大〇省・某課)で勤務した経験があることもあり、いつも私がブログを更新するたびに応援メッセージを入れてくれてたのに。
心から、心からご冥福をお祈りいたします。
※ Bitter & Sweetさんのブログより(写真を除く) ・・・当時の雰囲気は私もよく分かります。あの頃が懐かしいけど、あんな激務の職場はごめんです。というか、65歳の今の私には体力的に無理です。通常(特に国会開催中は)夜2時、3時まで仕事で、予算がきつくなった3月はタクシー券がなくなり、地下鉄とJRの最終便で帰してもらえました。
* * * * * * * * * *
私の初仕事・霞ヶ関某省・某課
あろうことか、初出勤の日・父がくっついて来た
社会人になるのにみっともない
何度も断ったのだが
道に迷って遅刻したら大変だから、と
確かに外出するときはたいていが父の車であって
通学や横浜あたりまでの外出は別として
友達と電車に乗って行くことはあっても
私が一人で東京まで行ったのは
高校3年の冬休み・某予備校の冬期講習の時が初めてだったから
心配する気持ちがわからないでもない
…結果
言っている本人が地下鉄の出口を間違えているのだから
お話にもならない(;´д`)
辞令交付や挨拶回りをしている間
本人は親切な秘書課の方々に応接室に通され、お茶をふるまっていただいて、えらく感激して、後々まで事あるごとに人に話をしていた
配属先に落ち着いたところでやっと帰った
一安心もつかの間
さっそくデスクを与えられ仕事開始
電話を取ったはいいが、全然内容が理解できない
つないだらイケナイ電話もある
恐ろしくてひっきりなしに鳴る電話に手が出ない
隣は同期入省の男性
二人で同時に手を出して譲りあう(出来れば相手に取ってほしい)
これでやっていけるのだろうか、と不安でいっぱいだった
フロアの職員はほとんどが男性でタバコの煙が立ち込める
私の向かいの席には父よりも年上のベテラン女性
この方が、朝、出勤してからの手順や日常の細々とした雑用の数々をメモにして
それこそ手取り・足取り・ここでの仕事の何たるかを懇切丁寧に教えて下さった
掃除の仕方(お茶がらをまいてから箒を使う)
お茶のいれかた・出しかた
お茶碗の洗いかた(最後に熱湯をまわしかける)
小切手の現金化のやりかた
飛行機や新幹線の切符の買いかた
国会への出入り…
父が付き添って来たことについては
「上には上があるから大丈夫」
かつて
初出勤どころか翌日もその次の日も、授業参観さながら、娘の仕事ぶりを見学したあげく
忙しくて昼食に出向けない上司のために、デスクまで昼食を運ばされるのに及んで
「娘にこんな仕事はさせられない」と、辞職させてしまったお父様がいらしたとか
引越しの手伝い・同窓会の手配など
これも仕事?と思われるようなこともあったが…
* * * * * * * * * *
出勤スタイル・仕事場(何回も登場してる画像で申し訳ないですが)
国会や他省庁に出向いたり、大臣や議員・長官・局長などへの対応も数多い
今はどうかわからないが
30数年前は服装はスーツ・ジャケット着用
場合によってはドレッシーなワンピース・ブーツ不可だった
彼女とは10数年の(ブログ上の)お付き合いをしていただいておりました。
私より1つ年下で同時期ではないと思いますが(いや重なっていたかもしれません。私がいたのは25~28歳で、彼女が24~27歳の時ですから)、同じ所(霞ヶ関の某大〇省・某課)で勤務した経験があることもあり、いつも私がブログを更新するたびに応援メッセージを入れてくれてたのに。
心から、心からご冥福をお祈りいたします。
※ Bitter & Sweetさんのブログより(写真を除く) ・・・当時の雰囲気は私もよく分かります。あの頃が懐かしいけど、あんな激務の職場はごめんです。というか、65歳の今の私には体力的に無理です。通常(特に国会開催中は)夜2時、3時まで仕事で、予算がきつくなった3月はタクシー券がなくなり、地下鉄とJRの最終便で帰してもらえました。
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私の初仕事・霞ヶ関某省・某課
あろうことか、初出勤の日・父がくっついて来た
社会人になるのにみっともない
何度も断ったのだが
道に迷って遅刻したら大変だから、と
確かに外出するときはたいていが父の車であって
通学や横浜あたりまでの外出は別として
友達と電車に乗って行くことはあっても
私が一人で東京まで行ったのは
高校3年の冬休み・某予備校の冬期講習の時が初めてだったから
心配する気持ちがわからないでもない
…結果
言っている本人が地下鉄の出口を間違えているのだから
お話にもならない(;´д`)
辞令交付や挨拶回りをしている間
本人は親切な秘書課の方々に応接室に通され、お茶をふるまっていただいて、えらく感激して、後々まで事あるごとに人に話をしていた
配属先に落ち着いたところでやっと帰った
一安心もつかの間
さっそくデスクを与えられ仕事開始
電話を取ったはいいが、全然内容が理解できない
つないだらイケナイ電話もある
恐ろしくてひっきりなしに鳴る電話に手が出ない
隣は同期入省の男性
二人で同時に手を出して譲りあう(出来れば相手に取ってほしい)
これでやっていけるのだろうか、と不安でいっぱいだった
フロアの職員はほとんどが男性でタバコの煙が立ち込める
私の向かいの席には父よりも年上のベテラン女性
この方が、朝、出勤してからの手順や日常の細々とした雑用の数々をメモにして
それこそ手取り・足取り・ここでの仕事の何たるかを懇切丁寧に教えて下さった
掃除の仕方(お茶がらをまいてから箒を使う)
お茶のいれかた・出しかた
お茶碗の洗いかた(最後に熱湯をまわしかける)
小切手の現金化のやりかた
飛行機や新幹線の切符の買いかた
国会への出入り…
父が付き添って来たことについては
「上には上があるから大丈夫」
かつて
初出勤どころか翌日もその次の日も、授業参観さながら、娘の仕事ぶりを見学したあげく
忙しくて昼食に出向けない上司のために、デスクまで昼食を運ばされるのに及んで
「娘にこんな仕事はさせられない」と、辞職させてしまったお父様がいらしたとか
引越しの手伝い・同窓会の手配など
これも仕事?と思われるようなこともあったが…
* * * * * * * * * *
出勤スタイル・仕事場(何回も登場してる画像で申し訳ないですが)
国会や他省庁に出向いたり、大臣や議員・長官・局長などへの対応も数多い
今はどうかわからないが
30数年前は服装はスーツ・ジャケット着用
場合によってはドレッシーなワンピース・ブーツ不可だった