いつかの記憶

思いつくままに、書き残したいと思います。

引越しが終わった

2020年01月20日 21時02分45秒 | メンタル

18日に引越しが無事に終わった。
本人は軽い鬱状態が続いているので、準備作業は難しく箱詰め作業などほとんどを両親でやった。直前だったが、入居している施設の関係などもあり開始時間を少し遅めにできないかと頼んでみた。その時は駄目だったが1日前に後の予定が無くなったとかで9時から9時半の開始にしてくれた。当日は天気も良くて順調に作業が進み、昼前には全て終わった。アート引越センターの作業は丁寧で好感が持てる。

まだ荷物は段ボールに入ったままが多いけれど、新居での生活が始まった。しかし色々とトラブルが出てきた。まずエアコンのリモコンが作動せず暖房が出来ない。とりあえず本体の応急運転スイッチで使う事で対応するように電話で伝えて1日目が終わった。しかし、昨日になってトイレの水が流れ続けて止まらないと連絡あったので、水道の元栓を止めるように連絡して見に行った。その時はレバーを操作したら直ったが、夜になってまた止まらないとの連絡。不便だけど元栓を止めて対応させたが、後で考えたらトイレタンクの所にある止水栓をマイナスドライバーで止めれば良かった。

今日の朝一番に管理会社に連絡したが、レスポンスが悪く夕方4時にやっとマンションの設備業者が来た。見てもらった所、トイレはタンクの浮き玉の鎖が短く浮き玉が上がりきらずに水が止まらなかったらしい。エアコンのリモコンは別の部屋では作動するので、リモコンではなく本体の故障なので交換する方向になった。その他にも小さな不具合が2か所あったが解決した。
多難なスタートだったが、今の所緊張しているのかあまりヘルプコールが無くすんでいる。食事は今日までこちらで食べて帰った。


長女の引越しが決まる

2020年01月16日 11時37分17秒 | メンタル

昨年の11月末に不動産屋で精神障害を理由に入居を断られ、後日役所の障害福祉課から紹介された不動産屋に依頼して新しい所に入居が決まった。18日に引越しする。
希望する家賃である3万円台の物件が無くて、最初に気に入っていた所より7~8千円位高くなり4万6千円の家賃になってしまった。部屋は広くなり設備も良いのだが、共益費やその他費用を含めると5万円を少し超えてしまった。障害者年金と障害者雇用のアルバイトの収入ではギリギリの選択となった。初めに気に入った所がベストだったのだが、今更仕方ないと諦めた。

今回の不動産屋では精神障害者である事は告知しなかった。障害福祉課からの紹介なので事前に訳ありは了解しているはずだが、特に聞かれることもなかったので告知はしなかった。収入が現在の会社では少ないのでその点が不安だったが、源泉徴収票の提出も無しで大丈夫になった。もし収入の証明書と言われた場合は、不動産屋に精神障害を話して相談しようと思っていたがその必要はなくてほっとした。

引越しの用意は結局両親でほとんどやる事になった。引越し会社の見積りもこちらで代わりにやった。近くの所に個別に電話してみたが予算的に高かったので、初めてネットの比較サイトに登録してみた。すぐに数社から連絡があり、結局アート引越センターに決めた。同じ市内の引越しで単身者の扱いで税込4万円になったので助かった。個別に見積りを聞いた時にはなかなか希望通りの見積りが出なかったので、比較サイトの方が条件が良くなるような気がした。

2歳の子供がいて、体力もなく軽い鬱状態なので自分でやれる能力は無い。1DKの部屋で荷物も少ないので段ボールは20個で済んだ。当日は8時からの予定なのでちょっと大変だとは思うが何とか無事に済む事を祈っている。




精神障害者に優しくない社会

2019年11月30日 16時13分25秒 | メンタル

娘が現在の施設から出る事になった。DV離婚が成立し、仕事にも就けているし、貯蓄もあるなどの条件が揃ったから、新しい住居を探してくださいと言われたらしい。希望する所が見つかればと言う事で、催促されている訳ではない。
ネットで調べて先週の土曜日に近くの不動産屋に一緒に行った。希望する物件を決めて、申し込み書の年収を記入する際に娘が仕事以外に障害者年金があると話したら障害者手帳を見せてと言う事になり、障害の内容つまり病名を伝えた。障害者手帳もコピーされた。少し違和感があったが、特に気にしなくてその場は済んで、管理会社の審査の結果を後日知らせてくれると言う事だった。

翌日娘の所に電話で返事が来て、審査が通らなかったとの事。理由は精神障害がある事と言われたそうだ。さらに勝手に他の所も当たってみたが、ダメだったと言ったらしい。
不動産屋の担当者は、話している時から事務的で、あまり親身に考えている感じがしなくて、良い印象ではなかったが、余りにもデリカシーが無かった。そこはもうやめにしたが、ネットで調べて本命だった所がダメだった事と障害を理由に断られたので、本人はすごく落ち込んでしまった。
世間に偏見や差別がある事は漠然と理解していたが、こんなにはっきりと経験したことがなかった。これは人権問題で、障害を理由に差別する事が許されて言い訳がない。しかし、これが現実なんだろう。それを問題にして行政などに訴えても良いのだが、それは本人にとって大きなストレスになるのでやめにした。

反省としては、障害は告知の必要はなかったという点だ。仕事はしているので、年収を聞かれても障害者年金や母子手当などを含んだ金額を申告すれば良かっただけだと思う。今となっては遅いので、どうするか相談した。私は他の不動産屋に行く前に、役所の障害福祉課に相談にいくことを勧めた。そちらで今回の件を説明して、精神障害者がアパートを借りる事について何かアドバイスをもらおうと言う事になった。
水曜日の午後から私と一緒に障害福祉課に行った。そこの課長さんが対応してくれたので経緯を説明した。そのような事はやはり多いとの事で、本来は職務ではないがと断りながらも、ある不動産屋を紹介してくれた。そこは役所からの紹介で色々と親切にしてくれるとの事だったので、希望する条件を説明して物件を探してもらうように依頼した。
本人は少しは安心して翌日は仕事に行ったが、昼頃に気分が悪くなりもどしたので早退して帰ってきた。その後はうつ状態で調子が悪く仕事に行けない状態だ。精神障害に対する無理解や偏見、そして差別があると言う事を痛切に感じた出来事だった。


娘が躁状態の続き

2019年04月15日 10時16分47秒 | メンタル

翌日ラインで連絡があった。

「病院行きました。薬をやめたことに加え環境変化もあって、躁状態になったらしいです。」
「薬はやめてもう半年くらい経つけど、やめて3ヶ月くらいで再発する人が多いそうです。」
「私は環境の変化があったから、やっぱり父と母と関わらない方向でいくことになりました。」

以上のように送ってきたが、現在はある程度は以前に戻っている。
しかし、基本軽い躁状態が続いているので距離を置いて付き合っている。娘の状態が悪かった時は他人との距離感が極端になる傾向が強く、べったりと甘えたり、強く反発したりする。こちらが娘の話を受け入れてあげれば良いのだが、躁状態でべったりの時はこちらの状態などお構いなしになる。それが続くとストレスがたまってしまう。

以前の記録を読み返してみると、今回のような状態の時にかなり激しくぶつかって苦労していた。被害妄想とまでは言わないが、色々な事を悪い方向にとらえて感情が激しくなる状態があり、対応に苦労した。その当時と比べると、現在はまだましな状態だ。多分娘がいる事で自分の制御が出来ているからだろう。
これからは少し距離を保ちながら付き合っていく事になる。


娘が躁状態に

2019年04月02日 11時16分04秒 | メンタル

先月の中旬から長女が障害者枠で就職して、週に4日位9時から16時まで近くの所で働いている。割と名の知れた会社の店舗で、仕事は清掃係をしている。孫は保育園に8時30分から16時30分まで預けている。

その娘と30日にぶつかってしまった。
電話で保育園の事を言ってきた。4月からの保育時間の相談らしかったが、話している内容が良く分からなかったので、途中で2回ほど「何を言ってるのかよく分からないので、もう少し分かるように説明して」と口を挟んだら怒ったらしく娘は電話の途中で切ってしまい、その後は電話に出なくなった。ラインで連絡しても既読がつかない。妻に経緯を話して電話してもらったがやはり出ずに、妻からラインしても同じく既読がつかなかった。
これには少し前から伏線があって、本人も最近躁状態だと自分でも認識していると言いながら、家に来た時はずーと喋り続ける状態が続いていた。自分の思いだけで話すので、内容が良く分からない感じであった。私はそんな状態に少し辟易していたので、多分少し突き放した対応だったのだろうと思う。「お父さん何か怒ってるの」と妻に言っていた。

返事が無いので仕方なくそのままだったが、昨日は仕事の後に病院に行きたいと保育園のお迎えを頼まれていた。その件に関してはラインに返事があり夕方迎えに行った。
そして夕方の6時過ぎにラインで孫を連れてきてと言うので妻が連れて行ったが、本人は出て来ないで施設の人に預けて帰ってきた。
夜になってラインで連絡があった。「調子が良かったから頑張って頑張りすぎてブレーキが効かなくなりました。躁状態です。自分に対して批判や強い言葉を言うような相手への怒りの感情が強いです。
だから父とは話せません。母は父側の人間と思っているので私に批判的ではないけど傷つけたくないので話せません。
今は二人には関わらないのがお互いにとって最善と考えています。明日メンタルの病院に行ってきます。結果協力が必要なようであればまた連絡します。(以下省略)」
この病気に良くある白か黒、全肯定か全否定の極端な思考になってるように思う。以前調子が悪かった頃にこのような状態がよくあって、言い争いが絶えずに家庭内が殺伐となっていった。

1人暮らしをはじめ結婚してからはある程度は落ち着いた状態になり、こちらへ引っ越してからもそれ程悪い状態ではなかった。
本人も調子が良いと言うので、少し前から薬も少し減らして先生にも了解してもらったと言っていた。それを聞いた時は大丈夫かなとちょっと心配があった。
そして仕事を始めた途端に状態が悪化してしまった。娘から就職の相談を受けた時に、障害者雇用で作業所のような所で短時間から慣れた方が良いとアドバイスしていたのだが、早く独立したいとの希望で、通常の就職に近い条件で決めてきた。
母子家庭であり、仕事をしていなくても家事に支障がある時があったのに、全日に近い仕事をいきなり始めるのはたぶん難しかったのだと思う。心配していた事が現実になった気がしている。

躁状態で一方的に話すのをじっくり聞いてあげるのは、私にはかなり難しい。どうしても途中で口をはさんでしまうし、たぶん批判的な口調や内容になっているのだと思う。調子が良かった時はそれでも問題は無かったが、今のような状態になると過剰に反応してくる。
私が冷静に優しく話しを聞いてあげれば良いのだけれど、それが難しい。
「近くに引っ越して来なければ良かったね。」と妻が言うようになった。妻の状態が悪くなるのは困るが、今は妻が窓口になって様子を見るしか仕方ない。同居はしていないので、妻への負担は以前と比べ少しは良い思っている。


離婚が成立

2018年04月23日 22時35分41秒 | メンタル

今日離婚が成立したと娘から連絡があった。
「おめでとう!」と、思わず言ってしまった。

今日は面会交流調停の1回目。
全ての面会交流を拒絶する希望だったが、父親について娘が
将来どのように希望するか分からないし、写真や手紙などは
相手のガス抜きにもなるので許容した方が良いのではないかと
弁護士さんからも提案されたそうだ。

調停はお互いが顔を合わさないように別々に行われ、帰る時に
後をつけられたりしないよう相手が調停中に帰るとの事。
次回の調停は来月の末にある。


離婚裁判が終わる

2018年04月10日 10時09分14秒 | メンタル

これまで数回にわたり離婚調停したが不調、裁判になり9日が1回目だったが、
夫は弁護士は立てずに本人のみ、こちらは弁護士さんのみ出席。
そこで離婚の受諾と親権放棄を受諾したとの事で、これほど簡単に決まるのは
珍しく、弁護士さんも驚いたとの事。

それとは別に夫の申立てで、面会交流調停が23日に行われる。
離婚届けの署名などはその時に行い、正式に離婚が成立する予定。
面会交流調停に関しても、夫のDVが原因なので一切認めない事を希望している。
全て早く終わってほしいものだ。


DV離婚へ

2017年08月28日 16時10分36秒 | メンタル

今日弁護士と相談して、夫のモラハラが原因で娘の離婚手続きに入った。
DV離婚のため住所の秘匿など注意すべき点が多いので、ここで事情や
現状について書くことはできない。
離婚が成立するまで時間が掛かりそうだが、こちらが関与することは無いので
見守るしかない。
経過などについて書けるようになれば、記録として残そうと思う。


最近の妻の様子

2016年05月09日 11時41分57秒 | メンタル

隣の部屋から妻の笑い声が聞こえる。
テレビを見て笑っているが、以前には無かった事だ。
妻との会話で、最近テレビを見て笑えるようになってきたと話していたが、
その通りに大きな声で時々笑っている。

また、お花を新しくしたりするなど庭の手入れをもするようになった。
これも最近になっての事だ。

昨年から少しずつ症状が改善してきて、7月頃からはカーブスと言う体操教室に通うようになった。
天気の日は自転車で、およそ15分位の所まで行っている。
月に1回の病院通いと服薬は欠かせないが、初期の頃の症状を思うと大幅な回復を感じている。