カディスの緑の風

スペイン、アンダルシアのカディス県在住です。

現在は日本の古い映画にはまっています。

チャンネル桜の討論番組『大東亜戦争と戦後70年、part1』

2015-08-09 00:55:05 | 言わせてもらえば


8月8日リリースされたチャンネル桜の討論番組、『大東亜戦争と戦後70年、Part1』、

三時間の討論だが、実におもしろかった。


パネリストの7人、いずれも保守的な立場にあるが、それぞれに

おおいなる物言いで有名な方々である。


特に長老的存在の西部邁氏、毎度のことであるが、人の発言をさえぎってまで

長々と強調する、この態度には反感をもつ視聴者が多いようであるが、

わたしは逆に、西部氏のような人の存在が健在であることに、安心感を覚える。


近年、ネットでは歯に衣着せず自説を強調する人たちを招聘しての討論的な

座談会のような番組が増えているが、ほとんどが、お笑い芸人をMCに起用して

おもしろおかしく茶化したりしてのエンターテイメントとしての領域を

出ないが、チャンネル桜でのこうした討論は、保守としての同じ立ち位置に

ありながら、異なる見解を発表する機会を与えていて、知的なエンターテイメントと

して、十分楽しめる。


それはやはり西部氏のような長老的存在が、あえて若輩のパネリストたちに

辛辣な反論を挑み、その反論をいかに受け止め、答えるか、その力量を

見ることで、知的レベルがいかに高いか、また人格的にいかに他人の

異なる意見を聞く耳をもっているか、そういう次元でものごとを考えることを

知らされる、絶好のチャンスである、とわたしは思っている。


こうした討論は決して建設的な結論を導き出すことを目的としているのではなく、

何が問題であり、どういうことを議論していかなければならないのか、

という問題提起の前提をもってこそ、意義があるものなのだから、

西部氏の議論のやり方が非建設的である、という意見には賛同しかねる。


というわけで、これはまず見ていただかなければお話にならないのであるが、

いろいろと発言された議論の中で、戦後70年、という一つのくくりの中で、

ジャーナリストの上島嘉郎氏(元産経新聞社『月刊正論』編集長)の

冷静な分析とご意見にはもっともだ、と感銘を受けた。


つまり、日本の戦後70年は、敗戦後、生き残った世代が、

生き残ったことの罪深さをなんとか正当化させようとして

戦争はいけない、平和を守ろう、という価値観のもとに、

憲法9条を盾にし、日本は戦争をしない、平和を推進する、という

イデオロギーを固持してきた時代なのである、という分析である。


その生き残りの世代を受け継ぐ形で『団塊の世代』と呼ばれる

終戦直後に生まれた世代が、日本が行った戦争は

過ちであった、とかたくなに信じ込んでいるのである。



上島氏はいう、『大東亜戦争をなぜ戦ったのか?という

ことはかえりみられず、ただただ、敗北した、という事実、

つまり偉大なる敗北がそこにあることだけを見ることに

問題がある』。


まさにその通りだと思う。



戦争は悲惨である。それは紛れもない事実である。

しかし過去において戦争を行ったのは日本だけではない。

西欧の歴史は戦争の歴史であり、20世紀になってからの戦争の

形態は、各国の国民をもまきこむ全面戦争になっていった。

21世紀の戦争の形態もどんどん変わっていく様相をみせている。

そういう世界情勢の中で、日本が平和憲法を守っていれば

安全、平和である、というのんきな考えは通用しない。



日本国内にいて、地上波テレビや朝日新聞などだけを

見ている人たちは安倍政権が勝手なことをやっている、という

嫌悪感ばかりが先立っているようだが、

外国に住んで、平和とは何か、という考え方を学んだ

わたしにとっては、そういう安穏とした国民の「平和感」こそが

たいへん危険に思われる。



いろいろな意見があって当然であるが、やはり国家とはなにか、

平和とは何か、そういう原点にもどって、日本の将来を

考えていってほしい、と思ってしまうのである。



どうぞご興味がある方は、このチャンネル桜の討論番組を

ご覧になってください。


また、このタイトルでの討論はPart 2 も来週あるようなので、

それも楽しみであります。









チャンネル桜、『大東亜戦争と戦後70年ーPart 1』一時間目


二時間目


三時間目







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