カディスの緑の風

スペイン、アンダルシアのカディス県在住です。

現在は日本の古い映画にはまっています。

後味の悪い、五輪エンブレム白紙撤回騒動

2015-09-02 10:07:45 | 言わせてもらえば





いろいろと物議をかもした五輪エンブレム、とうとう白紙撤回されましたね。

デザインした佐野研二郎氏の写真を初めて拝見したとき、

なんとなく違和感を覚えたのですが、そのときは

「盗作疑惑」が問題になり始めたころでしたので、

そんな先入観のある目で見ていたのかもしれません。

知らない人を第一印象だけで判断してはなりませんが、

あのエンブレムが、ベルギーのリエージュ劇場のロゴマークと

比較された写真を見て、しろうとながらわたしは、これは

似すぎている、盗作とは言わないまでも、模倣では?と

思ったので、「絶対に盗作ではない、模倣したことはない」と

憮然として主張している佐野氏の写真をみて、この人は

あまり信用できないな、と思ってしまったのです。


オリビエ・ドビ氏、というベルギーのデザイナーとリエージュ劇場の

代理人が、『ロゴマークの盗用』と、国際オリンピック委員会に

使用差し止めを求める訴訟をリエージュの民事裁判所に起こした時点で、

もうあのエンブレムはけちがついてしまった。

その時点で、なぜ佐野氏のみならず、組織委員会もデザインが

できるまでの過程で模倣がなかったかどうか、

つぶさに検証しなかったのでしょうか?



「デザインは似ていない」と佐野氏が主張したことで、ネットでは

佐野氏のこれまでのデザインのありとあらゆるものをほりおこして

他のデザイナーのデザインとの類似性を追求し、糾弾するという

事態が発生しました。


佐野氏は自分は模倣したことがない、と主張していましたけれど、

サントリーのトートバックのデザイン模倣など、デザインそのものは

スタッフが作り、佐野氏は監修しただけ、ということですが、

「やっぱり模倣しているジャン!」ということになり、ますます

ネット上で炎上、ということになってしまったのですね。


日経新聞によると、公募の審査委員長であった永井一正氏が

佐野氏擁護のため、当初案の公開をし、それがヤン・チヒョルト氏の

展覧会ポスターにある文字に似ていること、

また内部秘密にも相当する「カンプ」と呼ばれるデザインの展開事例案を

発表してしまったことから、佐野氏がウェブから無断で画像使用、改変

していたことが、発覚してしまった、と言います。


本当に何をやっているんだ、と思いますね。


白紙撤回についても、佐野氏のコメントは「自分や家族に誹謗中傷が

殺到し、オリンピックのイメージを損ねかねない」ということを理由に

決断したように言っています。これもまったく潔くありません。


結局、模倣盗用ではない、しかし内部資料として作ったものを

権利者の了解を得るのを怠った、無断転用、ということだけを

認めていますが、逆に考えれば、こちらのほうがプロのデザイナーとして

失格であることを露呈してはいまいか?


加えて組織委員会の武藤敏郎事務総長も、使用イメージ画像の

無断転用を認めたが、エンブレムの模倣や盗作は否定している、と

いうことで、もうこれは日本の意識のレベルの低さを世界に

知らしめてしまったことになります。


ベルギー側では、「盗用であったことを認めていない」として

訴訟を続ける意向である、ということです。


さて、ネットでPAOSという組織の中西元男氏のブログが

紹介されていました。

記事の中で、中西氏はこう指摘しています。




ここで見えてきたことの根本は、わが国のデザイン界そのものが、
はしなくもその時代遅れの発想と体制を露呈してしまったこと
であると、私自身は感じております。

要は、この世紀のイベント東京オリンピックで、デザインが一体
どのような役割を果たすべきかという、戦略や目標の
デザイン自体が策定されていないことが驚きです。
言い換えれば、アイデンティティ・デザインが全く
成されていなかったことが顕在化してしまったのだと思えます。

これでは、デザインコンペに参加するデザイナーも、
またそれを審査する側も、作品主義的な制作や印象審査を行う
以外になく、その意味では、今回の諸騒動は事前に十分
想定できたにもかかわらず、好ましくない結果が
到来してしまった、としか言いようがありません。


2020年東京オリンピックと「日本デザイン界の大きな時代遅れ」
http://designist.net/blog/


さらに中西氏の言葉を引用します。


いわゆる一流と呼ばれる程のデザイナーは、同じようなデザインが
存在していることが事前に分かった場合、むしろそれと似たものは避け、
別種のデザインをするのがクリエーターとしての矜持



デザイン界そのものはまだまだ作家作品主義から
抜け出せていない証拠でしょう。
デザインアートはあってもデザインインダストリーへの眺望が
見えていないのです。


デザイン開発に従事する組織は、
日常的に倫理観や管理体制には
最大限の留意をし、著作権問題が起こらないように
徹底して対処しておくことが不可欠




と、デザイナーだけでなく、組織における欠陥も的確に指摘しています。



さらに、『今回の東京オリンピックに関わるデザインに関して、

計画的・戦略的・長期的コンセプトが存在していなかったこと、そして

わが国がそれほどデザイン後進国であったということ』、と

目的達成の理念や戦略が存在していなかった

と指摘していますが、これは新国立競技場のデザインコンペにおいても

言えることだ、とわたしは思います。まず目的がはっきりしていない。

そして「デザインのトータルパワーを理解している人物がデザインにかかわる

内外部者に存在していなかった」、という現実…。



それは戦後70年の間に、場当たり的な刹那主義の日本となってしまった現状を

見事に言いあらわしているのではないか、とわたしは共感します。

職人としての矜持、それは古来より、日本人の特性であった、

それが、東京オリンピック以降、「今しか考えない日本人」

「見事な部分職人としての日本人」へと変貌していってしまった

挙句の果てが、新国立競技場および今回の五輪エンブレム

白紙撤回騒動であった、とわたしも思います。


佐野氏のこれからデザイナー生命は彼自身の責任ですが、

組織委員会はデザインコンペの応募資格の徹底的な見直し、

審査基準の強化、など身をひきしめて行ってほしい。


オリンピックという国際舞台における日本という国の

イメージを損なった代償はけっして軽いものではないのですから。






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