川瀬竹志さんとの思い出

川瀬竹志さんとの事は、何故か、楽しくお酒を飲んだ
ことばかり思い起こされます。
お若い頃大阪で、川瀬竹志、田原謙次(当代陶兵衛)、西岡良弘
三人展を何度か開催させていただきました。
それぞれ父君が健在で、次代をになう若手の展覧会でした。
お互いに若かったので、夜は昼より元気で賑やかに過ごしました。
大磯では竹春先生、忍さんとともに、湯河原では陶房で作品を
拝見したり、美意識、感性を磨くために身近に置いておられた
中国古代の金属器を肴にお酒をいただきました。
川瀬竹志さんはサラリーマン生活を経て、陶芸の世界に入られた
ようですが、当初は二代竹春先生が大磯に興された古余呂伎窯の
染付、色絵の仕事に専念されていました。
初代竹春先生からの染付、色絵の作品には、川瀬家でなければ
できない、見られない独特のものがあります。
兄の忍さんが、青磁の作家として既に一家をなしておられたので
川瀬家の伝統を継承するという、責任感もお有りだったようです。

作家としての自身の作品は、白磁をテーマに追及されました。
兄の忍さんの青磁と同様、古典に学びながらも創造的な
作品を生み出そうと努力されていたと思います。
実現し得なかった私の夢として、「川瀬 忍・川瀬 竹志
青瓷・白磁展」開催がありました。

この陶硯は、我が家の文机の上にあって、たまに墨、筆を
とる時に使わせていただいています。

川瀬竹志さんとの事は、何故か、楽しくお酒を飲んだ
ことばかり思い起こされます。
お若い頃大阪で、川瀬竹志、田原謙次(当代陶兵衛)、西岡良弘
三人展を何度か開催させていただきました。
それぞれ父君が健在で、次代をになう若手の展覧会でした。
お互いに若かったので、夜は昼より元気で賑やかに過ごしました。
大磯では竹春先生、忍さんとともに、湯河原では陶房で作品を
拝見したり、美意識、感性を磨くために身近に置いておられた
中国古代の金属器を肴にお酒をいただきました。
川瀬竹志さんはサラリーマン生活を経て、陶芸の世界に入られた
ようですが、当初は二代竹春先生が大磯に興された古余呂伎窯の
染付、色絵の仕事に専念されていました。
初代竹春先生からの染付、色絵の作品には、川瀬家でなければ
できない、見られない独特のものがあります。
兄の忍さんが、青磁の作家として既に一家をなしておられたので
川瀬家の伝統を継承するという、責任感もお有りだったようです。

作家としての自身の作品は、白磁をテーマに追及されました。
兄の忍さんの青磁と同様、古典に学びながらも創造的な
作品を生み出そうと努力されていたと思います。
実現し得なかった私の夢として、「川瀬 忍・川瀬 竹志
青瓷・白磁展」開催がありました。

この陶硯は、我が家の文机の上にあって、たまに墨、筆を
とる時に使わせていただいています。