ギャラリー縄「しょう」

ギャラリー縄 WEB SITE

展覧会案内

2007-12-24 | 展覧会のお知らせ
くらしのやきもの展
2007年12月21日(金)-29日(土)
2008年 1月 7日(月)-12日(土)

日々の暮らしを大切に・・・・現代工芸の第一線で活躍されている
作家の方々の、身近において使え、生活をともにすることによって
親しみと、新たな美しさが見出される品々を集めてみました。

(ぐい呑 徳利 湯呑 皿 鉢 向付 注器など焼き物のほか
 漆器 木工 布なども展示させていただきます)

 

 

 

 

 

   




ギャラリー縄コレクション

2007-12-21 | ギャラリー縄コレクション
二代 川瀬竹春先生のこと



1977年、大阪で初めての個展を開催させていただいた時は
染付祥瑞で無形文化財に指定されていた、初代竹春先生が
ご健在で、本名の「川瀬順一作陶展」でした。
しかしその頃で、二代竹春先生の作陶歴はすでに40年近くにおよび
中国陶磁の元、明、清の染付、祥瑞、古染付、釉裏紅、赤絵、金襴手、
黄地紅彩、緑地黄彩、黄地染付、豆彩、など精磁のすべての技法を
手のうちにされておられました。
ことに成化豆彩は、先代を継承されたものではなく、独自に研究され
今日まで、現代陶芸界でそれ以上の作品を拝見したことがありません。
竹春先生の作品を語っているうちに、現代の焼き物作家、愛好家、私共が
焼き物を見るにあたっての重要なことに気が付きました。
それは焼き物のに関してよく言われる「写し」倣古という言葉です。
1979年、壺中居で開催された「二代竹春襲名展」での竹春先生挨拶文に
「私の憧れる中国彩磁の研究を続け理論ではなく其の素晴らしさの中に
埋没しそこから自分を見出し度いと考え、倣古的であるとの批判を受けても
安易な創造は流行であると信じ、理想とするものが偉大であって乗り越える
ことが叶わぬともこれが自分の道だと信じております。」とありますが
ここに、この事の真意の一つが覗えると思います。



竹春先生の元染風のデミタスカップです、伝世品では釉裏紅の盤がのみが有り
中央の窪みから、盃台と考えられたのでしょうか、このように創造されました。
中国彩磁の精髄に近迫された竹春先生ですが、その作品には常に先生の香りが
ただよっていました。

川瀬家は先の戦時中に、京都の五条坂から立ち退きにあい、神奈川県大磯に移住
されたのですが、二代竹春先生も外地からの帰還後、その地の三井本家別宅内の
城山荘の登窯での仕事では、いわゆる土物も作られたようで、ことに唐津は
先代と共にお好きだったようです。
唐津の西岡小十先生のお供で、川瀬家の茶会に招かれたことがありました
焼き物は、古唐津づくしで、おそらく小十先生に鑑定していただこうとの
気持ちも、おありだったのでしょうか。
小十先生は、お道具のうち何点かは「古唐津では見たことがありません」と
表現されましたが、小十先生が見たことがないということは、古唐津ではない
ということでしょうか。
茶道具として、雅味、お茶気のある唐津物は、どうも京唐津が多いようです。
小十先生の論では、多くの古唐津は「素朴で簡素」なもので、それ故に
味わいのある、独自の小十唐津を創り出そうとされたのだと思います。



大磯の川瀬家にお伺いするたびに、羨ましく思っていたことがあります。
応接室に置いておられた、灰皿です。
当時、川瀬家の皆様が愛煙家だったようで、各所に自前、自作の灰皿が
置いてありました。万歴赤絵の大振りもの、小振りの染付、色絵など、
うらやましく思いましたが、譲っていただきたいとは言い出しがたく
何人かの、親しい若い陶芸家によく似たものを依頼したこともありましたが
どうも川瀬家のようにはいきませんでした。
竹春先生のお悔やみに大磯に行き忍さんと、竹春先生、竹志さんとの
いろいろの思い出話中で、灰皿のことも言ったようです。
後日、忍さんが来阪された折、竹春先生が作り、愛用されていた
この灰皿を記念にと持参していただき、頂戴しました。
煙草をやめられなくて、唯一の恵みです。嬉しいことでもあり
悲しいことでもあります。

展覧会案内

2007-12-16 | 展覧会のお知らせ
高仲健一 画・陶展
12月12日(水)-19日(水)


1966 茨城県生まれ
     サラリーマン生活を経て画業に入る
1993 千葉県の房総半島の山中に入居
1995 薪窯を築き、作陶を始める
2006 近隣の山頂に窯、居宅築き移転

 

 

 

 

 

 

 





中国陶磁器の影響を大きく受けながらも、日本陶磁の源流となった
朝鮮の焼き物には、やはり独特のものがあります。
焼き物とは、その国の時代、風土、歴史を如実に反映している
興味深い、物差しのようなものです。
高仲健一氏の作る焼き物は、朝鮮李朝に根ざしていますが
しかしそこには、焼き物の形体を写すこと以上に、その
焼き物を作らせた背景、精神に対する関心がうかがわれます。
我々、今日の日本人の深層にもある儒教的世界、中国、朝鮮、日本が
本来持っていた東洋の精神、生き方を実践しようとしているようです。
その中で生み出された、書画,陶芸の作品展です。



ギャラリー縄コレクション

2007-12-04 | ギャラリー縄コレクション
小山冨士夫先生と永江港史先生



今年の夏から秋にかけて、訃報が相次ぎました。
8月には川瀬竹志先生、9月には二代川瀬竹春先生、10月は永江港史先生と
日頃筆の進まない私ですが、永年親しくしていただいた お三方の訃報に接し
さすがに感慨深く、様々なことが思い起こされます。

永江港史先生も、小山冨士夫先生に紹介していただいた、陶芸家のお一人です。
岐阜の花の木窯をお訪ねした ある日。 美濃焼を代表する「織部の一番
いい人はどなたですか」とお伺いしたところ「となりに居てる永江さんや」
とのお答えでした。
小山先生の花の木窯は、土岐の市街地から県道を北へ、大萱へ行く途中
県道より脇道にはいった、谷の突き当りにありました。
その間、民家は一軒のみ、それが永江先生の陶房でした。
さっそく永江先生のところへ行き、拝見した織部焼は魅力にあふれた
独特の焼き物でした。

永江先生の織部焼きは、細部まで目の行き届いた丁寧な作り、
端正でありながら柔らかな、品のある造形。
なによりも鉄絵の部分には長石釉がかけられて、志野のような緋色と
トロリとした肌合いを持ち、緑釉は草色で明るく、微妙な濃淡がある
志野と織部という相矛盾した焼成を、一つの器の中に具現した織部です。
そのような織部は伝世品にも、ごくわずかしか見られません。
唐津の西岡小十先生と同様に、ただ単に古い物を写し再現するのではなく
自身の美意識によって、古唐津、古織部以上のものを作ろうとした
現代陶芸の、作家としての姿勢、生き方、苦労を、お二人に見てきました。

永江港史先生は、知る人ぞ知る 織部焼の名匠ではありましたが
長年、食器造りに専念されて、展覧会の比較的少ない陶芸家でした。
そのせいもあって、名前を知っていても実物をあまり見たことが無い方
若い人では、名前も知らない方々が結構おられるようです。
あらためて、永江港史先生の陶歴をご紹介しておきます。


1926 岐阜県土岐市に生まれる
1955 父 陶六(多治見県立陶磁試験場工芸室に勤務)に師事
1961 松山祐利先生(武蔵野美術大学講師)に師事
1964 桃山古窯の地 五斗蒔に(市の沢窯)を築き独立
1972 日本橋三越本店工芸サロンにてグループ展(以降五回)
1977 大阪セントラルギャラリーにて個展(以降八回)
1986 京都 野村美術館にて作陶展
1999 織部焼にて土岐市の無形文化財保持者に認定
2002 日本橋三越本店にて個展
     ギャラリー縄にて個展
2004 ギャラリー縄にて個展
2007 10月 逝去


20年来、これで お茶を毎日飲ませていただいています
小ぶりの湯飲み碗です。
たまには お酒もはいります。











展覧会案内

2007-12-04 | 展覧会のお知らせ

   白から黒へ
高橋和也 展
-12月8日(土)


1978 神奈川県生まれ
1999 武蔵野美術大学短期大学生活デザイン科卒
2000 第38回朝日陶芸展 奨励賞
2003 白磁・青磁の世界ー板谷波山・富本憲吉から
     現代の軌跡ーに出品
2004 THE SHOW in NY (ニューヨーク)
2006 「磁気のうつわ展」に出品
     その他各地で個展

 

 

 

 

若くしてデビューした高橋和也さんの白磁には、鮮烈な印象がありました。
直線ないし曲線によってなる簡潔な形、ふつうならば無機的になりがちな
白磁が、むしろ妖艶ともいえる、不思議な魅力をかもしだしていました。
おそらく卓越した造形感覚と、成形技術のなせる技だと思われます。
この度は、白磁に加えて、新しい手法の黒釉銀彩も出品していただきました。
大阪では初めての個展です。