ギャラリー縄「しょう」

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ギャラリー縄コレクション

2007-07-27 | ギャラリー縄コレクション
小山先生と小十先生



今年の3月の末、京都の大徳寺の別院、徳禅寺で唐津の
西岡小十先生の追善法要がいとなまれました。
昨年の8月30日に、89歳で亡くなられた西岡小十先生との
出会いをつくっていただいたのも、小山冨士夫先生です。

昭和49年(1974年)の晩秋か、昭和50年の冬のだったでしょうか。
岐阜県土岐市の花の木窯に、小山冨士夫先生をお訪ねしました。
昼間にもかかわらず小山先生は、大振りの徳利を手にされ、
いつものように「まあ、一杯」という事になりました。
そのうち先生が「この徳利、君らどう思うと」と問われました。
私どもは、なけなしの知恵を絞り「古唐津ではないでしょうか」と
恐るおそる返答しましたが、小山先生は、我が意を得たりとの
表情で「実は、西岡小十さんという人が今作ってる物で、
西岡さんは、唐津の神様のような人です」と言われれました。

朝鮮唐津の、徳利と言うよりか、今風に言えば、大振りの
「徳利花入」でしょうが、充分に焼けて、首が傾いでいました。
2003年開催された、「小山冨士夫の眼と技」展の小山先生旧蔵の
出品作のような気がします。

その時、私がまず感じた事は、当時、74歳で陶磁器研究家として
世界的評価を得ている小山先生が、当時無名で、57歳の小十先生を
「神様」と表されたことです。   なにか奇異な感じをうけました。
しかしその後、小山先生の人柄を知るにつけ、不思議ではなくなり
ましたが。

写真の左は、小山先生の小十先生の窯で焼かれた斑唐津山盃、
右は、小十先生の斑唐津の徳利で、小山先生の影響が感じられます。
いずれも、その頃、花の木窯、小次郎窯で分けていただいた作品で、
その後、ずいぶんお酒を吸っています。
追記) 右の徳利の首は、阪神大震災の折、損傷し
    金繕いをしています。




展覧会案内

2007-07-24 | 展覧会のお知らせ
備前
大澤恒夫 作陶展
2007・7・20(金)-28(土)

大澤恒夫さんの備前焼には、骨太で重厚な
存在感があります。
それは、桃山時代以降のある意味で洗練された
洒落た焼き物とは違う、それ以前の室町時代。
戦国時代の、たくましい庶民や武将たちの身近で
使われていた焼き物とは、この様なものでは
なかったのかと思わせます。
ことに先年、伊部の古い窯跡近くで見つけられた
土によってなる緋襷の土味には、魅了されます。







展覧会案内

2007-07-12 | 展覧会のお知らせ
開廊5周年記念

ギャラリー縄「過去・現在・未来」展
   2007..7.9[MON}-17[TUE]



ギャラリー縄も、お蔭様でこの7月で満5歳となりました。
これもお客様、作家、皆様方のご支援の賜物と心より
感謝し、御礼を申し上げます。
私としては「なんとか5年やってこれた」との気持ちの
節目であると同時に、あくまで通過点だと思っています
セントラルギャラリー時代の20数年、ギャラリー縄の
今日までの5年、これからの年月と、すべてが関連しあって
積重ねられ、いつまでか知る由もありませんが
継続していくことでしょう。
ここで改めて、私共の「ギャラリー縄(しょう)」と言う
変な名前の由来をご説明させていただきます。
若い頃勉強していた、縄紋式土器が未だに頭の片隅にあります。
「縄」という漢字には「継続」「正す」などの意味があるようです。
何よりも(しょう)と読めることに気がついたことによります。
亡くなられた方もあり、現在親しく交流させていただいている方々
将来、展覧会をと願っている作家達の作品を展示させて戴きます。

                ギャラリー縄 店主 尾崎正男


(展示作品)

市野雅彦 石橋裕史 内田鋼一 

大澤恒夫 落合美代子 小川幸彦(物故)

川瀬 忍 川瀬竹春 金重 巖

金重有邦 岸 映子 小山智徳

神農 巖 辻村 塊 辻村 唯 

中村明久 永江港史 西岡小十(物故)

野村一郎 久岡冬彦 藤嵜一正(木漆)

古谷道生(物故) 松井康成(物故)

三原 研 三好正豊(金工) 渡邊 明(ガラス)