歩かない旅人

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黒澤明監督作品「生きる」を見て

2015-06-08 12:10:36 | 産経新聞を読んで

 

 

 私が自分でお金を払って観た映画は、確か疎開先の長野県穂高町の中心にある、穂高神社の境内で周りをむしろで覆って、夜上映した映画を見たのが初めてでしょう。観た映画は、

 『昨日消えた男』(1941年 / 89分 / 白黒 / 東宝)という映画だったと記憶していますが入場料は1円2銭だったと覚えているのが不思議です。もちろん子供料金ですが、その後はただでむしろの中にもぐずり込んで見たりしたものです。

 

 映画に関してはかなり記憶力がいい方で長谷川一夫・山田五十鈴の時代劇、遠山の金さんもので戦前に作られて、検閲が通った作品でしょう。小学校低学年の頃ですが、そこらへんは曖昧です。

 黒澤作品の『生きる』を見たのは、いつ頃だったか忘れましたが、名画座で見たのは間違いないでしょう。当時東京の街は映画館だらけでした。封切館・二番館・参番館・名画座専門館と各種有り、二本立ては当たり前、五本立てなんていう映画館もあり、終夜営業の映画上映もありました。

  

 多分映画を、役者で選ばず、監督で選んでみるようになってからこの黒澤作品『生きる』を新聞の映画館上映覧というのがありまして、そこで探し当て、見たものと思います。どこの映画館で見たかも忘れました。

 世間の評価は名画中の名画だという評判でしたから、私もかなり気負い混んでみたと思います。しかしそれほど感心はしなかった事だけは朧げながら覚えていました。

 それが最近ケーブルテレビの「日本映画専門チャンネル」で再び見ました。志村喬、小田切みき、日守新一、千秋実、田中春男藤原釜足、左卜全、中村伸郎金子信雄伊藤雄之助、加藤大介、宮口精二、菅井きん。

  

 みんな懐かしい顔が並び、その顔を再確認するのは楽しいのですが、主人公の志村喬の演技が、監督の注文なのか、本人の作り出したのか定かではありません。

 直接胃癌だと宣告されてはいないのに、映画では担当医が看護婦に話す場面をはさみますが、主人公は勝手に渡辺篤演じる病院通を任じる男の話を、信じてしまうのはあまりにも、同恐怖感を煽ろうかとの了見が見え過ぎます。

 

  

 どうも月並みな演出です。女々しすぎて、死に対する、恐怖感を必要以上に出しすぎです。必要以上に主人公の志村喬を小心者に描きすぎます。役場の叩き上げ課長の描き方が余りにも月並みなステレオタイプ過ぎです。

  

 とにかく戦後の東京の区役所が舞台でしょうが、役人の仕事が、全くダラケ切っていて、その件なら、工事課、工事科に行くと下水課などとたらい回しの状況が映し出されます。

 藤原釜足、田中春男、左卜全、日守新一、千秋実らが書類の乱雑に積まれた中でだらけ切った、絵に書いたような役所仕事を、悪意を持って映しています。

  

 そこに主人公の志村喬が課長として、全く仕事に対する意欲も意思もなく、だらけ切った部下たちの仕事ぶりに対しても見てみないフリをしている日常がバックのテーマなのでしょう。

 それがこの物語を陰気臭くしています。映画というのは様々なエピソードの積み重ねですが、そこを強調するのは黒澤監督の上手さでしょう。雪の夜、志村喬が児童公園でこの世のものとも思えない陰気な声で、ゴンドラの唄を歌う場面。

  

 その場面もごく短いカットでしかなく、ぼんやりしてると見落としてしまうくらいです。この映画で演技を褒められた役者は。日守新一、宮口精二の一言も口をきかないヤクザの親分、しかし全体の暗さに、それらは目立ちません。

 しかしここで志村喬の惟一のキラッと光る場面は、ヤクザモノたちの妨害で加藤大介のヤクザ物の脅かしに対して、襟を掴まれながら凄まれる場面で、志村喬がニヤッと、加藤大介を観る場面です。思わず加藤大介がギョッとするこの場面。

  

 それを無言でしかも無表情の宮口精二が、黙って立ち去っていきます。何度か振り返りますが何にも喋りません。その無表情の顔には、この世界を仕切っている貫禄がにじみ出ている、この映画の優れた場面の一つでしょう。

 役所の仕事の状況を写すステレオタイプの描写や、小田切みきに対する、志村喬の不器用な接し方の数々はお決まりの描き方で、うまいと思える場面はありません。

  

 演出上の上手さは、志村喬が、公園を作ろうと、要するに生きた証としての役人らしい何かを残したいと思った瞬間に、お葬式の場面に変わるという手法は、やはり黒澤明らしいケレン味を感じます。

  

 そこで回想場面として、何者かに付かれたように、児童公園作りに、その予算獲得に役所の上役にシツコく付きまとう場面、その上役が中村伸郎演じる助役、ここもまた出てしまいますがステレオタイプの上司としてのお手本みたいな上役です。

  

 そして手柄を自分のものとする、上役もそれに従う上役の取り巻き。そんな日本の恥部を告発しようと黒澤明監督は、作ったのは見え見えです。

 お通夜の中で盛り上がった同僚職員も明くる日からおんなじたらい回しのお役所仕事に戻っている描写を、最後にくっ付けて日本の役所は、こんなこと位では変わらないというメッセージなのでしょうが、在り来りすぎる演出です。

 映画に、イデオロギーを入れると時代を超えた映画にはならなくなり、その部分から古臭くなります。今どの町会にも子供用の公園はありますが。全く利用されていません。

 志村喬演ずる、死をかけて残した仕事がただの公園というところが、いかにも小市民目当ての臭さを感じてしまいます。今の日本はこんな区役所も役場もないでしょう。

 日本人は、もっと勤勉なはずです。戦後自虐史観満載の、左翼的プロパガンダ映画だと間違わされそうです。その点で細部に光る演出は多々ありますが。全体的に見て40点というところが妥当なところでしょう


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