goo blog サービス終了のお知らせ 

ドラマのとびら

即興の劇や身体表現で学ぶ、教える、浮き沈みの日々とその後

怪傑ゾロリ

2020-08-17 21:17:52 | 子どもと学ぶ

このところ工作はお休みです。


小学校の夏休みも今週で終わる。

子どもたちが宿題をかかえてやって来た。
本当のお楽しみは午後の水遊びだけど、ともかくは午前中は勉強する。

Sちゃんは読者感想文。
読んでいる本を見て
「あっ!怪傑ゾロリや」と言うと
「ふうみんも読んだことある?」

「Aちゃんのパパが小学校のとき読んでいたから、その時読んだよ」
「ふうみんが小学校のときは?」
「まだゾロリは生まれてなかったのと違うかな。作者は何歳やろ」

調べてみたら原ゆたかは私と同年だった。
「ふうみんが小学生のとき作者も小学生やし、ゾロリは生まれてないわ」

さてSちゃんの感想文。
みんなゾロリが大好きで、なんで好きかという話になり、
それを書いて完成!
一人で書くのも大事かもしれないけど、話し相手がいるから見えてくることもあるよね。

それぞれが自分の宿題に集中する時間と、みんなで話す時間と、気分転換にウボンゴなんかで遊ぶ時間と。
今朝は二時間学びました。

読む力が育っていない

2020-05-19 07:46:19 | 子どもと学ぶ


孫を含めて小学校3年から5年の子どもたち4人を週に2回預かっています。

昼ごはんは、みんなで作っていたが、だんだん飽きてきて、
先日からふたりずつの当番制に。
その日は牛丼でした。

このごろ、お天気の良い日は水着に着かえてプール遊び。
先日はあまり気温が高くなく、1時間ぐらいで寒いとプールからあがって
さっさとお風呂に入っていました。

LINEで親たちにその様子を知らせると
「ご飯も食べて、お風呂に入って、まるで旅館みたい」と。
「なんなら宿泊もできますよ」と私。
「でっちも番頭も(同一人物ですが)女将もいます」と夫。

夕方、母親がむかえにきたとき、夫が見送りに出てこなかったので
「番頭さんは出てこないね」
というと子どもたちは
「番頭さんってなに?」
「旅館の人」
「ここは旅館じゃない。学校だよ」
「じゃあ、カズさんは校長先生だね」
なんて話していました。

ところで、学校のプリントが前の学年の漢字や計算の復習から
新しい学年の内容になったのはいいのですが、
これが子どもたち自力でできません。
読む力が決定的に無い、と感じます。

プリントはスモールステップを踏んで、
前の問いで考えたことを使って次へという工夫はしてあるのですが、
子どもの頭の中では、前の問いと次が結びつかない。
そういった文脈をとらえて、読んでいく力がついていない。

国語の読みも同じです。
場面と場面のつながりや、書かれた文から情景や心情をくみとることができないので
問いに対して、トンチンカンな答えをする。
想像力が乏しい。
説明文になると、語彙力と想像力と好奇心の少なさから、とても難しいと感じるようです。

ここで助けになるのが、子どもたちの話し合いです。
それぞれの子どもが自分の考えたことを話し、
それを大人が整理したり、新たに問いかけたりしているうちに
想像できなかったことが想像出来て
自分の考えも生まれる。

話し合うこととと自学をすすめることと。
その両輪が必要。
イエナプランのように。

子ども向けの90分の映画を集中してみることができる子とできない子。
この差はずっと小さいころ、言葉に関する力、そして考える力、想像する力にすでに差がついている気がします。

なので、新しいことを学ぶプリントになってから、夫と私はひとりにつききりに。
するとたのふたりは集中できず、すぐ遊んでしまう。

これまで先生が垂れ流しすることになれている子どもに
急に自分で学習せよと言っても、その方法が分からないのです。
しかも、学校からもらってくるプリントは、自分で進めていけるようなものになっていません。
できないときにどうするかが、示されていないのです。

こんな無駄で効率の悪い学校のプリントをするぐらいなら
eboardをさせたいけれど、
子どもたちは
「〇日に提出だから」と
学校のプリントが終わらないと他のことができないのです。
そして学校のプリントは結局
締め切りぎりぎりまでかかるか、間に合わないか、なのです。

学校教育が子どもに読んで考える力をつけているとは思えない。
力をつけている子は、家庭やそれ以外の環境のおかげです。
「学校だけでは不安」と塾へやる親の気持ちが分かりました。
子どもの貴重な時間を「勉強」で縛り付ける塾には賛成できませんが…。

コロナによって、いろいろなことがあぶりだされてきます。

休校中の学習のあり方って?

2020-05-10 15:38:19 | 子どもと学ぶ

子どもたちと塗り絵


孫たちが学校からのプリントでますます学習意欲を失くしていくのを見るのは悲しい。
親が我が子をおちこぼれさせるまいと、「プリントはやった?」とうるさく言うので余計に苦行になっているようにも思う。
言うだけでなく、子どもの横にちょっと座ってあげると、子どももやる気になるのだけれど、親は親で余裕がない。

先生から届くプリントは、ワクワクと楽しくなるような工夫がほしい。
何より先生の直の声の届くような、先生の存在が感じられるものであってほしい。

孫や従姉妹たち4人のプリントを見ていると、学校からのプリントはほとんどが漢字や計算。
いやいややっている。
一方で、新しいことを説明を読んで自分でやることは難しいみたい。

なんでかしらね。
ようするに計算は機械的にやっているだけで、意味を分かってやっているわけではないということだろうか。

うちに来たときは、午前中にみんなで一緒に学ぶ時間を少しとっている。
算数の問題を考えたりするけれど、これはあまり好きではないみたい。
だれかが国語の教科書の読みたいところを読んで、みんなで分からなかったことや思ったことを話す。これは楽しいみたい。

そのあと、午前中はそれぞれのプリント。
Kちゃんは、わからないところを訊かないで、もらった答えを見て自分で答え合わせをしている。
「えらいなあ」と思っていたけれど、どこで間違ったかまったく考えないで答えを直しているだった。だからまた同じ間違いをする。
「訊いてね」というけれど、Kちゃんは訊かない。そういう性格なのね。

逆にSちゃんは、説明問題がまったくお手上げ。
問題の意味が分からないからしょっちゅう訊く。
横についていないと、まったく進まない。
ついてなくてもできるのは単純な計算問題、漢字、アルファベットを書くなど。
だから学校の先生は、そんなプリントばかりつくるのだろうか。
でも、それは違うと思う。

休校中に学ばなかければならないことって、なんだろう。

ご飯をつくったり、身の回りを片付けたり、生活の中で学ぶことが大事じゃないだろうか。
最近は、昼ごはんにかかったお金を小遣い帳に書くこともしている。

あいかわらず、お昼ご飯は、子どもたちと一緒につくる。
買い物は一緒に行けなくなったので、私か夫が代表で。

お昼ごはんが済むと、私と夫はちょっとゆっくりするのだけれど、
子どもたちは遊ぶ。
工作したり、ダンスしたり、町内を走ったり、好きなことをして遊びまくっている。
すぐに動き出すそのエネルギーに圧倒される。

「はぁって言うゲーム」

2020-04-14 09:11:02 | 子どもと学ぶ


雨の日。
午前中はそれぞれのドリル。
今日はみな来るのが遅く、取り組み始めたのは10時半ごろ。
家でもやっていたのかと思ったら、寝坊して、起きてご飯食べて、テレビを見たりしてごろごろしていたらしい。それならもっと早く来ればよいのに。

Sちゃん(3年生)は公文の算数と英語を、Tちゃん(5年生)、Kちゃん(4年生)は学校からのドリルを、Aちゃん(3年生)は自分で選んで買った算数のドリルをやった。
集中できるのは、1時間が限度かな?

11時半ごろから昼ごはんの支度。
この日は遅くなったので、簡単なサンドイッチバイキング。
ハム、レタス、キャベツ、キューリ、チーズ、ゆで卵を細かくしてマヨネーズで和えたもの、コロッケなどをそれそれ好きなだけパンにはさんで食べる。

それとリンゴ。
リンゴの皮をむいたのは初めてだそうで、危なっかしくて、むいた皮はぶ厚かったけれど
何事も最初はうまくいかないもので。
でも小学校5年生にもなって、リンゴの皮がむけないのはどうかな。
うちの息子たちはどうだったっけ。
やっていた気がする。でも、弟のほうはへただった気がする。
次はちょっと意識的にリンゴの皮をむく練習をしてもいいかな。

昼食のあと、『はぁって言うゲーム』をすることに。
なんでも「嵐のなんとか」という番組で、
「はぁ」と言う演技をみてどんなシーンかを当てるのをやっていたそうで。

番組を思い出しながら、例題をつくる。

例題:ふりむく「はぁ」
A.くつをふまれる
B.落ちているさいふをみつける
C.事件がおきる
D.うしろにゆうれいがいる
E.ぶきみな音がする
F.だれかが呼ぶ
テレビでは、Hまであって、カードになっていたそう。

Tちゃんが最初に演じる人に立候補。
みんなの見えないところへふうみんと移動してどれをするか決める。
Tちゃんがぶきみな音を聞いてふりむいて「はぁ」と言うシーンをする。
他の3人はそれがAからFのどのシーンか当てる。
ペアを変えて、全員が演じる役を練習。

Aちゃんが腰をふって歩き、ふりかえってちょっと怖い顔をして「はぁ?」と言ったのは、みんな大笑いだった。くつを踏まれたシーンだった。ふうみんが当てた。
これ、踏んだ人は後ろから踏んだのか、ふんづけて通り過ぎたのか。

Tちゃんが自分で問題をつくりたいと言い出し、各自が問題をつくることに。

ふうみんの問題 ドアを開けるときの「はぁ」
A.ドアを開けたらママがいて嬉しい
B.ドアを開けたら変なおじさんがいた
C.ドアを開けたら夢のようなステキな部屋だった
D.ドアを開けたらきらいないじめっ子がいた
E.ドアを開けようとしても開かない
F.ドアを開けると誰もいなかった
まず問題をつくった本人がどれかをする。
ふうみんはCを演じる。
他の人はすぐに答えが分かった。
次に問題をつくった人が、誰かを指名してやってもらうことができる。
Tちゃんを指名してEをやってもらう。
これもすぐに分かった。
「ふうみんの問題、簡単すぎる」と子どもたち。

次はAちゃんの問題 「はぁ」
A.ママのごはんがおいしそう
B.しらないおじさんが呼んでる
C.テストに受からなかった
D.パパがプレゼントをくれた
E.サプライズでゆうえんちにつれて行ってもらった。
F.すきなものを買ってもらった
AとEが演じられたが、そこそこ答えが割れて面白かった。
Eの演技に、Tちゃんが「遊園地は広いから、もっと見渡して『はぁ』って言うんじゃないの?」とクレーム。それに対してAちゃんが、「『遊園地に連れて行くよ』と言われたときだから、あれでいいの」と。だとしたら、「ゆうえんちに行くことになった」とかなんとか、書いてほしかったけど。

Kちゃんの問題 えー
A.知らない人に名前をよばれる
B.急にじゃんけんをする
C.ボールを背中に当てられる
D.知らないおじさんがじょうずに歌っている
E.トイレに行って戻ったら家にだれもいなくなっていた
F.はじめておかあさんにほめられた
B~Fは、私では思いつかないなあ。
KちゃんはCを演じたが、いつも顔が笑ってしまうのでどのシーンなのか判別がつかない。
大学のドラマの授業でも、いつも笑ってしまう学生がいた。
自分でもどうにもならないようなのだが、なんだろう、あれは。
教員の研修では、そういう人を見たことがない。
AちゃんがBを演じたが、ふうみんがまたまたみごとに当てた。

Sちゃんの問題 はぁ
A.やせていた人が太っている
B.気になることをみつけた
C.川に流れている人がいる
他の人がせっせと問題をつくっている中で、ここまで書いて、次が思い浮かばないという。「何か困ったこととか楽しいこととかない?」と聞くと
D.とりのうんちがあたまにおちた
「好きなタレントから手紙をもらったとか」と言うと「好きなタレントはいない」というので、「だれか有名人を知ってる?」というと「あべしんぞう」。
えっ!それ?… 確かにニュースで頻出だが。
E.あべしんぞうから手紙をもらった
これを演じるの、めちゃくちゃ難しそう。
人と状況によってリアクションがまったく違うだろうな。
この「はぁ」も楽しくなさそうなので、「何か楽しいことは?」というと
F.誕生日に大きなプレゼントをもらった
あべしんぞうの問題には、他の子が「本当にSがつくったの?」と驚いていた。
「川に流れている人がいる」もシュールだなあ。こういう問題を小学生がつくるんだ!
どこから思いつくのだろう。もし災害の映像だったとしたら、怖い。
SちゃんはDを演じた。またまたふうみんが当てた。
Tちゃんが、「ふんが落ちてきたなら頭を押さえるとか、上を見るとかするんじゃない?」というが、頭にポトンときた瞬間は、まずハッとするのでは?
つまりTちゃんの「演技は型」に対して、Sちゃんの「演技は気持ち」だと私には感じた。
Aをふうみんが演じたが、演技が達者だったとみえて、当てられた。

Tちゃんの問題 きゃー
A.ふしんしゃがいる
B.おばけがついてくる
C.高いところから落ちそうでこわい
D.あめがふってきた
E.ふりむいたらアイドル(TWICE)がいた
F.ふりむいたらプレゼントがたりょうにおいてあった
TちゃんはCを演じたが、ふりむりて「キャー」と言ったので、全員AかBだと思った。
高いところだったら上から見下ろすのでは?さっきの助言が自分には活かされないようで。
またKちゃんにEをさせようとしたが、結局自分で演じていた。
数歩歩いて、ふりかえって、足をバタバタしてメチャクチャおおげさに「キャーッ」と叫んでいるのだが、うれしいのか怖いのか分からず、だれも当てられない。結局、自分から答えを言う。
私は思わず「アイドルがいるように見えるようには、どこにアイドルがいるのかを考えないとね」と余分なアドバイスをしてしまった。
「あれは何かな?(誰かな?)」と思いながら歩いているはずだ。通り過ぎてから、ハッと気づいてふりむいて確認して「キャー」となるわけで、アイドルとはすでに少し距離があり、真後ろにいるはずがない。
まあ、ここまで分かって演じるというのは高望みか? 
でもTちゃんは、状況が想像出来たら十分にできる。

これで1時間以上は遊んだ。
『はぁって言うゲーム』というカードゲームがあるのは知っていたけれど、
ゲームをしたことも、カードを見たこともない。
子どもたちが観たというテレビ番組も知らない。

でも、ルールをつくりながら、カードもなしに十分楽しめた。
カズさんもやったら面白かったのに。
多分、演技は上手だが、他の人の演技をみてどういうシーンかを当てるのは苦手だ。

この子たちは、異年齢だけれどフラットだ。
年上に敬語を使うこともない。
姉に対して「お姉ちゃん」という言い方もしない。
それぞれの名前を呼び捨てで呼ぶ。
年下が年上をたしなめたり、命令したりもすることもある。
けれど、異年齢だからこその刺激が互いにある。

遊びという形で、文化をつくっていく力を子どもたちは持っている。

ゲームのあとは、工作だった。
工作はまだまだ続くようだ。

コロナ感染対策で学校を休校にしたままで良いのだろうか?

2020-04-13 08:19:49 | 子どもと学ぶ


休校が長期化する中で、DV家庭の子どもたちへの対処が言われている。
少なくとも、学校にいる間は被害を受けずにすむのに、終日家にいるとなるとどうなるのか。
そういう子どもたちを保護するとして、ちゃんと把握できているのか。
コロナ感染対策が今ある問題をあぶりだしている。

文科省は10日、休校が長期化している子どもの学習について、電話などを活用しての指導や学習状況の把握を進めるよう、都道府県の教育委員会に通知したそうだ。
これって、どんな学習を想定しているのだろう。
計算問題や漢字の書き取りなどのドリルだろうか。
これも日頃の授業内容が改めて問われる問題だ。

孫のAちゃんは、8日9日と登校し、漢字の書き取りのプリントを持って帰ったが、
早速終わった。
あとの学習はどうなるのだろう。

週に2回ぐらい登校するなら、次のようなやり方はどうだろう。

クラスをA、B、C、Dの4つに分ける。
第一週はAとBグループは月水、CとDグループは火木に登校。
例えば月曜日の1・2時間目はAグループだけ。個別学習をしながら、その進展状況のチェックと個別指導を行う。3・4時間目はBグループも登校。Aグループと一緒に、協同学習をする。
協同学習といっても、密接を避ける方法は考えられるだろう。
給食は2グループ一緒に食べて、Aグループは帰る。Bグループは5・6時間目に個別学習。

これなら、密集、密接をさけながら授業ができるのではないだろうか。
密閉に関しては、随時換気を。
先生は、月火水木と4日間通勤してもらわなければならないけれど、金曜日は在宅勤務。
土日は休む。ラッシュを避けて、始業時間を1時間ぐらい遅らせてもよいかもしれない。
1・2時間目を9時から10時半、3・4時間目を10時40分から12時10分とすれば、それほど昼食時間が遅くならないだろう。

ちなみにサンジエゴの小学校に入らせてもらったとき、2年生だったが、午前中は100分の2コマだった。ただしこの100分内で、ほぼ10~15分毎に先生は新しい指示を出すので、
子どもたちの集中は切れない。
100分の間に、トイレに行きたい子は先生に言ってトイレに行く。

トイレには休憩時間以外、鍵がかかっていて、
事務室で鍵をもらって、また返しに行く。
だれがいつトイレに行って帰って来たか、担任と事務室を両方で把握している。
休み時間は、トイレ周辺をボランティアが見て回っているようだった。
いじめ防止だろうか?
中学校も同じ校舎なので、喫煙も関係するのか?
あるいは外部からの侵入を警戒しているのかもしれない。
私自身がトイレに行くのにいちいち鍵を借りなければならず、やっかいだった。

さて、さっきの続き。
第二週は、ACとBDの組み合わせ。
第三集は、ADとBCの組み合わせ。
これで、すくなくとも三週間に一度は、クラスメートの顔を見ることができる。
あとは、どのグループを早出にするかという組み合わせがあるので、6週あれば1サイクルが完結する。

まあ、緊急事態宣言が出てしまえば、こんなこともできないのだろう。
けれど、罰則もなく補償もないのだから、できないと決めつけるのも違うのかもしれない。
だいたい、緊急事態宣言を出しながら補償しないって、自己責任ってことだろう。
政府の責任はどこへ行った!

問題は、学校に来ていない日の子どもの行き場だ。
家庭に居場所のある子はそれで良いけれど、そうでない子に関しては学校以外の居場所を用意する必要がある。

里親ではないが、私たちのように退職して時間のある高齢者宅に預かってもらうというのはどうだろう。
その報酬は、政府が保証する。
適任者が見つかるかどうかというのがネックだけれど。

災害の時も言われたが、緊急時に役に立つのは普段の人間関係。
本当は、普段からそういう知恵を働かせておく必要があった。
コロナ肺炎の蔓延から、日頃の暮らし方を考えさせられる。

さて、今日は雨。
子どもたちは何をするのかな?
楽しみだ。