ドラマのとびら

即興の劇や身体表現で学ぶ、教える、浮き沈みの日々とその後

以前ハマった映画などに今は嫌悪感

2021-07-13 12:42:12 | 日記・エッセイ・コラム
「数年前ハマった米ドラマ 今は嫌悪感 人種・ジェンダー 感度は変わり得る」2021年7月12日朝日新聞夕刊 板垣麻衣子

まったく共感した。

先日、久々に「マイ・フェア・レディ」を観た。
以前(ウン十年前)は何の疑問も持たずに楽しんでいた。

ところが今回、嫌悪感を感じた。
ヒギンズ教授に、特に嫌悪感を感じた。
以前観たとき、こんなにひどい人とは思わずに見ていた。
イライザがヒギンズ教授と良い感じで終わるのが解せない。

時代が変わり、私の感覚も変わった。
だけどどの程度感覚が変わるのかあるいは変わらないのか、人によって全く違う。
いろいろな意味で多様性の時代だ。
おもしろくてしんどい時代である。
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志向意識水準ー『友達の数は何人? ダンバー数とつながりの進化心理学』より

2021-07-12 13:29:01 | 読書


相手の思考の中身を推察する能力を志向意識水準(intentinality)と言うそうな。

「私は~だと思う」「私は~と考える」というように自分の心の内を了解していることを、一次志向水準をもつという【私の思いや考え】。
「きみは……と思ってるんじゃないか」と他者の心のうちに意識を向ける能力は二次志向意識水準になる【相手の思いや考え】。
このきみの心のうちへの意識(推察?)に基づいて私の望みを了解し(三次志向意識水準)【相手の思いや考えをもとにした私の思いや考え】、
自分がどうしたいのか(四次志向意識水準)【それにもとづいた自分の意思】ということをきみに信じてもらう(五次志向意識水準)【それを相手が理解するという了解】までが、正常な大人ならだいたい到達する。

著書よりそのまま引用すると
「私が思うに(1)、きみはこう考えてるんだろう?(2)、つまり私が望んでいるのは(3)、私が……するつもりだと(4)、きみに信じてもらう(5)ことなんだと」
以上。

フィクションの世界を構築するには高い志向意識水準が必要だ。
六次志向意識水準の例として、シェイクスピアが出てくる。
『オセロ』ではイアーゴーがオセロを陥れようとしている。そのためにありもしないデスデモーナの不倫をオセロに信じ込ませる。ハンカチとキャシオーを巧みに使って。実際はそうではないのに、イアーゴーによってオセロは信じ込まされ、悲劇へとつきすすんでしまう。
実際にはそうではないと知りながら、オセロが信じ込まされるという状況を、観客は了解する。
観客に五次志向意識水準にいたらせることを想定できるシェイクスピアは、六次志向意識水準に到達しているというわけである。この水準には、誰もが到達できるというわけではない。

実は、この本は認知・進化人類学の分野の話で、志向意識水準の話だけで終わるのではないけれど、もう少し考えたいので記しておく。
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鈴虫の飼育を始めました

2021-07-08 10:21:54 | 日記・エッセイ・コラム


高校時代の同級生から譲り受けました。
まだチビです。
大きくなって、美しい音色を聞かせてくれるまで育てられるかしら?
簡単だと言っていたけれど。

虫大好きなOちゃんのためにもがんばろう!
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