ドラマのとびら

即興の劇や身体表現で学ぶ、教える、浮き沈みの日々

『彼女は頭が悪いから』

2021-06-04 16:16:01 | 読書
『彼女は頭が悪いから』姫野カオルコ 2018年文藝春秋

読みながら気分が悪くなり、何度も読むのをやめようと思った。
気分が悪いけれど、これは忘れてはいけないと思うので書いておく。

まったくの罪悪感もなく、人の尊厳をズタズタボロボロに引き裂く。
競争社会を勝ち上がり、他人へのリスペクトなどひとかけらもなく育ってしまった人たち。

これは小説だ。
だけど、そういう人たち(他人の尊厳をズタズタボロボロに引き裂ながら自分は悪くない、どころか正しいとさえ思っている人たち)を私は何人も知っている。
だから、吐きそうに気分が悪い。

作中、三浦紀子教授が被害者にかけたことばが響く。
「どれだけいやな気持だったか、私は他人ですから完全にはわかりません。ただ察することしかできません。」

三浦教授は連絡をとってきた加害者の母親のひとりに、被害者がされたことと同じことをされることを想像させる。

この教授と被害者の邂逅があって、ようやく暗澹たる気持ちに少し光がさす。

察する。
相手の立場になって想像してみようとする。
相手がいやなことをしたと分かったら、誠意をもって謝る。

せめてそうしよう!
自戒もこめて!
コメント

総菜の熟練?あれから1年

2021-05-17 10:25:21 | お仕事


新しい店舗で仕事が始まって半年たった一年前。
ようやく慣れてきたころの仕事について書いている。

それを読むと、今はさらに熟練したと思う。
以前はとにかく仕事を仕上げることが先決で、時間通りに帰れることがなかった。
今は、残業を極力しないように言われ、残業が15分以内で収まるように気をつけている。

だから、他の部署のお手伝いをすることはほとんどなく、洗い物も自分の使ったもの優先。
時間があれば、他所へ気を配るという感じ。
それにしても、仕事はずいぶん早くなった。
しかしあいかわらずというかたまにというか、失敗をする。
時間を気にするとついあせってしまうのだ。
だし巻き玉子も、熟練職人の域になかなか達しない。
一本一本出来不出来が異なる。

名人になるには、もっと体に叩き込まれないとだめなのだろう。
週に2回という間隔では、その域に達するのがなかなか難しいのかもしれない。
かといって、これ以上増やすとしんどくなる。
70歳まで楽しみながら続けたいと思う。
コメント

女の生き方~伊藤野枝

2021-05-02 10:01:41 | 読書


『風よあらしよ』を読んで、伊藤野枝の生涯を知った。野枝は大杉栄とともに惨殺され死体遺棄された。陸軍軍人拘束され、殺されたことは知っていたが、そこまでむごいとは知らなかった。怒りがこみ上げる。

伊藤野枝の存在を知ったのは、『美しきものの伝説』というお芝居だった。大学生のころだったか、勤めてからだったか、今となっては内容もよく覚えてはいない。そのときも私は怒っていたのだろうか。

『吹けよあれよ風よあらしよ 伊藤野枝選集』によって、『風よあらしよ』は野枝自身の書いたものを忠実に小説に活かしていると思った。

上記の選集に罷工(ストライキ)の工場労働者の女性のこんな言葉がある。
「私たちは楽に働けるようにしようなどとは考えたこともなかった。けれども考えてみると、私達はできるだけ楽に働けるようにつとめなければならない。それは直接自分達のためでもあり、また後からくる若い人たちに是非必要な事だ』(240ページ「婦人労働者の現在」『青鞜』第6巻1号1916年)

働く女性のおかれる立場は、当時に比べれば良くはなった。けれど必要な区別ではなく、いわれない差別は依然としてある。「自分のため」というより後に続く人たちのために、しなければならないことがある。

また野枝は家庭生活について言う。
「けれど、私達の『家庭』という形式を具えた共同の生活が、いつの間にか、私をありきたりの『妻』というものの持つ、型にはまった考えの中にいれていたのです。(247ページ「『或る』妻から良人へ―囚われたる夫婦関係よりの解放」『改造』第3巻第4号1921年)

私達は簡単に「いつの間にか、私をありきたりの…型にはまった考え」に陥いるのだ。
絶えず「型にはまった考え」に囚われていないか、自分自身をふりかえってみる必要がある。
そして、「しかたない」とあきらめないこと。

もう「闘う人生」はもうごめんこうむりたいと思っていたが、この社会でやはりそうはいかないらしい。
コメント

沖縄は第三の故郷

2021-04-20 21:05:43 | 日記・エッセイ・コラム

月桃(サンニン)の花 末吉公園にて


4月2日から6日までの4泊5日。
沖縄旅行は思った以上に充実していた。
コロナ禍の中、沖縄へ行ったことは内緒にしておきたかったけれど、感染はしなかったしやはり書いておきたい。

2年前、立命の学生の沖縄研修についていったおりに、珊瑚舎スコーレを訪問し20週年行事のことを聞いた。「絶対参加する!」とほっしーとえんともに言った。
その20周年記念行事が今年4月4日だった。

2月にお知らせが来て、参加者は100人に限定とのこと。
飛行機や宿の手配をしてから珊瑚舎にメールしたら、えんともから
「定員オーバーで参加申し込みを締め切っていますが、ふうみんはちゃんと予約に入れてあります」とのこと。2日間で締め切ったそうだ。行くことをアピールしておいて良かった。

4月2日夕方那覇空港着。暑い!
りこさんが空港まで車で迎えに来てくれた。
私は後ろの座席に、窓を開けて通気最高状態で乗せてもらう。

コロナなので一緒に食事などは無理かと思っていたけれど、予約してくれたという。
食事をしながら近況を話し、おたがいの悩みもうちあける。
食べるときはマスクを外し、しゃべるときはマスクをつける。
これがなかなか難しい。

苦労しながらの食事だったけれど、どれも美味しかった。
そろそろ帰ろうかというときに、大雨。
それで飲み物を追加し(ふたりともノンアルコール)
さらに話す。
ワークショップや授業の話。
オンラインの欠点・利点について。
3時間ぐらい店にいて、8時に店を出るころには雨もやんでいた。
りこさんは忙しいながらも充実した毎日を送っている様子。


3日。疲れていたので10時を過ぎまでホテルでゆっくりしたのち、森の家みんみんへ。
ちょうどケラさんがフィールドワークに出るところだった。
緊急の用事ができて、フジイさんが留守とのこと。
鳥取出身沖縄在住という方と一緒にフィールドワークに参加させてもらう。

沖縄は今一番よい季節。
花が咲き、蝶が舞う。
小一時間ほどのフィールドワークだけれど、なぜかどっと疲れる。
幸いフジイさんが戻って来られて話すことができた。
外での立ち話(これもコロナの関係で、外で話すのが一番リスクが少ない)なのだが、
だんだん立っているのが苦しくなってくる。

それでもコロナでかえって環境教育系団体の理事会に離島の人が参加しやすくなった話は興味深かった。
末吉公園についてリモートで学べる教材の開発の話も興味深かった。
話が弾んだ。

モノレールでおもろまちへ。
メインプレイスで浅野先生と会う。
浅野先生は沖縄へ来てから電話したので会えるとは思っていなかったけれど
会いに来てくださった。

アップルパイと熱い紅茶を飲食してから、おしゃべり。
熱い紅茶が良かったのか、浅野先生とおしゃべりしているうちに
だんだん元気になってくる。

浅野先生は5歳ぐらい先輩だけれど、
何かと共通点が多く、とても話が合う。
同じような悩みをかかえていたりするけれど、
私のように愚痴っぽくなったりしない。
先生の明るさに私の気持ちも軽くなってくる。
いつもは心理劇やドラマ教育の話をするのだが、今回の話題はもっぱら家族とりわけ親子関係についてだった。

食欲がないので、夕食はコンビニで消化の良さそうなものをみつくろい、ホテルに戻る。


4日は楽しみにしていた20周年。
午前中はゆっくり読書をして、11時半ごろホテルを出る。
珊瑚舎に12時半ごろについてしまう。
真新しい校舎。コンクリートの建物だが、壁はほとんと窓ガラスと木材の建具が二重になっている。海のすぐそば。自然満喫のロケーション。

記念のミュージカルは14時からで
準備中のため、みな外で待っている。
海辺を歩いたりしてみる。
意外と風がきつく寒い。

いよいよミュージカルが始まった。
生徒と講師が一緒になって作り上げたミュージカル。
学習の成果を披露するといった意味合いもある。
基本生徒によるもので、素人の台本、素人の演出、素人の演技、歌
(講師による玄人の演奏や舞踊、演技なども間に挟まれる)
のハズだが、終わったとき感動にドッと涙が出た。
胸を撃ち抜かれた気がした。
その生き生きとしたエネルギーがすごいのだ。
上手い下手を越えている。
生徒たちが講師とともに、学び、文化を育んでいるその事実に
胸を打たれる。
こんな学校が当たり前になればいいのに。

新しい校舎で、珊瑚舎スコーレの文化はさらに進化していくだろう。

うれしいことに、私が講師をしていたとき生徒だったTに会えた。
彼は東京で暮らしている。
彼も参観を申し込んだけれどチケットが手に入らなかったらしい。
それでも終わるまで外で待っていた。
彼と話しながら、新校舎の中を隅々まで見て歩いた。
那覇まで一緒に帰った。
授業を覚えていてくれて、「楽しかった」と言ってくれたのが嬉しかった。


5日。午前中は恩師宮城一郎先生と當間孝子先生の共同研究室へ。
ふたりともとっくに退職されたが、マンションの一角を借りて研究室にしている。
相変わらず、研究の話を生き生きと語り、最近は動画編集に凝っているとか。
宮城先生が新しく書きたいという本をめぐって、話が弾む。
もっと長居したかったけれど、友だちとランチの約束が。

産業カウンセラー協会を通して知り合った友だち。
沖縄の友達がどんどん遠のいていく中で、このふたりはいつ会っても楽しい。
ひとりは教会の牧師さんの妻。ひとりはもと看護師。年齢は10歳ぐらいずつ離れている
(私が一番上)
日頃の暮らしも年齢もずいぶん違うのに、なぜかとても気が合う。

だけどふたりとも基礎疾患があるので、会うかどうかでずいぶん紆余曲折した。
私はオンラインを提案したけれど、せっかく来るのに会いたいということで
テラス席を予約してくれる。
それも当日予約でないとだめということで、
当日までなんとも落ち着かないことだった。
ピックアップしなくても自力で行くというのに
研究室の近くまで車で迎えに来てくれる。
車の窓全開。

ランチはテラス席で食べたが
気がつけば私たち以外の客がいなくなり、
風もきついので中へ入れてもらう。
お店には迷惑だっただろうけれど、閉店の4時まで話し続けた。

夕方は国際通りでお土産のお買い物。


6日は9時にチェックアウト。モノレールで空港へ。


首里城の現状を見ておきたい
辺野古にも行ってみたい
モノレールの終点がどのように開発されたのか

そんなことも気になっていたが、
結局は人と会う旅だった。
「沖縄にも私の根っこがある。」
そんな気がした沖縄旅行だった。
また沖縄に住みたい気がする。

ところでモノレールは進化していてICOCAが使えた。

プラウマンズ・ランチ・ベーカリー
おすすめです。
普段は、満席で入れないことも多いとか。
パンはむろんのこと、エチオピアン・コーヒーもとても美味しかったです。

りこさんと食事をした美栄橋近くの女性一人で切り盛りされているイタリアンも、どれもが美味しく、また行きたいお店です。残念ながら名前を忘れたが、ネットで検索するとおそらくアッコリエンザ。

旅のお供は『赤い風』(梶よう子 文藝春秋)と『けさくしゃ』(畠中恵 新潮社)。
胃腸の調子がよろしくなくホテルで過ごす時間が長かったので完読。どちらも良いお供だった。
(行く前に読んだ『風よあらしよ』(村山由香 集英社)についてもいつか書きたい)
コメント

処理水海洋放出の果て

2021-04-14 07:50:06 | 日記・エッセイ・コラム
福島原発事故による大量の処理水、すなわち放射性物質を含む水から除ける放射性物質を除去し、除去できなかった放射性物質トリチウムを含む水のことだが、これを海洋放出することになった。増え続ける処理水を貯蔵し続けることができなくなってきたからだ。

増え続ける主な要因は、事故現場に流入する地下水が汚染されるためだと言われる。事故現場周辺の地下の土を凍らせ凍土壁をつくり、城壁のように張り巡らせることで地下水が流れ込まないようにするとされていた。しかし、凍土壁は失敗した。

成功するかどうか分からない凍土壁になぜ頼ったのか。
従来の土木技術で壁をめぐらせば、10年もかけずに地下水流入を防げたのではないか。
なぜそれができなかったのか、私には分からない。

いずれにせよ、今のところトリチウムを水から取り除く技術はない。

薄めて放出するという。
しかし、薄めても物質がなくなるわけではない。
どこかで濃縮される可能性は高い。
福島周辺の海域での濃縮の可能性が最も高いだろう。

これは風評被害と言うものではない。実質的な被害だ。
「Under control」だと?どこが?

放出してよいわけがない。
放出による被害については予測がつかない。
発がん性やその他の身体への影響は、おそらく長い年月の後に現れるだろうし、
そのころにはこの放出との因果関係を証明することが難しくなっている。
それゆえに、被害は何もなかったことにされる。

一方、処理水の貯蔵は限度。

原発事故ということはそういうことだ。
人間のコントロールが効かないということを思い知るべきだ。

こういうものをつくり、その利便性を享受してきたのは人間だ。
しかし、被害が及ぶのは人間だけではない。
誰が責任を負うのか。
こういう状態を許してきた私たちだが、
実際にこれを推進し維持してきた人にはもっと責任を問いたい。
そうでなければ、このような重大なことを目先の利益優先で決めてしまう社会を変えられない。

現代のこのでたらめが未来に大きな禍根を残す。
原発を核兵器を即時に止め、
核廃棄物の処理について真剣に対策すべき。
そのことを通して社会のあり方を見直す。

今はそういう時期だ。
コメント