このごろ、立て続けに俳句の本を読んでいる
上田五千石さんの『俳句に大事な五つのこと』という本に
俳句を推敲するときに大事な次の五点が書かれている
①言いたいことがハッキリしているか
俳句は17文字しかないので「あれもこれも言いたい」ではだめ
ひとつだけ
②俳句は詩でなければならない 散文ではダメ
実はこれが一番私には難しい
詩心がない
そこで五千石さん曰く「二物不調和の調和」
二物仕立ての場合は、全く違うものだけれどなにかしら糸がつながっているもの
一物仕立てであっても、実はそこになにがしかの対立要素が入ってこそ詩になるという
「なるほど」だけど難しい
③いま・ここ・われ
この一点を描く 時間経過の長いもの、場所を移動するもの、自分ごとでないものはダメ
④言葉の整理
「て」「に」「を」「は」で言葉の関係をはっきり
⑤省略と補填
省いて良い言葉は省く。省いて余裕ができた分で「いま・ここ・われ」を明確に
②に関わって
「~で」「~して」を使ってはいけない。とたんに説明調の散文になってしまう
動詞できれば形容詞もできるだけ少なく必要最小限にし、名詞と助詞だけで作ると詩らしくなるように思う
句会仲間で私はYさんを尊敬している
Yさんの句がいつもすてきだと思う
Yさんは病弱で句会には出られず、作った句や自分の選んだ句とその理由を郵送してくる
4月の句会で、Yさんは兼題の「座」をふまえて
座布団にまどろむ猫や縁うらら
と詠んだ
私は
春うらら夫の胡座に寝る子犬
と詠んだ
似たような句だ
私はYさんの句を読んだ時(その時点でYさんとは知らなかったが)
「寝る」じゃなくて「まどろむ」だ
と思った
「寝る」は詩にならなくて、「まどろむ」だと詩になる
なぜだろう
「寝る」は動作だが「まどろむ」は状態であることと関係ありそう
意思をもって「まどろむ」わけじゃない
つまり俳句は、動作よりも状態を描写するものらしい
Yさんの句は添削なし。私の句は
うららかや夫の胡座に眠る犬
と添削された
うららかや夫の胡座に犬丸し
も良いかも
かわいい子犬なので、「子」にこだわってしまった
詩にするためにはこれを捨てなければならなかった
渉成園へ吟行に行った
Yさんの句
池の面を薄紅色に梅の花
私の句
紅梅を水面に今朝の印月池
これまた似た句
Yさんが私の句を「今朝の」が効いていて良いと選んでくださった
私はYさんの句を選ばなかった
同じところを詠んで
私のほうが良いと思ったのだ(Yさんとは知らなかった)
最初、私は
紅梅を水面に映して印月池
と詠んでいた
紅梅の映る池の美しさと同時に、「印月池」をどうしても言いたかった
インゲッチて何語?みたいな面白さ
五千石さんを思い出して
「紅梅を水面に」といえば「映して」は無くても分かる
(「映して」はダメだ、入れるとしても「映す」だね)
では代わりに何を入れよう
「今朝」を思いついた時、「やったー!」と思った
それをYさんに褒められて、すごく嬉しい
これはふたりとも添削なしだった
この二句はどちらも名詞と助詞だけ
上田五千石さんの『俳句に大事な五つのこと』という本に
俳句を推敲するときに大事な次の五点が書かれている
①言いたいことがハッキリしているか
俳句は17文字しかないので「あれもこれも言いたい」ではだめ
ひとつだけ
②俳句は詩でなければならない 散文ではダメ
実はこれが一番私には難しい
詩心がない
そこで五千石さん曰く「二物不調和の調和」
二物仕立ての場合は、全く違うものだけれどなにかしら糸がつながっているもの
一物仕立てであっても、実はそこになにがしかの対立要素が入ってこそ詩になるという
「なるほど」だけど難しい
③いま・ここ・われ
この一点を描く 時間経過の長いもの、場所を移動するもの、自分ごとでないものはダメ
④言葉の整理
「て」「に」「を」「は」で言葉の関係をはっきり
⑤省略と補填
省いて良い言葉は省く。省いて余裕ができた分で「いま・ここ・われ」を明確に
②に関わって
「~で」「~して」を使ってはいけない。とたんに説明調の散文になってしまう
動詞できれば形容詞もできるだけ少なく必要最小限にし、名詞と助詞だけで作ると詩らしくなるように思う
句会仲間で私はYさんを尊敬している
Yさんの句がいつもすてきだと思う
Yさんは病弱で句会には出られず、作った句や自分の選んだ句とその理由を郵送してくる
4月の句会で、Yさんは兼題の「座」をふまえて
座布団にまどろむ猫や縁うらら
と詠んだ
私は
春うらら夫の胡座に寝る子犬
と詠んだ
似たような句だ
私はYさんの句を読んだ時(その時点でYさんとは知らなかったが)
「寝る」じゃなくて「まどろむ」だ
と思った
「寝る」は詩にならなくて、「まどろむ」だと詩になる
なぜだろう
「寝る」は動作だが「まどろむ」は状態であることと関係ありそう
意思をもって「まどろむ」わけじゃない
つまり俳句は、動作よりも状態を描写するものらしい
Yさんの句は添削なし。私の句は
うららかや夫の胡座に眠る犬
と添削された
うららかや夫の胡座に犬丸し
も良いかも
かわいい子犬なので、「子」にこだわってしまった
詩にするためにはこれを捨てなければならなかった
渉成園へ吟行に行った
Yさんの句
池の面を薄紅色に梅の花
私の句
紅梅を水面に今朝の印月池
これまた似た句
Yさんが私の句を「今朝の」が効いていて良いと選んでくださった
私はYさんの句を選ばなかった
同じところを詠んで
私のほうが良いと思ったのだ(Yさんとは知らなかった)
最初、私は
紅梅を水面に映して印月池
と詠んでいた
紅梅の映る池の美しさと同時に、「印月池」をどうしても言いたかった
インゲッチて何語?みたいな面白さ
五千石さんを思い出して
「紅梅を水面に」といえば「映して」は無くても分かる
(「映して」はダメだ、入れるとしても「映す」だね)
では代わりに何を入れよう
「今朝」を思いついた時、「やったー!」と思った
それをYさんに褒められて、すごく嬉しい
これはふたりとも添削なしだった
この二句はどちらも名詞と助詞だけ