ドラマのとびら

即興の劇や身体表現で学ぶ、教える、浮き沈みの日々とその後

「これ、私のことだ!」

2020-02-20 13:08:39 | 日記・エッセイ・コラム
朝日新聞2月19日付大阪版夕刊。
(となりの乗客)コーヒーの気遣いと手袋の罠 と題する津村記久子さんのエッセー。
写真を撮って貼り付けようと思ったけれど、著作権の関係があるので
朝日デジタルで見てください。

寝る前に翌朝のコーヒーの用意をするのだが、うっかりものの自分のためにコーヒーを用意したという手紙を書いておくということ、寒い日に手袋を持って出るのを忘れることが多く、忘れずに持って出たときは肝心の大事なものを忘れていたということ。

どれも私のことだ。

先日、同年代の女同士のおしゃべりで、財布を忘れて出ることがあるかという話しになった。
「スーパーで買い物をして、支払うときに財布を忘れたことに気づいて家に取りに帰った」という話しに
「あるある! 来客のためにちょっと良いところで食事をしようと思って支払おうとしたらお金がなくて、客に払わせてしまったことがある」と私。
「そこまではないわ~」という人やら、「そもそも財布を忘れて家を出るのは考えられへんわ」という人やら。

にしても、人は財布を忘れるタイプと忘れないタイプに分かれる。
忘れるタイプは、注意欠陥性障害のケがあるのだと思う。
そして、結構な割合だということも。
ただ、程度もまたいろいろで。

母が亡くなったとき、いろいろなバッグや引き出しに財布やお金が入れてあった。
認知症だった母は、お金のある場所を忘れてそうしていたのだろうと思っていたけれど、
ひょっとしたら母も注意欠陥のケがあったんだろうか。
そして現在、私も母と同じことをしている。

私が亡くなったあと、うっかり捨てないでね。
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またまた失敗の記録

2020-02-20 12:19:07 | お仕事


このところ小さな失敗は数々あるものの比較的順調に仕事をしていたけれど、立て続けに大きく失敗してしまった。
このブログを読んでいただいている方(推定10名以下)には、私の失敗談はうんざりだと思うけれど、記録しておく。

まず、朝の陳列。
いつもと違って、サラダコーナーの下段の中にもう一つ段が設定されていた。
「夕方品物が少なくなって、段をつくることで少なさをカバーしたのかな?」と思い、まず臨時の段を取り除く。

陳列が終わったころに、段は臨時ではなく常設として設置されたと知る。
それで慌てて段を設置して並べ直しているると店長が通りがかり、
「なんでそんなことしたんや。今それをしていると遅くなる。そのままにしておいて。夕方品物が少なくなってから設置しなおすし」と言われる。
「これからはわからないことはまず聞いてや」とも。

本当にその通り。まず訊くこと。
でも、たまたま近くに聞ける人がおらず、その日は特売のためいろいろメニューが増えていて気持ちが焦っていたため、自分で判断してしまった。
それに、レイアウトを変えたなら、ちょっと連絡してほしかった。
報連相とよく言われるけれど、それは下から上だけでなく、上から下も当てはまると思う。

週に2回のアルバイトでは、何かと情報が届かない。
そこは配慮してほしい。

以前はナスなしのナスのミートソース焼きを廃棄する羽目になったが、今度はチキンステーキ。
オーブンで焼くとき、条件をセットして予熱。予熱が終わったら材料をオーブンに入れ、スイッチオン。設定した時間が来るとブザーで知らせてくれる。
ところがその日は、ブザーに気がつかなかった。
洗い物をしていたのか、足らない材料を取りに行っていたのが、とにかくオーブンのそばにいなかった。気がついたら、焦げていた。もちろん時間が来ればオーブンは切れるのだけれど、中はまだ十分熱く、その温度で焦げてしまう。

持ち場を離れるとき、あと何分かオーブンを確認する必要がある。
長く離れるなら、タイマーを持つこと。

家でなら十分食べられるような焦げ方だが、売り物としてはアウトということで廃棄せざるを得なかった。こういう失敗は引きずる。店に損失を与えたというだけでなく、自然破壊に手を貸したようで気分が落ち込む。この日は、そのあとも何をやってもうまくいかない感じだった。
あ~あ!
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韓国映画『パラサイト』と日本映画『万引き家族』

2020-02-11 08:44:49 | 芸術およびコミュニケーション


『パラサイト』がアカデミー賞作品賞! すばらしい!

受賞に先立って、観に行った。
カンヌで賞を取ったことや、『弁護人』『タクシー運転手 約束は身を越えて』のソン・ガンホ出演ということで、ぜひ映画館で見たいと思った。

おもしろかった!
すぐに思ったのは、ポン・ジュノ監督は是枝監督の『万引き家族』を見ているのではないかと。

『万引き家族』は深くしみじみと後に残る映画だった。
善悪とは何か。生きるとはどういうことか。
『万引き家族』では、亡くなったおばあさんを床下に埋めて年金を受け取ろうとする。
あの暖かく結ばれている家族が生きていくために、そういう選択をせざるを得なかったことに打ちのめされる。

『パラサイト』では、経済的下層階級の半地下家族が、貧しいながらも楽しく暮らしている。
一方で経済的に上流階級の山の手の家庭は、お互いに思いやりがないわけではないのに、家族の間に距離があり、冷えたものを感じさせる。
この二家族を対比することで、より大勢の人にこの映画が自分事に感じられたに違いない。

そしてこの二家族が出会うことで展開されるストーリーの面白さ。
さらにもう一家族が意外な形で絡み、予想外のところへストーリーが転がっていく。
いや、もう、これは面白いでしょう。
韓国映画の監督、脚本、役者、セット、美術、音楽その他の質の高さ。

韓国映画には暴力や血みどろがつきもののようで、正直私はそれを好きではない。
『万引き家族』のほうがはるかに深く考えさせられ、後に残る映画ではないかと思う。
けれど、世界中の人に見てもらうということを意識した時、どちらが受け入れやすいかは明白だ。

諸事情あって、映画館にぎりぎりに到着。
でも、客席はガラガラだった。
日本の映画界も興行収入が過去最高になったというが、主な映画は子ども向けの(もちろん大人が見てもおもしろいが)アニメ中心だ。
こういう映画がガラガラとは…!

『パラサイト』にも韓国ならでは事情もいろいろ出てくる。
その点でハッとしたのは「北朝鮮の核攻撃にたいする対策で、金持ちの家にはたいてい地下にシェルターをつくっている」という韓国の事情を知ったこと。
このことが今回の物語の大きなポイントとなっている。北との緊張関係がなければ、生まれにくかった映画だともいえる。

それにしても、原発が大爆発を起こしてその処理の方向も見えないどこかの国は、いまだに原発を動かし続けている。金持ちはすでに地下にシェルターをつくっているのだろうか。
私が知らないだけで。
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節分のつづきのつづきー献立をめぐって

2020-02-07 08:51:00 | お仕事


昨日、大上段にふりかぶって、主体性がどうのこうのと書いたけれど
自分も買っている。

考えてみれば、毎日三食の献立を考えるのは面倒なのだ。
だから「この日に〇〇を食べる」と決めてくれるとありがたい。
乗っかってしまう。
これも主体性の問題ではあるのだろうが、毎食創造的に食事の用意をするのは大変なことでもある。

朝食は、サラダ、ヨーグルト、果物、パン、コーヒー。
夫はごはん派なのだが、
私は退職後のカロリー消費が少ない生活で朝からごはんは重い。

ヨーグルト、果物、コーヒーはもっぱら夫の仕事。
最近は寒いので、暖かいものが欲しいと夫がスープをつくるので、卵またはハム・ウインナのたぐいは省略。

昼食は、たまにご飯の時もあるが、麺類もしくはお好み焼き。
麺類は、ラーメン、蕎麦、スパゲティ、焼きソバなど。
お好み焼きや焼きソバは野菜がたくさん食べられる。

問題は夕食。
夕食は必ずごはん。夫は玄米。私には玄米は食べにくく別に炊く。
最近は一日で唯一の米食になることが多い。
米の消費量がガクンと減った。
最近、夫の要望がいろいろあり(香辛料を使わない、塩分もなるべく使わない、添加物はもってのほか、など)、うんざりする。
自分一人ならテキトーにすませるのだが。
時にはカレー粉やトウガラシを使ったものも食べたいし…。
お仕事のある日の昼食は、職場で買ったものでテキトーに済ませることが多いけれど。

面倒だけれど、夫に合わせると健康にはよさそう。
たまに外食、たまに夫につくってもらうということで凌ぎますか。
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節分のつづき

2020-02-06 09:00:40 | お仕事


後日談。
山ほどの恵方巻も100尾ほどのイワシ塩焼きも完売したとか。
よかった、よかった!食品ロスにならなくて。

「それにしても」と思う。
なんだろう、これほどの売れ行きは。
「伝統的な行事を生活の中で大切に守っている、その一環」とは思えない。
イベントに乗りやすい日本人ということか。

学校教育において、主体的に判断することよりも従うことに重きを置かれていると感じる。
教員自身がそういう文化に馴染んできたので、自分もそういうかたちで子どもたちを支配しようとする。それに失敗すると学級が崩壊する。
本当は、子どもたちが主体に判断して学習環境をつくっていくことを教育すべきなのに。

これが大人になって、
自分で自分の生活を主体的に豊かにするということができなくて、
イベントに乗って楽しむ、受け身に楽しさを享受し消費することを楽しむ、
現代日本の文化がつくられているのではないだろうか。

子どもたちを見ていると、
なんの道具がなくても、遊び相手さえいれば遊ぶ。
へとへとになるまで遊ぶ。
学校教育はそういうエネルギーを阻害しているように思える。

単に「先生が悪い」という話しでは済まない。
けれど、教員にこそそういう一面を自覚してほしい。
完売を手放しで喜べない私である。
私もしっかり買ってしまったが。
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