ドラマのとびら

即興の劇や身体表現で学ぶ、教える、浮き沈みの日々とその後

立命館大学理科教育研究会2018

2019-01-06 21:28:52 | 研究会報告
今日は、4回目の立命館大学理科教育研究会でした。

1回目、「学生たちが中心になれる研究会を」と立ち上げたにも関わらず、実行委員の学生が裏方に回ってしまって「自分たちの研究会という感じがしなかった」と言っていた反省を受けて、2回目からは、学生たちがやりたいことに現職の先生の手を借りるという形になり、3回目からは前半は学生が開発した教材をプレゼンし、現職の先生方の意見を聞く。後半は、ディスカッションテーマを決めて、学生も現職教員も一緒になって話す。というスタイルになってきました。

とても小さな会ですが(今回は2回生2人、3回生2人、4回生1人、現職若手教員4人、そして大学教員、非常勤講師、支援センター教員6人)、学生も現職教員も学べるし元気をもらえる充実した会となりました。

4回生だけが実行委員だったのが、3回目からは3回生が加わり、おかげでその3回生が4回生になって実行委員会を運営するのでとてもスムーズにいろいろな段取りができるようになり、今回もまた参加した2回生が来年度3回生になって実行委員に加わるというように、次の学年に引き継がれる形ができました。

また現職教員を中心に、dropboxを通しての教材の交流、LINEでの連絡体制など、今後のつながりができてきました。

私たち(私と船田先生)がいなくなっても、続きそうです。

卒業生や学生たちの成長が頼もしく、こうして、ひとつひとつ、これまでの仕事に区切りがついていくのを満足しています。
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吉本新喜劇

2018-12-25 09:24:52 | 研究会報告
昨日の続き。

23日は、オプショナルツアー。円山公園長楽館で演劇教育交流会ののち、吉本新喜劇へ。

まずは漫才。生で見るのは面白く大笑い。
ただメッセンジャーの大阪のおばちゃんネタは、なるほどと思いつつ、そんな人ばかりではないだろうと私の中でツッコミが。
大阪のおばちゃんが聞いても笑えるなら良いのだけれど。

新喜劇は、笑いって何だろうと考えさせられた。
こちらは笑いに行ってるし、向こうは笑いを期待しているし、笑ってしまう。
若手がアドリブを茂造じいさんに求められて苦戦するのは、面白くもある。

ただ、人をおちょくる、貶めるというものがあり、そういうものって笑いのツボではあるけれど、相手が弱者の場合はどうなんだろうと思ってしまう。
強いものや権力を対象にしてほしい。

笑いって生きていくのに欠かせない。だから、弱者を笑ってでも生きようとするのか。
笑われながら生き抜いた弱者こそ、強い人なのかもしれない。
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全劇研in滋賀・京都

2018-12-24 20:46:48 | 研究会報告
演教連主催の研究集会。
12月22日が講座と全体会。
23日が演劇教育についての交流会と吉本新喜劇の鑑賞。

お知らせをこのブログに書くのをすっかり忘れていて、報告だけになってしまいました。

どの講座もとても好評でしたが、私が参加したのは午前は即興的な表現で音楽を楽しむ日笠みどりさんの講座。午後は演劇的な手法を用いた道徳授業の講座。

「私は木です」でウォームアップ。園児になってくださいと言われたのに「桜の花びら」の下でお酒をのむ酔っ払いになってしまったりして。

朝起きてから寝るまでの園児の1日を、音楽に沿って展開。

「犬のおまわりさん」ではカラスになりました。
せっかく迷子の子猫ちゃんの家を見つけたのに、お父さんに「旅に出したのだから、帰ってくるな」と言われたり、園児とはずいぶん違う展開になったようです。
けれど強くなったことをアピールして、無事に帰ることができました。

「かめの遠足」は音楽に乗って、歌詞に沿って動くだけなのですが、メチャおもしろかったです。
のろくて、なかなか山に行きつかないのです。
3日も4日も歩き続け、本当はほとんど動いていないのに、ずいぶん疲れました。

「おもちゃのチャチャチャ」は兵隊になりました。
おもちゃのパーティーは楽しかった!

このあとは、歌詞がなくて、音楽だけで踊ったり、音だけで場を想像して動いたり。

とにかく、いつになく動いたし楽しかったです。
あとのふりかえりでは、こういう遊びの大切さ。
物がなくても遊べること。ひとりでも想像の世界で遊べること。想像の世界を共有して遊べることの重要性を語り合いました。


午後の講座は、演劇的な手法を用いた道徳の講座。
小学校で演劇的な手法を取り入れた研修を全校あげて取り組んでいる美濃山小学校の研究主任の藤原先生(きゅーぴー)と、道徳教育の研究者の荒木先生のふたりの講座。
これは私の企画で、これを思いついたときは、私自身がぜひ出たいと思ったし、参加希望が多すぎて悩む夢まで見ました。

結果的には20人足らずのちょうど良い感じに収まりました。

前半は「銀の燭台」という『レ・ミゼラブル』からとった道徳教材の授業。
直前に藤原先生から「お願いがあるんですけど」といわれ、ミリエル司教の役をすることに。
ぶっつけ本番でしたが、藤原先生のナビのおかけで無事役割を果たしました。

燭台を渡された時のジャンの気持ちになってみたり、燭台を渡すときの司教の心の声を発してみたり…ということをやったうえで、最後は司教への手紙を書いて、司教の行為を自分事として考えてみるという授業でした。

これを受けて荒木先生の講演。押さえるべきことを押さえれば、実は道徳は何でもありで、自分事として考えることや、多様な視点をもつことが大切というお話に、道徳がとても創造的な授業に思えました。

道徳的価値と道徳的価値観の違いや、演劇的手法の劇薬は毒にもなる話など、あとのディスカッションも充実していました。

満足、満足。

全体会で各講座の報告を聞きましたが、どの講座も充実していたことが伝わってきました。
中・高校生のお芝居もあったのですが、見ることができませんでした。
でも、懇親会で話が聞けて良かったです。

一方で、この日に限って携帯を忘れ、ボランティアをお願いした学生が私と連絡を取れなくて困ったり、CDデッキを返し忘れていて職員の方に待っていただいたり、その他もろもろバタバタして、不手際がたくさんありました。
自分のキャパシティがどんどん落ちている気がします。

あとの懇親会で、ミリエル司教の演技を大絶賛していただきました。
あれがあったから、その状況に簡単に入れたと。
ほんとう? そんなに良かった? 

次のライフステージはやっぱり女優かな?

23日の話はまた後日。
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道徳よりもESD

2018-09-12 10:44:47 | 研究会報告
先日(9月10日)、学びの空間研究会WESTで立命館大学での免許状更新講習の報告をさせてもらいました。

結果、思ったのは、道徳はむずかしい!ということ。
変な道徳をするぐらいなら、しないほうがまし。
国語で作品をじっくり読むとか、自然を学ぶことで人間について考えるとか、そのほうがよっぽど子どもたちのためになる。

「いけてない」教材ばかりですが、現場からぜひ「いけてる」道徳授業を発信してほしいものです。とにかく、子どもたちが素直に言いたいことを言える空間でなければ、教師の思惑へ引っ張られるのは必然で、そうなると価値観の押し付けになりかねない。

道徳よりESD(持続可能な開発のために教育 と訳されている)を教科にした方がいいんじゃないの?と切に思いました。

以下、「我が国における「国連持続可能な開発のための教育の10年」実施計画」より

ESDの実施には、特に次の二つの観点が必要です。
○ 人格の発達や、自律心、判断力、責任感などの人間性を育むこと
○ 他人との関係性、社会との関係性、自然環境との関係性を認識し、「関わり」、「つながり」を尊重できる個人を育むこと

そのため、環境、平和や人権等のESDの対象となる様々な課題への取組をベースにしつつ、環境、経済、社会、文化の各側面から学際的かつ総合的に取り組むことが重要です。

2. ESDで目指すこと
(1)ESDの目標
○全ての人が質の高い教育の恩恵を享受すること
○持続可能な開発のために求められる原則、価値観及び行動が、あらゆる教育や学びの場に取り込まれること
○環境、経済、社会の面において持続可能な将来が実現できるような価値観と行動の変革をもたらすこと

(2)育みたい力
○持続可能な開発に関する価値観
(人間の尊重、多様性の尊重、非排他性、機会均等、環境の尊重等)
○体系的な思考力(問題や現象の背景の理解、多面的かつ総合的なものの見方)
○代替案の思考力(批判力)
○データや情報の分析能力
○コミュニケーション能力
○リーダーシップの向上

(3)学び方・教え方
○「関心の喚起 → 理解の深化 → 参加する態度や問題解決能力の育成」を通じて「具体的な行動」を促すという一連の流れの中に位置付けること
○単に知識の伝達にとどまらず、体験、体感を重視して、探求や実践を重視する参加型アプローチをとること
○活動の場で学習者の自発的な行動を上手に引き出すこと


これをやっていけば、道徳教育にもなるのじゃないの。
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ひさびさの「できそうにもないこと」

2018-07-01 08:57:13 | 研究会報告
昨日、もんちゃんを講師に迎え、「できそうにもないことをやってみる会」第7回目を実施。
前回が昨年の7月8日だったので、ほぼ1年ぶり。

「できそうにもないことをやってみる会」には、実は厳しい掟があって、
誰かが「できそうにもないことをやってみたい!」と提案しても、それを主宰者3人全員が「それは確かにできそうにもないなあ。やってみたらおもしろそう!」と思わないと実現しないのです。

ひとりでも、「それはできるやろ」とか「できそうにもないけど、それおもしろい?」とか言うと、実現しません。

もんちゃんの提案は、実は提案自体がよく分からなくて、主催者一同とまどいながら、「でも、何かおもしろいことが起こるかもしれんな」「どうなるか予想できないことが面白いかも」ということで実現。

さて、まずは60マスに平仮名を一字ずつ埋めていくワーク。順に紙を回して、ひとり一字しか書けません。自分は「これだ」と思って字を書いても、次の人は全然違うことを思っていたりして、だんだん意味不明な文になっていきます。

その文ができていく過程も大笑いなのですが、できあがった文に絵を描いて説明をする。これもおかしい。すんなり文になる人もあれば、文ができずにトンデモの発想に大笑いの文も。しかも絵があるので、それなりの説得力が…。

文字数はもう少し少なくて良かったかな?

大笑い。ああ、楽しい!


次がメインの(というか、文字書きのほうが時間をかけたのですが)トイレット・ペーパー・アート。
4人ずつ2チームに分かれ、「一人でも二人でも三人でも四人でも、一緒にやってもバラバラでも、好きなよう分かれて、好きなようにトイレット・ペーパーをつかって遊ぶ。最後にはそれらの遊びを使って、即興劇をする」というもの。

うちらのチームは、私がゆっこにトイレット・ペーパーの服を着せ、お姫様みたいとなってゆっこは冠やピアスをつくり始め、メダカちゃんと私はお姫様のスカートづくり。その間にガクが、トイレット・ペーパーをつかったゲーム、トイレットペーパーを投げてできたトンネルをくぐる、トイレット・ペーパーの転がし競争、トイレット・ペーパーで足首をくくって二人三脚。トイレット・ペーパーが破れたら負け、などを考える。

最後にガクはトイレット・ペーパーで操り人形をつくる。(荷造りひもとセロテープを活用)

これをお姫様救出物語として演じました。

相手チームは、トイレット・ペーパーに顔をかいて、それを顔の前に垂らして息を吹く、から始まって、楽器に見立てて声をだす。トイレット・ペーパーの穴にトイレット・ペーパーのつぶてを入れて、吹き矢よろしく吹く。トイレット・ペーパーどうしを合わせて電話。最後は見学している私たちを巻き込んで、トイレット・ペーパー電話で伝言ゲーム。

これは見ていても芸術。
めちゃ、楽しかった。

終わっても話が尽きず、次の方から「次は私たちなんですけど」と声をかけられ、慌てて撤収。
そのまま、そっろって晩御飯へ。

こんなに楽しかったのに、雷と大雨で電車が止まるというおまけが。
それぞれ、無事帰れたでしょうか。
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