ドラマのとびら

即興の劇や身体表現で学ぶ、教える、浮き沈みの日々とその後

祝日なのに授業日、でも今日は嬉しい!

2015-11-23 22:27:37 | 日記・エッセイ・コラム
立命館大学は、祝日も授業日です。
しかも今日は3連休の最終日。
私の周辺の人々も今日は休みというのに、私は授業。

ところが今日は卒業生が何人も訪ねてきてくれました。
私は授業があると知って、普段は仕事がある人たちがこの日なら会えると来てくれたのです。

初めて、祝日に授業があることをありがたいと思いました。

忘れずに訪ねてきてくれて、ありがとう。
近況が聞けてとても嬉しいです。

また会いましょう。
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「布を使うのは、きれいだから」

2015-11-12 13:42:46 | 授業・教育
応用ドラマ教育論。

昨年の学校教育演習の学生が2名来てくれ、今回は6名でした!
6名いるといいなあ。3名ずつなら2グループ、2名なら3グループつくれます。

この日は、プレイバック・シアターをすることに。
ゆりさんが、高校生とみごとにプレイバック・シアターをしていたので、刺激されました。
高校生にできるなら、大学生にも…。
キャリーバックに布と楽器を詰めて運びました。

ゲストがいるので、まずは自己紹介から。

・今の体の調子、心の調子:体は調子いいけど、眠たいという人が目立ちました。

・二人一組。自分の家族のだれか、もしくは親しい人のだれかを想定する。布か楽器からその人らしいものを選ぶ。交互に、その人と自分の関係について話す。

・聞いた話から、その人が話題にした人に何かプレゼントを贈るとしたら何が良いかを提案する。
プレゼントの相手は妹3人、姉1人、母1人、父1人でした。

・ぐるぐるカメラマン:順番にカメラマンと語り手になる。カメラマンは話を聞いて、語り手と誰かが一緒に写っている写真を他の人たちを使ってつくる。

Oさんは、受験を終えた妹と温泉旅館で写真をとりました。温泉の女将と温泉の湯煙が一緒に写りました。浴衣代わりの明るい色の布がきれいでした。姉妹の仲の良さが伝わってきました。

Eさんは、紅葉の嵐山で母娘の写真。紅葉や橋と一緒に。大学卒業にあたって、お母さんへの感謝をこめて。これも、色が美しかったようです。私は紅葉の役で見えませんでしたが。

学生にとっては、家族の話をするというのが新鮮だったようです。家族って、面と向かってなかなか自分の素直な気持ちを言いにくいですが、これを機会に少し表現できるといいですね。ゲストには、今後もぜひ来ていただきたいものです。

残念ながら、ぐるぐるカメラマンで時間切れとなってしまいました。
楽器は、本来の楽器としての出番がありませんでした。


ゆりさんの高校での授業でのこと。
終わってから雑談をしているときに、ゆりさんが「プレイバック・シアターって、なぜ布を使うのかな」と言ったのに対して、かぜのすけさんがすかさず「きれいだから」と答えていました。「そこに飾ってあるだけで、きれいでしょう」と。

それを聞いて「そうだったんだ」と改めて思いました。
なので、私も布を持っていく気になったのです。本当に、きれいでした。

プレイバック・シアターでは、リチュアルを大切にします。
それはその場が、語ってくれる人への敬意を表す場でもあり、演じ手が懸命に表現する神聖な場であるからです。

布は単なる小道具ではなく、場を特別なものにするためのもの。
かぜのすけさんの言葉はそれをシンプルに語っていました。

教室も同じこと。学ぶ神聖な場だから、きれいに清めることを意識したいです。
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学生のワークショップがすごい!

2015-11-09 09:44:35 | 授業・教育
私の授業ではないのですが、学生が企画したワークショップです。

今年度の沖縄研修、珊瑚舎スコーレに行きたいというのが4回生ばかり。
実行委員としては、4回生には各グループに入ってほしい。

そこで4回生は相談して、珊瑚舎グループは研修終了後の特別企画として取り組むことに。
2・3回生に参加者を募り、参加希望者での事前学習ワークショップを企画。

私は途中から顔を出したので詳細は分からないのですが、前日までに珊瑚舎のHPを見て分かったこと、気になる言葉を挙げてくることになっていたよう。

参加者10人はグループに分かれて、それぞれの分かったこと、気になる言葉をポストイットに書き、それをもとに模造紙をつかって珊瑚舎スコーレについての新聞づくり。
そろそろ新聞が出来上がるころに私が参加。

休憩をはさんで、グループを組み直し、「気になる言葉」について話し合い。私の参加したグループでは「生の空洞化」「『知』のありかた」が特に話題になりました。
次にそれぞれが「珊瑚舎スコーレの夜間中学校へ見学に行くことで何を学びたいか」を書き、わかちあい。
さらに自分なりの「学ぶとは」を言葉にしてわかちあい。
最後にグループでの話し合いを共有して、学習会が締めくくられました。約3時間。

珊瑚舎スコーレのHPに書かれている教育の理念が、「学ぶとは何か」を私たちに問いかけています。
それに基づいて自分への「学ぶとは何か」という問いは、思いがけないほど深いものでした。
私自身、改めて自分の「学び」を問い直しました。

こんな学習会ができる学生たち。来年度から教員に採用される彼らの企画した学習会は、本当に素晴らしいものでした。
こんな教師が育っていくなら、日本の未来は明るいです。
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「A子さんの決断」

2015-11-06 20:59:11 | 授業・教育
このプログラムは、ずっと以前、高山昇先生のワークショップに触発されて創ったものです。ずいぶん洗練されてきました。

応用ドラマ教育論では、毎回取り上げています。

「A子さん、35歳。大阪の中学の社会科教員。非常勤講師を何年もして苦労して30歳で正採用。大学の同級生のB男さんと結婚して、小学校1年生と3年生の子どもがいる。
保育所通いから解放されて、仕事に乗っている。

夫B男さんは中学校の理科の教員。お母さんは九州で一人暮らし。最近、病弱になっている。

ある日、B男さんから『自分の出身校の中学の先生から、理科の教員として来ないかと言われた。九州へ引っ越したい』と言われた。B男さんは九州の有名私学中・高等学校の出身。A子さんはどうするか」
この内容は、学生のアイデアを取り入れつつ、少しずつ変化するのですが。

先日の応用ドラマ教育論。この日の出席も2人。
「A子さんをやってくれる人」というと、男性のMが手を挙げてくれました。
「A子さんは、このことを誰に相談すると思いますか?」とMに聞くと、同僚で先輩のC子さんに相談するということになりました。

もうひとりの学生H(女性)がC子さんとなって、A子さんの相談にのりました。
「仕事を辞めたら、経済的に大変じゃないの?」
「B男さんだけ行ってもらったら?」と、C子さんは単身赴任を勧めています。

C子さんのHに「これをまた誰かに相談するとしたら?」と聞くと、後輩で知り合いの九州で教員をしているD男さんということになり、私がD男さんに。
D男さんは「こちらでは、長男が親の面倒をみるものだ」
「物価は安いし、仕事を辞めても何とかなると思うよ」とA子さんの気持ちなどお構いなしの返答。

そのあと、「もし自分がA子さんだったら」と話し合い。
Mは、「家族が一緒に暮らすことを大事にしたい」と、仕事を辞めてでもB男さんと九州へ行くことを選択。
「もし大阪にいるA子さんの親の面倒を見なければならなくなったら、どうする?」と聞くと、「そのときはまた考えるけれど、とりあえず今は元気なのでB男さんの親を優先する」そうです。
Hは、B男の単身赴任を選択。子どもと一緒にA子さんは大阪に残り働き続けます。
そうしながら、A子さんが九州へ転勤することや、B男さんとお母さんが一緒に大阪に来れないかを探ってみるそうです。

「実はA子さんが男で、B男さんが女だったとしたら、判断が変わるか」と訊ねたら、迷ったものの、ふたりとも判断は変わりませんでした。
Mは、「男が専業主夫をしても良いと思う」。
Hは、「自分の生き方は大事にしたい。しばらく離れていても家族は家族」
「子どもはお父さんと大阪に残るの?お母さんと九州に行くの?」と訊くと
「お父さんと大阪に残ったほうが、転校のストレスがなくて良いのでは」ということでした。

授業をふりかえって、
Mは、女性の役をやってみて「女性だったらどう思うかな?」と考えられた。
Hは、A子さんのことをただ読んだり聞いたりしただけでなく、C子さんとして話を聞くことで、考えが違ってきたように思ったそうです。

それぞれの経験や考えから、それぞれの決断が出てきます。
「人生には、決断の時がある。正解はないけれど、納得する選択を」
「男だから、女だからと決めつけないで考えてみよう」
という授業でした。

この授業をすると、学生は他のジェンダーの授業について話してくれることが多いです。
その授業で初めてジェンダーについて考えたという人が多いようです。
中には「ジェンダーという言葉を聞くと、男性が責められているようで嫌だ」という人もあれば、「あまり自分のこととして考えてこなかった」という人もあり。
ジェンダーを考えるには、ドラマの技法は適しているかもしれません。
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演技が下手でも授業は進化

2015-11-01 21:22:20 | 授業・教育
教職実践演習で、事例研究。

中学3年生のA子さんが不登校になってしまったというN先生の事例。
ある新聞記事をもとに私の創作した事例です。

受講生はその中学校の教師ということで話し合ってもらいました。
最初のクラスでは、私がN先生と研究会の司会である教頭先生を兼任したものの、
演じ分けが下手なものだから、N先生と教頭先生と素の私がゴッチャになって、
授業後、「自分たちが学校の先生として話しているというのが分からなかった」と言われてしまいました。

なので、N先生が目の前にいるのにN先生を責めるような発言が度々。

次のクラスではこの反省のもとに、メガネをかけたらN先生、はずしたら教頭と約束。
素の自分で話すときは「今は素で話してるんだけど」とことわることに。
グループでいろいろ気づいたことを話してもらった後に、「どこがポイントだったか(今後同じようなことが起こった場合の対策として)」「今、N先生は何をしたらよいか(この問題の解決のために)」を考えてもらいました。

今度は、N先生を責めるのではなく、自分たちも遭遇するかもしれない問題としてとらえてくれました。

また、「学校としては何を改善したらよいか」という問いに対して、前のクラスでは「教師間の連携、コミュニケーション」「保護者との日ごろのコミュニケーション」など連携・コミュニケーションが主に出たのですが、あとのクラスでは「子どものことを日常的に話題にする」「多忙を軽減するために仕事の見直し」「受験重視の価値観の見直し」なども出されました。

N先生が生徒や保護者に「受験」という言葉をたびたび口にするその事例から、3年の担任として生徒の進学実績を上げることにプレッシャーを感じているのではと察したうえでの発言でした。
深い話し合いになりました。

ティーチャー・インロール、あいかわらず苦手です。
でも、工夫次第で変わるものだと実感した2回の授業でした。
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