ドラマのとびら

即興の劇や身体表現で学ぶ、教える、浮き沈みの日々とその後

蚊、家、禍

2020-09-28 15:25:58 | 庭仕事
本当に蚊が多い!
ちょっと庭に出ると、すぐ蚊にやられる。
だから草抜きでもするなら、中袖長ズボン靴下長靴首には手ぬぐいマスク眼鏡帽子と重装備。
でもいちいちこの重装備が面倒で、草抜きがなかなかできない。

ところが夫は蚊に刺されないという。
おそらく刺されないのではなく、刺されも反応しないので平気なのだと思う。
だから庭のコンポストに生ごみを捨てに行くのは夫の役目。
短パンと半袖なんなら上半身裸で庭に出ていく。

ところがところがその夫が蚊を引き連れて家に入ってくる。
そして蚊は私を刺す。

どうか、私にはおかまいなく。
夫を刺してくれ!
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オペラにオペレッタに物忘れ

2020-09-17 09:12:34 | 芸術およびコミュニケーション



コロナの影響もあってか、映画館にさっぱり行かなくなった夫。
最近オペラやオペレッタのDVDを家で鑑賞している。

昨夜は『メリーウィドウ』だった。
英語版。日本語字幕なし。
英語字幕で見るも、字幕が追えず、何を歌っているのかさっぱり分からない。
歌の合間のセリフは字幕が出ない。
なので客席が笑っているのに、さっぱり笑えない。
以前に字幕付きで見ているのに、思い出せない。

とはいえ、単純なストーリーなので「内容が分からないから見ていられない」というほどのものでもなく、
何より歌が素晴らしいし、ダンスも含め舞台は華やかで見ごたえがある。

出演者を見ながら、「ああこの人、映画俳優に似ている」などと思うも
その俳優の名前が思い出せない。
俳優がオペレッタに出ているの?
なわけないか。
でも単に歌えるだけでなく、みな演技もダンスも達者。

あとで調べたら、ラッセル・クロウ似とヒュー・グラント似だった。
その名前が思い出せないなんて、終わってる。
しかしながらラッセル・クロウは2012年のレ・ミゼラブル以来、ヒュー・グラントは2003年のラブ・アクチュアリー以後、観ていないようだ。
永のご無沙汰では当然か?

この前、『被抑圧者の教育学』のパウロ・フレイレの名前が思い出せなかった。
これは少なくとも2年前までは、授業をするにあたって大事な人だったはず。
終わってる。
昔から人の名前が思い出せなかったが、年々ひどくなるような~。
まっ、いいか。それで死ぬわけでなし。
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分担の範囲

2020-09-10 09:19:58 | お仕事

「KINTOTO」のランチ。仕事仲間がやっています。野菜たっぷりでおいしい。


最近、仕事の後始末が甘い。
以前ほど、緊張しなくなったせいかも。
卵のパックを片付け忘れたり、油や容器の補充を忘れたり。

先日は、焼却プラスチックのごみを集めて、それをほったらかして帰ってしまった。
焼却プラスチックのごみは誰が集めると決まっているわけではなく、午前の仕事の区切りで手の空いた人が集めてごみ庫へ運ぶ。

その日は午前最後のギョーザ焼きを頼まれていた。
フライパンの温度が上がるのを待つ間、洗い物をしていた。
洗い物が一段落したので、まだ誰も集めていなかった焼却プラごみを集めだした。
そのとき、ギョーザを焼くことを思い出した。
それでプラごみを出口付近においてギョーザをフライパンに並べた。
「もう時間が遅いから並べたらあとはやるから」と言われ
ギョーザを並べ終わったら、ほいほいと帰ってしまった。

何かひとつすると、何かを忘れる。
例えばカバンをふたつもつと、ひとつはどこかで忘れる。
バッグと買い物袋と傘なんてみっつになると、確実にどれかをどこかに置き忘れる。
わかっているのにやってしまう。

バッグはリュックひとつ。でも雨なので傘。
それで地下鉄に乗る。リュックから本を出して読む。
おりるときに傘を忘れる。
そんな具合。

プラごみの件は忘れるならずっと忘れていれば良いのだけれど、
どういうわけか家に帰って思い出す。
すると気になる。
「誰かが捨てに行ってくれたんだろうな」

どうしても気になるので、仕事仲間のLINEで
「今日の午前の焼却プラごみ、どなたが捨ててくださったのでしょうか。ありがとうございます。私が集めたのですが、ギョーザを並べているうちに忘れてしまって、ほったらかして帰ってしまいました。申し訳ありません」と。

しばらくして全員既読になるものの、リアクションなし。
これが既読スルーというやつか。

まあ「私です」と名乗るほどのことでもなく、
かといって誰も見ていないようなことかもしれず、
「誰々さんですよ」というほどのこともない、
のかな?

そもそも誰の分担ということでもないので、
気がついた人がごみ庫へ運ぶということで気にすることではないのかもしれない。
このあたりの感触がよくわからないけれど、
まあリアクション取るほどのこともないということでしょう。
わざわざLINEに書くことでもないのか。

自分のこだわりに困ってしまうが、仕方ない。
私はこのようにしか生きられないのだから。
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