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ドラマのとびら

即興の劇や身体表現で学ぶ、教える、浮き沈みの日々とその後

みんなの学校を考える

2023-01-18 09:20:12 | 授業・教育
YouTubeで東京に新しい学校をつくる会の「みんなで考える“新しい学校”」Vol.1を見た。
https://www.youtube.com/@tokyo-school

どの子も「楽しい」「幸せだ」と感じる学校をつくりたいという思い。
今の公立学校の多くが、子どもにとってほんとうに良い環境になっているのか?という疑問がある。

福祉の制度が必ずしも個人に寄り添っていないように、学校もまた個人個人の事情に添うことが前提となっていない。

制度だけでなく、学力観や学習観にもつながる。

では、どんな学校を実現したいのか。
それはどうしたら実現可能なのか。
それをみんなで考えようということ。
講演やトークセッションは、とても共感するものだった。

同時に、誰もが現状をよくするために、自分のできる範囲で何かできることがある。
そういう希望を感じた。

ぜひ多くの人の見てもらって、一緒に考えてたいと思った。

取り返しのつかない失敗!

2019-07-13 19:15:39 | 授業・教育


依頼されて講演してきたのだが、失敗だった!
薄い話をしてしまった。
それに気づかず、質問に対しても、的はずれな答えをしてしまった。

その夜、後悔で眠れなかった。
結局、明け方明るくなってくるころに少しウトウトし
風邪をひいてしまった。

発端は、S大学で教育パフォーマンス系科目の非常勤講師を依頼されたこと。
この夏、集中講義をすることになっている。

教員養成系の学生に、パフォーマンスを通して「自己、他者、社会と出会い直す」科目として位置づけられている。
教員養成系にそういった科目を必修でもってくるというのは、英断だと思う。
その科目の意味付けを講演してほしいということ。

S大学には、その科目を担当できる専任教員はおらず、またその科目の設定を中心になって担った方は担当をはずされた。
こういう状況で設定された科目だからこそ、この講演は重要な意味を持っていたはずだ。

でも、講演に関しては、どこか慢心があったのか。
あるいは、のんびりした3ヵ月を過ごして感覚がおかしかったのか。
はたまた、その日疲れすぎていたのか。
すべてだと思う。

「以前にもやったこと」と高をくくって内容を詰め込みすぎて、十分練れていなかった。
一線を退いて、感覚がボケていた。
その前の打ち合わせで、すでに疲れていた。そもそも遠すぎる。

最後の質疑で「O大学の例とR大学の学生の例をあげられましたが、R大学の学生の良さは何でしょう」と質問されたときに、気づくべきだった。
なのに、まともに「いや、R大学の学生はこれこれの良さがありますよ」なんて答えていた。

そうではない。
私はO大学に比べて、R大学の学生が劣っていると言いたいわけではなかった。
だから「それぞれ違う。パフォーマンスでは、その違いが良く分かる。違っていても、ステップを踏めばお互いの関係をつくっていける」、と答えるべきだった。

だけど、それは講演の中で十分に話した気になっていた。
肝心のそこが伝わっていなかったということに、帰ってから気づいた。
結局、パフォーマンスの意味を伝えられなかったことになる。

こういうことをしているから、こういうことが広まらないのだろう。
皆さん、熱心に聞いてくださった。
でも、あまり有益な講演だっと思ってくださらなかったのではないか。

それから、講演を手伝ってくれたUさんへの配慮も欠いていた。
心の余裕が失われていた。
いつもそう。人としての容量が小さいというか、エネルギーがないというか…。

そういう自分が悲しい。
悔やんでも悔やみきれない。

最後の環境教育論

2019-01-19 08:59:21 | 授業・教育
1月18日。立命館大学でのすべての授業が終了しました。

11月5日づけのブログで、ディスカッションがうまくいかないと悩んでいましたが
学生たちがプレゼンしたり、授業をしたりするようになって、俄然変わりました。
以下、ざっと授業の感じ。

1回目:環境教育論とは
 授業のガイダンス 資料:ESD Youtube「MAN」
宿題:MANを視聴し、ワークシートを書いてくることと、どういう環境教育をしたいかを考えてくる

2回目:トンボ池のアクティビティその1
 MANのふりかえりとそのメッセージ(動物倫理、食物連鎖など、人類の未来はいかに?などが話題に) 「ロジスティック曲線」の話(現在は人口の増加期と安定平衡状態の過渡期) トンボ池のアクティビティその1

3回目:トンボ池のアクティビティその2
 トンボ池のアクティビティその2(点限汚染と非点限汚染、二つの町をつなげると?環境問題は世界中繋がっている) 原発事故について
宿題:①自分の授業について考えてくること。②環境今日問題に関するトピックを取り上げ、調べてくること。③大飯原発裁判判決要旨を読んでくること。

4回目:原発差し止め裁判判決文を読む
 大飯原発運転差止請求事件判決要旨と川内原発稼働等差止仮処分申立事件判決要旨を読み比べ
  環境問題は社会問題であり、経済や政治の問題である

5回目:SDGsと10年後の日本
 SDGsのワークシートを用いて、10年後の日本の未来予想

6回目:ひろきとなっちゃんのプレゼン
 ひろき:公害
 ・公害とは
 ・心理的公害を生まないために
 なっちゃん:ゴミ問題
 ・スリランカ、ドイツ、スウェーデンのゴミ事情
 ・「発展途上国と先進国が足並みそろえて取り組めるか」

7回目:ひろしのプレゼン
 ひろし:中国の経済成長と環境問題
 ・経済成長と環境問題は相いれるのか

8回目:シェアリング・ネイチャー 岩倉山フィールドワーク
 岩倉山散策 葉っぱちゃん、集まれ 音いくつ カモフラージュ 森の美術館
宿題:森の美術館の写真をmanabaにあげる

9回目:ひろきの授業「環境保全と循環型社会」
 ・公害とは ・日本の公害 ・公害に対する法整備 ・公害・環境対策の4原則 ・循環型社会
問「太陽光発電が果たしてエコなのか」

10回目:各自授業準備とレポート準備

11回目:なっちゃんの授業「海洋汚染、私にできること」
 ・「The Ocean Cleanup」の動画を見る
 ・ロールプレイ:いろいろな人物になって、海洋のゴミ問題で何ができるか考える

12回目:ひろしの授業:砂漠化
 ・地理とからめて気候帯 ・砂漠化の原因 ・砂漠化の弊害
 ・ロールプレイ「砂漠化を防ぐために何ができるか」

13回目:食生活から考える環境教育
 ・食品表示の教材化を考える 三種のカップ麺の表示からわかること

14回目:ローカルとグローバル
 ・里山資本主義
  地方がその地方にあるものを活用し、新しい人材を取り入れて、人口増加に成功している例の紹介
 ・K町についてのロールプレイ K町活性化のコーディネーター・K町住民・K町に移住を考えている人

15回目:授業のふりかえりとまとめ
 ・ムヒカ大統領の演説:グローバリズムと消費社会
 ・環境教育とは:キーワードを考える
 ・授業のふりかえり

受講生3人。教員にならない人たちばかり。
授業が成り立つのか心配でしたが、理由のない欠席がまったくありませんでした。

授業を重ねるにしたがって受け身から主体的になってきたという感じが顕著でした。
アクティビティをすれば主体的になれるというものでもないということを実感しました。
自分がいなければ授業が成り立たないという意識が大事なのではないかと思います。

3人しかいないのに、活発な話し合いでした。
最後の授業。「欠席が心配だった」という話をしたら、「少ないので休めない」と言っていました。「自分はほとんど授業には出ないタイプなんだけれど」と。
自分の授業を横に置くと、里山資本主義の話やトンボ池のアクティビティが印象的だったと。

最後に環境教育のキーワードを出し合ってディスカッションしましたが、
「ローカルとグローバル」「経済発展」「バランス」「身近」「格差(経済格差、世代間格差)」「健康」などが出されました。ここでの「身近」は当事者性のことをさしています。「経済発展」は物質的に豊かになることで、物質は自然から原材料を得ているので環境破壊につながるというその関係のことだそうです。

最後は、授業をふりかえり未来社会の予測などをしながら終了しました。

最初にMANを持ってきたことで環境教育に焦点が当たりましたが、まあ環境教育論なので環境教育には焦点が当たるのはあたりまえなのですが、
私の反省としては、全体をSDGsと結びつけて構成すればよかったと思っています。
そのためには、出だしを「MAN」ではなく、SDGs関連の動画にしたほうがよかったなあ、と。

反省しても、次の授業はないのですが。
人数は少なかったですが、充実感をもって授業を終えることができました。
みなさん、ありがとう。

教育サポーター学生の役割

2019-01-17 10:00:33 | 授業・教育
理科教育研究は教育サポーター(ES)がついてくれます。

ESとは、若干のアルバイト料をもらいながら授業をサポートしてくれる学生のことです。
ESをするにはその授業を受けたことがある学生という規定があります。大学院生はなれません。
教師側が単にアルバイトとして使うのでなく、ESの学びにもなるようにという制度です。

今回(今年度後期)ESのキスケと話す機会があり、ESをすることでどのような学びがあったか、聞いてみました。

1.一度学んだことを学び直すことで深まる。
それはその通りだと思います。かつての受講者としていつ発言をふられるか分からないという緊張が良かったと言っていました。

2.学習者であると同時に、授業者側に立つので、そのずれに気付ける
「ここはもうちょっと丁寧に説明してほしい」ということや、「こういうふうにしたほうが分かりやすい」ということが見えてくる。
そういうふうに見えてきたことを言ってもらえるのは、とても役に立ちます。
また、教師になったとき、学習者と授業者のずれを探るという視点をもつということはとても大切ではないかと思います。

3.授業をさせてもらったことで、授業観が深まった。
学習計画を立ててそれを指導案として書けるようにする授業なので、ESには自分で指導案を書いてもらって、それに基づいて授業をしてもらっています。
一例として、彼は物理科学科で物理が得意なのですが、模擬授業は化学分野を選びました。準備の時、指導案の教材観に「原子・分子という観点がない」ということを指摘したら、物理でしか考えていない自分に気づいたと言っていました。
教材観を学生が考えるのはかなり難しいです。私はこのことで、学生の所属学科にも気を配る必要があることに改めて気づくことができました。

ESになれる学生は、ほんとうに一握り。こちらは、教師になりたいという熱意のある人にお願いします。「選んでもらって、本当に良かった。ありがとうございました」と言われました。

こちら側からいうと、資料の配布・回収、実験の準備・後片付けといった単純なことから、ディスカッションの活性化、ときには授業計画の変更の相談まで、とても助かる存在です。

特に、ディスカッションに関しては、同じ回生の学生だけになると、多様な観点からの問や発言が少なく、ESがいることで深まることが多々あります。

最後にキスケ曰く。「受講生が多いか少ないかで授業の質が変わるのは、不公平ですよ」

そんなことを言われても…。

確かに、今回は7名という少人数で、とても深まったのは事実。
でも、やはりキスケも含めて、このメンバーだったからということもあります。
キスケのクラスだって、11人で決して多くはなかった。

私は、この授業では資料をあらかじめ渡しておいて、それに対する質問から授業を始めることが多いのですが、キスケのクラスは活発に質問が出るクラスでした。

そして、活発なディスカッションをしていました。
そのおかげで、私自身授業のやり方を見直した点も多々あるのです。
そんなに質が悪かったとは思っていません。

ただ、今回はやはり現職の教員がいたということ。その人が哲学的な思考をする人だったということもあって、学生にはない視点が出されてディスカッションは深まりました。

同じような内容を提供していても、メンバーが変わると授業は変わります。
「私の力量のなさではない」と言いきることはできませんが…。

理科教育研究終わる

2019-01-16 09:37:11 | 授業・教育
立命館大学での、理科教育関係の授業、昨日で最後を迎えました。

10年前に初めて担当して、経験があるからといって教えることができるものではないということを実感しました。
模擬授業は良いのですが、そのバックとなる授業論が展開できないのです。

学んだことを授業にかける。自転車操業のようでした。

そこで私を支えてくれたのは、教育方法論でした。
獲得型教育研究会を通して、渡部淳先生はもちろん、いろいろな方との出会い。

とりわけ、渡辺貴裕先生のfacebookは、本当に役立ちました。
そこで紹介していただいた本で、「これだ!」と思うものを読みました。

お互い違うがゆえに、吉田真理子先生とのディスカッションから学ぶこともたくさんありました。
そのおかげで、以前は読みこなせなかった本が、ここへきて「ああ、そうだったのか」と思えるものもあります。

多くのことを学びました。
最初のころの学生には、申し訳ないです。
今でもまだまだの私ですが。

ひとつ、良かったと思うのは、沖縄国際大学での授業実践があったということ。
とりわけドラマの手法を用いた授業によって、学習者中心の授業という概念が実感をともなって私のものになっていたことによって、いろいろなことを学びながらの授業でありながら、ブレない芯になっていたと思えることです。
ドラマの授業でなくても、です。

理科教育研究は、本来講義形式の授業として位置づけられるものですが、最後のクラスは受講生が7名という中で、ゼミのような授業を展開することができました。
お互いのディスカッションの中で、学生同士もですが、私自身学ぶことが多く、
「こういう授業が展開できるなら、もっとやりたい」
と思えました。

授業中あまり実験ができなかったのですが、最後は実験祭りのような感じで6つのブースを設け、実験や観察ができるようにしました。
ワイワイとにぎやかに実験をして、最後はおだやかに授業をふりかえって、終わりました。

立命館大学の学生たちは、まじめでやさしく、あまり文句を言いません。
本当は、文句をいいたいことがたくさんあったのではと思います。

途中、家庭の事情で真剣に辞めたいと思った時期がありましたが、
そういうやさしい学生に支えられて、この10年を終えることができました。
受講生やESの学生たちに感謝です。

ドラマ教育関係の本は書いてきましたが、理科教育に関してもまとめてみたいと思うこの頃です。