まずはこちら!フィガロ・ジャポン“クロアチア”
suzukkyさん、ご報告遅くなりましたが、ちゃんとあの次の日8/8にゲットしましたよ!
本当に今年は図らずも日本のクロアチア注目度が高い気がします

ううう、見るとあれもこれも気になってまた行きたくなってしまいます。
特に、島には渡っていないので次に本当に実現したらぜひ、島へ行きたい


7月3日(木)19:00 スプリットの街歩き
こちら、洗濯物の満艦飾



世界ふれあい街歩きでも通ったところなのです♪
この階段の上にネコ



絶対に1人で歩いていたら迷う・・・

ナドロニィ広場へ再集合して、街歩き終了です。
15分ほどの自由時間で買ったクロアチア初のおみやげ


ディオクレティアヌス宮殿には、東西南北4つの門があり、
それぞれ銀の門、鉄の門、青銅の門、金の門と命名されている。
ちなみに宮殿地下の入口は、南の青銅の門。

金の門

グルグール・ニンスキの像
金の門を出たところにこの像があります。
こちらもイヴァン・メシュトロヴィッチ作
クロアチアでは10世紀にスプリットで開かれた宗教会議で教会でのスラブ語の
使用を禁止したが、その撤回を求めたのがこのグルグール司教。
冗談みたいですが本当の名前です。長いのでグルグルさんと添乗員さんは言っていた。

グルグルさんの左足親指に触れると幸運が訪れるそうな。
この子達の前に私も触ってきました♪
みんなに触れられてピカピカ

大理石の列柱に取り囲まれた広場。
このスフィンクスには頭がついてますねえ。

大聖堂の鐘楼を見上げて

洗礼室
もともとはディオクレティアヌス皇帝によってジュピター神殿として建てられ、後に改築されたもの。

洗礼者ヨハネの像
イヴァン・メシュトロヴィッチ作

洗礼盤
かなりボケてしまってますが

シベニクの聖ヤコブ大聖堂の洗礼台と、比べると深さが違う。
初期の頃の洗礼は体全部を水に浸けるために深い。
のちに頭に水をかけるだけとなり、浅くなっています。

洗礼室を出て、ふたたびペリスティルを望む。
正面真ん中が宮殿地下見学からの出口でした。

スプリット一狭い細いと言われる通り。

再び鐘楼を見上げて。美しいですね。
登ってはいませんが、この鐘楼は登れるらしいです。
世界遺産・宮殿地下の見学です。
『世界ふれあい街歩き』でスプリット編の時もここから始まってましたよ♪
もともとローマ皇帝ディオクレティアヌス(245?~316年)の宮殿であったが、
その後、ローマ帝国が滅亡し、異民族が大挙して入り込んできた7世紀、
近郊のサロナから追われて来た人が宮殿の上部に住居を建て、住み付いたのが今の基礎。
“サロナ”はもと“ディオクレア”と言い、ディオクレティアヌス皇帝の故郷。
皇帝が政界引退後の隠居の場として故郷近くに宮殿を建てた。

宮殿の地下は、中世に食料庫として使われたり、ここ↑はゴミ捨て場であったり・・・
地下はほとんどこの写真のようにゴミで埋まっていたのをまた綺麗にして
今はこうした博物館としての展示や、商店として利用されている。


少々ボケて見づらいですが、この木は当時、梁のように渡されていたのだそう。

宮殿ではスフィンクスをいくつか見ることができるが、
これはディオクレティアヌス皇帝がエジプト遠征から持ち帰ったもの。
征服したエジブトの象徴でもあるスフィンクスは、頭を破壊されています。

これはワインを造る道具だった気がします。→訂正です。オリーブオイル圧搾の道具だったようです。(by一緒に行った友人)

大ホール
そもそもこの地下は地盤沈下によって地下になってしまったもので、そもそもは1階。
1階は倉庫や使用人がいたところですが、2階部分が出来るまでは皇帝も1階に澄んでいたのだそう。
現在は、2階が人々の住居になっているので見学することは難しいですが、
1階も2階もまったく同じ構造。この大ホールも違いは支える柱の数ぐらいらしいです。

ローマ時代のテーブル
台に載っていますが、テーブルはこの上の石部分だけです。
なんとローマ時代は、寝そべって食事をしていたのだとか。
たくさん食べられるように胃を横にするためらしい。
そして・・・いっぱいになったら出してまた食べるらしい。
その掃除をしやすいようにテーブルも斜めになっています。(お食事中の方、ごめんなさい


2階部分の住居を見上げて。
綺麗に修復されていますが、世界遺産なのでなかなか綺麗に出来ないらしい。
この実際に住んでいる人達を含めて、世界遺産なのです


当時の装飾が残る石の破片が無造作に置かれていたりもします。
こんな感じで、宮殿の地下ツアーは終了~
この写真がスプリットの遠景なのか


18:00 スプリット アドリア海沿岸最大の港町

ヨットのセールに見立てた装飾
こちらは昔は道路で車がバンバン走っていたのだとか



この壁がもう世界遺産なんですよー

ちょっと日が傾いてきました。

これが当時の宮殿。
この後、中に入りますよ~

聖フランシスコ教会を出ると骨董市が開かれていました。
ナゼか人はほとんど見当たりませんが・・・こういうところに掘り出し物があるのかな?

こちらは、現代の戦場のピアニスト・マキシムがいたという音楽学校
1991年、ユーゴスラビアの内戦下、この地下室でピアノを引き続けていたのだという。

音楽学校を過ぎるともう海です。
ここで、シベニクを後にします

なんだか、ガイドブックやネット上での記述が少なくて、
教会がこれで合っているのかどうか不安。。ごめんなさい。
“聖フランシスコ教会”だったと思います。

中庭
修道院もあったと聞いた気がします。

何気なく置いてあるこちらのレリーフ。
司教のお墓なのだとか。今でも教会を守っています。

教会内部
こうして写真を撮ってしまうのは、他宗教である人間だからかと思います。。
聖なるものというより、芸術として映ってしまう。
一応、フラッシュ無しならば、撮影は可能です。

教会の天井

こちら、つい何年か前に出来た新しいパイプオルガン

こちらが古いオルガン
ヨーロッパ一古いオルガンだったと聞いた気が。
今でも特別な時には使われるのだそう。

古いオルガンは、この“ふいご”で空気を送られて音が鳴る仕組み。
しばらく街歩きです。
コックさんとお菓子達の看板が可愛いでしょ


これは何でしょう?…“犬の水飲み場”なんですって

最近は雨が降っていないのにお水が入っているということは、
誰かが犬のために水を入れたんでしょうねって。

ちょっとした広場に出ました。

(↑クリックすると大きくなります。)
茶色の看板の→の横にある石を彫ったらしき平たいもの。
こちらは、まだ度量衡が定まっていなかった頃のもの。
左がヴェネチアメジャー、右がシベニクメジャー。
これで売り買いしていたんでしょうね~

この釣り下がった街灯にも意味があった気がするんですが…
あ~記憶がどんどん流出していく…

とあるホテルのカフェのようです。
この建物の間を利用した空間、素敵ですね

雨が少ないのかな?日本にはこんな雰囲気なかなか無い。

建物の角にある彫刻。
日本で言う屋号のような目印らしい。あの熊のとこの~さんみたいな。
私の好きなNHK『世界ふれあい街歩き』のような。
ツアーだけど、こんな歩き方が出来るのがよいね
