ちょっとした幸せ♪

ちょっとした幸せをいっぱい感じたら、それが幸せ!!

飛鳥の史跡

2005年12月30日 23時59分57秒 | 京都・奈良


石舞台古墳。玄室内へも入ることができる。
蘇我馬子の墓と言われるが本当かは誰も分からない。
よくずっと崩れずに在るものです。



飛鳥寺。
蘇我馬子の発願で6世紀末から7世紀初めにかけて建立された。
現本堂に安置される釈迦如来坐像(飛鳥大仏)は創建時の位置のまま。

談山神社

2005年12月29日 23時59分04秒 | 京都・奈良


暖冬かと思いきや、とんでもない寒冬。
紅葉の記事ももうすっかり時期外れですね



談山神社(たんざんじんじゃ)は多武峰(とうのみね)山中にある
藤原鎌足を祭る神社。社名は鎌足が蘇我入鹿を討つために中大兄皇子
と談(かたら)った山を表している。大化改新から1360年。



この日は、家内安全・厄除祈願の大根だきがふるまわれていました。
本殿にも青い大根がまるまる供えられていました。



談山神社のベストショット。
奥に見える十三重塔は長男・定慧と次男・不比等によって父・藤原鎌足の追福のために建立されたもの。現在の塔は室町時代の再建。現存する世界唯一の木造十三重塔。

古都奈良の朝

2005年12月23日 23時59分01秒 | 京都・奈良


宿の朝食です。手前左に見えるのは大和名物の茶粥。
あられを入れていただきます。

茶粥は「おかいさん」と古くから大和(奈良)の人々にとって一番身近な食べ物でした。1200年余り前から絶えることなく続けられてきた修二会の練行衆が極寒の2月半ばから1ヶ月間、一堂に籠り精進の生活を営みますが、その食事の献立には、「ごぼ」(茶粥の重湯)、「あげ茶」(茶粥の重湯をとった残り)といった記録が残っており、非常に古くから茶粥が食べられていたことが分かります。

作り方は「ちゃん袋」という木綿の茶袋にほうじ茶を入れて炊き出 して、そこに洗い米を入れて作る。この他に、冷やごはんを入れて作る「入れ粥」があり、これは夕食用に炊いたごはんを朝利用するときや速く作るときに用いられた料理法らしい。宿の朝食は「入れ粥」かもしれませんね。



宿の部屋から見える、古都奈良の朝。
大仏殿や入ることができなかった正倉院も見えます。

お水取り

2005年12月22日 23時59分37秒 | 京都・奈良


奈良ライトアップツアーはバスを降りて、東大寺・二月堂へ。東大寺・二月堂と言えば、お水取りが有名ですね。しかし、松明が揚がって火の粉を散らして走る、火なのに何故お水?それを初めて知りました。

正式には、“修二会(しゅにえ)”といいます。修二会は、「旧暦の二月に厳修する法会」の意で、十一面観音の前で、人間日常の過ちを懺悔する行です。11人の練行衆(れんぎょうしゅう)が人々に代わり本尊に個人だけでなく国家や社会が犯した全ての罪や過ちをざんげし罪障の消滅とともに仏の加護を願うという、悔過を行い国家の隆昌を祈るものです。

“お水取り”は故事によれば、「修二会」創始の時、毎夜の神名帳奉読に応じて諸国の神々が競って二月堂に参り行法を祝福したが、若狭の遠敷(おにゅう)明神だけは釣りが好きで遅れてしまった。終わりごろやっと来て行法あまりのしばらしさに感激、遅れたお詫びに閼伽水を献納しようと言われると、白と黒の二羽の鵜が磐石を割って地中から飛び出し、そこから甘泉が湧き出して香水が充満した。そこで石で囲って閼伽井とし、毎年12日の夜半過ぎ、この香水を汲んでご本尊の観音さまにお供えすることとなった。この"お水取り”が“修二会”のクライマックスなのです。

二月堂へ上る階段入口には、お松明をかける曲がり釘とお松明に引っ掻かれて黒くなった壁を見ることができます。食堂(じきどう)もその入口にあります。練行衆は1日1食、一汁一菜の食事をお昼にとるだけであとは水一滴も許されません。しかも食事は少し残さなければならず、残したものは懐紙に包んで閼伽井の屋根に投げ鳥たちへの施しとするそうです。

これら、宿の方が案内してくださったのですが、とても分かりやすく感じのよいガイドでした。嫌味なく宿の宣伝もしていました(笑)しかもこのツアー、その時二月堂にいたのは私達だけ、独占です。貴重な体験をさせていただきました。

ぜひまたそこに泊まってお水取り、見に行きたいです。見物によい場所を教えてくださるそうですよ。

遊景の宿 平城
東大寺二月堂修二会