10月1日、日本女子大学同窓会の主催する『源氏物語』の講演を
前日本女子大学学長の後藤祥子さんがされるので、『行かない?』
と卒業生である会長に誘われたので、「源氏物語」大好き人間のうさぎは
MIさんと行くことにした。
200人入れる会場は満席だった。
日本女子大学卒業生の方々が多かったのだろうけれど、『源氏物語』の人気は
世代を超えて衰えていない。
財団法人広島県女性会議が共催だけあって、「ジェンダー(性)」の観点から
読み解かれていた。
あの時代、女流文学が平安文化の代名詞のように言われているけれど、
千年のときを経て『枕草子』や『源氏物語』が今尚読まれ、研究されているのは
彼女達の教養と見識の高さゆえだけれど、その底に多くの男女が書いた物語
や随筆がある。
「大和物語」(作者不明だけれど、女性作者だろうといわれる)
「伊勢物語」(在原業平他100年の間拡大増幅している。一説には在原業平は
源氏のモデルと言われている。)
「うつぼ物語」(源氏の半世紀前に書かれ、源氏に影響を与えている)
源氏54帖の中に、これらのプレ物語からの話の借用と見られる段が多くある。
「源氏物語」はすべてが紫式部の独創物語ではない。
それ故紫式部の思いや時代に対する反発が随所に書き込まれている。
例えば、この物語のクライマックスの「須磨」の段、源氏が須磨に流刑の際世話をした
明石の君が源氏の子を連れて、源氏の屋敷に住むようになる。
子供のいない紫の上はその姫を立派に育てて入内させる。(明石の女御)
「澪標」では女三の宮を朱雀帝の頼みで降嫁させ(12歳)正殿に住まわせる。
紫の上は東の対屋の移る。そして源氏は女三の宮の元へ通いつめる。
しかし、女三の宮は源氏の親友柏木の子を産む。(薫***宇治10帖の主役)
源氏に最も愛され、物語の中では最も幸せな女性だったはずの紫の上さえ
失意の晩年を送り、悲しみの内に亡くなってしまう。
源氏の生涯をサラッと見ただけでも、若い頃は年上の女性、中年になると同年代
の女性、年を取ると若い女性を愛しそれらのほとんど全ての女性が
責任感が強く優しさや優雅さを備え、当代第一人者の源氏に愛され愛しながら
幸せになっていない。
これは単なる物語ではなく、他の物語や随筆にも見られるということは
平安時代の貴族達の生活そのものと思われる。
女性がイキイキと生きたこの時代でさえも男性中心社会であったという事が判る。
「女ばかり、身をもてなすさまも所狭う、あわれなるべきものはなし。」と
紫の上の言葉を借りて女性であるが故に自分の才能を十分発揮できない事を嘆いている。
「源氏物語」は色々な観点から読む事が出来る。様々な解釈が出来る。
千年の間飽きずに読まれてきたのは、この物語の構成の奥深さと巧みな人物描写
と同時に紫式部の見識と教養の高さが読む人たちを魅了するからであろう。