田村うさぎのわくわくダイヤリー

大好きな温泉、近頃想う事、ショックだった事など等
誰か聞いてくれ・・・・・

一歳の記念に~~

2010-12-20 10:04:04 | Weblog
一歳の記念に知優が「スタジオ・アリス」で写真を撮った。

夫はゴルフで暇なのでついて行った。

お姉ちゃんの真優が娘の結婚式の時着たドレスが丁度良いので着せた。

フランス人形のようで可愛い 

じっとしていないので、スタッフのお姉さんは大変!

おもちゃを色々出してきて、カメラに顔を向けるようにしようとするがなかなか

まっすぐには向かない。

のどが渇いたり、お腹がすいたり、眠くなったり、ママに抱かれたかったり、

一番大変な年齢だ。  

ドレスのポーズが2カット、着物のポーズが1カット、3時間かかった。

付き添いの方が疲れてしまった。



大勢の人たちの中で一番最後になった。

しかし、1月6日から「BABIESRUS」(ベビザラス)ソレイユ店にて写真が

展示されるそうだ。 行ってみよう!!




今、少子化でキッズマーケットは大盛況。

何万円という写真を可愛いわが子のために両親は撮る。

大人になった時、可愛いお姫様姿は女の子にとっては宝物かもしれない。

お姉ちゃんの真優は知優が誕生の時、「お姉ちゃんと一緒にどう?」

と言われ大喜びでお姫様になって、写真を撮った。

今回はパパに「スタッフのお姉さんの口車に乗らないこと!」と言われ、

他のお姉ちゃんがとっかえひっかえドレスを着ているのを羨ましそうに

見ていた。

「次はまあちゃんの番ね!」と言う。

又、いつか誕生日記念にばあばがプレゼントしよう!













名画の鑑賞 PART (2)

2010-12-13 09:52:38 | Weblog
サンドロ・ボッティチェリーの「ヴィーナス誕生


ローマ神話の農耕神でギリシャ神話のクロノスと同一視されるサトゥルヌスは、

父ウラノスを殺しその男根を切り取り海へ放り投げます。そして海水に漂い、泡となり

何時しかそこから絶世の美女が生まれます。

それがヴィーナスです。

タイトルは「誕生」ですが、正確には海で生まれた女神がキプロス島の浅瀬に

打ち上げられた瞬間を描いたものがこの名画「ヴィーナス誕生」です。

憎悪と血と殺人から、美と愛欲の化身は生まれた。ヴィーナスは完璧な肉体美

を持っているといわれていますが、微妙に体は歪み、腕はぐにゃりと長く、極端な

なで肩で、胸はくぼんでいる。これはモデルが肺結核だったからという説もある。

いずれにしてもかすかに漂う病的な匂いによって、憂いを含んだ寂しげな表情

が、清楚ななかのエロティシズムが、この絵のたぐいまれな「美」を作り出したと

言えるでしょう。

さて、「神話」ではその後も語られます。

ヴィーナスはたくさんの子供を産みます。どれも夫の子ではありません。

けれど情事が終われば夫の元に戻り、夫は何時も妻を許したのです。

簡単に言えば以上ですが、もっと詳しく知りたい方は「神話」をお読み下さい。

 



「怖い絵」で人間を読む。

2010-12-10 10:30:15 | Weblog
「NHK知る楽 探究この世界」で放送されたドイツ文学専攻の「中野京子」氏

の著書を読んだ。

世界史で通り一遍に学んだ奥に、実に血なまぐさい歴史が繰り広げられたと言う事を

誰も考えない。

西欧の絵画を鑑賞する時、感性の好き嫌いをどこで判断するのか?

美術館めぐりは多くの人にとって退屈なものか、又は

他人の判断に迎合するものになってしまいます。

一つの鑑賞方法として絵画を「見て感じる」より「読む」と言う事に観点を変えたら

面白いものになる。

このエリザベート・ルブランの描いた「マリー・アントアネットと子供達」

はフランス革命のわずか2年前、描かれたものです。

右端の長男ルイ・ジョゼフはこの絵では元気そうですが実は脊髄カリエスのため、

この後まもなく亡くなります。(でもある意味ではこの子が一番幸せだったかも

しれません)

次男ルイ・シャルルは兄の死後王位継承者なったため、両親と引き離されたった一人、

日も当たらぬ狭い独房で動物以下の扱いを受け放置死させられます。

母に寄り添う長女マリー・テレーズは、13歳から17歳まで幽閉され、

筆舌に尽くしがたい地獄を味わったのでしょう。

人質交換でオーストリアにかえされたときは、失語症のような状態になっていました。

王妃マリー・アントアネットは皆さんご存知のように断頭台の露となりましたが、

毅然と運命を受け入れ、彼女の気概を感じる人も多かったことでしょう。

初めて~一升餅!!

2010-12-07 09:14:09 | Weblog


次男の所の知優の1歳のお誕生日をしました。

お嫁さんのご両親、姉妹、我が家の夫婦と総勢10人。

我が家ではお重のバラ寿司を作っていきました。

一升餅は昨年の遼ちゃんの時は夫が作りましたが、今年は餅米が手に入らなくて

注文しました。紅白の二段餅です。

お刺身、から揚げ、カキフライ、サラダなどたくさんのご馳走が並びました。


お姉ちゃんの真優と  のろうそくの明かりを消しました。

知優はもう歩くので、一升餅を背負わせるとしっかり立ちました。







一升餅は色々な意味がありますが、「一生丸く生きられますように~」とか

「一生食べ物に困りませんように~」とかの願いを込めて背負わせます。

ところによっては、転んだ方がよいとも言われますが一升のお餅を背負って

歩く子はあまりいません。後ろへ倒れます。そして怒って泣き出すのが

普通です。背負って歩く子ははじめてです。

これからの人生を健やかにと思いながら~拍手












青丹よし、奈良の都の紅葉葉は~!!!

2010-12-02 11:41:01 | Weblog


唐招提寺の紅葉です。




広~い平城京跡に遊ぶ娘と遼ちゃんです。




東京の叔母、叔父の3回忌の帰りに奈良の妹の所へ行ってきました。

「学園前に家を買ったので来て見て~」ということなので行ってみました。

猫との2人住まいには広いけれど、可愛い素敵な家でした。


まず、西ノ京の唐招提寺と薬師寺に行きました。

唐招提寺は聖武天皇の招聘で唐の高僧「鑑真和上」が建立したと言われています。

東大寺の大仏開眼と日本の僧侶に戒壇を与えるために5回の遭難を経て

6回目にやっとたどり着いたが、大仏開眼には間に合わず、

聖武天皇、光明皇后、孝謙天皇に戒壇したが、東大寺の良弁などに疎まれ、

新田部親王旧宅跡のあった西の京に追いやられた。

和上の辛苦を想像しながら紅葉の境内を歩きました。


徒歩で50mの薬師寺に移動。

話題の薬師寺新西塔と天武天皇が創建した時代の東塔。高さが違いますが

時代を経るともに沈んで同じ高さになるそうです。

前管主の高田好胤さんのお陰で沢山の伽藍が新しく建っていました。

東院堂は当時のままですが、中の国宝聖観世音菩薩立像のたおやかな立ち姿に

しばし見惚れました。 




妹が修学旅行でこの観音様を見て感激し、同志社大学の史学科に入り仏像の

世界に未だにどっぷり浸かっていることの気持ちが少し理解できたように思います。

大げさに言えばこの仏様は妹の人生を決定したともいえるのです。


平城宮跡は本当に広大でした。それまで平城宮跡がどこにあるか

確定できていなかったが、一人の植木職人が「だいこくしば」と

言う地名にヒントを得て、その地を買い取り発掘したら木簡が出土した。

それがきっかけで文化庁が跡地全てを買い上げたとのことです。

それにしても広大な畑や田んぼ、民家などの買い上げは大変だったことだろうと

思う。よくぞこれまで~

奈良の地図を見ていると、光明子を中心に藤原氏の権勢と夢がそこかしこに

読み取れるようで面白い。

中世の僧兵、人々の長きに渡る権力争い、明治の廃仏毀釈、それらの闘争に巻き込まれて

いった人々の悲哀や憤怒を想像すると歴史が面白くなる。


又、ゆっくり訪れたい。