安い税金と小さな政府を切望するふきあえずのブログ

安全で暮らしやすい日本をつくりたい
そんな想いを綴っていくブログにしたいと思います

てんかんと霊媒体質

2023-01-27 02:46:20 | 政治
霊的人生観の一つの参考としてこの日記を読んでくだされば幸いです

最近私は、一人の霊媒体質の女性と深く関わっています
残念なことですが、この霊媒体質になった方は、精神科で治療を受けている方が非常に多く、この世的に極めて生活が難しくなる方が多いようです
私はいま、そうした方々と頻繁に接するようになって、その実例をたくさん見ていますので、「本当に難しいものだ」と痛切に感じます

件(くだん)の女性と私が接していると、頻繁に霊現象を引き起こすので
彼女の場合はただの精神疾患ではなくて、本当に磁力性のある霊媒体質だという事が私には分かりました
こういう人の近くにいると、こちらにも頻繁に霊現象が起きてくるので分かるのです
例えば、その方と話していると突然英語や中国語を話し始めることがあって、不思議なことに、私にその言葉は分からなくても、自然に意味が理解できたりします
突然パシッ、とか、ビシッとか音がしたと思えば、刀の切っ先のようなものが空を切るのが見えたりすることもあります
彼女に関係している絵に、突然ビシッという音とともに穴が開いたりしたこともありました
「ああ~、これは厄介なのが憑依(ひょうい)しているな。。。」と、正直思うのですが
仕事の関係上、携帯電話を知られていますし、関係を完全に断つことが難しく、正直手を焼いていることも事実です

プライバシーには気を付けながら書きますが、この方、実は最近になって、てんかんの発作を起こしたんですね
で、その前後から、「殴れ」とか「階段から突き落とせ」とか、そういう言葉が頻繁に聞こえるようになっていました
これ、霊的に見れば、完全に悪魔が入った状態です。。。ほぼ完全憑依状態ですね
そして、ご家族の一人が階段から転げ落ちて骨折するなどの事故が起こりました
それでその事件の後、ある方が私の電話を教えてしまって、なぜかこちらに頻繁に電話攻撃が来るようになってしまいました

どういう方法を使ったのかはご想像にお任せしますが、最近になって、一応、その方の「悪霊現象」のピークは越えることができました
こういうのは、実は霊的人生観を持っていて、かつ「心の法則」についての知識が十分に無いと
何が原因でこうなっているのか?それを理解するのは凄く難しいことです
以前にも書きましたが、私が見てきた中で一番多い実例は「ウツ」の人の症例です
これはほぼ間違いなく「自殺者」の霊か、それに近いものが憑依しています
今回の例のように、「殴れ」とか、「階段から突き落とせ」とか「殺せ」とか、「死ね」とか、耳元でささやく相手は
恐らくは小悪魔と呼ばれる者たちによる憑依であろうと思います。。。
特にてんかんの発作が起きたような時は重度の憑依であることは間違いなく、人格がまったく変わってしまうこともあるようです

今はその方、少し落ち着いてきているので、私はアドバイスとして、その方に「愛の反省行」というのをお勧めし、やってもらっています
実は「愛の反省行」は、心の治療には非常に有効な方法なのです
やり方としては簡単です
まず椅子に深く姿勢よく座って、深く深呼吸しながら目をつぶり呼吸を整えます
そして自分が生まれてから現在まで、自分の母親が自分にしてくれたこと、かけてくれた愛情
それを一つ一つ思い出して、その姿を思い浮かべ、それをノートに記載していく。。。。ただそれだけなんです
「自分におっぱいを飲ませてくれたこと」「おしめを変えてくれたこと」「子守唄をうたってくれたこと」
思い出せなくても、だいたい母親の愛をどのような形で受けていたかはわかるでしょう。。。それを一つ一つ、映像として思い出していくのです
母親が終われば次は父親です
「毎日汗だくで働いてくれたこと」「生まれたことを喜んでくれたこと」「抱っこしてくれて愛してくれたこと」
すべて、両親からもらったものばかりです

心の法則を知らない人は、「なんでそんなことをするのか?」意味が分からないと思います
しかし、当時のこの女性の場合は、愛とは反対の「憎悪」で心が埋め尽くされていました
その「憎悪」こそが、悪魔の憑依を呼び込んでいるわけです。。。つまり、「類は友を呼ぶ」なのです
愛の反省行は、憎悪で満たされた心を転換し、心の中を「感謝」の思いで満たすための方法なのです
悪魔というのは、基本的に他人に対する感謝の思いが一切ありません。。。感謝が嫌いなんですね
そうです。。。霊媒体質の人は、その心の持ち方に近い霊存在とつながってしまうので
心の中を「憎悪」や「嫉妬」や「怒り」の思いで満たしてはいけないのです
悪霊や悪魔の憑依から遠ざかりたければ、一番の特効薬は、「心の中を誰かへの感謝の思いで満たすこと」なのです

単純なことなのですが、「心が脳みそにある」と思っている心療内科の医師には、この心のメカニズムを理解することは無理なのです
せいぜい心理学を応用したカウンセリングでそれに近いことをすることもあるのかもしれませんが
根本的に、宗教的な真理を知らなければ、憑依のメカニズムも、心の法則も、理解できないのではないでしょうか?
まあ今日の日記は以上といたします
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唯物論者黒川敦彦氏のベーシックインカム論は国を亡ぼす毒になる

2023-01-26 00:37:50 | 政治
唯物論者というのは、政治思想的に見ると、基本的に正と邪が入れ替わるようです
このNHK党幹事長の唯物論者と思われる黒川敦彦氏もまた、その例にもれないようです


ひょんなことからこの黒川氏について興味を持ち、この人の政治志向について調べていくうち、三橋貴明さんの動画に行きつきました
この動画を見ていると、司会の三橋さんもまた、「MMTを認めたうえで、各自が自由にやればいいんじゃないですか?」と言っています
私は、そんな彼の哲学性の欠如について、影響力が大きいがゆえにこそ危ういものを感じます
前々から言ってきたことですが、三橋さんの残念なところは、ご自身の学問に、「人間学」が根本的に不足しているところです
この三橋さんと黒川さんの対談を見ていると、お二人とも宗教的素養が欠けている方々なので、議論が本当に薄っぺらく感じるんですよね
お二人とも、マックスウェーバーの思想を勉強したことは、おそらくないんでしょう

ベーシックインカムという考え方の根底には、人間を単なる歯車のようにとらえている節があるんですよね
人間は歯車のようなものだから、政府がお金を配ればそのお金を使って買い物をする。そうすると需要が増えるから、景気が良くなる
まあ、そんな風に考えているんでしょうが、政府がお金を配るというのは、基本的に資本主義の精神に反するんですよね
政府がお金を配るというのは、基本的に「社会主義の精神」なんですよ
資本主義の精神は、基本的に「自分の所得は自分で稼ぐ」であり、「働かざる者食うべからず」なんです
そして、「社会の一員として、モラルをもって自らの義務を果たす」ということが、資本主義の基盤となる倫理観なのです

ベーシックインカムというのは、基本的に国が給料を保障するという事であり、個人の労働の義務を放棄させる考え方なのです
もっと言えば、「社会主義の精神」というのはこういう事です
「個人の所得に対して責任を持つのは国家」、「子供を教育する義務を負うのは国家」、「高齢者の生活を保障する義務を負うのは国家」
個人は自分たちのために使うお金も含めて誰にも何の責任を持たない。。。ということです。。。これが社会主義の精神です
MMTが無限の通貨発行をもし認めるのならそういうことになります
でも、どれだけ通貨を発行したとしても、国民が価値を創造しない限り、通貨は希薄化する、つまり価値が下がる一方なんですね

ここで一方の資本主義の精神の代表といえる、ザ・ファクトの意見を聞いてみましょう


アーノルド・トインビーという社会学者の分析によると
「文明が興隆するときは、かならず同時に宗教が繁栄する」という法則性があると言います
これは資本主義は宗教的倫理観の裏付けがあるところに生まれる、と主張するマックスウェーバーの分析と同じものです
文明や文化の栄枯盛衰は、宗教的倫理観の興隆とともに起き、宗教的倫理観の衰退とともに廃れるのです
つまり、国民がモラルを失い、勤勉に働き他の人の役に立つこと善とする倫理観を失うと、国は廃れ滅びていくのです
上の動画の中で鈴木教授が言っているように、社会福祉はモラルを高くするのではなく、むしろ個人のモラルを失わせるものです

宗教を小馬鹿にするなかれ
宗教的真理を無視するならば、人間は勤勉に、誠実に生き、他の人に親切にする根拠を失います
道徳や倫理観の根底にあるのは宗教的な真理だからです
天国・地獄というのは厳然としてあり、人間はあの世(四次元以降)とこの世(三次元)を転生輪廻している存在である
正しい、神の心に適った生き方をすれば天国に帰り、神の心に反する生き方をすれば地獄での反省が待っている
これが単純ですが、宗教的真理です
この単純な真理を知らないで、単に社会福祉的な政策が正しいと思うなら、それは皮相な見方です
何が正しくて何が間違っているのか?それを分けるのが、これからの学問の重要なポイントになっていくことでしょう
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小説「地獄和尚」を楽しく読む方法

2023-01-25 01:56:15 | 政治
地獄和尚」という小説が静かな話題になってます

1月25日発売で書店にならぶのは、地方では27日ごろだそうですが、私は先行販売で手に入れて、ほぼ終盤まで読んだところでこれを書いています
いやー、本当に面白いですね、ネタバレはいけないので、なかなか要点は書けないのですが
この本、小説ではあるんですが、現在ただ今の時事問題が現在進行形で出てきてたりしていて
作者の見解が、事実をややベールに包んだような形で、「フィクション小説のような形で」書かれていたりします
というのも、この小説を脱稿したのが今年のお正月であり、週刊誌並みに発刊が速いので
事実を書くと、非常にきわどいと思われる内容まで、フィクション小説として書く、という新しい試みなんですね
だから、できるだけ早く読まないといけないんです

要するに、近い将来起こりうるべき「予言」的なものも、小説として書いているので、本当なら書きにくいことまで書けるわけです
この手法は凄いと思いました。。。なぜこの本が小説なのか、意味がよく分かりましたよ
この本は、作者の見ている未来や、将来の我々の姿を、小説風に教えてくれるものなんです
普通の書籍なら、タブーになるところを小説で書くから書ける。。。これがすごい

また、昨年の7月に悲劇に見舞われ。国葬で見送られた我が国の元総理が、今現在どうなっているのかなども知ることができます
そしてそれ以外にも、裁判官であるとか、ジャーナリストであるとか、有名大学教授であるとか、今現在華々しく活躍している職業の方で
思想的に間違った方たちが、死後どういう世界に行っているのか?そういったことも知ることができます

ところどころコミカルな描写もあり、笑わせてくれる部分もあり、全く退屈しませんでした
この本は、発刊の速さに意味があるので、できるだけ早めに読まれることをお勧めします
今日は新刊小説のご紹介をさせていただきました
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マックスウェーバーの説く「倫理」の根底にあるものこそ仏教(天国・地獄)思想

2023-01-24 02:29:16 | 政治
日本精神の祖とは、誰にあたるのでしょうか?
もちろん色々な意見があるでしょうが、大和(やまと)精神、と言い変えれば、それは聖徳太子にさかのぼるのではないでしょうか?
日本的な「和」の精神の元を作ったと言われるのが聖徳太子ですが、聖徳太子の大きな功績の一つが
「仏教を国教に据え、神仏習合の文化的・宗教的基礎を作った」という事でしょう

勘のいい方なら、このへんで、今日の日記で私が言いたいことの骨子が分かったのではないでしょうか?
そうです、前々回、小室直樹先生とマックスウェーバーの話をしましたけれども
日本の資本主義精神の根底に流れる「倫理的規範」こそ、「仏教精神」なのです
マックスウェーバー的に言えば、「日本の仏教徒の倫理と資本主義の精神」となります(笑)

アメリカの繁栄の元にあったのは「プロテスタント(キリスト教新教)の倫理観」でした
この倫理規範が根底にあって、資本主義は社会を大きく発展させる方向に育って行きました
違う意見をお持ちの方もいらっしゃるでしょうが、マックスウェーバーの分析によると
カトリック(旧教)の倫理観では、資本にあたるお金や富を罪悪視し、「穢(けが)れ」と見ます
イエスの「金持ちが天国に入るのはラクダが針の穴を通るより難しい」という言葉に強い影響を受け
カトリック教徒はお金を穢れと見ていて、敬虔な信仰を持つ人ほど、「お金を身から離すことで天国に入れる」、と考えました
そうした、お金を罪悪視する見方からキリスト教徒を開放し
「勤勉に働いたお金を貯蓄し、それを資本として事業を起こし、資本家として多くの人に役に立つことは神の心に適う」
と説いた「カルバン派」のプロテスタントが、新しい新興国であるアメリカの倫理的規範となりました
そこから本来の資本主義国家が繁栄したわけです
つまり、キリスト教国の場合は「罪の意識からの解放」によって、繁栄が生まれた、と言っていいでしょう

一方の日本はどうでしょうか?
聖徳太子が仏教の輸入によってもたらしたのは、「善悪の規範を明らかにすること」だったのではないかと私は思います
実は、日本古来からある日本神道には、「驚くほど教えが少ない」ということをご存じでしょうか?
日本神道には、善悪を分ける規範となる「教え」が、あまりにも少なかったのです
おそらく、聖徳太子が仏教を輸入して国教に定めた考え方の根底には、日本人の善悪の倫理規範を定めたかった
という思いがあると思います
と言いますのも
日本神道は古来より、「怨霊や悪霊を、神様として祀(まつ)り上げることで、その怒りを鎮める」みたいなことをやっていますので
要するに、善と悪を分けないで、とにかく「怨霊は、おだてあげて怒りを鎮めてくればいい」みたいな精神分化があります
菅原道真、崇徳上皇(すとくじょうこう)、平将門、などは日本の代表的な怨霊ですが
この祟りを鎮めるために「あんたは神様だ」とおだて上げ、社(やしろ)を作って祀り上げているわけです
要は、善も悪もない、死んだら神様・仏様だ、ということで、うやむやにしてしまうわけです
いやむしろ、菅原道真のように、死んだら多くの人に祟るような人こそ「偉い人だ、学問の神様だ」なんて言っているわけです(笑)
まあ、日本的には色々な見方もありますが、要は「ゴネ得」の文化なわけです。。。クレームを付けた人、声の大きい人が偉くなって
本来、それが正しいか間違っているかを分けることをしないわけです。。まあ言い換えれば、倫理規範が弱いとも言えます

しかし、それでは日本人の倫理規範はどうやって作られたのか?ですが
その日本人の弱い倫理規範を埋めたものこそ、「仏教の説く天国・地獄の思想」だったと私は思います
恵心僧都源信(えしんそうずげんしん)という僧侶が、「往生要集(おうじょうようしゅう)」というものを著し
仏教の六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天)の思想、世界観を、もっと具体的な世界観としてあらわしました
天国と地獄の姿を、具体的な絵巻としてあらわし
「良いことをすれば極楽浄土に行き、悪いことをすれば地獄や餓鬼地獄、畜生道といった世界に行くことになる」
と示しました
これが実は、仏教の説く倫理規範であるわけです
日本人の精神的な倫理規範は、基本的に仏教の教えに基づいた精神文化だと、私は思います

しかし、昨今、中村元(はじめ)という有名な仏教学者が出てきて、「仏教は唯物論であり哲学なんだ」と言い始めてから
日本人の倫理規範が崩れ始めたと言えると、私は思っています
「極楽(天国)とか地獄とか畜生道とか、こんなのは昔の人が民衆を導くための方便だ」というわけです
うん、まあ、中村氏の言っていることが正しくて、仏教が唯物論であり単なる学問哲学なら、確かにそうでしょうね
でも、哲学の祖であるプラトンとかソクラテスとかを読めば、哲学も元々は、「あの世」を説いています
天国とか地獄とか、生まれ変わりとか、仏教とまったく同じことを説いているんですけど、中村氏が知らなかったわけじゃないでしょう

この天国と地獄という問題ね。。。そろそろ決着をつけるべき時が来ていると思いますよね
人間の死後の世界はあるのかないのか?天国と地獄はあるのかないのか?
これを虚心坦懐に見直すべき時が来ているのではないか?と、私は思います
それがね、学問のはじまりにあたる部分なんですよ
前回の日記で取り上げた、大川隆法先生がね、「マックスウェーバーこそ学問の始まりなんだ」ということをおっしゃているんですよ
どういう意味なのか、私なりに考えたんですけどね
要は、宗教的倫理規範のないところには、学問は成り立たない、という事だと思うんですよ
宗教的倫理こそ経済の生みの親であり、それを生み出すもとにあるのは、宗教的真理、つまり天国地獄の思想や生まれ変わりの思想であるわけです

だからこそいま私は、今までの政治や経済の話の中に、宗教的な話をちりばめています
本来、ここを押さえないと、経済学なんてものは、単なる方法論であって、世の中を間違った方向に向けて行くことだってあるわけです
そういうことを今日の結論といたします
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地獄は本当にあるのか?。。学生時代の思い出の書籍についての一考察

2023-01-22 02:32:58 | 政治
ときどき地獄というテーマについて日記を書こうかと最近考えています
宗教的なことに抵抗がある方のために、特定の宗教が説く地獄論についてはとりあえず置いておくとして
地獄という言葉を聞いて私が思い出すのは、昔、学生時代に読んだエマニュエル・スウェーデンボルグの霊界日記でしょう
スウェーデンボルグの霊界日記は、とにかく私にとってインパクトがありすぎました
彼の描写する死後の世界は、一つ一つのエピソードが細かく語られているため
霊界というものがいかなる世界なのか?その姿の一端なりを理解することに、とても役に立ちました

いろんな方が霊とかあの世の話をしていますが、そういう方々を私が今一つ信じられないのは
彼らの多くが語ることは、どちらかと言うと、「この世」に軸足を置いて「あの世」を考えているようなところがあるからです
でも、スウェーデンボルグの霊界日記を読み解くと、実は「この世」は”かりそめ”の世界であって、「あの世」こそが本来の世界である
という風に見えるのです
そして私は、やはり人間の本来の世界は「あの世」なのではないか?と本心で思ったのですよ、学生当時ね
では、「この世」って、何のためにあるんだろう?って、素直に疑問に思いませんか?
残念ながら、スウェーデンボルグの霊界日記を読んでも、その答えは、当時の私には分かりませんでした
それからの私は、様々な書物を読み漁り、納得する答えを追い求め続けました。。。これは本当に色々読みましたよ
特定の宗教については置いておくと言ったものの、まあここはご容赦願いたいのですが
私に、本心から納得すべき解答を教えてくださったのは、大川隆法先生ただ一人だけでした
当時はね、「これが悟りたる者の智慧か?」と、驚愕しましたよ。。。誰も教えてくれないことをサラリと説いているわけですから
あの伝説のアウトローであり現在宗教家の与国秀行氏が、大川先生を心から尊敬し、弟子の礼をとっていること、私にはよく理解できるんですよ
私もまさに、大川先生を生涯の師として仰ぐ者の一人ですからね

なぜそうなるかを全部語れば長くなりますんで、一言だけ言いますとね
大川先生は3000書以上の書物を出して、3000回以上の説法をして、常に時代に合わせて新しい教えを説くんですけれども
これまで一度も、教えの軸がぶれたことがないんです。。。
ただの一度もありません、私が知る限り一度もぶれない。。。様々な教えを説いてはいるが、内容が、教えの軸が常に一貫しているんです
これは驚愕すべきことだと私は思うんですよ。。。これだけで私は「とても自分に真似はできない」と感じます
まあこれは余談ですが、あの2ちゃんねるの創設者であるひろゆき氏なんかを動画で見てますとね
言っていることが、自説に合わせて都合よくコロコロ変わりますでしょ?あれが普通なんですよね
自説を通すために、世間の常識や法則をも都合よく捻じ曲げることもあるわけです
ですから、人前で何度も話をすると、つじつまの合わないことが出てくるのが普通だと思うんですよ
でも、大川先生について言えば、それが一度もないんですよね。。。まあこの話はこれで終わりますが、そこがとても凄いところなんです

それで、今日のお題である「地獄は本当にあるのか?」なんですが
あるでしょうね。。。「あるわけない」なんて言っている人こそ、多分地獄に行く可能性がかなり高い人なのだろうと思います
「地獄なんてない」と言っている人の中にも、違いはあるのだと思うのですけれども
一番多いのが、「あの世を完全否定している人」、なのだろうと思います
「見たこともないし経験したこともないから信じない」、というのは、気持ち的には分かります
「宗教に騙されそうだから信じない」、これも分かる気がします
確かに、「地獄に落ちるぞ」と脅されて、財産を巻き上げられたりするのは誰でも嫌ですよね?
でも、それでも私としては、「地獄はある」と、断言しておきたいと思っています
結局、あの世を信じない人は、あの世が「心だけの世界」だということを、よく理解していないんだろうと思うんですよね

肉体をもって生きている人間であっても、心の心象風景というか、その日の気持ちによって風景が変わって見えるように
死んで肉体がなくなれば、自分が信じている世界観がそのまま真実として心の目に映る、というのが、死後の景色そのものになるだろう
と言うのが、私の死後の世界観です
要するに、心の心象風景が具体化して見える世界。。。が、死後の世界なわけです
そして、そういう夢のような世界こそが本当の世界なのだと、私は思うわけです
本当は、そういう世界の仕組みこそ、生きているうちに学ぶべきなのではないでしょうかね?
そしてね、自分が信じている世界観。。。例えば、「自分の周りは自分をだまそうとしている敵ばかり」と感じるならば
そういう「他人を騙そう」と思っている人が周囲にいるような世界が展開してくる
つまり、それが地獄の正体なわけです、まあこれは簡単な説明ですが
人間は、高齢になって自分というキャラクターが固まってくると、自分の性格をそうそう変えることはできません
「世の中はつらく苦しい世界だ」と思っている人が、急に「世の中は光に満ちて素晴らしい世界だ」なんて、変わるわけもありません
そういう人が死後に感じる世界観は、やはりつらく苦しい世界であり、それが現実化してくるのが地獄と言う世界、でしょうね

今日は地獄という世界について、初心者にもわかる簡単な考察をしてみたわけですけれども
なんで今さら地獄について人は知るべきなのか?そのことについても触れておきたいと思います
前述の、大川隆法先生の新刊書籍「地獄の法」には、とても大事なことが書かれています
「あの世なんてない」「死後の世界なんてない」と思っている人の死後は、「本当に行き先がないことになる」、と書かれています
つまり、あの世を信じない人も、幽霊とか地縛霊とかは、もしかするといるかもしれないと思っているかもしれませんが
その人自身が、実はその幽霊や地縛霊になってしまうかもしれない、ということなんです
なぜなら、「あの世なんてない」と強く信じ込んでいるから、死後、この世の世界にとどまる以外に行き先がなくなってしまうわけです
あの世を信じていないから、この世以外の世界が見えなくなって、目隠しされた状態になる、ということです
これは恐ろしいことです
そして恐ろしいことに死後は、波長の合わない者はすぐ近くにいても認識できない、そばにいること自体が分からない
そうなるようです
つまり、その人を助けたくても、その人が「まだ生きている」と思っていると、死後の世界の人を認識できないわけです
でも、生きている人に話しかけても、だれも返事もしてくれない。。。こんな状態で、どうやって救われたらいいのか?
死後、誰にも話しかけられない状態でこの世にとどまる。。。これも本人にとっては地獄ではないでしょうか?
だからこそ、死後の世界の真相を誰かが説く必要があるのだと思います

まあ今日はこうした事を考察してみました
次回はまた、経済の話でもしようかな
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