前回の続きです。。。まずは言葉の意味からご説明します
※国民国家とは。。。
小さな部族、氏族などが統一の合意のもとに集合して集合体(ネイション)を作り、また複数のネイションが”合意のもとで”集合して作った一つの国家のことを言う、古くは旧約の預言によりつくられたイスラエルなどがあるが、国家の成立はネイションの長などによる合意によって行われるもので、必ずしも一つの言語や一つの民族というわけではない、部族や氏族、ネイションの自決権(自己決定権)や宗教や習俗の自由はできる限り尊重される、形として共和制、立憲君主制など、様々な国家形態がある
ただし、国民国家はイスラエル建国の際の神の啓示により、以下のいくつかの特徴を有するとされていて、キリスト教圏の国民国家もその影響を受けている
1 元首(国王など)は国民の中から「国民の声に耳を傾ける人物」が選ばれる(民主主義の原理がうたわれている)
2 国民国家の元首には法律を作る権限がない(立法権と行政権の分離がここでうたわれている)
3 国家は主権を有し、他国の侵略から国家と国民を守る義務がある、また同じく他国の主権を尊重し、他国への侵略はできない(主権の尊重)
※帝国主義国家とは。。。
一つの思想、一つの理念のもとに、一つの国が武力で、もしくはそれに準ずる方法で他国を併合し、複数の国家が集合した国家のこと、併合された国家は消滅するが、「一つの国家となることで平和が訪れる」という結果によって正当化される国家形態のこと、合意による国家形成ではないため、個人やネイションの自由は帝国の理念のもとに制限される
例としてローマ帝国など、ローマ帝国が作った力による平和のことを「パックス・ロマーナ(ローマの平和)」という
このようにして言葉を定義すると、ナチスドイツは明らかに後者、つまり帝国主義国家を目指していたことが分かります
アーリア人による統一国家というのは、あきらかに統一された理念の下で複数の国家を占領、併合していくということで
ナチスの第三帝国という理想は、名前の通り帝国主義国家ですね
では、このナチスの帝国主義はナショナリズムなのか?それともグローバリズムなのか?ですが
一般的には、ナチスは国家至上主義という事で、ナショナリズムが行き過ぎた、と言われているわけですが
逆にグローバリズムの特徴から見ていくと、その本質がよく分かります
グローバリズムの特徴は、一つの理念、一つの思想によって世界を一つにする。。。という考え方です
そのため、一つの国における民族独特の風習や習俗、習慣、信仰などは、グローバリズムの統一理念によって制限されます
グローバリズムの特徴は、民族独特の考え方や法律、信仰を、一方的な権力によって変えさせて従わせる、というものです
これはまさに、武力による占領と言うわけではないけれども、帝国主義国家の特徴とまったく一致するわけです
つまり、ナチスは全体主義であり帝国主義であり、そして強硬な「グローバリズム」なのです
要は、急進的グローバリズムなんですよ。。。そこにアーリア人種優性という民族的な優生学の考え方が入っているだけです
グローバリズムには「自由を制限する」という考え方が入っています
なぜなら、正しい考え方は一つだから、という考え方があるからです。。。それに逆らうものは間違っているということです
これはですね、ヨーロッパに関して言えば、元はカント思想の影響です
イマヌエル・カントはドイツの哲学者ですけれども、この人が18世紀に打ち出したのが「世界統一政府による平和」です
この人が世界平和のために世界を一つにまとめる、という考え方を打ち出し
先進の各国は「理性」をもって統一政府の理念に賛同し、統一国家を作っていくべきだと主張しました
カントが言いたいことは、要は、わがままを言って統一国家に賛同しない国は、「未成熟な国」なのだ、という事なのです
このカントの考え方は長い間、なかなか認められなかったわけですが
その考え方がクローズアップされたのが、実はナチスのアウシュビッツとホロコーストがあったからだと言われています
ナチスドイツが「”ナショナリズム”による民族至上主義」によって、ユダヤ人を大虐殺してしまった。。。
いったい何が悪かったのか?。。。ナショナリズムが悪かったのか?。。。国民国家では全体主義やホロコーストを防げないのか?
各国首脳はこのように考えたと思われます。。特に戦後のドイツはそうですね、ドイツには深い心の傷と後悔の念があったと思います
そして行き着いた先が、カントの思想による「世界統一政府による平和」だったと言われています
そして、ヨーロッパ統一政府であるEU構想ができ、戦後、ドイツ首相のアデナウアーがEU構想を強く後押ししたわけです
ドイツが比較的に理性的な国であり、「EUのルールに従うべきだ」という傾向が強いのは、おそらくはカントの思想の影響と
自分たちがまた暴走しないように「自分を鎖で縛っておきたい」という潜在意識下の思いがあるのだと私は思います
それだけドイツ国民に自責と後悔の念が強いのだと思います
一方、迫害を受けた側のユダヤ人、イスラエルはどうなのでしょうか?
ユダヤ人でありイスラエル人であるヨラム・ハゾニー氏の「ナショナリズムの美徳」という書籍によると
第二次大戦後、ヨーロッパを中心に、「ユダヤ人の国を再建する」というシオニズム運動が盛んとなり
イギリス政府の肝いりによって、かつての「カナンの地」にイスラエルが建国され、ユダヤ人の国家がつくられました
カナンの地とは、旧約の時代、モーゼが神の預言に従いユダヤの各部族を率いて出エジプトし、神との契約によって与えられたユダヤ人の国で
「約束の地」とも、「乳と蜜の流れる地」とも言われる場所です
キリスト没後数十年。。。約1900年も前に国を追われたユダヤ民族が、約束の地に国を再建して帰ることになったのです
歴史に詳しくない多くの日本人は、アラブ人が数多く住むその地に、なぜユダヤ人の国イスラエルがあるのか不思議だと思います
なぜわざわざ紛争の元になるような国を建てたのか?
そのために4度もの中東戦争が起き、現在もアラブ人とユダヤ人の小競り合いが続き
様々な予言によって、「ハルマゲドン(最終戦争)」の引き金になる、とも言われているわけですから
日本人にはなかなか理解がいかないわけです
ですが、前回の日記に見るように、ユダヤ人は1900年の間、根無し草のように国を持たない流浪の民として生きてきました
時の権力者たちに庇護されて、どこの国でも「異邦人」としての生き方を続けてきた民族、それがユダヤ人なのです
そのユダヤ人に言わせると、ヨーロッパ人とは全く逆の見方をしていることが分かります
つまり、「我々ユダヤ民族が迫害を受けたのは、国家を持たなかったことが原因だった」ということになるわけです
イスラエルとは、同じ民族、同じ宗教を共有する人たちが、合意によって創る「国民国家」だというわけです
彼らの建国は、「国民国家」の原則に沿うもので、他国を侵略しないが、決して侵略させない、国土と国民を断固として守る
という理念のもとに作られています
迫害した側のドイツ人とヨーロッパは、「迫害の原因は国民国家だった」と思い、国を無くして一つの統一国家をつくることを目指し
迫害を受けたユダヤ人は、「迫害の原因は国民国家を持たなかったことだ」と考え、断固として国民国家を守ることを決意する
この二つの考え方は、グローバリズムと反グローバリズムで見事に分かれるわけです
しかし、これまで見てきたように、元々ナチスドイツも「グローバリズム」の考え方を持ち、統一国家を目指していました
グローバリズムとは、一つの思想、一つの理想で多くの民族を縛り、その自由を制限するものです
民族固有の考え方、宗教固有の考え方、こうしたものは「野蛮な民族意識」、「未発達な理性」として、退けられます
そのほとんどは、強制的な方法で制限されます
また、同じ「グローバリズム」でも、アメリカ型のグローバリズムは「力と武力」に裏付けられたもので
今回のウクライナ戦争のように、アメリカによる力の外交によって「国民国家ロシアを潰す」、という事さえあるわけです
ロシアという国は、確かに形は独裁国家に近いですが、全体主義ではありません、独裁・専制国家と全体主義とは全く別物です
ロシアは民主主義国家であり、バイデンが言うような「悪の枢軸」でもありません
一つの価値観で他国を悪と断じ、力で従わせるのは、まさにグローバリズム国家の特徴です
「世界の風潮に従わない者はアメリカから制裁を受ける」という恐怖で世界を支配しようとしているのは、むしろアメリカの方です
全体主義はですね、民主主義や独裁主義とは関係がありません。。。「空気」による支配。。。それが全体主義ですからね
今回の西側を覆っている空気は、むしろ「アメリカ型全体主義」なのです
ロシアは「国民国家」として、自国とウクライナ東部のロシア系民族を保護しているにすぎません
こうした事が言えると思います
最後に、私の私見を述べたいと思います
グローバリズムと反グローバリズム、どちらが正しいのか?それは
神がこの地球を作ったとするならば、なぜ、様々な人種・民族、男女の別、様々な宗教があるのか?そこから見えてくると思います
個性ある存在がたくさん存在している理由、それは「他人を見て、自分の真実の姿を知ることができる」からではないでしょうか?
進歩した国があり、後れているように見える国があり、その違いがあって初めて、人間は自と他の違いを知り、学ぶことができる
一つの価値観ですべてを縛るということは、個性を無くしてしまうという事であり、進歩がなくなるという事でもあります
根底には、「なぜ人間は生まれてくるのか?」という問いがあると思います
アメリカのトランプ大統領は「自由は政府によって与えられているのではない、神から与えられているのだ」と言いました
その通りだと思います
神から自由が与えられているという事は、各々その個性を大事にしろという事であり、自と他の違いを知り進歩しなさい
という事だと思います
だからこそ私は、グローバリズムではなくて反グローバリズムが正解だと思います。。。カントには申し訳ないがね。。。
ハンナ・アーレントが主張するように、政治とは「自由の創設」であり、自由を守ることもまた、政治の仕事です
人がその頭で考えた平和の理念は、理性にかなっているように見えて、まだまだ未熟なものだと思います
それを結論としたいと思います
※国民国家とは。。。
小さな部族、氏族などが統一の合意のもとに集合して集合体(ネイション)を作り、また複数のネイションが”合意のもとで”集合して作った一つの国家のことを言う、古くは旧約の預言によりつくられたイスラエルなどがあるが、国家の成立はネイションの長などによる合意によって行われるもので、必ずしも一つの言語や一つの民族というわけではない、部族や氏族、ネイションの自決権(自己決定権)や宗教や習俗の自由はできる限り尊重される、形として共和制、立憲君主制など、様々な国家形態がある
ただし、国民国家はイスラエル建国の際の神の啓示により、以下のいくつかの特徴を有するとされていて、キリスト教圏の国民国家もその影響を受けている
1 元首(国王など)は国民の中から「国民の声に耳を傾ける人物」が選ばれる(民主主義の原理がうたわれている)
2 国民国家の元首には法律を作る権限がない(立法権と行政権の分離がここでうたわれている)
3 国家は主権を有し、他国の侵略から国家と国民を守る義務がある、また同じく他国の主権を尊重し、他国への侵略はできない(主権の尊重)
※帝国主義国家とは。。。
一つの思想、一つの理念のもとに、一つの国が武力で、もしくはそれに準ずる方法で他国を併合し、複数の国家が集合した国家のこと、併合された国家は消滅するが、「一つの国家となることで平和が訪れる」という結果によって正当化される国家形態のこと、合意による国家形成ではないため、個人やネイションの自由は帝国の理念のもとに制限される
例としてローマ帝国など、ローマ帝国が作った力による平和のことを「パックス・ロマーナ(ローマの平和)」という
このようにして言葉を定義すると、ナチスドイツは明らかに後者、つまり帝国主義国家を目指していたことが分かります
アーリア人による統一国家というのは、あきらかに統一された理念の下で複数の国家を占領、併合していくということで
ナチスの第三帝国という理想は、名前の通り帝国主義国家ですね
では、このナチスの帝国主義はナショナリズムなのか?それともグローバリズムなのか?ですが
一般的には、ナチスは国家至上主義という事で、ナショナリズムが行き過ぎた、と言われているわけですが
逆にグローバリズムの特徴から見ていくと、その本質がよく分かります
グローバリズムの特徴は、一つの理念、一つの思想によって世界を一つにする。。。という考え方です
そのため、一つの国における民族独特の風習や習俗、習慣、信仰などは、グローバリズムの統一理念によって制限されます
グローバリズムの特徴は、民族独特の考え方や法律、信仰を、一方的な権力によって変えさせて従わせる、というものです
これはまさに、武力による占領と言うわけではないけれども、帝国主義国家の特徴とまったく一致するわけです
つまり、ナチスは全体主義であり帝国主義であり、そして強硬な「グローバリズム」なのです
要は、急進的グローバリズムなんですよ。。。そこにアーリア人種優性という民族的な優生学の考え方が入っているだけです
グローバリズムには「自由を制限する」という考え方が入っています
なぜなら、正しい考え方は一つだから、という考え方があるからです。。。それに逆らうものは間違っているということです
これはですね、ヨーロッパに関して言えば、元はカント思想の影響です
イマヌエル・カントはドイツの哲学者ですけれども、この人が18世紀に打ち出したのが「世界統一政府による平和」です
この人が世界平和のために世界を一つにまとめる、という考え方を打ち出し
先進の各国は「理性」をもって統一政府の理念に賛同し、統一国家を作っていくべきだと主張しました
カントが言いたいことは、要は、わがままを言って統一国家に賛同しない国は、「未成熟な国」なのだ、という事なのです
このカントの考え方は長い間、なかなか認められなかったわけですが
その考え方がクローズアップされたのが、実はナチスのアウシュビッツとホロコーストがあったからだと言われています
ナチスドイツが「”ナショナリズム”による民族至上主義」によって、ユダヤ人を大虐殺してしまった。。。
いったい何が悪かったのか?。。。ナショナリズムが悪かったのか?。。。国民国家では全体主義やホロコーストを防げないのか?
各国首脳はこのように考えたと思われます。。特に戦後のドイツはそうですね、ドイツには深い心の傷と後悔の念があったと思います
そして行き着いた先が、カントの思想による「世界統一政府による平和」だったと言われています
そして、ヨーロッパ統一政府であるEU構想ができ、戦後、ドイツ首相のアデナウアーがEU構想を強く後押ししたわけです
ドイツが比較的に理性的な国であり、「EUのルールに従うべきだ」という傾向が強いのは、おそらくはカントの思想の影響と
自分たちがまた暴走しないように「自分を鎖で縛っておきたい」という潜在意識下の思いがあるのだと私は思います
それだけドイツ国民に自責と後悔の念が強いのだと思います
一方、迫害を受けた側のユダヤ人、イスラエルはどうなのでしょうか?
ユダヤ人でありイスラエル人であるヨラム・ハゾニー氏の「ナショナリズムの美徳」という書籍によると
第二次大戦後、ヨーロッパを中心に、「ユダヤ人の国を再建する」というシオニズム運動が盛んとなり
イギリス政府の肝いりによって、かつての「カナンの地」にイスラエルが建国され、ユダヤ人の国家がつくられました
カナンの地とは、旧約の時代、モーゼが神の預言に従いユダヤの各部族を率いて出エジプトし、神との契約によって与えられたユダヤ人の国で
「約束の地」とも、「乳と蜜の流れる地」とも言われる場所です
キリスト没後数十年。。。約1900年も前に国を追われたユダヤ民族が、約束の地に国を再建して帰ることになったのです
歴史に詳しくない多くの日本人は、アラブ人が数多く住むその地に、なぜユダヤ人の国イスラエルがあるのか不思議だと思います
なぜわざわざ紛争の元になるような国を建てたのか?
そのために4度もの中東戦争が起き、現在もアラブ人とユダヤ人の小競り合いが続き
様々な予言によって、「ハルマゲドン(最終戦争)」の引き金になる、とも言われているわけですから
日本人にはなかなか理解がいかないわけです
ですが、前回の日記に見るように、ユダヤ人は1900年の間、根無し草のように国を持たない流浪の民として生きてきました
時の権力者たちに庇護されて、どこの国でも「異邦人」としての生き方を続けてきた民族、それがユダヤ人なのです
そのユダヤ人に言わせると、ヨーロッパ人とは全く逆の見方をしていることが分かります
つまり、「我々ユダヤ民族が迫害を受けたのは、国家を持たなかったことが原因だった」ということになるわけです
イスラエルとは、同じ民族、同じ宗教を共有する人たちが、合意によって創る「国民国家」だというわけです
彼らの建国は、「国民国家」の原則に沿うもので、他国を侵略しないが、決して侵略させない、国土と国民を断固として守る
という理念のもとに作られています
迫害した側のドイツ人とヨーロッパは、「迫害の原因は国民国家だった」と思い、国を無くして一つの統一国家をつくることを目指し
迫害を受けたユダヤ人は、「迫害の原因は国民国家を持たなかったことだ」と考え、断固として国民国家を守ることを決意する
この二つの考え方は、グローバリズムと反グローバリズムで見事に分かれるわけです
しかし、これまで見てきたように、元々ナチスドイツも「グローバリズム」の考え方を持ち、統一国家を目指していました
グローバリズムとは、一つの思想、一つの理想で多くの民族を縛り、その自由を制限するものです
民族固有の考え方、宗教固有の考え方、こうしたものは「野蛮な民族意識」、「未発達な理性」として、退けられます
そのほとんどは、強制的な方法で制限されます
また、同じ「グローバリズム」でも、アメリカ型のグローバリズムは「力と武力」に裏付けられたもので
今回のウクライナ戦争のように、アメリカによる力の外交によって「国民国家ロシアを潰す」、という事さえあるわけです
ロシアという国は、確かに形は独裁国家に近いですが、全体主義ではありません、独裁・専制国家と全体主義とは全く別物です
ロシアは民主主義国家であり、バイデンが言うような「悪の枢軸」でもありません
一つの価値観で他国を悪と断じ、力で従わせるのは、まさにグローバリズム国家の特徴です
「世界の風潮に従わない者はアメリカから制裁を受ける」という恐怖で世界を支配しようとしているのは、むしろアメリカの方です
全体主義はですね、民主主義や独裁主義とは関係がありません。。。「空気」による支配。。。それが全体主義ですからね
今回の西側を覆っている空気は、むしろ「アメリカ型全体主義」なのです
ロシアは「国民国家」として、自国とウクライナ東部のロシア系民族を保護しているにすぎません
こうした事が言えると思います
最後に、私の私見を述べたいと思います
グローバリズムと反グローバリズム、どちらが正しいのか?それは
神がこの地球を作ったとするならば、なぜ、様々な人種・民族、男女の別、様々な宗教があるのか?そこから見えてくると思います
個性ある存在がたくさん存在している理由、それは「他人を見て、自分の真実の姿を知ることができる」からではないでしょうか?
進歩した国があり、後れているように見える国があり、その違いがあって初めて、人間は自と他の違いを知り、学ぶことができる
一つの価値観ですべてを縛るということは、個性を無くしてしまうという事であり、進歩がなくなるという事でもあります
根底には、「なぜ人間は生まれてくるのか?」という問いがあると思います
アメリカのトランプ大統領は「自由は政府によって与えられているのではない、神から与えられているのだ」と言いました
その通りだと思います
神から自由が与えられているという事は、各々その個性を大事にしろという事であり、自と他の違いを知り進歩しなさい
という事だと思います
だからこそ私は、グローバリズムではなくて反グローバリズムが正解だと思います。。。カントには申し訳ないがね。。。
ハンナ・アーレントが主張するように、政治とは「自由の創設」であり、自由を守ることもまた、政治の仕事です
人がその頭で考えた平和の理念は、理性にかなっているように見えて、まだまだ未熟なものだと思います
それを結論としたいと思います
「アデナウアーは、シューマン・プランが独仏の和解とドイツ主権の完全回復の手段としても重要であると認識し、即座に賛意」
と。
そもそも、アデナウアーは脇役扱い。
ちなみに、ナチスの正式名称(和訳)は、国家社会主義ドイツ労働者党。
国家主義と社会主義の混在(から垣間見えるペテン感)は、高校世界史でも習う事。
「一つの思想、一つの理念のもとに」これは、聖書学の「大きな家」概念の一端。アブラハムの宗教の共通項。
そして、思想理念同士が衝突する事は、不可避です。
もう少し万人に分かるように話をされるといいと思いますよ
他人に「何が言いたいのか分からない」と思させるのは
あまり頭のいい人だとは思いません、そういうのを「自己満足」と言います
私が尊敬し、敬愛している方は東大法学部卒業の方ですが
もっともっと万人に分かりやすく説明のできる方ですね
あなたのお名前はネットで色々有名なんですね
京大法学部卒なんだとか。。。それは良かったですね