安い税金と小さな政府を切望するふきあえずのブログ

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嘆いているだけでは未来は変わらないが。。。

2023-05-26 01:25:27 | 政治


最近、世界だけでなく、日本においても、急速に「自由」が喪失していっているのを感じます
失われているんです。。。自由がね。。。。
デジタル庁創設、マイナンバー推進、中央銀行デジタル通貨、LGBT法案、そして緊急事態条項。。。
自由と民主主義の国だと思っていたオーストラリアにおいて、このような「自由への抑圧行為」が
「緊急事態法」を利用して堂々と行われていたのは恐るべき事態ですが、ことはそれほど他人事では済まない訳で
このことは、今の日本においても、着々とそちらの方向へと向かいつつあるわけです
正直、世界が。。。そして日本もまた、「全体主義」の流れに向かっていると言えると思います
政治思想家、哲学者のハンナ・アーレントは、全体主義の特徴として、「強制収容所」のようなものがあることをあげています
オーストラリアでもそうだったように、緊急事態をお題目として、一般の人を逮捕し、拘束し始め、身体の自由を奪い始めたら
それはもはや「全体主義」の流れにある。。。と言わざるを得ないと思います

また、こんな動画もありました

私は深田萌絵氏の言っていることに全面賛成しているわけではありません、しかしながら
自民党からの警告文。。。これ、明らかに権力の乱用であり、自由への挑戦であり、全体主義へと自民党が変貌している兆候だと見えます
LGBT法案に多くの議員が疑問を呈して反対する中、議長に一任する形でむりくり法案を提出するって。。。まさに自民党、やりたい放題ですね

正直、こんなところで愚痴を言っていたところで、世の中が変わるわけではないわけですが
これから、世の中がどんどん暗く、全体主義的な抑圧社会に向かう事を見越して、私たちにはしっかりした心構えが必要だと感じます
それは、この日本が最悪の形でどん底に落ちてしまった後に、「どう立て直すのか?」ということを、今から考えておく必要があるという事です

いきなりこんなことを言って申し訳ないが、今の自民党の議員の皆さんは、おそらくは死後、深い深い地獄へ赴くことになるでしょう
そのぐらい、今の政府与党は、罪深いものがあると思います
結果的に多くの日本人が苦しむことになりますから。。。彼ら、今は良くても、彼らの死後は間違いなく深い地獄だと私は確信しています
私は、今の世の中が世知辛く、住みにくく、苦しいから、来世に現実逃避しているわけではありません
そうではなくて、暗い時代にこそ、国が生まれ変わるチャンスがあるのもまた事実だと、そう言っているのです
時代がその「底」に至ったときにこそ、国が生まれ変わることがあるのもまた事実なのです。。。かつての日本のように

たとえば、今から1400年ほどの昔、苦しみの中で喘いでいる民衆の中に仏教が伝来し、多くの人が仏教の教えによって来世を信じ
世の中が仏教の教えによって良い方向へと向かっていった時代がありました
奈良仏教の興隆の時代の、行基が活躍した時代がそれです
行基は、各地に仏教寺院を建て、布教をし、「善因善果・悪因悪果」の仏教的教えを広めました

それまで、日本の信仰と言えば各地の豪族それぞれ土着の信仰をもち、また、天皇家を頂点とする日本神道の原型もあったわけですが
残念ながら、日本土着の信仰には、「天国地獄の思想」が存在しませんでした
何をすれば死後天国に帰り、何をすれば死後地獄に落ちるのか?その因果関係を説明する教えが存在しませんでした
だからこそ、聖徳太子は仏教を国教に据え、「善因善果・悪因悪果」という教えをもって、人々に道徳というものを教えようとしました
聖徳太子の死後、一時的に時代の揺り戻しがあり、仏教は神道に排除されかかった時代もありましたが
その仏教を再度興隆させたのが行基だったのです
行基は、他人にやさしくし、施すことをすれば、死後極楽に行くことができると説き、他人を苦しめたものは地獄・餓鬼・畜生の世界に赴く
という、「因果の理法」を説きました
また、他人に施しをするだけでなく、灌漑や開墾などによって人の役にたった者もまた、来世、極楽浄土に行くと教えました

実は、日本神道、日本の土着の信仰にはこの「天国地獄観」も、「因果の理法の教え」もなく
「神は生まれながらにして偉い」という考え方・教えを持っており
要するに「王権神授説(王の立場は神によって与えられているもので、生まれながらにして尊いという考え)」を継承していたわけです
ですから、日本神道などの日本土着の信仰における道徳とは、「天皇家や豪族にとって都合の良い道徳」でしかなかったわけです
はっきり言ってしまえば、日本神道が世界宗教にならなかった理由も、「普遍的な善悪の教え」がなかったことが、大きな理由でしょう
ですから、天皇家や皇族に生まれてしまえば、どれほどの悪事を働こうとも、最初から地獄行きはないわけです
これが、はっきり言って、日本神道の、宗教としての未熟さだと私は思っています
そしてこの「普遍的な善悪の教えの欠如」が、「善悪を曖昧にする」という、日本的な発想の根底に流れていると、私は感じています
また、「お上にとって都合の良い道徳」という考え方自体がご都合主義で、全体主義と非常に相性がいいこともまた事実です
いま、政府与党が非常に全体主義的色彩を強くしているのは、そうした日本的ご都合主義道徳の結果だともいえると思います

私は及川幸久さんを応援していますが、その理由は一つです
それは「宗教をバックボーンとする善悪の基準をしっかり持っている」という理由からです
宗教とは、人が善悪を判断するときの、判断基準の根底に存在するものなのです
「及川さんが宗教を離れたら応援する」と言っている人の気持ち。。。分からなくもないのですが
それではもはや及川さんではないわけです
最悪の時代にはまた、最良のものが出現する。。。人々の心が荒廃するからこそ、人は本当の善悪とは何かを求めるものだと思います
そうしたことを、今日の結論として述べておきたいとおもいます

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