hisakunnのブログ

日米の民主主義崩壊

未必の故意について!

2018-01-13 03:06:59 | 日記
言葉として存在はしているものの現実に、故意犯として適用された判例は無いに等しいのではないでしょうか?

被害者側の認識としては、殺されたに等しい犯罪でも、故意犯として裁かれないのなら、刑罰は軽減され納得がいかない被害者の関係者は多いはずです。

日本の裁判の傾向としては、被害者の人権より生き残った加害者の人権の方を重視しているのではと感じる判例が大半である。

結局、日本では犯罪に対する刑罰の重さが軽いと感じる判例が多いのです。 裁く側が厳しい処罰をすることに臆してしまっているのでしょう!

裁判官や弁護士でさえ、厳しい判決に臆する訳ですから、一般人は尚更です。この自分に対する甘えは戦後の日本に充満しています。

大戦でアメリカに原爆を投下されて、魂まで無くしてしまったのでしょうか? 武士の時代には少なくとも今よりは、潔かったはずです。

政治家や権力者に、この傾向が極めて強いようです。この傾向が、庇い合い、隠し合う村社会を増やしているのです。この流れは増幅して拡がるばかりです。

私のような全てに、人間は厳しくあるべきと考える日本人は珍しい存在のようです。私が煙草も酒も嗜まないのは、ここに理由があります。

人間は、自分にプラスにならないことは、しない事です。 ですから未必の故意なんて犯罪は許されるべきではないのです。

犯罪の意識が在ってする犯罪者と未必の故意ですると犯罪者では私は、後者の方が罪は大きいと思う者です!

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