hisakunnのブログ

日米の民主主義崩壊

誘導による裁判員の感想

2010-09-18 22:32:25 | 日記
 インタビューに答えた裁判員は、揃って同じ方向の感想を述べています。 如何にも、感想を聞かれたら、このように答えて下さいと、促された如き答えでした。
 裁判員も、下した判断に私情が入っていたなんて言えないから、当然ですね。
 しかし良く考えて下さい。 遺棄は認めても致死は認めないと言う矛盾。 健常者なら遺棄されても自力で正常な状況に戻れます。 しかし田中さんは、遺棄された後、若しくは直後に死んでいるんです。 遺棄を認めて致死は認めないと言う場合は、遺棄と死という事実が繋がっていない場合です。 
 路上で、猫を棄てたら、勝手に走り出して車に跳ねられて死んでしまった場合のケースです。 瀕死の状況にある田中さんを放っておいたら、勝手に死んじゃったんだと言っているのと同じなんですよ。 家族が怒るのも当然です。
 とんでもない事になったと、田中さんが死にそうな状態だからうろたえたのでしょう。  昔なら、未必の故意じゃないですか!
 田中さんの遺棄と田中さんの死は何の因果関係も無いのでしょうか? と言う事は、遺棄が無くても田中さんは死んだ事になりますよ? 変じゃないですか?
 裁判官が裁判員に言い含める為の苦肉の策ですね。   
 どっちみち控訴されるから、”ここでの判決は、単に高裁に多少の影響を及ぼすだけのものだから、余り責任を感じず、インタビューされても支障の無い程度の対応をしておいて下さい。”   こんなやり取りが浮かび上がります。
 

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