米原万里 『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』 ←アマゾンへリンク
これは少しあらましを書いてもへいきかな?
ウィキによると、米原氏は、小学校3年生だった1959年 (昭和34年)、
父親が日本共産党代表として各国共産党の理論情報誌 『平和と社会主義の諸問題』 編集委員に選任され、
編集局のあるチェコスロバキアの首都プラハに赴任することとなったそうだ。
一家揃って渡欧し、9歳から14歳まで少女時代の5年間、
現地にあるソビエト連邦外務省が直接運営する、外国共産党幹部子弟専用の8年制ソビエト大使館付属学校に通い、
ロシア語で授業を受けたそうだ。
その学校に通う子供の出身国は様々、20か国にも及ぶらしい。
国際色豊か、しかも各々が共産党幹部の子供、という学校なら、同級生もさぞかしバラエティに富んでいるだろう。
そしてこの話は、30年後 音信の途絶えた同級生3人を東欧に探しに行く、という話だ。
このように、米原氏はかなり特殊な環境で育ったのだ、ということが分かる。
米原氏の立場は子供といえども、かなりタイトだ。
そして、同級生たちも然り。
少女時代の同級生たちとの思い出も、そのような中ではぐくまれたのだろう。
この本に直接書かれていたわけではないが、わたしは行間に米原氏の父親への愛を感じた。
父親を尊敬できなければ、米原氏は信念を持って耐えることができなかっただろう。
信念を貫く、ということを生き様で示した人、と米原氏は捉えているようだ。
国際社会の中で激動する東欧やソ連、そこで翻弄される同級生やその家族のさまを、
この本は見せつけてくれる。
かつての東ドイツの人の話をどこかで読んだ記憶がある。 文化的には豊かだった、と。
共産圏が直ちに悪だ、という考え方はずいぶん乱暴で、一体誰に植え付けられたのか?と
疑った方がいい、と思った覚えがある。
そもそもの信念は尊い、と思う。
人間の持つほかの性質に席巻されてしまうのがよくないだけで、共産主義=独裁主義ではなかったはず。
共産主義って何なのだろう?
理想と現実のギャップの激しさ、そこにあるいやらしさ、その中で生きてゆく困難さ。
米原氏の文体はズバッと簡潔だ。その短い描写が重い真実を着いて突いてくる。
この本に書かれたことすらもはや20年もまえのこと。
東欧やそれを取り巻く情勢はどう変わったのか?
読後、いろいろ考えさせられ、また、調べなければ、と思わされる。
そしてその中に、背筋を伸ばしまえを見据えた少女たちの姿を、探してしまうのだ。
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